fuchswaldcrow
2025-09-20 01:03:48
4783文字
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【東巻】さみしいよるに

わたしは坂道くんの世界一格好いい先輩な巻島さんと、巻島さんが絡むと突然だいぶかわいい感じになる東堂さんが好きです(概要に書くことが特にないので唐突に趣味の話をしています)

 真冬の夜は、さみしさの匂いがする。
 三歩先で揺れる緑をぼんやりと見つめながら、東堂は細く息を吐いた。
 僅かに酒気を帯びた吐息は熱を持ち、吐き出された淡い白色が冷たい空気にふわりと溶ける。
 月の綺麗な夜だった。深い藍色の空に、ぽっかりと浮かぶ象牙色。
 さえざえとしたほの白い月明かりが、街灯もまばらな住宅街の細道を淡く照らしている。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 人気のない夜道に、少し前を歩く巻島の靴がアスファルトを蹴る音が規則正しく響く。
 カーキ色のチェスターコートに8cmヒールのショートブーツ。
 巻ちゃん、大人っぽくなったな。ヒールの分だけいつもより高い位置にある頭を見上げて東堂は思う。
 ここ数年は、会う度にそう思っている。
 実際互いに大人になった。高校を卒業して巻島はイギリスへ、東堂は茨城の大学へ。仲間内の集まりはいつしか居酒屋が定番となり、交わされる会話には具体的な進路の話題が混じるようになった。
 巻島は次の夏にイギリスの大学を卒業する。
 留学してから1年はファウンデーションコースをとっていたから、高校と同じく皆よりも半年だけ早い卒業だ。
 その先は、知らない。
 大学を卒業した後の巻島がイギリスに残るのか日本へ戻ってくるのか。たったそれだけの事すらも、東堂は未だに確かめる事ができずにいる。
 いっそ誰かがオレの代わりに聞いてくれないかとすら思っていたのに、先程駅で別れた金城も田所も、東堂のかつてのチームメイトたちの中にも、今日の飲み会の席で巻島から進路を聞き出そうとする者は居なかった。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 途切れる事なく硬質な音を響かせながら、巻島がぐっと空を仰いだ。
 ふぅ、と微かな音と共に、天に向かって吐き出される白い息。
 反った細い首に浮く喉仏。少し尖らせた薄い唇。細い背で緩く波打つ髪を眺めながら、東堂は背後からでは見えないそんな様子を想像する。夜に溶けた吐息はきっと、甘いアルコールの匂いがするのだろう。
 高校を卒業してから、巻島とは五度会った。
 一度目は後輩達のインターハイ。二度目はその年の秋に、巻島が日本に短期留学に来た四週間。三度目は次の年の秋、同じ交換留学制度を使って東堂がイギリスへ飛んだ。四度目は同年の冬に、巻島がクリスマス休暇で帰省したのに合わせてささやかな忘年会をした。
 五度目の今日は、昨年と全く同じ流れだった。巻島の帰省に合わせて金城が荒北と田所を誘い、誘われた荒北が福富と新開と東堂に声を掛けた。
 一年振りに顔を合わせた巻島が、待ち合わせ場所の新宿駅でまるで昨日会ったばかりみたいな顔をしてひょいと片手を挙げるものだから、東堂は苦笑するより他なかった。
 お前、相変わらず殆ど連絡を寄越さないくせに。今回の帰省の事だって、直接知らせてはくれなかったくせに。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 実家に続く道を歩く巻島は、駅で旧友たちと別れて家路を辿り始めてから一度も振り向かない。
 三歩後ろをスニーカーで足音もなく歩く東堂が、自身のあとをついてきている事を疑ってもいない。
 まあ実際知った道だ。迷いようもないのだけれど。ちゃんと後ろに居るのだけれど。
……コンビニであったかい飲み物でも買ってくりゃ良かったナァ」
 殆ど独り言のような声でそうぼやいて、巻島が痩身をぎゅっと竦める。
「だから寄っていかなくて良いのかと聞いたのに。まっすぐ帰ると言ったのはお前だぞ、巻ちゃん」
「だってもう日付変わるショ。早く帰りてぇ」
 すげぇ眠ィ。そうぼやいた巻島が、くわぁと噛み殺さない欠伸をする。 
 緩く頭を振って、ぐしぐしと顔を擦る。もう一度欠伸。どこか動物じみた巻島の仕草を、東堂は飽く事なく見つめ続けている。

 巻島のことが、好きだった。
 気付いた時には恋だった。
 不器用な性格で、頭は良いが時々、いや割と頻繁に抜けていて、愛想がなくて、連絡不精で、こんなに目立つ色の髪なのに存在感が薄くて、その癖一度坂を走らせれば恐ろしい程に眩くて、一度内側に入れた相手にはどこまでも優しい。
 東堂が好きになったのは、そんな男だ。
 巻島は優しい。
 今日だって東堂は本当は、箱根の実家に帰るのは最初から無理であっても、新宿駅で千葉の実家に帰る元総北組とは別れて、都内にある新開や福富の家に泊めて貰うのが正解であったのだと思うのだ。荒北がそうしたように。
 巻ちゃんちに泊めてくれ。
 東堂の自覚のある我儘に巻島は面倒そうな顔をして、けれども最後にはまぁ良いと頷いて、こうして千葉まで連れ帰ってくれた。
 イギリスに短期留学をした際もそうだった。たった四週間。日々一日の終わりを惜しむ東堂を、巻島は呆れた顔で、別にまた明日嫌でも顔合わすショとぼやきながらも、何度か兄と暮らすフラットまで連れて帰ってくれた。
 べたべたした友情は苦手だと、昔言ったその言葉に嘘はないのだろうに。
 さみしがりの構いたがり。巻島の中に出来上がったそんな『東堂尽八』のイメージに、東堂は全力で乗っかった。
 巻ちゃん、もうちょっと話そうぜ。
 巻ちゃん、元気にしているか?
 巻ちゃん。巻ちゃん。巻ちゃん。
 
 すきなんだ。

 肝心なその一言だけは、いつも飲み込んだまま。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 振り向かない巻島の背に向かって腕を伸ばしてみる。
 びゅう。通り掛かった十字路を、強い風が吹き抜けた。
「うわっショォ!?」
 巻島の長髪を舞い上げて通り過ぎた風が、東堂の鼻腔につんとするような冷たさと、甘苦い柑橘の匂いを残す。
 巻ちゃんの匂いだ。
 何度も借りた事があるのに、自分が使っても不思議と同じ香りは残らない、シャンプーの匂い。
 この髪を無遠慮に鷲掴んだ事だって、確かにあった筈なのに。
 今はもう、ぐちゃぐちゃになった毛先に触れることすら躊躇している。
 恋に気付いてしまってから、自分は随分と臆病になったと東堂は思う。
 自身が巻島にとって特別な存在であるという自覚が、東堂にはある。
 大学1年生の秋。普段は碌に連絡も寄越さない男が突然自身と走る為だけに日本へと帰ってきた時、東堂はそれを確信した。
 2年生の秋。事前に何も言わずにイギリスに乗り込んだ東堂の姿にひとしきり驚いた後、巻島は東堂が日本から連れてきた相棒の姿に目をとめて、嬉しそうに笑った。
『登るショ、東堂』
 作り笑いが苦手な男の、目を奪われる程綺麗な笑みに、海を越えて連れてきたリドレーのハンドルをぐっと握って東堂も笑った。
『ああ、登ろう。巻ちゃん』
 嬉しかった。本当だ。誓って一片の曇りもない真実だ。
 大切なライバルが同じ気持ちで居てくれる。こんなにも鮮やかに輝く巻島の瞳を見ることができるのは、きっと自分だけだ。
 オレはきっと、巻ちゃんにとっての特別だ。
 オレにとっての巻ちゃんが、特別な存在であるのと同じように。――――同じように?
『特別』に『特別』が返ってきたからといって、恋に恋が返されるとは限らない。
 高校時代、好意に好意を返すことはしても、恋に礼以上のものを返す事をしなかった東堂は、それを良く知っている。
 時には真摯に礼を返しても、恋を告げられる前より互いの距離が開いてしまう場合がある事も。
 だから東堂は臆病になった。
 不器用で優しい男の特別を、失ってしまう事が怖かった。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 伸ばした腕で何も掴むことをしないまま、東堂はぎゅっと指先を握った。
 さみしい夜だった。
 最初は福富が居て、新開が居て、荒北が居て、居酒屋を出て3人と別れてからは電車に乗って、降りた駅で金城と田所とも別れ、東堂は巻島とふたりぼっちになった。
 さみしい夜だった。
 月はしらじらと明るくて、道には2人の他に人の姿はどこにもない。
 さみしい夜だった。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 巻島は振り返る事もないまま、ヒールを鳴らして家路を辿っている。
 さみしい夜だった。
 東堂はきっと少しばかり酔っているのだった。
 だから。だから。
 きっちり三歩分の距離を保って巻島のあとをついて歩いていた東堂は、ぴたりと歩みを止めた。
「まきちゃん」
 名を呼ぶ声は小さすぎて、きっと巻島の耳には届いていない。
「まきちゃん」
 もう一度繰り返す。今度は少し大きな声で。
 今度はきっと聞こえている筈なのに、巻島は歩みを止めようとはしない。
 遠ざかりかける背中を追いかけて再び歩き出した東堂は、不貞腐れた気持ちで呟いた。
「巻ちゃんが、オレのこと好きになればいいのに」 
 唇からころんと転がり落ちた声は、冷え切った夜に驚く程によく響いた。
 拗ねた子供のような声で呟いた大きすぎる独り言は、きっと三歩前を歩く男にも、聞こえてしまった筈だった。
 言ってしまった。
 東堂は静かに俯いた。
 恋を告げて距離が開いてしまうことが、あんなにも怖かった筈なのに。
 気付いたかな。きっと気付いただろうな。
 東堂の拗ねた声音に滲んだ恋を、存外に敏い男はきっと、正しく拾い上げてしまうだろう。
 拾い上げたそれを、大事に抱えておいてくれる事は無いかもしれないけれど。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 届いた言葉に動揺する気配もなく、相変わらずヒールの音は規則的に響いている。
 歩き続ける巻島の背が少し丸まって、チェスターコートに包まれた両肩が小刻みに震える。
 クハッ。
 足音に混じって聞こえたのは、小さな笑い声だった。
……これ以上かよ?」
 くつくつという笑い声に続いて愉快そうに呟かれた言葉は、確かに東堂の耳へと届いた。
 伏せていた顔を、勢いよく上げる。
「巻ちゃん!!」 
 視界にうつるのは相変わらず巻島の背中ばかりで、三歩の距離を縮める為に、東堂は大股に足を踏み出す。
 顔が見たかった。
 駅に着いてからというものの、東堂はずっと巻島の背中ばかりを見ていた。
 今、どうしても顔が見たい。
 だってあの笑みまじりの言葉に滲んだ感情は、きっと。
「巻ちゃん!!」
「ウルセェ、近所迷惑ッショ!!」
 かつ、こつ。かつ、こつ。かっ、かっ、かっ、かっ。
 規則正しかった足音の間隔が短くなって、カーキ色のコートの背で緑色の髪がふわりと揺れる。
 東堂はずっとそうしたいと願っていた気持ちのまま、柑橘の匂いのする髪を指先でそっと撫でた。
 かっ、かっ、かっ、かっ。 
 早足で歩き続ける巻島は、きっとヒールで走ることができない。
 スニーカーの東堂はすぐにでも巻島を追い越してしまう事もできたけれど、もう少しだけこのままの距離で居るのも良い気がしていた。
 半歩後ろから見る巻島の耳が、寒さの所為ではなく赤く染まる様があんまりにも可愛かったので。
「巻ちゃん、大学卒業したらどうすんの?」
 巻島に合わせて早歩きをしながら、東堂はずっと躊躇っていた問い掛けを口にする。
 少し早くなった呼吸の合間に、巻島はなんでもない事のように答えた。
「登る。おめーもそうッショ?」
…………だな!!」
 人によっては、はぐらかされたように感じるかもしれない言葉だが、東堂にとってはこれ以上の答えなどどこにもなかった。
 学生という身分に別れを告げた巻島が何になっても、どこに行っても、東堂自身がこれからどんな道を選んだとしても、たとえどちらかが、いつか自転車から降りる日が来ても。
 この夜に交わした言葉を、重なった感情を、忘れる日はきっと来ない。

 
 冷えた空気も藍色の空も、まあるい月も降り注ぐ光も真夜中の匂いも。
 もう何一つ、さみしくなんてなかった。