みずあめ
2025-09-19 00:23:39
8090文字
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ゆづあい

ドムサブ学パロ。Sub🍴×Dom👑です。めちゃくちゃ好き勝手書いてますのでなんでもいい人だけどうぞ。

「Kneel」
二人きりの静かで綺麗な部屋の中。その声は俺にだけまっすぐ届き鼓膜を揺らした。
ぺたんと床に座った俺を、椅子に座ってこちらを見下ろす先輩の視線が刺す。観察されていることに気が付けるほど脳は回っていなくて、俺はただ先輩の命令の心地よさに浸っていた。
ぼうっとしたまま先輩を見上げていると、次第に芸を褒めてほしい犬みたいにどこか焦れた気持ちを覚える。ねえ、おれ、じょうずにできてる? 何か声をかければいいのに、俺はただじっと先輩の言葉を待っていた。
……問題なさそうだな。城瀬、good boy」
途端にふわっと温かいものが胸に広がった。これが、プレイ……。Domにコマンドを出してもらって、Subの俺はそれに従う。たったそれだけでこんなに気持ちいいなんて。
立ち上がることもできずに放心していると先輩が手を貸してくれた。座り込んでいた床から立ち上がり、先輩の正面に立つ。 ありがとうございますと言おうと口を開いたところで手が繋がれたままだと気がついて息を呑んだ。
早く離さなきゃいけないって思ったけれど、それ以上に強い気持ちで離したくないと思った。この手を離さないでほしい、先輩にもっと俺を縛りつけてほしい。
初めての感情に動揺し、俺は慌てて手を離した。うまく力が入らなかったおかげで振り払うというほど強引な動作にはならなかったはずだ。パクパクと口を開閉してなんとか声を出す。
「あ……、えっと、あの、ありがとう、ございました」
「もうすこしプレイしてみるか? 今日は相性を見るためのトライアルだから無理をする必要はないが」
どうやら俺の動揺は先輩には気が付かれなかったらしい。ほっとして息を吐き、それから先輩のことを見つめる。
俺はとても良かったけれど、Domである先輩は、どうなんだろう。ただ命令をするだけで本当に良いのかな。今日初めて会う先輩の表情の違いなんてじっと見てもわからない。迷った末に、俺は小さく口を開いた。
……皇坂先輩は、どう、ですか?」
……久しぶりに気分が落ち着いている。おまえのおかげだろう」
「良かった……。それじゃあ、先輩がよければ、もうすこし」
「わかった。何か違和感があればすぐに言え」
「っ」
「あ。……悪い、今のは命令じゃないが、……敏感なのか」
「い、いえ、そんな、コマンド以外に反応することなんて今まで一度も……
「それなら問題は俺の方だろうな。すこし、他よりDom性が強いらしい。気持ち悪くはないか?」
「ううん、きもちいいです」
……体調のことを聞いたんだが、まあ気持ちいいのならそれでいい。城瀬、おいで。Come」
顔が熱いけれど、コマンドに逆らおうなんて微塵も思わなかった。ぽんぽんと先輩の手が叩くのは自身の太ももで、内心ではそんなのダメだって思いながら、体は命令に従って先輩の足の上に腰掛けた。さっきよりもたくさん先輩の体温に触れ、香りに包まれ、思考がどろりと蕩けていく。
「いいこだ、good boy」
「んぅ……
……気持ちいいな?」
こくんと頷いて先輩の胸に寄りかかると、先輩はくすくすと笑って俺の頭を撫でた。嬉しくて、幸せで、今まで感じたことのないほどの充足感に自然と目に涙が浮かぶ。あたたかい指先が目元をなぞったのを感じて視線を上げ、目を細めた先輩と見つめ合った。
……せんぱい、ちゃんと、きもちいいですか?」
……すごく」
「よかった……。おれ、せんぱいがいいです」
「あぁ。俺も、おまえがいいよ」
思わず抱きしめても先輩は怒ることなく、むしろ俺の背中に腕を回して優しく包み込んでくれた。いくらダイナミクスの説明を受けても理解できなかったことを、たった数分で体の芯まで教え込まれた気がした。



DomとSubの性を持つ人だけが通う全寮制の男子校である我が高校は、ダイナミクスとうまく付き合っていくために正しい知識を身につけ、相性の良い相手とプレイをして日常生活を送るのに支障が出ないよう体調を整えるという理念のもとカリキュラムが組まれていた。
一年生は三年生の先輩と、二年生は同じ学年の同級生と、三年生は一年生の後輩とペアを組みプレイをする慣習があり、相性が良ければそのままパートナーになることもある。もちろん相性が合わずペアを組むことができない場合もあるから、今日みたいに一度軽いプレイをしてみるトライアルが必ず設けられていた。
今日が俺にとっては初めてのトライアルで、他人とプレイをするのは初めての経験だった。今までは薬で抑えていた自身の性を本当に自覚したのも、はじめて。
「城瀬、スマホ持ってるか」
「はい……?」
「ん。……よし。これ、連絡先、登録しておいたから。何かあったらすぐ連絡しろ。俺からも連絡する」
「ありがとうございます……!」
「他、何か聞いておきたいこと、言っておきたいことはあるか? どんな小さなことでも聞くから遠慮なく」
スマホに登録された『皇坂逢』という連絡先は俺には宝石のように輝いて見えた。無意識に画面をするっと撫でていると、皇坂先輩に「城瀬?」と呼ばれて顔を上げる。先輩と目が合うたび心臓が跳ねるのは、なぜだろう。この胸の高鳴りはバレてはいけない気がして俺はふいっと目を逸らした。
「あの、できたらで良いんですけど」
「うん?」
優しい相槌に思わず視線を上げる。声、だけじゃない。俺を見つめる瞳も、表情も、とても優しくてあたたかい。どんな小さなことでも、と言われたのを鵜呑みにして、いつもの俺なら言えないような図々しいわがままを声に出してしまう。
……なまえ、由鶴って、読んでほしいです」
……ん、じゃあ、由鶴。俺も名前で呼んでくれ。皇坂逢、名前の方が短くて言いやすいだろう」
……あい、さん」
「good boy」
甘やかすような声でそう言われてまた蕩けてしまいそうになる。きゅっと手を握った俺を見て、逢さんは体を震わせて笑った。
抱き上げられて逢さんの膝から下りると、ずっとくっついていた体温が離れて寂しくなった。まだ、もっと、ずっと一緒にいたいなと思いながら、本音を隠して「ありがとうございました」とお礼を言う。逢さんはスマホを取り出して数秒操作するとすぐに顔を上げてまた俺を見つめた。
「由鶴」
「は、い……?」
「明日、昼休みは空いてるか?」
突然の質問に困惑しながらこくんと頷きを返す。自然な仕草で俺の手を取った逢さんは、小指同士を絡めて、うんと近くで内緒話のように囁いた。
「昼ごはんを一緒に食べたい。由鶴に、食べさせたい」
きっとそれも、Domとしての欲なのだろう。世話をしたい、甘やかしたい、というDomは多いと座学で学んでいる。気恥ずかしさもあるし俺はまだ自分のSubとしての欲求をあまり認識していないけれど、それでも嫌だとは少しも思わなかった。逢さんがしたいことを俺が叶えてあげられるのなら、とても嬉しい。
「はい、ぜひ、お願いします。……あ、でも、すみません。俺、すごくいっぱい食べるのでお昼は自分で作っていて」
「そうなのか?」
「はい。だから逢さんに用意してもらうのは申し訳ないので、自分の分は自分で持ってきていいですか……?」
「ああ、もちろん。俺は購買で買うかカフェテリアを利用するかしかないから、由鶴が食べたいものを食べた方がいい。だが、食べさせるのは俺がやってもいいだろう?」
「は、はい……
「ふ、照れてる」
「だってこんなの、初めてで」
「すぐに慣れるよ。それじゃあ、また後で連絡する。今日はありがとう。とても良かった。明日も楽しみだ」
……俺も、ありがとうございました。また明日」
ぽんぽんと頭を撫でて、逢さんは部屋を出て行く。俺はその背中を見送ってからふらふらと椅子に座り両手で顔を覆った。
「す、すごかった……
一人呟き、熱い息を吐く。気持ちいい、だけじゃない。今まで覚えたことのない興奮で体が熱かった。逢さんがたまたまとても相性の良い相手だったのか、プレイはどれもこんなにイイものなのか、どっちなのだろう。初めてのことだらけで目が回りそうだった。



昼休みに来てほしいと言われたのは三年の教室が並ぶ階にある数学準備室だった。入ったことのない部屋に緊張しつつ、締め切ってある扉をコンコンとノックする。はい、と返ってきた声が昨日たくさん聞いた逢さんのもので心臓が小さく跳ねた。
「失礼します。……逢さんだけ、ですか?」
「ああ。数学科の先生方はカフェテリアで昼食を取っていて、そのまま午後の授業に向かうから昼休みの間は戻ってこない。そんなところに立ってないで入っておいで。扉は鍵をかけておいていい」
「っ、は、はい」
廊下に立ったままだった俺は逢さんに言われるまま準備室の中に入り、扉を閉めて鍵をかけた。コマンドでもない「おいで」という言葉でも従いたくなるのは俺がDomに慣れていないせいだろうか。
机の上には教材やプリントがたくさん積まれていて、逢さんが使っている机も荷物を端に寄せているけれど先生の机のようだった。汚さないように気をつけないとと思いながら逢さんの隣の椅子に座り、机の上の空いている場所に持ってきたお弁当を置く。
……本当にたくさん食べるんだな」
「すみません……
「謝ることはない。驚いただけだ。それに、たくさんある方が俺には都合がいい」
……? どうしてですか?」
「由鶴にたくさん食べさせてあげられるだろう? 開けてもいいか?」
はい、と返事すら声に出せなかったのは、逢さんがあまりにも嬉しそうにそう言ったからだった。食べさせたい、と昨日だってストレートに言われていたし、あのあと寮の自室に戻ってから改めて教科書を読んでDomについて学んだはずだったけれど、本当に、この人は俺のDomなんだ。
どくんと跳ねた心臓を服の上からぎゅっと押さえつけた。こんなに静かな部屋の中に二人きりだと、逢さんに俺のうるさい心臓の音が聞こえてしまいそうな気がしたから。
……由鶴、これ本当に自分で作ったのか?」
「え? はい、あ、すみません、練習中のものもあるので不恰好でしたよね」
「まさか。こんなに美味しそうな弁当初めて見たって言おうと思ったんだよ。料理がうまいんだな」
……
「それじゃあ食べようか。……由鶴?」
「え、あ、はい、……えっと?」
「少しぼんやりしてるな。そういえば昨日、あのあと体調は大丈夫だったか?」
「はい、大丈夫です、むしろ元気すぎるくらいで」
心配をかけてはいけないと慌てて頷きを返す。お弁当が美味しそうだと褒められただけなのに、逢さんに言われるとそれ自体がご褒美のように嬉しくて驚いた。昨日初めてコマンドを使ったプレイをした影響だろうか、この人の言葉すべてに心が反応してしまう。
「それなら良かった。今日もひとつだけコマンドを使ってもいいか?」
「はい、ぜひ」
「ありがとう。それじゃあ、口を開けて、stay。せっかくの美味しそうな弁当を落としたくはないから、いいこにじっとしててくれ」
「あ……
言われた通りに口を開けて、体を少しも動かさずじっとする。逢さんは弁当箱の中から卵焼きを箸でつまむと、俺の口の中にそれを入れて満足げに笑った。
「食べて」
逢さんに見つめられながら卵焼きをもぐもぐと咀嚼し、飲み込む。ごくんと喉が動いたのを見届けて逢さんは俺の頭をふわふわと撫でた。
「じょうずにできたな。good boy」
……あ」
「うん? もう一回? ……おねだり、できるか?」
「え……ど、どうやって……?」
「してほしいことを言うだけでいい。なんでも、叶えてやる」
……もう一回、あーんってして、ください」
「ふ、いいこ」
ほら、と促されるまま口を開け、逢さんが選んで差し出してくれるものをパクッと食べる。大きなお弁当箱一個分、飽きることなく何度も何度も繰り返し、食べ終わる頃には逢さんも俺もわかりやすく満たされた顔になっていた。
「全部食べられたな。付き合ってくれてありがとう、由鶴」
「俺の方こそ、こんなにたくさん付き合ってもらって……
「由鶴」
「はい……?」
「申し訳ないって思わなくていいんだ。おまえが心地よく感じているなら、それ以上に俺だって心地よく感じているから。だからごめんなんて言わないで、代わりにありがとうって言ってくれ。俺はおまえに甘えられたいし、頼られたいから」
……そう、なんですか?」
「そうなんだよ。覚えておけ。あと、明日からも昼はここにおいで」
「わ、かり、ました。……逢さん」
「ん?」
「逢さんも、ちゃんと気持ちいいの……?」
……昨日も言っただろう。ちゃんと気持ちいいよ。由鶴が俺のコマンドに素直に従ってくれて、甘えてくれると、すごく気持ちいい」
……よかった」
俺がほっと息を吐くと逢さんが頭を撫でてくれて、言葉だけよりももっと安心した。さっきまで不規則にうるさかった心臓は、今はとくとくと甘く鳴っている。
「不安なことがあったらなんでも聞いてくれ。おまえはまだ一年で、ダイナミクスだけじゃなくこの学校についても分からないことだらけだろう。何かあったらすぐ俺に頼ること、いいか?」
……うん、わかりました。……逢さん」
「ん?」
「逢さんのごはんは?」
「あ。忘れてた。由鶴は先に教室に戻っていていい。俺は食べてから行くから」
「それ、俺が食べさせるのは、だめですか?」
「え……
「俺も逢さんに何かしてあげたい。食べさせてもらうの、すごくよかったから。……だめ?」
……だめじゃない。Domのために何かしたいというのもSubの特性だろう。……じゃあ、頼む」
カバンから購買のサンドイッチを取り出した逢さんは緊張した様子でそれを俺に手渡した。袋を開けて手に取ったサンドイッチを彼の口元に持っていくと、逢さんは眉間に皺を寄せて口を小さく開ける。逢さんと過ごしてふわふわと膨らんでいた幸せな感情に鋭い針を刺されたみたいに、俺の手はビクッと震えた。
……す、すみません」
「え」
「やっぱり嫌ですよね、俺なんかに」
「え、いや、……悪い、そうじゃなくて」
逢さんは俺から顔を逸らして息を吐いた。よく見ればその耳がかすかに赤く色付いている。
「Subにいろいろやってやることには慣れているんだが、してもらうことは、全然、なくて」
「え……そ、そうなんですか……? すみません、じゃあやっぱりやめた方がいいですよね」
「ちがう、大丈夫だ、……食べさせて、ほしい、由鶴が嫌じゃなければ」
返そうとしたサンドイッチをおずおずと押し返され、俺は戸惑いながら「はい……」と返事をした。
眉間に皺を寄せるのは不機嫌だからじゃなく、きっと照れているから。昨日も今日もずっと俺のことを見ていてくれたのに今は目を逸らしているのも同じ理由なんだろう。
サンドイッチを口元に差し出して小さな一口を食べさせる。逢さんは静かにそれを飲み込み、上目遣いで俺を見つめて「おいしいよ」と囁いた。続けて「ありがとう」と言う時にはその唇はゆるく弧を描いている。
「でもやっぱり少し照れるな。Subの世話をすることはあっても、世話をされることはないから」
……じゃあ、逢さんにこうやって食べさせてあげたのは、俺が初めてですか?」
「ふ、うん、そうだな。嫌じゃない、嬉しいよ、ありがとう」
逢さんは俺が不安になる隙を与えないようにそう言い頭を撫でてくれたけれど、俺は違うことを考えていた。
俺はSubだから、Domである逢さんにコマンドをもらって、甘やかされて満たされるけれど、それだけじゃ嫌だった。いくら逢さんも気持ちいいと言われても俺からも彼に何かをしてあげたい。彼のために何かしたいと思うこの気持ちがSubとしてのものなのか、自分自身の感情なのかはわからないけれど、逢さんにありがとうと言われると胸が高鳴ることだけは事実だ。
もう一度サンドイッチを差し出すと逢さんはさっきより大きな口を開けてそれをかじった。赤く艶めく唇とちらりと覗く舌に俺はぐっと息を呑んだ。
……逢さん」
「うん?」
……明日も、いっしょ?」
……ん、明日も一緒に食べよう。でもコマンドを使ったプレイは昼休みだけじゃ時間が足りないから、どこか別でも時間を取ろう。と言っても放課後は俺があまり空いてないからな……。休みの日か、平日の夕食後、俺は一人部屋だから邪魔が入ることもないし由鶴がよければそこで」
「え、い、いいんですか?」
「俺が頼んでるんだが。忙しいか?」
ぶんぶんと首を振ると逢さんは楽しそうに笑い、手で口元を隠しながら「じゃあ決まり」と言った。全部隠さないで見せてほしくてつい手を伸ばして逢さんの手を掴むと、逢さんは振り払う仕草すら見せずにそのまま俺の手を握り返し「どうした?」と言った。
「や、なんでも……
「気になることがあればどんな小さなことでも言っていいからな。かまってほしいだけ、でも大歓迎だけど」
「っ」
ぎゅっと強く握られた手と逢さんのからかうような笑みに一瞬で体温が上がった気がした。恥ずかしくて逃げ出したいのに、逢さんが俺を見てくれているところにずっといたいとも思う。握られた手を振り払おうだなんてみじんも考えられずに俺もぎゅっと手を握り返した。
「由鶴」
逢さんが何か言おうとしたその時、午後の授業の予鈴が鳴った。いつのまにか昼休みが終わる時間になっていたようだ。そろそろ教室に戻らないと遅れてしまうかもしれない。
「逢さん、俺もう行かないと」
……そうだな。今日はありがとう、明日もここで」
「はい。それと、夜も、俺はいつでも空いているので呼んでください。すぐに行きます」
……由鶴」
「はい」
「嫌だったら断ってくれて構わないんだが」
「はい? 大丈夫ですよ、なんですか?」
……一瞬、抱きしめてもいいか?」
「え……?」
プレイの一環、だろうか。コマンドの一つにキスや服を脱ぐ行為があることは知っているけれどハグはあまり聞いたことがない。疑問には思ったけれど、全く嫌ではないし、むしろ俺は昨日勝手に逢さんのことを抱きしめてしまったから、逢さんだって抱きしめてもいいに決まってる。俺はこくんと頷いて、逢さんに腕を広げてみせた。
逢さんは安心したような顔で椅子から立ち上がり、座ったままの俺に覆い被さるようにぎゅっと抱きしめてくれた。ほんの数秒で離れてしまって、俺の方が物足りなく感じるくらいだった。
「ありがとう。じゃあまた明日」
「はい……。俺も、ありがとうございました。また明日」
空になったお弁当箱を片手に準備室を出て、自分の教室まで廊下を歩く。早く行かないと本鈴が鳴ってしまうと分かっているのに、俺は人のいないところで倒れるようにしゃがみ込んだ。
最後に見た逢さんの笑みが頭から離れなかった。まだ出会って二日の、たまたまペアになっただけの先輩なのに。それなのに、どうしてこんなに愛おしいんだ。
正式なパートナーにならなければ一年でペアの相手は変わることになる。いま逢さんが俺とペアを組んでいるということは、彼は二年間他の誰かとペアを組んでその人とはパートナーになることなくペアを解消したということだろう。当然、俺以外とプレイをしたことがあるはずだ。俺以外の誰かに、コマンドを使った。その事実がとてつもなく苦しい。
「そこの君、授業が始まるよ」
通りがかった先生に声をかけられパッと立ち上がった。すみませんとお辞儀をして教室までの廊下を駆け足で行く。
まだ苦しくてたまらない、でも、今の逢さんは俺だけのDomだ。逢さんのコマンドは俺にだけ向けられる。あの低く優しい声で早く俺に命令をして欲しかった。それから可愛い笑顔で褒めて欲しい。逢さんのためなら、俺はなんだってできる気がした。