望月 鏡翠
2025-09-18 23:06:07
1048文字
Public 日課
 

#1850 蕎麦屋

#毎日最低800文字のSSを書く


 街の北側には歓楽街がある。夜通し灯りが消えない街というのは、なるほど夜を恐れる男には都合がいい場所だった。
 酒に酔ったあとに飲む温かい出汁というのは、よく沁みる。そのため、蕎麦屋は流行っているようだった。回転率が早い立ち食いの蕎麦屋に、話が聞けるようになるまで居座るわけにはいかない。客足が切れるまで待った。
 込み入った話になるし、食事時にする話ではない。
 人の出入りを見守りながら、情報と引き換えに約束した酒を奢った。
 想像以上の出費になり、空が白んできたあたりで萬木は情報提供者の狩人をおいて飲み屋を後にした。ちょうど蕎麦で締めるのにちょうど良い腹具合になっていたし、他の客もいなかった。
「爺さん、不躾な質問していいかい?」
「一文なしでも安くならんし、蕎麦湯だけ欲しいなんて頼み事もきかんからな。何を頼む? もう出汁がないからかけはなしだ」
「とろろある?」
「あるとも」
 釜の蒸気で、屋台の内側は熱気に満ちて曇っている。閉店間際でも仕事に励む老人の顔はよく見えなかった。
 とろろそばはすぐに提供された。
「不躾な質問は、店じまい間近のとろろそばのことじゃないんだろ?」
「うん。だけど飯が不味くなる話だろうから、食べてからでいいか?」
 店主は苦々しく笑って、作業場の片付けをしながら萬木が蕎麦を食べ終わるのを待った。
「さて、そろそろいいかね。帰ってゆっくり寝たいんでな」
 器を桶に投げ込み、店主は眠たそうにあくびをした。
「じいさんの生まれ故郷の話だ」
 老人の手が止まる。目を見開き、萬木を睨みつけ、そしてその後深々とため息を吐いた。
「お前さんみたいな若者は、よくいたよ。興味で老人の心に傷をつけるのはやめておくといい」
「誤解しないでくれ。野次馬根性や面白半分で言ってるんじゃねえんだ。仕事のためだ。俺は狩人でね。何よりも強い妖怪の話が聞きたい。この先一生遊んで暮らせる金が手に入るような大物の話を聞かせてもらいたくてきたんだ」
 老婆は品定めをするように萬木を見つめた。彼が狩人であることを認めたが、それでもな自分の話をするべきなのかどうか、迷っているらしかった。
「若者の命を捨てさせるのは忍びない」
「どちらにしろ捨てて回ってるんだぜ、こんな生業をしている連中はな」
「それでも、馬鹿なことはやめておけと、この老人が言ったことは、覚えておいておくれよ」
 萬木がひらひらと手をふる。老人の忠告を聞き流し、まともに聞き入れやしない人間のそれだった。