ナガレ
2025-09-18 18:36:22
1892文字
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無題(ぶぜまつ)

熱を出して奇行に走る松井と実はいい趣味している豊前の小ネタ。

目が覚めたら何故か医務室に居た。書類仕事と戦っていたはずなのだけれど、寝落ちしてしまったのかな。ここに居ても仕方ないから戻ろう。僕はふらふらと覚束ない足取りで自分の部屋に向かった。足取りが覚束ないのは寝起きだからだ。きっとそう。
しかしこんなにも遠かっただろうかと疑問に思いながら辿り着いた自室。ニ晩ほど帰っていなかったからか、部屋の中は冷えていた。頬に触れる冷たい空気が気持ちよかった。
寝落ちしていたみたいだし布団を敷いて寝直そうかと思ったけれど、文机の上に置いてある小間物入れが目に入ってその考えは霧散した。
文机に近づき、膝をついて小間物入れの中を漁る。——あった。取り出したのは二枚貝を模した容器に入った紅。ぱちんと留具を外して蓋を開ければ、中には小指の腹に乗る程度の紅が入っていた。あぁ、今日も良い色だ。
燃える血潮の赤色は僕を魅了し、恍惚とさせる。どれだけ見ていても飽きることはない。とんでもなく素晴らしい赤色なのに、惜しむらくは僕が年頃の娘でない事と、戯れに塗ってみたとしても似合いそうにないという事。でも、試してみたい気持ちもある。
今は何時だろう?この時間なら居るかな。多分居る。僕は立ち上がると廊下に出た。素足で感じる桧板の冷たさが心地良い。ぺたぺた足音を立てて歩き、僕は目的の部屋の戸を開けた。

「豊前。少し遊びに付き合ってくれないか」

……そういえば自室の戸を閉めていないような気がする。まぁいいか。

「この間いつもの店に爪紅を買いに行ったら余り物だから持っていってくれないかと言って渡されてね。どうせ処分されるなら店の者でも僕でも同じだろうと思って貰ってきたんだ」

豊前は突然やって来た僕を嫌な顔一つせずに迎え入れてくれた。それどころか、やっぱり来たかとまるで僕の来訪を確信していた口ぶりだった。
突っ立っていないで入ってこいと、豊前は僕を招いた。招かれるがまま彼の前に腰を下ろした僕は、早速紅の容器の蓋を開けた。
紅差し指の腹に紅をたっぷり取って、上下の唇に塗り込める。今の僕の口元は真っ赤な鮮血を啜ったみたいになっているだろうね。僕は顔を上げて、どうだい?と豊前に聞いてみた。

「赤いな」
「だろう?良い色だ。なぁ、豊前。どこがいい?選ばせてあげる」

口、頬、首筋。紅のついていない指で順に触れていくと、僕の意図を理解した豊前がじゃあここと指し示した。豊前が選んだのは首筋。ちょうどいい目印もあるからそこねと、僕は真っ赤に塗った唇を彼の首筋に寄せた。
ぎゅっと押しつけること十秒。ゆっくり離すと豊前の首筋のほくろは不自然な赤さに彩られていた。

「ふふっ。赤い」
「そーだな。見えねぇけど」

豊前の首筋を彩った赤の発色に満足していると、ころんと仰向けに転がされた。一体何事かと聞くよりも早く目隠しをされた。僕の目元を覆ったのは、豊前のまめのできた固い手のひらだった。

「ふらふらすんな。熱出てるんだからおとなしく寝とけ」

君の手、今日はやけに冷たいね。豊前にそう言うと、お前が熱いんだよと言い返された。そんなことないと思うのだけれど。
豊前の体温、覆われた視界。連日の実務で疲れていたのか、目を瞑った僕の意識は緩やかに遠ざかっていった。



……りいだあ、松井さんお邪魔してませんか?」
「来てるよ。ちょうど寝たところだ」

松井から寝息が聞こえ始めてすぐに篭手切が顔を出した。医務室から姿を消した松井を探していたらしい。
徹夜と朝晩の気温差で熱を出した松井は昨日事務方の作業部屋で倒れていたのを発見され、医務室に運ばれて寝かされていた。松井は自身が発熱しているとは思っていなかったみたいだが。

「このままここで寝かせとけ」
「そうですね。下手に動かすよりも良さそうですし、そうしましょうか」

松井の頭の下には枕代わりの半分に折った座布団。掛けるものお借りしますと篭手切は押し入れから薄い肌掛け布団を出すと、ふわりと優しく静かに松井に乗せた。
次に篭手切は松井が唇を押し当てた豊前の首筋に視線を向け、服につくといけないのでそれ落としましょうかと豊前に尋ねた。

「あんがとな。必要ない。しばらくこのままでいる。起きて正気に戻ったらどんな反応するか見てみたい」
……わかりました。洗濯は自分でしてくださいね。紅って案外落ちないんですよ」

りいだあ実はいい趣味してますよね松井さんが怒っても愛想つかされても知りませんよと一息で言い切ってため息に溢す篭手切に、相変わらず松井贔屓だなぁと苦笑する事しかできない豊前だった。


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