景生
6918文字
Public CP無し
 

過誤

※花+足+堂 ※BAD①(TVに落とす)のED後


 家の呼び鈴を鳴らすと小汚い男が出てきた。上半身を裸にしていたので、思わず「どうして何も着ていないんですか」と花村が訊ねたら、もう着替えが無いからだと彼は言った。
「堂島さん、悠からです」
 その筋肉質な身体を見せびらかす男に向かって、花村は手に持っていた紙袋を差し出した。中身はクリーニング店から引き取ってきたばかりのワイシャツだった。
 昨夜、東京に帰った鳴上から電話があった。その際に「叔父さんはきっと忘れているだろうから」と頼まれたものだ。花村が代わりに受け取ってきたのだが、預けて一ヶ月以上も経っていたらしく、店の者には当然、小言を言われてきた。家の電話にも繋がらず困っていたようだ。
 鳴上から心配して連絡があったことを花村が説明すると、堂島は頭を掻きながら「そうか」と紙袋を受け取った。
「すまんな。ちょっと待ってなさい」
 堂島に促されて花村は玄関の戸口をくぐった。土間には堂島の物と思われる靴が二足、下駄箱に入らず不規則に転がっている。もう一足あったが、それは他のものよりも一回りサイズが小さかった。男物の革靴のようだが、中に来客が居るのかもしれない。廊下の奥で何やらごそごそしている堂島を見ながら、花村は彼を待った。
「花村君、上がってったらどうだ」堂島が探し物に難航しているようで、離れた場所から声を掛けてきた。
「他に誰か居るんじゃないんですか」花村は訊ねた。
 堂島は部屋は手探りに辺りをきょろきょろしながら「あれだ。足立が居る」と言った。「寝てるよ」
 花村が居間に通されると、彼の言う通り、ソファーには足立が寝転んでいた。何故こんな時間に(時計を見ると午前十時を過ぎている)この男がここに居るのだろうと花村が不思議に思っていると、堂島から、昨夜は二人で朝まで酒を飲んでいたことを聞かされた。確かにテーブルにはその名残りがごちゃごちゃと広がったままで、見るからに羽目を外したことが窺える。花村はソファーの足立をそっと覗き込んで、物珍しい視線でぐっすりと眠る彼を見た。掛けているのは桃色の毛布だった。あの子のかもしれない。
 花村は堂島に声を掛けた。「あの、堂島さん」
 切り出すのに躊躇しながらも、彼女に、娘さんに線香を上げさせてくれませんかと頼んだ。堂島はぴたりと手を止めて暫く押し黙ってしまったが、やがて頷いてくれた。彼は振り返らずに襖の奥に指をさして、そこにあると言った。
 花村は居間の襖を開けて、寝室として使われている和室に入った。襖を閉めてから振り返ると、敷きっぱなしの布団と散らばった衣類が視界に広がった。居間も似たような状態だったので、鳴上が帰ってからまともに掃除をしていないのだろう。室内は少し埃っぽい臭いがする。ごみも溜まっているようだった。邪魔だったので辺りの物を少し除けてから、花村は仏壇の前に座った。中には枯れかけた花に子供用の小さな供物と、二つの遺影が置いてある。彼女が堂島の妻なのだろう。娘と並んだ笑顔は二人共、とてもよく似ていた。
 何か持って来れば良かっただろうかと思いながら、花村は火を付けた線香を香炉に立て、彼女達に手を合わせた。
 そうして瞼を閉じた瞬間、あの日が脳裏に浮かんだ。
 重ね合わせた自分の手の温もりに、あの骨ばった首の生々しい感触が蘇る。あの男は見開いた両目から涙を溢してこちらを凝視していた。慈悲を乞う口を黙らせて、奈落へと押し込んだ瞬間をまざまざと思い出すと、次第に、花村は記憶から後退りするようにぱちりと目を開けた。
 背後から何か奇妙な気配がしたのだ。
 花村は振り向いて、入ってきた襖を見つめた。先程まで堂島があちこち動いていた音が聞こえていたはずなのに、急にその音が止んで、今は物音一つしていない。辺りはしんと静まり返っており、花村は徐に立ち上がると、足音を忍ばせながら、そっと襖の隙間から居間を覗いた。
 目を凝らして、片目に瞑った視界に見えるのは、堂島の姿だった。彼は床に腰を下ろしてこちらに背を向けて、ソファーに眠る足立の顔を無言のまま見つめている。表情は見えない。でも何か意味ありげな様子を抱えて、じっと足立を眺めていた。重苦しい背中だったが、不思議と、まるでそこだけが夢の中のように、曖昧に、ぼんやりと薄く照らされている——そんな不可解な気配が存在していて、花村はその異様な光景に眉をひそめた。果たして桃色の毛布に包まったその男に、彼はどのような視線を向けているのだろうか。
 花村は思わず憚られるように目を逸らして、一呼吸置いてから、襖を開いた。「堂島さん」
 名前を呼ぶと彼が振り向いた。隈の滲んだ目元と目が合って、その顔は初めて会った時よりも老けて見えた。
 彼は「ああ」と返事して、億劫そうに立ち上がった。
「わざわざすまんな」堂島は言った。彼は花村に近付いてから「ほら。クリーニング代だ」と万札を渡してきた。
 花村はたじろいだ。「いや、多過ぎますよ」
 たかだか数枚のワイシャツにそんな金額は掛からない。花村は返そうとするのだが、堂島は頑なに受け取らなかった。駄賃だ、と彼は言う。待たせて悪いと謝ってきたので、どうやらずっと探していたのは財布だったらしい。
 花村は負けじと遠慮したが、二人の攻防は携帯電話の着信音に遮られた。堂島の携帯からだった。
 彼は散らかったダイニングテーブルから震える携帯電話を拾い上げて応答すると、如何にも真面目な顔付きになってから、何やら二、三の会話をした。どうやら仕事の連絡が入ったようで、やがて話が終わって電話を切ると、花村に今から職場へ向かうことを伝えて来た。
「足立が鍵を持ってるから、ここには好きに居なさい」
 堂島はそう言って、花村が持って来た紙袋から清潔なワイシャツを取り出すと、目の前でそれに着替えた。無精髭が伸びたままだったが、本人は構いやしないとばかりに身支度を済ませて、ものの数分の内に玄関で靴を履いた。
 彼は言った。「行ってくる」
 花村は呆気に取られながらも、返せなかった万札を片手に彼を見送った。

 取り残された花村は悩んでいた。
 今日は貴重な日曜日だった。学校も、ジュネスでのアルバイトも無い。完璧な日曜日。特にこれといった予定を入れていたわけではないが、この家で過ごすのは想定外だった。
 花村は居間に戻って部屋を見渡すと、腰に手を当てた。「俺の部屋も汚ぇけど」悩ましいといった素振りで大きく溜め息を吐いた。「ここは、もっと汚い」
 鳴上が滞在している期間でしかこの家の様子を知らないけれど、いくら家事の苦手な父親といえども、今まで娘のために必要最低限の暮らしはさせていたに違いない。それが今となってはこの広い家が彼一人のものになってしまったばかりに、誰に頼るでもなく、今後どう暮らすべきかと生活を持て余している。彼のとめどない混乱が形となって表れているのだ。それは同情に値するものであるが、この傾向は芳しくないだろうと花村は感じた。堂島は丈夫そうに振る舞ってはいるが、そこら中から物騒な気配が傍目から見え隠れしている。まるで崖を目前にしているような危うい光景だった。
 そんな無秩序な空間には、不思議なことに、そこにあるまじき異物も混在していた。花村はソファーに近付くと、改めてそこに眠る彼を見た。ぐうすかぐうすか、延々と眠りこけている人物——足立だ。彼は未だそこから起きる気配が無く、毛布に包まって、何か夢を見続けていた。そう気付いたのは、瞼の下で目玉がぎょろぎょろと忙しなく動いていたからであった。悪夢に魘されているようには見えなかったが、決して良い夢ではないのだろうと花村は思った。何かに耐えるようにきつく握った拳の指先が、爪を立てて肉に食い込んでいる。花村はそれを眺めながら「足立さん」と現実に手招きしてみせたが、彼は戻って来なかった。
 仕方が無いので足立はそのまま寝かせて、花村はこの家を掃除することを決意した。これは乗りかけた船であると同時に、心配していた親友のためでもあった。ここで鳴上の真似事をして、甥に成り代わるようなことはしたくないが、それでも花村はこの家族に何か手助けをしたかったのだ。
……自己満足だろうけど)
 そして当然ながら、後ろめたい気持ちも強かった。これはきっと自分のためでもあるのだろうと、花村は心の端にそれを自覚しながら、自身への忌まわしさに舌打ちした。
 善良に見せ掛けた一方的な贖罪など、愚かしいこと極まりない。今はただ流れに身を任せているだけなのだと自分に言い聞かせるように、それからは目の前の掃除に没頭した。
 
 足立が起きてきたのは昼を過ぎてからだった。
 彼はソファーから起き上がるなり、掃除をしている花村を見て「どうしてきみがいるのさ」と欠伸を見せてきた。寝癖を掻き乱しながら寝ぼけ眼を向けられるので、花村はそのあまりの暢気な姿に気が抜けそうになった。
「堂島さんなら仕事に行ったっすよ」
 経緯を伝えれば足立はそうなんだと納得して、再びソファーに身体を沈めてしまう。まだ寝るのかと花村が聞けば、彼は二日酔いで頭が痛いのだと訴えてきた。
「そこに頭痛薬あるからさあ。ごめん、ちょうだい」
 そう頼まれて花村は渋々ながらも言われた通り引き出しから薬を持って来てやった。水も渡せば足立は礼を言って、喉を鳴らして一気に飲み干した。花村はそれを見つめていた。
「それ」花村は指差した。「頭痛薬じゃないっすよ」
 足立は花村の言葉に首を傾げた。「じゃあ、何」
 花村は笑った。「何すかね」
 足立の言う通りなら頭痛薬のはずだった。しかし引き出しに入っていたのはラベルの無い小瓶の薬だったので、中身が何だったのかは正体が分からない。確証が無いのだと告げれば、足立はううんと唸り始めた。
「吐いてきた方が良いかな」
「まあ、その方が身の為だと思うすよ」
 足立は複雑な顔をしながら立ち上がり、トイレに駆け込んでいった。どうして最初に言わないのさ、と怒っている様子だったが、二日酔いもあってか暫くそこで吐き続けていたようで、なかなか出て来なかった。いつまでも気にしていてもしょうがないので花村はそれを他所に掃除を再開させたが、あまりにも足立がトイレに篭りきりだったので心配して様子を見に行くと、彼は中でぐったりと座り込んでいた。
「あの薬」足立は頭を抱えながら「前に頭痛がした時、堂島さんがくれたんだよね」と話し始めた。
「その時、頭痛は治ったんすか」花村は訊ねる。
「うん、多分。楽にはなった」足立は不安そうに答えた。
「じゃあ大丈夫じゃないっすかね」
 堂島に持病でもない限り、一般家庭に常備されている薬なんて風邪薬か痛み止めの類いだろう。と、そう安易な慰めを向ければ、足立は不満そうに花村を睨んだ。
「僕、死ぬかもしれない。きみのせいで」
「吐けたんすよね。なら良いじゃあないすか」
「いや、良くないでしょう。きみ、適当だねえ」
「堂島さんに電話して聞いてみますか」
「ああ、いや。いい、いいよ」足立は首を横に振りながら、億劫そうに立ち上がった。「菜々子ちゃんのだったらどうするのさ。気まずいでしょう」
 彼は何の躊躇いもなく素直にそう言ってみせる。その軽薄な物言いに、花村は思わず口を噤んだ。足立は尚も続けて無神経なことをぼやくので、花村は疑問だった。彼は本当にここの家族と懇意にしていたのだろうか。鳴上の話を聞く限りでは、随分と親しかったと聞いていた。休みの日まで堂島の傍に居るのだから、そうに違いないだろうに——足立のぞんざいな言葉は、理解し難い態度だった。
 彼はああだこうだ文句を言うが、返事には困り兼ねるので代わりに仏頂面を突き付けて、花村は掃除に戻った。
 彼等の関係がどうだろうと今はこの飲んだくれに構っている暇は無い。ぐずぐずしていたら日が暮れてしまう。
 
 それから何とかして、花村は粗方、掃除を終えた。
「凄いじゃない」足立は言った。「お疲れ様」
 彼は綺麗になった堂島宅の一階を見て(さすがに二階までは手が回らなかった)、感心したように外野から拍手を送ってきた。それを見た花村の気分はちっとも良くなかった。掃除の最中、彼は何度も邪魔をしてきたからだ。ソファーに居座り、帰る気配も無く、懸命に働く花村に向かって口を挟み続けた。拾い上げて元に戻した物をそこにあった物じゃないから置き直せとか、そこを掃除するなら専用の掃除用具があるからそれを使えとか、それは壊れ物で高いだろうから慎重に扱えとか、どの立場からものを言っているのか分からないが、ねちねちと偉そうに指導してきたのだった。
 向っ腹の立つ小言を背中に浴びながらもどうにか掃除を終わらせた花村であったが、慣れない環境下だったせいか、今は異様な疲労感に襲われていた。
「なあ、足立さん。これだけは手伝ってくださいよ」
 花村は溜め息混じりに玄関を指差した。そこには溜まりに溜まった洗濯物が山をなして袋に詰められている。花村はこれをコインランドリーまで運びたいから手伝ってくれと足立に頼んでみた。洗濯機を回したは良いものの、この家には乾燥機が無いので日の落ちてきた今から干すのは無理がある。だから車を出してくれたら助かると伝えれば、足立は露骨に嫌な態度を示した。それでも断るほど意地悪くなかったようで、しょうがないなあと不満を溢しながらも「まあ、良いよ」と了承してくれた。ようやく寝床のソファーから立ち上がった足立の姿に、花村は安堵した。
 それから花村は、彼が自宅から車を持ってきてくれるのを待った。もしかするともう戻って来ない可能性もあったが、さすがの彼もそこまで薄情ではないのか、あまり時間を掛けずに自家用車に乗って戻ってきた。クラクションを鳴らして合図されるので、近所迷惑だった。
 花村は車に大量の洗濯物を詰め込むと、彼の車の助手席に座った。シートベルトを閉めれば、足立がそれを横目に確認するのが見えて「行くよ」と彼は言い、二人は早速、出発した。近所のコインランドリーには駐車場が無いらしく、少し離れた場所に行くと彼は言う。車なら数分の差だと教えてくれるので、花村は分かったと頷いた。
「堂島さんにも困ったもんだよ」足立はやれやれと言った様子だった。「こんな関係無い子を巻き込んじゃってさあ」
 突然、そうぼやいてみせるので、花村は運転する彼を一瞥した。どうやら現状の堂島に対して、彼なりに何か思うところがあるらしい。花村は少し間を空けてから「俺が勝手にやってることなんで」と窓の外を眺めながらもそう主張した。自分が今していることは、決して堂島に頼まれたわけではないのだと訳も無い事実を説明すれば、足立は「それは分かってるよ」と呆れた様子だった。
 そうじゃなくてさ、と足立は続ける。
「人を操るのが上手いんだよ、あの人は」
 そう言って面倒臭そうに運転を続ける。堂島のことならばお見通しだとでも言いたげな顔だった。
 花村はその表情を見て少し考えてから、
「自分がされていることだから?」
 と、彼に訊ねた。貴重な休日を彼のために消費して、家に帰らないのはそのせいなのかと聞けば、足立は黙った。
 そして突然、笑い出した。
「何それ」足立は赤信号で止まると、くつくつと喉を鳴らして下を向いた。「おっかしいの」
 何が面白いのかは分からないが、彼の笑壺に入ったようで車体は笑いに合わせて僅かに揺れた。青信号になってからもけらけらしているので、花村は彼の肩に手を触れて「青」と「青だって」と彼に注意すれば、後続車がクラクションを鳴らしてきた。足立はようやく顔を上げたところ、ルームミラー越しにうるせえなあと舌打ちした。
 それから車は進路を走り始めた。車内にはもう笑い声は響いていない。車のエンジン音と、外のざわめきが小さく聞こえてくる、二人だけの静寂だった。
「これ、終わったらさ」不意に足立は口を開いた。「きみを送ってあげる。お家に帰んなさい、花村くん」
 窘めるような物言いだった。横目を向ければ、彼の口の端は見せ掛けの笑みを浮かべている。
 花村はそれを見ながら「言われなくても」と答えた。
「帰るよ。足立さんも、帰ったらどうすか」
「僕はちゃんと帰ってるよ。昨日は、たまたま」
「そうすか」花村は思わず笑った。「今日洗った服、足立さんの洗濯物も混ざってるけど、何で?」
 花村がそう訊ねれば、足立は鼻で笑い飛ばした。
「さあ。気のせいじゃない」
 足立はハンドルを握り締めたまま、運転を続けた。目的地までそろそろだろうと彼は言った。
 花村は走行し続ける車の中で、外の景色を窓から覗いた。日が暮れ始め、周囲はぼんやりと赤くなっている。霧に散らばった夕焼けは、花村の視界を次々と流れていった。
 晴れ間は見えない。霞むばかりでぼやけている。
 そこはいつまでも馴染めない、知らない町の景色だった。