角名倫太郎がその視線に気づいたのは、自身が二年生の頃。春高が終わった冬の日に、所属する部活の名物双子が、進路の問題で大喧嘩をしたその少し後のことだ。
ちなみにその喧嘩がどれくらい大喧嘩だったかと言えば、曲がりなりにも侑と治のふたりとは学校の授業も部活も平日も休日もとかなり長い時間を共にしてきた角名が、それでも珍しくヒヤリとするようなものだった。
加えて原因が普段のようにくだらないあれそれではないこともあり(もちろん角名が本人らにくだらないと言ったことは一度もない。なぜなら面倒なことになるだけとわかっているからだ)、主将を呼びに行った方がいいかもしれないと途中までは本気で思っていた。ただ幸いなことにそのうち雲行きは変わり、一緒に見ていた銀島が「北さんを呼ばなくても平気なやつ」と結論づけたように、結果だけ見れば数ある双子の喧嘩の中でも『外野の仲裁がいちばん必要なかった喧嘩』に収束する。このときの銀島があまり迷うことなく「北さんを呼ばなくてもいい」と口にしたことに関して角名が驚くことはなく、それはこの友人が理屈以外のところでも本質を捉えることができる男だと、やはり濃く過ごした二年間がある角名にはわかっていたからだ。
仲裁が必要のない喧嘩ではあった。あったものの、侑と治は一見するとこれまで通りのように見えて、あれから両者の間に流れる空気はほんの僅かにだが変質している。少なくとも角名の目にはそう映っていた。
冗談を言えば笑い合う。くだらない会話ですぐ言い争いを始める。互いのことなら一を言わずとも十を理解する。肩を並べて歩けば、同じ歩幅で歩く。見ている限り何も変わらない。
それでも、ごくたまに。視線が交わる瞬間に。ふと訪れる一拍の呼吸に。以前なら気にも留めなかった微かな揺らぎがあって、そしてその揺らぎはあまりに小さくて言語化が難しく、角名は何とも言えない気持ち悪さをずっと抱えている。
そして三年生たちが日々の練習に参加しなくなり、自分たちの代が中心となって物事が動くようになってもその違和感はなくならなかった。
侑が主将に指名されたり、すでに推薦で入部が決まっている新一年生が練習に参加しに来たりと、静かにだが確実に環境が変わっていく。文句は言い合うくせして、結局見ればふたりで行動していることが多かった侑と治も、単独で行動する場面は自ずと増えていく。ばらばらに帰る姿を見かけることが多くなり、昼休みもこれまでは当然とばかりに合流し食べていて、決まって侑が銀島を連れて1組にやかましく訪れていたが、銀島がひとりで1組にやってくることも増え、かと思えば治が昼休みを勉強に充てなければならないとかでひとりどこかへいなくなる日が出てきた。
物理的にも取り巻くさまざまなものが変わっていくタイミングと重なったこともあり、ふたりの距離感の些細な違和感、僅かなズレ、すっきりとしない覚束なさは、三年生たちが卒業して進学が目の前になった三月になってもあまり変わらなかった。
あの喧嘩は、喧嘩というよりは。
いや、喧嘩は喧嘩に間違いなかったのだけれど。
たとえば、いつもどこででも一緒に生きてきたふたりが進む道を別れたとしても、いきなり赤の他人になるわけでもなければ、今生の別れになるわけでもない。ふたりは死ぬまで双子の兄弟で、一生共に追い越して追い越されてとやりあうだけなのだと再確認する、いわば儀式のようなものだったというのが角名の認識だった。
だから、違和感が消えず、変わったままどこか戻らない揺らぎがあったとして。それでも心配するほどのこともないと、そう思っていたのだ。──この日までは。
「
……え」
心臓が跳ねたことで声を漏らした角名は、同時に治に話しかけることを躊躇った。入学して以来、この友人に話しかけようとして、ここまで戸惑うことは初めてだった。
二年生の終わりは、すぐそこまで来ている。
この日、自主練習をして最後に体育館を出たのは、双子と角名の三人だった。春が近づいて日が出ていれば暖かいが、沈めば途端に空気は冷え込むため紺色のダッフルコートを着込み、マフラーもぐるぐると首に巻きつけた治が、部室の鍵を返す角名を待っていたのは部室棟の出入り口だった。そこから正門への動線はまっすぐで支障物もない。職員室のある校舎の昇降口を出て、少しだけ歩いた場所にある部室棟へと戻ってきた角名は、待っていた治に「お待たせ」とただひとこと声をかけようとしたところだった。
声をかけようとした相手が、痛いほどに金灰色の瞳を歪ませて遠くを見ているものだから、角名は反射的に口をつぐみ、足を止めた。
泣いているのかと、部室棟の入り口に付けられた蛍光灯に照らされる目元や頬に思わず目を凝らしたけれど、涙は一滴も出ていないし、ましてや目が潤んで赤いわけでもない。
なら、一体なにを見て、こんなに。
角名はその視線の先を追った。追ってしまった。追ったあとで追わなければよかったとすぐに後悔したが、後の祭りだった。見れば侑が、ちょうど正門に向かって歩いていた。治と同じ形で色違いのブラウンのダッフルコートを羽織り、治とは色違いのマフラーを丁寧に巻いて。けれど、金髪とツーブロックの刈り上げの後頭部が見えるだけで、それがこちらを振り返ることなく遠のいていく。隣を歩いているのは一年生の女子だった。
侑に彼女ができたのも、あの大喧嘩から少し経ってのことだった。
侑に関しては彼女がこれまでいなかったかというとそうではなく、一年生の頃にひとりかふたり彼女がいたことは角名も記憶している。ただ、二年生になってからは彼女ができるできない以前にそもそも呼び出しにも応じなくなった。てっきり高校のうちはもう誰かと付き合うことはしないのかと勝手に思っていたため、勝手に驚いたのが二週間ほど前の出来事だ。
普段、侑は彼女が欲しいだのなんだのという類の会話を自分からすることもなければ、積極的にも混ざらない。だから角名は侑の趣味をよく知らないし、侑の隣を歩くその小柄で長い黒髪のスレンダーな女子が、侑の好みなのかもよくわからない。わかるのは、その女子がひとつ下の学年でチアダンス部に所属していて、よく吹奏楽部と共にバレー部の応援に参加してくれているということくらいだ。部内では学年を問わず、侑の彼女だというその黒髪の女子と、角名たちの学年にいる茶色に染めたショートボブの女子が特に可愛いと、よく話が上がる。チアガールとして応援するときは高く括ってポニーテールにしている長い黒髪が今はおりていて、マフラーに巻かれてダブついていた。
やがて並んで正門を通るふたりを、部室棟の壁にもたれかかる治は、コートのポケットに両手を突っ込んだままで見つめていた。
途中、何を話してるのか、楽しそうに顔を見合わせて笑いながら、侑は彼女のマフラーに埋もれていた黒髪に手を伸ばすと、躊躇うことなく触れて、するりと出してやる。
仲睦まじく見えるそれを、あの侑も彼女にはそれなりにやさしい仕草のひとつやふたつはしてみせるんだなと、角名はやや感心して見ていたが、治の面差しはといえばさらに露骨に曇ったかと思えば、形の良い眉がぐしゃりと歪む。何かひどい痛みにでも耐えるようなその瞳は、正門を出て消えていく侑の穏やかな横顔と一卵性の双子とは思えないほど険しく、おかげで侑たちの姿が見えなくなるまで角名は「治、おまたせ」の一言を言い渋ってしまった。
「寒いし、中で待ってればよかったのに」
「別にそんな待っとらんし、ええて」
声をかけて振り向いた治は、さっきまでの痛々しい横顔が嘘のようにいつもの治だった。そのため角名も特段そこに触れることなく歩き出したが、心なしか治の足取りは遅く、角名もそれに合わせて普段より歩調はゆっくりになる。
日が暮れて、通学路は規則的に街灯が立っていて照らしているものの、駅までの道はそれなりに距離がある。特に大通りに出るまでは薄暗い。侑が彼女を待たせていたのか、彼女が待っていたのか。どちらにせよ冬がまだ抜けない日々の暗い夕方のこの通学路を女子ひとりで歩かせるのは気が引けるな、と角名は歩きながらぼんやりと思った。順番に蛍光灯からLEDに切り替えられているという話だが、途中まだ古いものがチカチカとする歩道。道なりに進み、国道に合流してからまた歩いてしばらくして途中で小道に入る。その先に角名が世話になっている寮があり、治とは小道の入り口で別れる。
これまで余程の用事がない限り、治の帰り道は侑が隣にいた。喧嘩の真っ最中ですら、どれだけ険悪な喧嘩をしても決して相手を置いて帰ろうとしなかった程だ。ちなみに最初にそれを知ったとき、角名は誇張なく本気で腹を抱えて笑った。角名自身にも何故あのとき、あんなにもツボに入ったのかは説明できないが、いずれにしても角名の中でこの双子がとにかく規格外で、自分の想定する範疇にはまず収まらないのだと割り切りが生まれたのは、そうした日々の積み重ねによる。以前、彼女がいたときでさえ、侑は当然とばかりに彼女ではなく治と帰っていた。あのときは確か『帰り道がなるべく長く一緒のやつと帰るやんか』とかなんとか宣っていて、ようするに角名は通学路で別れて治をひとり見送ることにあまり慣れていない。部活がある日(平日殆どだ)の帰り道は銀島も一緒であることが多かったが、生憎今日は家の用事で居残り練習を早めに上がっていて不在だった。
道中の会話はいつもの他愛もない世間話。三年生たちの卒業式が終わってしまったが、まだ実感がないこと。購買のメニューが先週から微妙に変わっていたこと。この前に練習に初めて顔を出した稲荷崎高校バレー部に入ってくる推薦組の新一年生たちの印象。駅前に新しくできたチェーンのハンバーガー店の開店割引。それから。
「今日は侑、彼女と帰ったんだ」
あんなに苦味を潰したような顔をして侑の背中を睨みつけていたし、その原因はよくわからないけれど愚痴のひとつやふたつ聞くつもりで、角名はあまり他意なく話を振ったつもりだった。
「
……あの子、待っとってくれたんやって」
治の声が僅かに上擦り、掠れる。なのにしれっと顔色ひとつ変えようとしなくて、自分を相手に今さら何を取り繕おうとしてるのか。だが今さらでも何でも隠したくなるほど、治が動揺したことだけは確かだった。
咄嗟に「あんましたくない話だったんなら、ごめん」と口にすれば、治は「なんや急に。別にそんなんちゃうし」と首を左右に振るものだから、角名もさすがに片眉を上げた。
「えー?」
「えー、ってなんやねん」
「ぜんぜん別にって感じじゃなかったけど」
「アイツが彼女作って、彼女と帰ることに俺がとやかく言う理由もないし」
「でもなんか文句言いたそうな顔してた」
「俺が文句つけてどうすんねん。ちゅーか、どんな文句やねん」
「まあ、治は誰かに彼女ができて羨ましいはナイもんな。ぜんぶ自分が断ってるだけだし。北さんから主将任されて、最後の年で、こんな大事なときに彼女なんか作ってたるんでる、とか? でも侑は彼女がいようがいまいが部活に影響なんてミリも出さなそうだし、それ一番わかってそうなのも治だし
……」
言いながら、治が侑に何かしら思うところがあるのは間違いないと思うものの、では具体的に何がありそうかと言われるとうまく言語化できず、角名は首を傾げる。
「なんか当てつけみたいな感じでムカつくとか? でもなんの当てつけだよって感じか」
「俺が、バレーやめるって言った当てつけ、とかな」
「なんで治がバレーは高校までって話で、侑は彼女作ると当てつけになんの?」
「アイツ。あれで寂しがりやから」
いや、どこが。寂しがり、なんて可愛い表現が似合う奴じゃないし。
と、角名は口から出しかけて、留まる。
角名は普段の生活では、自分と同じ高さの目線と合う機会が少ない。その数少ない横並びの治の視線が角名の視線を捉えると、どこか諦めたような、そしてそれは角名に対してでもなければ侑に対してでもなく。強いて言うなら自分に呆れたような、それでいて悲しんでいるような。そういう沢山のものをまぜこぜにした面持ちで口元をマフラーに埋めると、そっとその目を僅かに伏せた。
「俺と侑は、あんま違うことってしてこなかった。一緒がええよなとか仲良しこよしで選んだことなんか、一度もない。けどそれは一緒やないってことがそもそも選択肢にすらなかったからや。一緒がいいとか悪いとかの前に、一緒におる前提の上で選択肢があった。そんな自分らのおっそろしい刷り込みを、俺も高校入ってくらいで自覚してん」
「ふーん。双子ってそんなもんなの?」
「他の双子がどうか知らんけど、少なくとも俺らはそうやった。あいつもそうするなら俺も、俺がそうするならあいつも。そうやって生きてきたけど、なんや。大人になるとそうもいかんらしいやんか」
進路の話をしているのだろうと思う。
思うのに、角名はどこか自分と治が話していることがほんの少し重なっていない部分があると感じた。そしてその僅かな部分はおそらくとても重要で、かつ致命的なのではないかとも。
一体なにが、友人をこんな相貌にしているんだろう。
角名が薄暗い歩道を歩きながら前方を見ると、侑と彼女、ふたりの後ろ姿がまた現れた。道の作りが直線である以上はどうしても治と角名のコンパスが大きく、そして侑はらしくもなく彼女にあわせて歩調を遅くしているようで、角名たちが気を使わなければすぐに追いついてしまう。むしろ追いついて追い越してしまった方がいいのか?と角名が考えていると。
「なあ、角名。ちょっと時間あるか?」
「あるけど。寮もどっても飯食うだけだし」
「ならそこの公園寄って、時間つぶしてもええか」
「それならうちの寮に寄ってけばいいんじゃん?」
「え!? ええの?」
「泊まらせるとかはダメだけど、寄るくらいならいいよ。侑たちと時間ずらしたいんだろうし」
「うっ
……」
この前は銀島に同じように寄ってもらったことがあるしと付け加えて提案すると、治は一拍置いたあとで「
……あいつら前にして、追いつかんようにしてひとりで帰るの、ちとしんどいわ」と白状した。
「しんどいかぁー
……」
角名はこぼし「なら仕方ねーわ」とあえて軽い口調で返せば「軽っ!」と治も苦笑してから小さく息を吐く。それはほんのり白くなって、でもすぐに夜の冷えた空気に溶けていった。
「俺ら、ずっと片割れは隣におるもんやって当たり前に思っとったから、なんやまだうまく受け身がとれへんのやと思う。そんで、そもそも俺がそんなん言い出さなけりゃ、こんな受け身とれんくて痛い思いする必要なかったやんかって、アイツはまだどっか腹落ちしてないんやろな」
そりゃそうだろうと思う。侑は息をするように、自分がバレーを続けていく未来の中に治を入れていたはずた。赤の他人から見たってそう思うのだから、侑が未だに納得していないことくらいは想像がつくし、むしろ納得していると言われた方が侑なのに聞き分けがよすぎだろうと心配になるまである。
「誰が何言ったって、俺が俺の決めたことぜったい変えないって、アイツはわかっとる。むしろ世界でツム以上にわかってるやつなんか、おらんと思う。
……わかってて、気に入らんねん。気持ちの落とし所がなくて、そういう状況を作ってる俺に腹が立ってまだ収められんくて。くたばるまでって啖呵切ったからには俺とアイツ、もうぜんぶ一緒は無理やって頭じゃ納得はしてて後にも引けんから『俺かて片割れといつも一緒におるわけちゃうし、そっちが黙って自分のことホイホイ決めてくなら、こっちだって勝手にやらしてもらいますー』って。だから彼女作ったきっかけはもしかしたら八つ当たりかもわからんけど。まぁ、でも言うてアイツは適当な男ちゃうしな。それはそれとして、あの子のことはちゃんと好きなんとちゃうか」
「八つ当たりねー
……」
角名は着ている薄手のダウンのポケットに両手を入れて、冷えてきた指先を温め直しながら、治の言う〝侑の当てつけ〟については、ざっくりとではあるが輪郭を捉えられたような気になる。ようするにお前がいなくなるっていうなら、自分は自分でやっていくという意思表示なんだろう、という治の受け止めは、わからなくもない。けれど。
「あいつは当たり前にあったもんが自分に断りもなく取り上げられるんが、ほんま我慢ならんくて、嫌で。そんでもいまさら駄々こねたってしゃあないことも頭じゃちゃんとわかっとるから、余計にやりきれんねん。アイツにとって俺は、大好きなバレー同じだけ燥げて、競えて、張り合える一番身近で手軽で、でもいっちゃん負けたくない相手だった。
……でも双子いうたって一生隣にいてやることは、できんやんか。俺もアイツもそれぞれ人生があって、それぞれで生きていかなあかん。でもずっとふたりでおったもんやから、いきなりひとりは寂しいってのもあるかもな。意外と誰かにいてもらわなあかんタチなのかも。知らんけど」
まるで自分はずっと隣にいたかったけれど、それは決して叶わないからとでも言いたそうな物言いに、角名はわざと足取りを遅くしている治の歩調に合わせて歩きながら、ああそうかと。ようやく見えなかった治の会話の芯を捉えたような気がした。
侑と彼女が並び歩いているのを見つめていた治の眼差し。
あれは苦味を潰してるのでも、睨みつけているのでもなかった。
(
……ちがう。あれはたぶん、まぶしかったんだ)
治は侑の片割れだ。兄弟でもただの兄弟ではなく、一卵性の双子。
それは誰もが恵まれるものではない、間違いなく特別なギフトだけれど、それでもあの黒髪の彼女のようには侑の隣にいてやることはできない。少なくとも治はそう思っている。
なぜなら治はただ寄り添い、仲睦まじく、甘い感情だけでは、侑の隣には立っていられないからだ。
治と侑は一生双子で、だからこそ一生のライバルで、侑にとって治が唯一であるように、治にとってもまた侑が唯一で。それは誰にも脅かせない不可侵領域。隣に立つというよりは隣を走っている。治はそうやって侑と生きることしかできないし、そういう生き方を治自身が望み、選んだ。それは治にとって誰にも譲れないもので、故に動くことができないのかもしれないと、角名は思い至る。侑がわざわざゆっくりと歩調を合わせてやるような対象になんか、治がなりたいわけがない。
侑とずっと同じようには生きていくことができないと、思っているからこそ。
どこまでも侑の特別であるのに、だからこそ許されないものを手放しで得られる存在が、侑と堂々と並び歩ける彼女のことが、どこか眩しく見えたのかもしれない。薄く細めた治の瞳に宿っていたものは侑への怒りや不満ではなく、彼女への羨望だったのかもしれない。
そこまでたどり着いた角名の脳裏に、これまで双子と過ごしてきた時間がよぎっていく。
一年生で、初めて侑に彼女ができたら浮かれやがってとまるで「彼女ができたこと」を羨ましがるように治が不機嫌にしていた、あのときも。
二年生になり、部室で一年生の女子で誰が可愛いかという話になって、侑が珍しく「あの子が好みだ」と名指しで話してる隣で、治がつまらなそうにしていたあのときも。
授業の合間にやってくる侑をやかましいとなじるくせに、来ない時間に女子と歩いているのを見かけて、治がふいと目を逸らしていたあのときも。
(治は、ずっと
……?)
言葉にしかけて、角名は寸前で大きく深呼吸をする。
吐いた息はやはり白く靄となり、ひゅうっと風にかき消されていった。
「あーー
……、あのさ」
「ん?」
「今から寮母さんに言えばご飯くらい出してくれる、かも」
「え、ほんま!?」
「いまから連絡入れとくし、そっちも家に連絡しなよ」
「おん! そうするわ! いっぺん寮のメシ食べてみたかったからテンションあがるなぁ〜」
にっと口角をあげて、たれ目のぱっちりとした二重をさらに下げる食べることには目がない友人に、角名も釣られてふっと口元を緩めると、ふたり揃って寮への小道を曲がりながら携帯を取り出す。
治がメッセージをおそらく親に送っているのを脇目に、角名は寮母へ通じる番号に電話をかける。コール音を聞きながら、なぜいまこの瞬間に自分は気づいてしまったのだろうと、ドッと申し訳なさが込み上げる。気づかないままでいてやったほうが友人にとってはよかっただろうに。けれど共有して過ごす時間は、寝ている時間を除けば侑よりも長いかもしれない角名が何にも気づかないままは不自然で、逆に治と同じクラスで、同じ部活の同級生が自分でなければ誰も気づいてやれなかったかもしれない。
(それだと、さすがに。ね)
寮母が電話に出て、事情を話せばちょうど当日になって不要の連絡がきていてひとり分余っていたからむしろ助かると二つ返事で了承してくれた。角名の通話を歩きながら聞いていた治はといえば「ほな、寮母さんの飯、勉強さしてもらお」とあれだけの練習をこなしてなお、生き生きとしている。
こうした生き生きとする治を、侑はずっと隣で見てきたはずだ。
けれどあの喧嘩からはどうなんだろうと。角名は侑の気持ちを少しだけ考えてみて、結局は治に悟られないように「治、うちの寮でご飯たべてくから」とだけメッセージを送っておいた。どうせこのままだと、治は角名の寮によることなど侑には連絡しないだろう。あんな目をして背中を見つめて、自分を振り返ることはないと思い込んでいるのだから。少しずつ少しずつ。自分のことすべてを、侑には話さないようにしようとしている。侑と彼女が帰る後ろ姿と、そっと距離をとっていたように。
侑は治の双子の兄弟で。けれど、それだけだ。なにもかもを知っていなければならないわけではない。ないのだが。
自分まで寮に寄らせたことを黙っているのは、まるでわざと隠しているみたいで嫌だった。ちなみに角名の予想では、あまり時間を置かずに「なんでサムだけスナんとこ寄んねん」だとか「俺もいるときに呼べや」だとか、そういうメッセージが返ってくるはずだ。
「素直じゃないとこまで勝負することないのになぁ」
「うん?」
「ううんー。こっちの話」
「いやこっちって、どっちやねん」
案の定、三分も立たずに携帯には通知が来て、おそらく侑からの返信だろうとわかりきっていたけれど、角名はあえて寝る前まで見ないでおくことにした。どうせ何を返したところで、何一つ気に食わないだろうから、それなら返さないでおくのもまたひとつの手だろう。
通知の送り主は彼女とまだ帰っている途中のはずだ。
にもかかわらず角名の携帯の振動は止まらなかったが、構わず寮の玄関を治より一足先に潜れば、温められた建屋の温度が角名の身体を包み、微かに漂う夕飯の匂いが鼻腔をくすぐった。
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