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ギャビィ
2025-09-16 20:37:58
6958文字
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その他
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ユーレとラドミラ
人名で書いてたシリーズ 感傷的
1
音楽が時に人の心に訴えかけるあの力は何なのだろう。感情を掻き立てて時には塗り替えて、ゆったりとしたテンポは結末へと誘導する。結末があるということは、それ自体が既に、完成されているということだ。少なくとも、いつまで続くかわからない、行ったり来たり遅くなったり早くなったりする、そういう不安定さとは無縁だろう。変拍子の曲だって、きっと終わりが来るじゃないか。けして終止符が欲しいわけじゃないけれど。
なら、何が欲しいって言うんだ。
賑やかな曲が2、3曲流れた。終わっては始るを繰り返す野外ライブの会場で、芝生を踏みしめて俺は一人立っていた。天候が悪く一時開催が危ぶまれたライブは、開始前に小雨が降っただけで済んで、つやつやと草露の光るなかで輝くステージがかえって素晴らしかった。キャンセルが出たから、とチケットを送って寄越したアドリアーナに御礼を言うべきだろう。あまり得意ではない相手に対する些か億劫な気持ちさえ、楽しい時間が吹き飛ばしそうになる。
ステージでは、一転してしっとりした音楽が流れ始めた。聞いたことのある曲だ。ここ数十年で流行っていた曲だろう。繰り返されるTIME TO SAY GOODBYEのフレーズに、俺はある別れを思い出した。
「ユーレ」
ふいに横から声をかけられる。ビクリと大袈裟に驚いてしまったのは、それが今ちょうど考えていた人物だったからだ。
「ラーダ」
「久しぶりじゃん」
「本当に、」
それきり俺は言葉を継げずにいる。ラドミラが来ていると思わなかった。まさか、こんなところで会うなんて。秋になり始めた夜の肌寒さが空気を澄み渡らせて、草木はぴかぴかと星のように雨に濡れて、美しい音楽が響き渡るこんなところで。
俺の動揺を知っているのかどうか、彼女はすぐにステージの方を向いた。俺はラドミラをジッと見つめていた。その横顔。自分よりも幾らか低い背。細い身体。以前よりも少し痩せただろうか。その小さな体躯からどうやって湧いて出るのか終ぞ分からずにいた豪腕は、ライブ会場では鳴りを潜めて、薄手の赤いパーカーを羽織っている。胸に光る金色は、彼女の紋章だろうか。分からない。彼女のことはもう、俺には何も分からない。
あの頃は分かっていた、なんて事も無いのだけれど。
音楽は流れ続ける。俺もラドミラと同じようにステージを見る。time to say goodbye. 綺麗な歌だ。
「綺麗だな」
「綺麗だ」
全く同じタイミングで、同じ言葉が零れ落ちた。俺は驚いてラドミラを見詰める。彼女は大したことでもない、というふうにステージから目を離さずに、「歌を綺麗だと思う感性くらいあるさ」と呟いた。そうして、自嘲するように小さな乾いた笑い方をした。俺は咄嗟に声を出した。
「知ってる。それくらい、知ってる」
ラドミラは振り向かないまま「そう、」とだけ答えて、それきり何も言わなかった。そのうちに、さよならの時を繰り返していた美しい歌は華々しいフィナーレを迎えて、終わった。
「お前も来てたなんてな」
「アドリアーナがチケットを送って寄越したんだ。空席は作りたくないって。アンタもそうでしょ」
「ああ。あの女、相変わらずだ」
「流石、女王様」
ラドミラがきゃっと面白そうに短く笑う。俺は笑えたもんじゃない魔女のようなあの女のことも、彼女にとってみれば単なる昔馴染みに近いのかもしれない。
「ミリツァは」
俺は、懸念事項は早々に消してしまいたい、と焦るような気持ちで聞いた。
「お姉ちゃんは来てないよ」
ラドミラの瞳がほんの少し翳る。俺は少し居心地の悪いような感じがしたのを誤魔化すように口を開いてすぐに切り返した。
「そうか。ヴィドとルカが来てるぞ、さっき会った」
「そりゃ、お姉ちゃん来なくて正解だったね」
「ああ」
「私も彼奴らに会う前にさっさと帰るかー
…
」
ラドミラはパーカーのポケットに手を突っ込んだまま投げやりな調子で言う。俺は何かを、言おうとしたのだけれど、結局言えなかった。今更何を言えたのだろうか。さようならだとか、か?
「私さ、」
ざわめいたライブ会場で、ラドミラの声が不思議と澄んで聞こえる。夜露に濡れた草は月明かりの下で輝いている。素敵な音楽は俺たちの耳に届く。俺たちは立ち尽くしている。互いに目を合わせないまま、立ち尽くしている。
「あの家を出ようと思ってる」
俺はラドミラの横顔をジッと見詰める。「ラーダ、」 「まあ、もう無理だからさ。そういうこと」ラドミラは俺を見て、また乾いた笑いをひとつ零した。
*
彼女と初めて会ったのは俺があの屋敷に、ミリツァやルカやダミルたちと一緒に住み始めた頃だった。
「寝てやがる」
仕事をサボって屋敷の裏庭で昼寝をするラドミラに苛ついた俺は、奴を起こそうと無造作に投げ出された身体を軽く足で蹴飛ばした。ちょうど春先の、暖かくなったばかりの季節だったと思う。庭の草木が新芽を伸ばそうとしていた頃。何故そんなこと覚えてるかって?
「やめとけよ、噛みつかれんぞ」
ヴィドがけらけらと笑いながら警告をしたその2秒後、俺は見事に脛を蹴られて足から崩れ落ちることになった。それがおそらく互いに相手のことを認識した最初の瞬間だった。ラドミラは微笑みもせず、裏庭の草叢に手と膝をつけて文字通り目と鼻の先に青々とした新芽が広がる俺を見下ろして、蔑むように「弱っちいの」と吐き捨てた。第一印象は、最低。その一言だった。
2
ラドミラと分かれた後、ぼんやりとステージの明かりを眺めていたら後ろから声を掛けられた。
「ユーレ、ここに居たのか」
「ルカ」
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべて近づいてきたルカは、自分の頬を指で撫でた。それは彼奴の、何か後ろめたいことがある時の癖のようなもので、おそらく淋しがり屋の彼奴は兄とはぐれて心細くなって見知った俺が何処かに居ないか探していたのだろう。と、少しばかり意地の悪いことを考えた。そうして、ルカもきっと俺がそう考えているのを知っているだろう。だからこそ俺たちは、真正面に立ったまま触れるには遠く簡単な挨拶で済ませるのには近すぎる距離で向かい合って立っている。
「ヴィドは何処に」
「あー、アドリアーナのところに。チケットのお礼を言いに行った」
ルカはするりと答えて、また俺にニッと笑顔を向ける。俺は何も気の利いた返しが思い浮かばないまま黙っていた。ルカも何も言わないまま俺の隣に並んでステージへと目を向ける。次のパフォーマンスの準備が行われているステージではマイクの調整が行われている。辺りは先程までの曲の余韻と、ステージの照明が消えたおかげでほのかな暗がりに包まれて、そこかしこでざわめき声が聞こえている。
「お前らどうやってきたんだ」
「車で。帰りユーレも乗せようかって、兄貴が言ってたぜ」
「助かるよ」
ルカは今度は小さくはにかんだ。そういうところが違うなと思う。理性的に振る舞おうとするくせにいつも感情を隠しきれずにいる。その輪郭をはみ出した情熱が、俺には眩しく思うことも多分あったのだ、あの頃は。
*
「くそっ」
「どうした」
聞かずとも分かっていた。隣の部屋との間の壁は男と女の怒鳴り声を遮りはしなかった。そもそもが急拵えの屋敷だったから、足りないところはいっぱいあったのだ。未完成なその家は、かえって各々の夢や理想が無秩序に詰め込まれて、混沌の様相を示していた。そうしてそれは絶えず諍いを引き起こして問題を発生させた。
「またミリツァと喧嘩か」
「まあな」
ルカは投げやりに答えてドサリと椅子に座った。執務室で本を読んでいた俺の横で、彼奴は自分のデスクに深く溜め息を吐き出して俯いた。
「お前、よく付き合ってられるな」
ミリツァとは
――
気が合わなかった。或いはとても、気が合ったのかもしれない。早々に分かり合うことを諦めた俺とミリツァは互いに打算と業務上の遣り取りに徹していたが、(勿論あの女は時たま強引に馴れ合いをのようなものを強要してきてはいたが、)ルカは反対にミリツァと良くない関係だった。ここで言う良いか悪いかというのは、純粋なる俺の主観で、そして、客観的意見だ。
「自分でもどうかしてると思ってる」
そう後悔や諦めや嫌悪の台詞を吐きながら、ルカは何だかんだでミリツァとの関係を途切れ途切れにさせながら続けていた。俺は、幼馴染みともいえる彼奴の考えていることが時々分からなくなることがあったが、大抵言っていることは理解できた。理解できるからこそ不思議だった。似たような環境で育ち似たような価値観を持っていそうな筈なのに、俺たちは違うのだ。そうしてルカと俺は、実際は何も似てはいなかったのだけど。
「ああ、もう、」
ルカが溜め息交じりに呟いた言葉に俺はギョッとする。
「わり、最近ちょっと疲れてて、」
常なら人懐こく笑顔を浮かべる整った顔立ちで、ルカは薄らと滲んだ涙を誤魔化すように手のひらで目を覆った。俺はその、ルカの隠しきれない感情に驚嘆した。あの男の相手を諦めきれず受け入れることの出来ない強情さに呆れ果てて、そうして妬ましく思った。ルカはずっと誰かと共に生きてきた男だった。少なくとも誰かに名前を呼ばれることに、対面することに慣れていた。少なくとも俺よりは、というだけのことだけれど。そう、これは単なる俺の負い目のようなものだ。ルカも俺に対して、ずっと負い目を感じているように。
3
ルカに、ラドミラのことを伝えようか迷っていると向こうからヴィドがやってきた。
「帰るぞ」
「兄貴、アドリアーナは」
「ラドミラが来てた。きっとミリツァも来てるはずだ」
俺が居ることにもルカの問いにも答えないまま、ヴィドは興奮した様子で捲し立てた。そこで俺は、結局、ラドミラのことを二人に教えることにした。
「ラドミラなら俺も会った。ミリツァは来てないらしい」
そりゃ、良かった。
ルカが言う。俺は、それ以上は何も言わなかった。ヴィドは苛立ちが収まらないのかムシャクシャした様子で前髪を掻き上げて、
――
それが奴の癖なんだ
――
、また口を開いた。
「とにかく、もう十分楽しんだし帰ろう。腹が減った。ユーレ、お前乗っていくだろ」
俺は頷いた。
「助かる。車は何処へ?」
「公園の裏の駐車場だ」
「途中でピザでも食べよう」
「良いな、そうするか」
そうして俺たちは、次のステージが今まさに始まろうとするライブ会場を抜け出して帰路についた。
「ルチアーノが来てたぜ」
暗いハイウェイを進みながら、ハンドルを握ったままヴィドは言った。どうやらルチアーノが居たせいでアドリアーナと話せなかった、ということらしい。
「へえ。彼奴どんな様子だ」
「いつも通りさ。ニコニコしやがって、やあ海向こうのハンサム君ー、ってな。手を差し出して来たから無視して帰ってきた」
「そういう事すんの止めろよ! 仕事相手だぞ」
「嫌いなんだよ、彼奴」
ヴィドは顔を顰めたまま舌を出して畝る山道にハンドルを切る。助手席でルカが溜め息を吐くのが後部座席から見えた。
「ラドミラ」
「あ?」
「ラドミラと話してたよ、ルチアーノ」
暫く誰も、何も言わなかった。ラドミラはきっとルチアーノに、家を出ることを言ったのだと思った。本気なのだ。
「実は、ラドミラには俺も会った」
不意にルカが言って、俺は、ハッとなって顔を上げた。ルカが助手席からほんの少し、俺の方を振り返って、またすぐに前を向いた。
「彼奴、家を出ると」
また沈黙が訪れた。俺はまた、昔のことを思い出した。あの家のこと、それからラーダのこと。
4
「おっ、ピザ屋があるじゃねーか。ちょっと寄ろうぜ」
ヴィドは俺とルカの返事も聞かないまま車をピザ屋の店の前の駐車場に止めた。
「お前ら何食う」
「兄貴に任せる」
「俺も」
「了解っ」
ヴィドに続いてルカと俺も車の外に出た。煙草を取り出してるルカの横で軽く腕を伸ばしてずっと座りっぱなしだった身体を伸ばす。外の空気でも吸おうかと車から出たけれど、空気は煙草とピザの匂いが混じっていた。ラーダのことをずっと考えていたせいか、煙草とピザの匂いが何処か懐かしいせいか、俺は聞くつもりのなかったことをぽろりと口に出した。
「お前、ミリツァと寄り戻すつもりはないのか」
ルカは面を食らったように一度ぱしりと瞬きをした。俺は、しまった、と顔を顰めた。ルカは、俺とは反対にすぐに小さな笑みを浮かべた。
「無いな。あり得ない」
それがあまりにもそつのない答えだったので、何故だか俺はムキになって食い下がった。「どうしてそう言い切れる」 自分でもなんだってそう気にしているのか分からなかった。むしろそんなこと、止めた方が良いと思ってる。愛や恋なんて、そんなものに拘るのは馬鹿げてると思ってるんだ。 自分の矛盾した言動に対して苛立つ俺を見透かしたように、ルカは穏やかに笑う。
「自分でも不思議なくらいだ。今となってはもう、何であの女とそういう関係になっていたのか、何であの頃あんなにも必死になっていたのか分からない」
ルカは吸いかけの煙草の灰が地面に落ちていくのを見届けてから、口許にそれを咥えた。俺はあの頃のことをぼんやりと思い出しながら、風に乗って顔に掛かった煙草の煙に目を瞬かせた。
「でも、もしもお前がラドミラに告白するってなら、別に止めやしないさ」
「はあっ? どうしてそういう話になる」
「違うのか? そういうことなのかと思ってた」
ルカが頬を指で掻いて笑う。狼狽しながら俺は、心の一方でどこか腑に落ちた気になった。そうか、俺はラーダのことが好きなのかもしれない。それか、もしかするとルカが羨ましかったのかもしれない。愛や恋だなんて自分たちには無縁だなんて、真面目ぶって考えながら、本当はずっとそれに憧れていたのかもしれない。
「でもなユーレ、一応言っとくけど、ラドミラは止めたほうが良いと思うぜ」
「お前、俺があれだけミリツァは止めろと言っても聞かなかったくせに」
「うん。だから言うんだ。俺だってお前にはつらい思いをしてほしくない」
「
……
そうかよ」
一瞬迷った後に、ありがとう、と付け加えようとしたのと同時に後ろからガッと肩を組まれた。
「ハアー、お前ら惚れた腫れたなんて恥ずかしい話してやがんなあ」
大袈裟に溜息を吐いてヴィドが戻ってきた。手には匂いだけで美味しいことがわかるピザの入った箱を持っている。
「ったくよ、どいつもこいつも好きだの嫌いだの」
揶揄うように笑いながらヴィドが俺とルカにピザを手渡して、3人でそのまま車の横に立ってピザを食べ始めた。空腹の胃の中に落ちていくチーズとトマトの味がやけに美味しい夜だった。
「兄貴だって、アドリアーナに告白すれば良いんじゃないか。俺のことは気にせずに」
ルカがそう言うと、ヴィドは心外だというように顔を顰めた。
「誰もお前のことなんて気にしてねーよ。つか、あのひとはそういうんじゃねーんだよ」
「じゃあアドリアーナがお前のこと好きだと言ったらどうする?
……
いや、それは無いか」
「無いとは限らねーだろ!」
「その気はないんじゃなかったのか」
「それとこれとは話が別だ!」
ヴィドが拗ねたように口を曲げて、あの女が好きだと言ったら俺は
……
とかなんとかぶつぶつ呟くのを見て、俺とルカは顔を見合わせて笑ったのだった。
ピザを食べて満足したのか、残りの帰り道はほとんど誰も話さなかった。荒い気性とは裏腹にヴィドの運転は昔からスマートだ。そういえば以前、「船に比べれば車なんて簡単なもんだ」と言っていた気がする。それとも本当は、ヴィドは静かな奴なのかもしれない。嵐の海がまたある時は凪いているように。俺と一緒に後部座席に乗り込んでずっと押し黙っていたルカが、ふと口を開いた。
「彼奴と、寄りを戻さないのかって話を考えてたんだが」
「
……
変なこと聞いて悪かった。忘れてくれ」
「いいや、そうじゃ無いんだ。ただ、」
「ただ、何だ」
「絶対にそんなことはあり得ない。そう言い切れる。ただ、たまに思い出すことがある」
「何を」
「あの屋敷の庭をさ。綺麗な花がたくさん咲いてた」
「
……
ああ、そうだな」
俺は目を閉じた。タイヤが地面を走る重たい音が聞こえる。ルカの言うことは俺にもよくわかる。特に今夜みたいな静かな夜は、目蓋の裏に蘇るのだ。あの家のことが。もう全て忘れた気でいるのに、忘れられないでいる。俺はいつだったかたまたま覗き見た景色を覚えている。たくさんの花が咲き誇るあの家の裏庭で、ミリツァが自分で育てた真っ赤な薔薇の花をルカに手渡して、はにかむような顔で笑っていたのを覚えているんだ。
「ラドミラ、本当にあの家を出るんだろうか」
俺は目を開けて呟いた。
「多分な」
ルカが小さくそう言ったのが聞こえた。
「忙しくなるな」
「ああ」
それきり車が止まるまで、俺もルカも何も言わなかった。アドリアーナはきっと、俺とルカをラドミラに会わせるために呼んだのだろうなと思った。
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