男爵様の恋と顛末

ヨーロッパっぽいキャラものを書いてみたいとチャレンジした結果のなんらかです。

 男爵様は恋していらっしゃる。
 お屋敷の使用人の間での専らの噂である。
 他の家でこんな噂をしたなら即解雇されようものだが、ここの主人たる男爵様はそれはそれは大らかなお人柄なので。
 それに使用人と言ったって、料理番のマァサおばさんとメイドのリリィとロザリアに庭師のサンソン爺さん、そして執事の自分しかいない。つまり、リリィがはしゃぐのをマァサおばさんとロザリアが混ぜ返し、ときどきサンソン爺さんがやんわりと止めるくらいのものだ。
 では自分はどうしているのかといえば、呆れている。
「旦那様!こんなところにずっといたら、掃除の邪魔です!」
 玄関ホールをそわそわと彷徨く男爵様を叱りつける。いやもう本当に邪魔なのだ。男爵様はとてもとても大柄だ。
 言い訳をなさろうとして、結局思いつかなかったのだろう。男爵様は口をもごもごとさせながら、決まり悪く視線を逸らした。
「しかしね、ユーリ」
「しかしもなにもないです。旦那様がうろうろされてもお座りになってても掃除ができませんし、どうしたって郵便の受け取りは僕の仕事です!」
 男爵様自らが配達人を迎えて荷物を受けるなんて、駄目に決まっているだろうに。
 3日に一度、昼過ぎ、だいたいお茶の時間より少し前ぐらい。街から配達人がやってくる。領地管理に関する封書や屋敷に住まう者たちへの信書、ウィークリータイムズ、取り寄せた布。それらをまとめて届けに来る。この屋敷は森の奥に位置しており、毎日来るには少しばかり無理があるため、郵便事業社とそう取り決めたのだ。
 その配達人が来る日、男爵様は朝からずっと落ち着きがない。
「旦那様」
「うん、なんだい?」
 それでも使用人からの呼びかけには鷹揚に応じ、しゃがみ込んで、まだ少年と言って差し支えない自分の執事と目を合わされた。男爵様はお優しいのだ。そんな男爵様に、彼は心を鬼にしてでも、言わねばならなかった。
「ハウス」
 男爵様は、その立派な尻尾を巻いて、お部屋へとトボトボと去っていった。
 さてと、主人の背を見送った彼は懐中時計を確認し、屋敷の門へと歩き出した。
 本来ならば執事ではなくフットマンの仕事であろうが、いつだって人手不足なのだ。男手は自分とサンソン爺さんしかいないし、小まわりが効くのは圧倒的に自分であった。なお、力仕事は、悲しいことにロザリアが一番だった。
 果たして、配達人は所定の時刻通りにやって来た。この深い森の奥まで、本当にご苦労なことである。牛乳配達だって渋られるというのに。
「いつもご苦労様です」
 労いの言葉をかければ、ひどく驚いた顔をされてしまった。何もそこまで無愛想にしていたつもりはなかったのに。
「いつも来てもらっているのに、ご挨拶が遅れました。僕は、領主バロン様にお仕えいたします、執事のユーリと申します」
 丁寧に名乗ってみると、配達人はヴァーリスと名乗った。最近、他の街からこの街の郵便事業社の事務局に異動してきたそうだ。なるほど、ならば男爵様のことは街の外に流れる噂の本当に上澄みしか知らないだろう。なんなら取って食われると思われているかもしれない。
 世間の一部にはひどく誤解をされているが、男爵様はとても良い主人であるし、良い領主なのだ。酷いことなど何ひとつなさらない。男爵様は使用人全員を家族と思ってくださっている。彼とて、仕立て屋の五男として持て余されていたところを、男爵様に拾っていただいた身だ。
 そう、とても、ご恩がある。
 なので、仕方がない。
「急なことで不躾ですが、お願いしたいことがあります」
 彼は、配達人に深々と頭を下げた。
 みんな、男爵様には幸せでいて欲しいのだ。

 そして、三日後。次の配達の日。
 ヴァーリス氏はやって来た。後ろにはバスケットを抱えた娘がいる。じっとこちらを見つめる目は、綺麗なリンゴの色をしていた。
 屋敷の扉から彼女を伺う男爵様は、尻尾を大きくお揺らしになってご機嫌なご様子。それでも躊躇いがあるのか、傍の執事の顔を伺った。
「いいのかい?」
「仕方ありません。旦那様のお望みが何よりだって、クラウス先生も言ってました」
 クラウスとは、先代の執事にして彼の指導係であった。執事の仕事を一通り指導し終わった途端に、『剥製の技術を極めるために、しばらくお暇をいただきます』と書き置きを残して旅立ってしまった。そもそもが博物学の研究が本職であったのだ。なお、書き置きの最後には『旦那様がお亡くなりになりそうになったら、至急鳩を飛ばすように』とあったことには、男爵様もお呆れであった。
「ともかく、本当に大丈夫ですね?食欲と混同してませんね?」
「うーん、食べるなら、私はウサギの方が好きだね」
……昨日、ロザリアが大きい野うさぎを3羽ほど獲ってきてます」
「あの娘も食べるだろうか」
「多分、魚の方がお好みですよ」
「そうかな」
「あるいはミルクか鳥でしょうね」
 そうかぁ、と男爵様は少し残念そうであった。でも、男爵様のお食事風景は、お子様にはあまりお見せできませんよ。
 門の前で寄り添う親子に、男爵様と執事はゆっくりと歩み寄った。
「こんにちは、小さなレディ」
 男爵様が恭しく一礼すれば、少女は大きな目をまんまるく見開いた。
「男爵様?男爵様は犬なの?」
「違うよ、旦那様は狼だ」
 そう、男爵様はそれは大きなハイイロオオカミなのだ。体長は普通の狼の二倍以上。艶やかな銀の毛並み、太くゆったりとした尾。どこに出しても恥ずかしくない、立派な狼男爵様だ。
 なんの事情かは知らないが、ヴァーリス氏が娘を伴って配達に来た事があった。それからずっと、男爵様はバスケットを抱えた彼女がまた来るのを待っていた。それこそ忠犬のように。
「男爵様は、ノエルとおともだちになりたいの?」
「そうだよ」
 男爵様は頷かれた。
 それに釣られるように彼女も首を動かし、そしてきょとりと目を瞬かせた。
「でも、ノエルはおとこのこよ」
 バスケットから顔を出した小さな黒猫は、名を呼ばれてにゃあ、と鳴いた。

 如何に鼻の利く男爵様とて、子猫の匂いはわかっても、性別までは分からなかった。唯それだけの悲劇で喜劇であった。

 何はともあれ。
「それで?旦那様はその黒猫に首っ丈なままなわけなの?」
「旦那様は子どもが好きでいらっしゃるからねぇ」
あんたリリィとか、ユーリとかさ」
 メイド達は主人と主人の新しいお気に入りの噂話に余念がなく。
「ノエルくん、私に登るのはいいが、そんなバランスの悪いところを選ばなくても……、あっ、あっ!!」
「うにゃあ」
 子猫にじゃれつかれ翻弄される狼男爵様と。
「すごい!あんな小さなノエル子猫の服を、こんな綺麗に縫えるなんて!」
「旦那様の服を仕立てるのが僕の仕事だからね」
「わー!あのフロックコートも!?きみ、本当に器用なんだね!」
…………
 何やらなにやらな少年執事と少女と。
 今日もお屋敷は平和であった。