桐子
2025-09-15 23:04:49
4734文字
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まわる世界8.5


蝉の声も次第に小さくなり、朝夕には虫の声が混じるようになってきた。ようやく夏も終わりに近づいている。
「用意できたぞ」
縁側に座り、うちわをあおいで涼んでいると、砂かけ婆が声をかけてきた。その後ろから現れたのは、じんべえを着た鬼太郎だった。
「似合っておるな」
去年しつらえた時にはまだ大きくてぶかぶかだったのに、今年はちょうどいいようだ。ゲゲ郎は目を細めて息子を褒めた。その後ろから、深い赤の浴衣を着た青年が、おずおずと顔を出した。水木だ。赤い色は彼の健康的に日に焼けた肌によく映えていた。
「おお、水木ど……水木もよく似合っておるよ」
呼び捨てが言いなれなくて言い直すと、水木はぶっきらぼうではあるが「ああ」と頷いてくれた。
「では行くか」
今日は商店街の近くの天神さんで夏祭りがあるのだ。幽霊会からも毎年たくさんの出店を出している。鬼太郎が生まれる前には岩子と、鬼太郎が生まれてからは親子二人で遊びに行っている。今年はそれにくわえて水木もいっしょだ。下駄をカランコロンと鳴らしながら歩いていくと、既に境内はたくさんの人で賑わっていた。屋台がずらりと並び、提灯の明かりが鮮やかに木々を彩っている。
「すごい人出……だな」
ぎこちなく、水木がそう言った。まだ敬語が抜け切れていないのはお互い様らしい。
「まあな。ここいらで一番大きな祭りじゃ。さ、腹ごしらえをするか」
焼きそばがいいか、たこ焼きか。鬼太郎は何を食べたいのか。あれこれ聞きながら境内を歩いていると、後ろから「親父さん」と呼びかけられた。
「おお、肉屋の」
いつも商店街でおまけしてくれる肉屋の親父だ。揚げたてのコロッケは人気で、やはり行列ができている。
「人気じゃのう」
「おかげさんで。親父さんとこの若い衆が、いろいろと手伝ってくれて助かりましたよ」
礼だと言ってコロッケを渡してこようとしたが、ゲゲ郎はそれをやんわりと断った。祭りを仕切っている身として当然のことをしたまでだし、列に並んでいる人を押しのけて買い物をしたのでは、鬼太郎の手前示しがつかない。
「ありがたいが、ひと段落した頃にまた寄らせてもらうよ」
「はいよ」
肉屋は気を悪くした風でもなく、笑って鬼太郎に手を振ってくれた。
「今はコロッケは並んでおるからのう。あとで来よう。あそこのコロッケはうまいから、水木にも食べてもらいたいんじゃ」
「ぜっぴんです」
親子そろってコロッケを褒めるのがおかしかったのか、水木は「そうか」と言って小さく笑った。しかめ面ではない水木は珍しくて、ゲゲ郎はついついその顔に見入ってしまった。
「なんだよ」
視線に気づいた水木が、怪訝な顔をした。なんでもない、と誤魔化して鬼太郎の手を握り、水木を先導して境内を歩いていく。水木は納得のいかない顔をしていたが、それ以上追求しては来なかった。
一反もめんの綿菓子屋、ねずみ男のくじ引き、ぬり壁の焼きそば屋などをひやかしながら、食べ歩きを楽しんだ。ゲゲ郎は息子に押し付けられた食べかけのりんご飴をバリバリかじりながら、のんびり水木と鬼太郎の後ろについて歩いていた。
「つぎは、あれ。あれがやりたい」
「金魚すくいか」
おなかがいっぱいになってきたのか、鬼太郎は遊びに意識が向き始めたようだ。水木が「ああ」と頷くと、鬼太郎は嬉しそうに屋台へ駆けていった。プラスチックのビニールプールの中では、小さな金魚たちがひらひらと泳いでいる。鬼太郎は目を輝かせ、その金魚を見つめている。
「おうちでかいたいな。とうさん、いいでしょう?」
「かまわんよ」
虫や蛙などの小さな生き物が好きな子だ。金魚が家に来れば喜ぶだろう。ゲゲ郎は懐から小銭を出して金魚すくいの出店を出している老人に渡した。
「はい、どうぞぼっちゃん」
鬼太郎はポイを手にして、真剣な眼差しで水面を見つめている。しかし、金魚は素早くてなかなか捕まらない。結局ポイはすぐに破れてしまった。
「あーあ……
肩を落としてしょんぼりする鬼太郎に、「残念だったねぇ」と老人は優しく声をかけた。
「よし、俺にまかせとけ」
水木は、浴衣の袖をまくりあげてビニールプールの前にしゃがみこんだ。小銭と引き換えにポイをもらうと、あっという間に一匹二匹とすくっていく。
「すごい!」
鬼太郎は目をきらきらさせながら、水木に尊敬の眼差しを向けた。三匹取ったところでポイは破れてしまったが上出来だろう。水木は鬼太郎に、金魚の入った袋を渡した。
「大事に育ててくれよ」
「ありがとうございます、みずきさん」
金魚は、赤いものが大きいのと小さいの一匹ずつと、黒いものが一匹だった。狭い袋の中を窮屈そうに泳ぎ回る金魚を見て、鬼太郎は満足そうだ。
「おうちにかえったら、すいそうにいれないと」
「庭の池に放してやったらどうだ。狭いところに入れるのはかわいそうだろう」
鬼太郎と水木は、楽しそうに金魚を飼う相談をしている。穏やかな二人の姿はまるで兄弟か親子のようで、胸が温かくなる。
もうだいぶ日が暮れて、夜店の明かりが輝きを増している。鬼太郎のことを考えるとそろそろ帰宅する頃合いだろう。隣町では揉めたらしいが、こちらはどうやら大丈夫そうだ。
「そろそろ帰るか……
そう言いかけたときのことだ。
「親父さん」
「こっちこっち!」
声をかけてきたのは、商店街の店主や天神さんの神主だ。彼らはテントの下で集まって酒盛りをしているようで、すでに赤い顔をして出来上がっている。さすがに挨拶の一つもなしというわけにはいかないだろう。
「なかなかの賑わいじゃな」
「幽霊会のおかげだよ。親父さんとこにはいつも助けられてなあ」
「ささ、そんなところに立ってないで一杯やっていきなよ」
神主が徳利を持ち上げ、ゲゲ郎を手招きした。いつもなら、「では一杯だけ」と相伴にあずかるところだが、今日はそうもいかない。
「いや、すまんがそろそろ帰らねばならんのでな」
「そんなつれないこと言わないでさあ。お、こちらが噂の後添えさんかい?」
店主たちの目が一斉に水木に向けられる。水木は一瞬たじろいだが、すぐににっこりと笑顔を浮かべて「はじめまして」と挨拶をした。
「こりゃべっぴんだねえ! 酒は飲めるかい?こっちに来て一緒に飲もうじゃないか」
「親父さん、こんな若くてきれいな子つかまえて、幸せもんじゃないか」
酔っぱらいたちは口々に水木を褒めた。だが、ゲゲ郎はそれどころではなかった。水木に酒を飲ませるなんてとんでもない。酔ってほんのり赤くなった目元や潤んだ目を、他の人間に見せるなんて。
「すまぬが、今日は倅もおるし……
そう言って、その場を立ち去ろうとしたときだった。

「なぁ、俺んちで飲みなおそうって」
「困ります! ちょっと、放してよ」

若者が、嫌がる若い女の腕を強引に引っ張っていた。女は本気で嫌がっているようだから、痴話げんかというわけでもなさそうだ。酒を飲んで気が大きくなるのか、場の雰囲気に流されてしまうのか、この手の輩は毎年のように祭りに紛れ込む。
「水木、鬼太郎をみておいてくれ」
「あ、ああ」
水木は鬼太郎を抱き寄せた。ゲゲ郎はゆったりとした足取りで、懐手にした手をそのままにカランコロンと下駄を鳴らして歩いていく。それを聞いて、周りでそのやりとりを遠巻きに見ていた群衆は、ハッとした顔をしてゲゲ郎に道を譲った。
「そこのあんた。せっかくの祭りじゃ。楽しくやらんか」
「なんだてめえ!」
いきなり乱入してきた男を、若者は明らかに敵視したようだった。上背のあるゲゲ郎よりなお背が高い。そのうえ、何か格闘技でもしていたのか、体の厚みもゲゲ郎の倍はある。ゲゲ郎の顔を見ても反応がないということは、このあたりの者ではないのだろう。
「聞こえんかったか、祭りは楽しむものだと言うておるんじゃ。ほれ、お嬢さんの手を離せ」
若者は、みるみるうちに激昂した。
「なんだと、てめえ!このジジイ!」
血管が切れそうな勢いでまくし立ててくるのを、ゲゲ郎は涼しい顔で聞き流す。ジジイというのは白髪だからだろう。だが、その場にいた若者の仲間らしい男が、「おい」と制止してきた。
「山田さん、まずいって。こいつ地元のやくざだぜ」
その言葉が余計に怒りに火を注いだらしい。山田さんと呼ばれた男は、若い女の手を離すと、ゲゲ郎の浴衣の胸倉を掴んできた。
「は、このジジイがやくざだと?  だったらなんだっていうんだ。オレは元ボクサーだぜ!」
振り上げた拳が、ゲゲ郎の顔に向かって飛んでくる。
「あぶねえ!」
水木が叫んだのもむなしく、拳がゲゲ郎の顔にめり込んだ――――ように、見えたのだろう。だが、ゲゲ郎は最小限の動きでそれを避けると、山田の懐へとびこみ、みぞおちに掌底を叩き込む。
「が、あっ……!!」
間髪入れず、今度は顎へ掌底打ちを決めた。一瞬、脳が揺れて意識が途切れたのだろう。山田は白目をむいてその場に崩れ落ちた。
「ちょいとやりすぎたかのう」
そう言ってあごをさすったところで、遠巻きにしていた群衆が歓声をあげた。
「さすが親父さん!」
「あっぱれじゃのう!」
いつの間にか周りに集まってきた者たちに背中を叩かれる。
「いやいや、それほどでも」
ゲゲ郎が手を振ると、群衆からさらに拍手がわいた。
……そこのあんた。邪魔になるから連れて帰ってくれんか。軽い脳しんとうを起こしただけじゃろう」
こそこそ逃げようとしていた男の仲間に声をかける。彼らはきまり悪そうな顔をして、巨体の男をどうにか担いで去っていった。これでようやく祭りも、もとの賑やかさを取り戻すだろう。そこへ、水木が鬼太郎を抱えて駆け寄ってきた。
「大丈夫か」
心配そうに声をかけてきた水木に、ゲゲ郎は「ああ」と言って笑いかけた。
「暴力は好かんが、こういうことも時々あるんじゃ。鬼太郎も水木もけがはないな?」
「はい。とうさんかっこよかったですよ。ね、みずきさん」
「あ、ああ……
水木は戸惑ったように返事をした。酒も飲んでいないのに、少し頬が赤いのは気のせいだろうか。もしかしたら、祭りで人酔いしたか、それとも慣れない浴衣が苦しいのか。
「あのっ」
声をかけられて視線を向けると、さっき男に絡まれていた女性だった。
「助けていただいてありがとうございました」
彼女は深々と頭を下げた。近くでよく見ると、なかなかかわいらしい顔立ちをしている。それに浴衣を着ていても胸が大きいことが分かった。つい、胸元に視線が吸い寄せられてしまう。
「あのっ、お礼にお茶でもしていきませんか? お子さんもぜひ!」
女性はこちらを見上げながら、必死そうに言い募る。はて、どう断ったものだろうかとゲゲ郎は思案した。もう今夜は鬼太郎も疲れているだろうし、水木だって初めての祭りでさんざんな思いをさせたのだ。しかし、ゲゲ郎が「すまん」と言う前に水木が口を挟んだ。
「行ってきたらどうですか。鬼太郎は俺が連れて帰ります」
冷ややかな声と視線だった。ゲゲ郎はぽかんとして彼の顔を見つめたが、水木はこちらに一瞥もくれず、息子と手をつないだままさっさと歩きだした。
「礼は結構じゃ」
それだけ何とか伝えて、ゲゲ郎はその背を追った。大股で歩いている水木にはすぐに追いついたが、こちらをちらとも見ない。
「あの、水木」
「なんですか」
「怒って……おるのか?」
「別に」
いいや、絶対に怒っている。しかし、訳も分からず謝ればさらに怒らせそうで、何も言えない。仕方なく、黙って後ろをついていきながら、ゲゲ郎はこっそりため息をついた。