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2025-09-15 11:28:45
2179文字
Public 演劇【推しの子】
 

小さな旅路

少し先にあるかも知れない話。最後の最後まで言えなかった匁と知ってたキザミ。平和軸。
※死別ネタなので大丈夫な方のみお楽しみください

寝苦しかった。途切れがちな微睡とぼんやりとした覚醒を繰り返している。夜なのか昼なのかもはっきりしない。時々誰かが優しく話しかけて、顔や身体を拭いたり水を飲ませたりしてくれる。世話をかけて悪いなあと思ってはいる。そしてまたとろとろとした眠りに落ちていく。

ふと気がつくといつの頃からか傍らに黒い影がいた。寝台の横に誰かが座っているらしい。うっすらと目を開けたのに気づいたのか、顔や首元を濡れた布で拭ってくれた。冷たくて気持ちがよい。

「みず

掠れた声を上げると、影は枕元の水差しを手に取った。何かを探すようにきょろきょろとしていたが、やがて視界が暗くなった。唇に柔らかいものが押しつけられ、清涼な液体が少しずつ流れ込んで来た。

「もっと飲みますか?」

小さな声で聞かれてもういいよと首を振った。振ったつもりで実際にはたいして動けていなかったが、意は伝わったようだった。

ふうと細いため息を吐くと朧気な意識の底から古い記憶がゆっくりと浮かび上がって来た。
この冷たい唇を、密やかな声を、知っている。

……?」

問いかけようとすると、黒い影は人差し指を口元に立てた。おそらくもう真夜中だ。皆寝ている。

「迎えに来てくれたのか」
「いいえ。あなたが寝込んだと聞いたので、鬼の霍乱を見物に」

しばしぽかんとしながら考えた。もしかしたらとは思っていたが、長い時間の中で半ば諦めてもいたのだ。

「え。まじ? 俺、夢見てるんじゃないの?」
「現実ですよ。まだ脚はついてます」

長いマントの下から黒い手が伸びて、キザミの乱れた髪を丁寧に整える。角の辺りに触れられるのが心地よくて、その掌に額を押し付けた。甘える猫を構うように角の根元を指先で掻かれる。こそばゆい。

「一緒に連れてってもらえると思ったのになあ」
「一人では寂しいですか?」
「そう……かも」

掛け布の下から手を出すと、黒い手袋を嵌めた懐かしい手がそっと重ねられた。

「いずれあなたが僕を迎えにくればいい」
「そうする。おまえが素直に来てくれるとは思わないけど」
「その時の気分次第ですね。僕はまだ旅の途中だから」

暗闇の中で静かに微笑む気配がした。

「どうしてだろう。僕も寂しい」

柔らかな声が、少しだけ震えている。

キザミは小さく吹き出した。久しぶりに声を上げて笑った。
随分と時間をかけたのに、まだわかっていないのか、この男は。
他人を謀る事には長けている癖に、己のことは何も知らないままでいる。
いつか気づく日が来るのだろうか。彼にはまだ時間がありそうだ。一人を思い知る時間が。

……いつ、帰る?」
「あなたが眠るまでは、居てあげます」
「うん」

キザミは安心したように笑って、ゆっくりと目を閉じた。

暗い部屋の中で緩やかな呼吸だけが聞こえている。
黒い影は黙って、ただキザミと手を繫いだままでいた。
静かな夜だった。彼の眠りを妨げるものは何もなかった。

夜が最も濃くなる頃、影はキザミの手を掛けられた布の下に戻し、寝台を整えて静かに立ち上がった。
キザミの上に屈み込み、その額に口づける。

「おやすみなさい。キザミ。新宿の将軍閣下」

眠る姿を愛おしげに見やり、黒い人影は音もなく部屋を出て行った。




病床にあった将軍の訃報は瞬く間に東京中に広まった。新宿の館の前には思い思いに花や酒を抱えて多くの人々が立ち尽くしていた。
既に職と盟刀は養い子が継いでいたが、東京の民にとって新宿の将軍閣下と言えばキザミのことだった。

穏やかな最期だったと伝えられ、人々は哀しみの中にも晴れ晴れしさを覚えた。そのことが更に寂寥を募らせた。
新宿の将軍に敬意を表して冥界から迎えが来たと、まことしやかな噂が流れていた。
寝ずの看護に当たっていた者たちがなぜか皆眠りに落ちた夜、漆黒を纏った死神が将軍の傍らに座っていたのだと。




「それってどう考えてもさ?」

つるぎが口を尖らしてぼやく。

「東京に帰って来たなら、あたしたちにも顔くらい見せてってもいいんじゃない!?」
「あの方は長いこと音信不通でしたからねえ。お元気なればなによりでおじゃる」

百目はゆったりと扇を使いながら鷹揚に構えている。

「流水死命の剣主が代わった気配もないし、どっかで生きてんだろとは思っちゃいたが」
「ブレイドの勘はあてにならないじゃん」
「だから、俺をあてにするのが間違いなんだって」

ブレイドが飄々と嘯く。
話を聞いていた鞘姫が、改めて仲間たちを見渡した。

「死神は若く美しい男の姿だったとか。本当に彼岸から友を迎えに来たのかも知れませんわ」

かつて影の主であった渋谷の王はそう言ってにっこりと微笑んだ。

「あれはいつも顔を隠しているからな。姫様はあの頃と同じくお美しいままですが」
「いつもありがとう、刀鬼」

傍らの刀鬼が真顔で鞘姫の手を取り、軽く口づける。
渋谷王家の恒例行事は見なかったことにして、ブレイドが卓に積まれた朱盃をひとつ取り上げた。

「こういう時こそ宴だ。そうだろ?」

それぞれが盃を手に取り、ここにはいない者の盃にも次々に酒が注がれる。

「俺たちの、仲間に」

東京を國と成した者たちは高く天に盃を掲げ、一息に酒を干した。