【スタゼノ】ダニー・ボーイ

スタゼノワンドロワンライ第219回お題「さようなら」「バイバイ」
紛争地で腕を負傷してしまったスタンリーのヒゲを病室で剃るゼノの話。

 自分でも戸惑ってしまうくらいの馬鹿をやって腕を怪我したのは、紛争地での任務が、あと数日で終わるだろうと思われた頃のことだった。そう、あと数日冷静でいればとびきりクールな勲章を貰えたのに、今回はパープル・ハート勲章で終わってしまった。別にそのことはどうだっていい。任務を切り上げて祖国の土を踏めたんだし、こうやって恋人に献身的に介抱されているんだし、それ以外に別に望むことはない。コレクションしてる勲章が思ったように増えなくたって、恋人がいるんだからそれでいいだろう。そう思いはするものの、俺はちょっと欲求不満だった。腕が使えないから彼を引き寄せることも出来ず、いつものように抱き合うことも許されなかったから。
 
 
 マイケル・E・デバキーVA医療センターの個室を訪ねて来た時、ゼノはいつもの表情を保っていた。彼は冷静な、計算された、俺が紛争地でも繰り返し写真で見ては愛した、そんなセクシーな表情を保っていた。俺はそれを見て、先生、もう仕事は終わったん? まだ真っ昼間なのに? って声をかけた。そして実はあんたに一刻でも早く会いたかったから、無理言ってヒューストン近郊の、退役軍人向けの施設に入れてもらったんだって、そんなことまで白状した。するとゼノはため息をついて、その固定された腕、リハビリが必要なくらい大変なのかい? って俺に尋ねた。でも俺はそれにまずはキスとハグだろうって返して、怪我の状態については隠した。
 ゼノはその返事が気に入らなかったのか、しばらく憮然とした表情を崩さなかった。だが俺はその表情すら心底愛していたので、久しぶりの、写真でもない、ネットのカメラ越しでもない彼を観察した。
 後ろに撫で付けられた銀髪、丸い額、夜の空の色をした瞳に、整った鼻筋、そしてまだキスすら出来ていないふっくらとした唇。俺はそんなものを見て、あぁ、国に帰ってきたんだなって改めて思った。もうここは紛争地じゃあない。部下を一人失った、俺を庇って部下が死んだ紛争地じゃないんだって、しみじみと思った。
 いや、これは思っただけで、口には出さなかった。だってそう言えば彼は俺を慰めるだろうし、そういうのは再会には相応しくないように思えたし。でも、俺は誰かに部下の死を悼んで欲しくてたまらなかった。同じように悲しんで欲しかった。部下の葬式にすら出ないでリハビリのプログラムにかかりきりになっている俺の、どうしようもなさを感じて欲しかった。
「君、髭が伸びてる」
 沈黙が二人の間に横たわって数分が経った時、ゼノはぽつりと言った。確かに、最近はリハビリにかかりきりになって、髭なんて放ったらかしだった。そもそもが腕を使えなかったので、ちゃんと銃を構えることが出来るかどうかも分かりやしなかったので、俺はそんな些細なことに気を取られる時間はなかった。どんな見てくれになったって良かった。ただ引き金を再び引けるようになるために、俺はリハビリに夢中になっていた。
「こういう俺も中々セクシーだろ?」
 でも、やっぱりそういうことは言わないで、俺は自分のみすぼらしい姿を誤魔化すように、いつもの軽口を叩きゼノをからかった。すると彼は何も言わず病室から出て、しばらく俺を放り出し(なんて恋人だろう! と俺は思った。正直なところ)、そして数分後にシェービングクリームと剃刀、そして温めた濡れタオルを持って戻って来た。
 そしてゼノは俺に確認も取らずそのシェービングクリームを頬や口元、喉にまで塗り、丁寧に剃刀を当てた。彼の指先は一瞬震えたが、すぐに落ち着いて、まるで俺の傷を癒すように、慎重でどこか切なげだった。その間、彼は一言も喋らなかった。
 それが終わってタオルを当てた後、彼はようやく普段の様子に戻った俺を見つめて静かに笑った。それは冷静でも、計算されてもいなかったが、俺が紛争地で繰り返し見ては愛したセクシーな表情をしていた。俺は正直欲情した。腕も動かないっていうのに、彼を抱き締めたくてたまらなかった。
「どうだった? 痛くなかったかい?」
「全然。でもあんたが一ミリでもずらしたら、動脈が切れて天国行きかと思うと興奮しちまったね」
 俺は優しく語りかけてくれたゼノに向かって、わざとはぐらかすように言った。するとゼノは小さく眉を上げ、俺の冗談を軽くあしらうように微笑んだ。それに、これは俺の想像でしかなかったが、何となく彼も距離をはかりかねているようだった。俺が紛争地で部下を失ったことも、もしかしたら彼は知っていたのかもしれない。俺はPTSDの回復プログラムも受けていたし、それはパートナーとして正式に登録されているところの彼の知るところでもあっただろうから。
「君はこんな時でも元気だね」
 あ、やっぱりって俺は思う。彼は俺が隠していることを全部知っているんだろう。なのに俺が何も言わないから、だから知らないふりをしてくれている。俺の部下を悼みつつ、何も知らないふりをしてくれている。俺が悲しむ準備が出来るまで、彼は待ってくれている。
「そうだね、何ならファックも出来んよ」
 でも、俺ははぐらかしてそう言った。すると彼は瞳を細めて笑った。そして俺からしばらく視線を外して、固定された俺の腕を見た。
 俺はちょっと窮屈だった。彼に気遣われるのは嬉しいが、彼に心配されるのは自分だけが幸せの中にいるようで少しだけ窮屈だった。だって、俺を庇った部下は恋人を欲しがっていた。隊長みたいに守るものが欲しい、出来たら子供も欲しいって言っていた。こんな状況の中で死にたくないとも言っていた。でも、彼は俺の代わりに死に、そしてその夢は叶わなかった。
「ここは病院だよ、スタン」
 何かを絞り出すようにゼノは言った。俺はそれにどう返していいのか分からず、結局いつものように軽く返すしかなかった。
「あんたは嫌なん?」
 俺は誰が見てたって構わないね、あんたを自分のものに出来るんならどんな手だって使うね、ようやく会いにきてくれたあんたを俺のものに出来るんなら、そんなに嬉しいことはないから。あぁ、でも駄目だ、自分だけが幸せになっちゃいけない。俺は喪に服さねばならない。自分の代わりに死んだ男の、その喪に服さねばならなない。
 俺はぼんやりと、不安定な自分の幸せと、もしかしたらそれを失っていたかもしれないことについて考える。部下には未来があった。一方の俺にも未来がある。でも部下の未来は失われ、俺のそれは失われなかった。そこにはわずかな差しかなく、それがきっと運命ってやつなんだろう。
……君とさよならしなきゃならないかと思った」
 俺を見つめながら、ゼノがぽつりと言った。彼はいつものようにはジョークを交えず、俺をただじっと見つめた。俺はそれにやっぱりどう返していいのか分からず、くだらない冗談を言うしかなかった。ゼノは俺を心配してくれているのだろう、部下を失ったことも知っているかもしれない。俺の状況を把握しているかもしれない。でも、彼は軍人じゃない。紛争地の恐ろしさを知らない。愛しているのに、理解されるのが怖い。一緒に部下の死を悼んで欲しいと思ったのに、それすら拒みたくなる。
「あんたとバイバイしろって? 冗談じゃない、俺がそんな……
「思ってるんだ、いつでもね。君がいなくなるかもしれないって、いつも思ってるんだよ」
 君が紛争地に派兵される度に、僕はそう思っているんだ。そうゼノは言い、俺をじっと見つめた。俺はそれに、強烈に彼に触れたいと思う。でもそれは上手くいってくれない。何せ俺は腕を負傷してて、彼を引き寄せることすら出来なかったから。なのに、ゼノの真っ黒な瞳が近付いてくる。窓から差し込む午後の光が、病室の白いカーテンを柔らかく揺らしている。柔らかな、何度も紛争地で感触を想像した、小さな唇が近付いてくる。そしてゼノは俺の額に丸い額をこすり付け、そっと俺の唇にふっくらとしたそれを重ねた。彼の唇は温かく、かすかにミントの香りがして、紛争地の荒々しい記憶を一瞬だけ溶かしてくれた。
 病室は静かだ。俺達以外にはここには誰もいないから、病室はとても静かだ。彼の呼吸すら聞こえて、俺は、あぁ、やっぱり祖国に戻って来たんだなって思う。ばらの花が枯れ落ちる前に、俺は戻って来たんだなって思う。
 そしてやがて唇が離れ、俺達はまたただ見つめ合う。唇が触れている間に感じた永遠みたいな時間は、終わりを告げてしまう。
「これだけなんてやっぱり寂しいね。早く退院してぇよ」
 黙ったままのゼノに、俺はそんなふうに言う。
 まだリハビリ終了の目処は立たず、果たしてかつてのように銃の引き金を引くことが出来るようになるかも分からなかったのに、もしかしたら軍人じゃなくなるかもしれないのに、そんなふうにキスの感想を言う。というか、俺はそう言うしかなかった。泣き言を口にしたって、状況は変わらなかったから、だったらその泣き言に時間を使う代わりに、目の前の男に愛されていたかったから。
「家に帰れるようになったら、たっぷり愛してあげるよ。キス以上をあげるよ」
 ゼノがようやく笑い、俺の頬をさする。さっき自分で髭を剃った、そんな頬をさする。俺はそれに目をつむり、やっぱりあんたには敵わないなって思う。
 あんたにたっぷり愛されたい、甘やかされたい、あんたの中で果てながら、あんたに縋りたい。そう思い、俺はまた温かくなる唇を感じる。
 でも、俺の代わりに死んだ部下には、こんな当たり前の幸せすらなかった。葬式はもう終わり、俺は上官としてそれに参加することすら出来なかった。なのに俺はゼノが側にいてくれることに感じ入って、自分の後悔から目を逸らそうとしている。愛しい男が側にいてくれることに夢中になって、あんなに紛争地で喚き立てた、部下の死を曖昧にしようとしている。彼にも待ってくれる家族はいたのに、俺は犠牲の上に助かってしまった。それがどうしようもなく寂しかった。
「スタン、愛してるよ」
 ゼノが言う。俺は目をつむったまま、俺もだよって答える、俺も愛してんよって答える。どこか空虚だったけれど、俺はそう答えるしかなかった。俺にはゼノしかいなかった。ゼノだけだった。俺の愛は完結していた。ゼノが科学に触れていられるのなら、俺はそれで良かった。なのに泣きたい気分だった。彼の胸に顔を埋めて、どうか助けてくれって泣きたい気分だった。
「スタン、愛してる、愛してるんだ……
 ゼノが縋るように、絞り出すように苦しげに言う。俺はもう何も言えない。俺はただ幸せの中にいた。信じられないくらいの幸せの中にいた。紛争地では直接聞けなかった愛の言葉を受けて、俺は幸せの中にいた。そう、俺は幸せだった。それが内包する空虚さなんてどうだって良かった。ゼノはここにいる、俺はここにいる。今はそれだけだ。今はそれだけ、ただそれだけを見ていよう。恐ろしい何かから、対峙しなければならない何かからは目を逸らして、今はゼノだけを思っていよう。今だけは静かに、愛されていよう。
 病室は静かだった。ゼノの呼吸の音すら聞こえて、それは止まることはなかった。呼吸が終わることはなかった。俺を庇って死んだ部下のようには、彼の呼吸は止まらなかった。紛争地での悪夢は消え去らなかったが、それでも、それでも俺は彼に愛されていた。


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