スサ
2025-09-14 14:12:00
5613文字
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【鬼水】初めての恋に溺れている

8/31に発行した鬼水本の再録です。成立済鬼水で、水木がちょっと浮かれている。いちゃいちゃしている話です。WEBオンリー会場のみから見られるのも…ほしいよね!と思ったので…。※イベント後、パスワード外しました。読んでくださった方ありがとうございました!



 浮かれている。
 電車を待ちながら、何となく踵を揃えて立ち、水木は目を伏せる。ごく自然な様子に見えるよう、口元を押えて咳をひとつ、ふたつ。──浮かれている。唇にきゅっと力をこめる。笑ってしまわないよう。
 今夜尋ねると鬼太郎から便りがあった。烏がこんこんと窓を突く音で目が覚めた早朝、夜の名残のような翼はくわえた小さな扇子を落としていった。不思議に思ったり、驚いたりすることはなかった。烏なら鬼太郎の使者だろうと見当がついたし、そうであればその、品の良い白竹の扇子は鬼太郎がよこしたものなのだろう。小さなそれは、茶道具のそれにも似ていた。
 風流なとむずがゆくなったが、もしかしたら少し古い時代のそういった知識は、鬼太郎というか、彼の周りにいる父親始め古参の妖怪達にとって馴染みのあるものなのかもしれない。そこから影響を受けて、と考える。もっとも、扇子ならその後も水木が持ち歩けるからということも考えられるが。
 とにかく、烏は小ぶりな扇子を残していった。開く時にほのかに香った香りは独特で、しいていえば白檀に似ているような気もしたが、それだけでもない、何とも不思議で、心地の良い香りだった。それをしっかりと吸い込んだ後、水木は扇子を見た。白い和紙の上には猪らしき絵がさらりと描かれていた。最初は意味がわからずぱちくりと瞬きした水木だったが、何度か瞬きして、唐突に気づいた。
 十二支は時刻にも対応する。水木が生まれた頃だってそんな数え方はしなかったが、ただ、幼い時に接した人の中にはご一新前の生まれという人もないことはなかった。時代小説など読むとどこか懐かしく、実在の人物を思い浮かべるくらいには、水木にとってそれらはそこまで遠い物ではない。
 猪が当てられているのは、夜の九時から十一時の間くらい。それがわかれば、扇子の意味もわかった。鬼太郎はそのくらいの時間にここにやってくるのだろう。きっと、間違いなく。
 回りくどいし、気づかなかったらどうする気なんだろうと少し呆れもしたが、反面、なんだか秘密の逢い引きのようでどきどきもした。
 ──逢い引き。
 水木の頬は自然と熱を持っていた。つい先頃、二人は逢い引きをする仲になった。
 酔狂でそんなことができるわけがない。仮にも、血がつながっていないとはいえ、大事に育てた「一人息子」だ。簡単な覚悟でそれを受け入れたわけではない。だがとにかく、真摯なまなざしと言葉に、結局水木は白旗を上げた。鬼太郎はおそらく奥ゆかしく、水木が頷いたその晩は「手を握ってもいいですか?」と遠慮がちに聞いてきたくらいだった。たったそれくらいでも、いいぞ、と頷くだけでも、水木は真っ赤になってしまったけれど。
 時代のせいにしてはいけないかもしれないが、やはり時代が一番大きな理由で、水木は、いわゆる「恋」というものに縁遠かった。それを言うと決まって同僚や取引先(宴席での断り文句くらいだが)にありえないと言われたものだが、真実だった。もっとも、燃えるような恋、なんていうのは、小説や映画、芝居の中の話であったというのは、水木の世代ならある程度わかってくれそうな気もするのだが。何しろ見合いが当たり前だった時代だ。惚れた晴れたの末に結ばれる人もいないではなかったが、多くの場合、それはセンセーショナルな出来事であったと思う。
 とにかくそんなわけで、水木にとってこれが初めての恋になった。あなたが好きです、とひそやかに伝えてくれる凜とした声、微かな笑い声、遠慮がちに触れる指、甘えるようなまなざし。鬼太郎が全身で向けてくれる思いに、すっかり参ってしまった。何しろ耐性がなかったのだから、大変なことになってしまった。
 何となく鞄に入れて持ってきてしまった扇子を鞄の上からそっと抑えながら、水木は電車に乗り込む。ありがたいことに明日は休みだ。少々の夜更かし、朝寝坊をしても何ら問題ない。
 鬼太郎が来たら何を話そう、そうだ、あいつはいらないというかもしれないが何か食べるものも用意しよう、明日の朝の分も考えて、と目を伏せて考える。つい、知らず知らずのうちに結局微笑んでしまった水木に、隣で電車を待っていた人がついつい引きつけられ、顔を赤くした。水木自身は気づかなかったけれど。

 水木自身は早めに軽く食事を取り、風呂にも入り、ある程度の準備を済ませて鬼太郎を待った。一緒に、と言われたら酒だけ飲もうと考える。鬼太郎はそんなに食べる方でもないから食べないわけではないが、食いしん坊というわけでもないこれはただ単に、鬼太郎に腹一杯食べさせてやりたい水木の親心だ。恋仲になったのに親心も何もないかも知れないが、それでも気持ちは変えられない。そして鬼太郎も、親子だったことを否定してもいなかった。ただ、新しい関係が増えただけだと事もなげに。いい男になっちまってさあ、と水木は気恥ずかしさにひとりごちてしまう。そうでもしないと顔が熱くて、そこで、今朝贈られた扇子のことを思い出す。帰っててきてから鞄から出し、ちゃぶ台の上に置いたはず。布団も敷いた寝間から戻れば、そこにはさっきまで思い浮かべていた相手がいて、扇子を手慰みのように揺らしていた。
「鬼太郎!」
 つい、声に喜色がにじむ。鬼太郎がゆっくり顔を上げた。ほんの少し、疲れたような顔をしているようにも見える。だが目が合えばにこりと笑った。それに釣られて水木も笑う。
「黙って入ってきて、ごめんなさい」
「いや、おまえの家でもあるから。そうだな、でも、ただいまとか、そういうのは言ってほしい」
、ただいま、帰りました」
 お邪魔しましたではなく、ただいまがいいという言葉に一度目を丸くした後、鬼太郎はへにゃりと顔を崩した。水木はそんな鬼太郎に近づく、腹減ってないか、と尋ねる。首を振りかけた鬼太郎だったが、何となくそわそわした水木の様子から察し、くすりと笑いながら答える。
「少し、すいてるかもしれないです」
「夜は食べてないだろう? 昼は?」
……朝、父さんと」
 水木はわかりやすく渋い顔をする。
「そこ、座りなさい」
「あの、手伝います」
「いいから。そこに座って待ってろ」
……はい」
 はは、と苦笑しつつも、鬼太郎は言われるがまま腰を下ろす。それに満足げに頷いた後、水木はいそいそ台所へ立った。ガスの火をつけて、背中を向けたまま話しかける。
「しかし、その扇子。ちょっと考えたけど、謎解きみたいで面白かった」
「謎解き?」
「猪だから、亥の刻ってことだろ?」
 え、という驚いた声に水木は振り返った。見れば、鬼太郎はぽかんとした顔をしている。
……違ったか?」
 もしかして思い違いを、と水木が訝しんだ所で、鬼太郎は一度ぐるりと部屋の中を見回した。それから、あー、と声を出す。
「なんだよ」
……そんなに、そういう、ええと
「なんだって」
 本格的に体を鬼太郎の方に向けて問い詰める水木に、鬼太郎はぼそぼそと答えた。
「猪突猛進、というか
「え?」
……僕まっしぐら、というか
「まっしぐら」
 意味がわからず繰り返した水木に、鬼太郎は困った顔で頷く。
「すまん、どういう
「だから」
 鬼太郎は立ち上がり、水木の前までずんずん歩いてきた。おお、と何となく後ろに倒れそうになる水木を、鬼太郎の手が掴んで支える。
「こういうことです」
………
 わかりましたか? と目が尋ねている。自分の頬が熱くなるのがわかって、水木はどうにも顔をそらしたかったが、鬼太郎がそれを許さない。
わ、わかった」
 蚊の鳴くような声になってしまった。情けないと思いつつ振りほどけない。だが、そんな水木を救うように後ろでぐつぐつと沸騰する音が聞こえてきた。
「あっ、に、煮だっちまう」
 ごめんな、と断り、水木はようやく鬼太郎の手から抜け出す。鬼太郎も捕まえたまま引き留めはしなかった。
「今日は、草取りしてたら茗荷を見付けたから
 照れ隠しに話す水木は気づかない。後ろから、食い入るように見つめている鬼太郎の視線が自分のうなじのあたりに深く突き刺さっていることに。美味しそうに照れた頬に今にもかじりつきたいと思っていることにも。
「卵とじして、吸い物にしようと思って、出汁だけ
 鬼太郎の気配が近づいたことに気づき、水木は火を止め、首をひねるようにして振り向く。とす、と軽く鬼太郎が背中に抱きついてくる。腹の前に回された手は、案外しっかりしている。こいつ、前より大きくなったような、と首を前に戻して水木は思う。背中越し呼吸が伝わってくる。
……あなたの方が美味しそう」
……? 俺は肉も固くて美味くないと思うが
 水木は冗談で言ったわけではない。本当にその時意味がわかっていなくて、馬鹿正直にそう答えてしまったのである。鬼太郎は、水木の浴衣の背に顔を押しつけたまま深くため息をついた。
「鬼太郎?」
………水木さん。僕が言うのもなんですけど、カマトトぶるなって言われたことありませんか」
「か……
 あまりにも予想外の言葉に、水木は一瞬本気で思考が止まった。何を言われているのかさっぱりわからなかった。
「まとと……?」
 のろのろと鬼太郎が顔を上げる。困ったような、いたずらをした子どもを叱る大人のような顔をしていた。その瞳に映る水木といえば、後は寝るばかりなので当たり前だが前髪をおろして幼ささえある。妙な心持ちだった。鬼太郎は顔を、体を離し、背伸びをして顔を近づけてくる。
「前髪がこうなってるの、かわいいです」
……寝るときいつもこうだろ?」
 なんと答えたらいいかわからず、水木はしどろもどろにそう言うしかなかった。鬼太郎は笑う。
「はい。だからいつも、寝る時かわいいなって思っています」
「っ
 今度こそ言葉を封じられ、水木は黙るしかない。そんな水木に、鬼太郎は追撃の手を緩めなかった。
「おいしいって、それも思っています」
…………
 水木は口を開けて固まった。ようやく頭が追いついたのだ。だが、余計に恥ずかしくなるだけだった。
そんなわけあるか」
 ふい、と顔をそらした水木に、そんなことあります、と鬼太郎は譲らない。譲るわけもないのだが。
でも、今はお吸い物頂きます」
うん」
 水木は照れくさく思いながらも、鬼太郎に食べてほしかったので頷いた。にぎりめしも作る、揚げ浸しは冷めてもうまいから、と慌てて続ければ、そんなに大丈夫です、と鬼太郎に笑われてしまった。
「一番美味しそうなのは水木さんだし」
、何言ってんだ」
 ごつ、と軽く鬼太郎の頭に拳骨をお見舞いし、水木はくるりと背を向けた。

……あの」
 うん? と頬杖をついたまま、水木は小首を傾げるようにした。それからくすりと笑って、鬼太郎の頬についた米粒を取って自分の口に運ぶ。ドッ、と鬼太郎は自分の心臓が鳴った音を聞いた。やわらかい顔で水木がこちらを見て微笑んでいる。
「おまえは俺に似ず食べ方はきれいなのに、たまあにおべんとくっつけてるよな」
……、みずきさんも、食べ方きれいじゃなくないですよ」
「そうか? 俺は早食いで」
「そうですか?」
「少しは努力して直したからな。その甲斐あったならよかったが」
 肩をすくめるようにして笑う。ゆるんだ浴衣のあわせから、胸が見えるような見えないような
……水木さんが」
「ん?」
……米粒とかとってくれるのが、僕はその」
「嫌だったか?」
 神妙な顔になる水木に、違います、と鬼太郎は強い口調で言った。首も横に振る。
「甘えてたんです、それは! 昔は! とってくれるのが、ほらついてるぞって笑って言うのが、その好きで、見たくて、甘えてたんです、あれは」
「そ……、そうだったのか」
 目を丸くして、水木は半分くらい裏返った声で言った。しかしその後はっとして口を開き掛けたのを、「今のはわざとじゃないです」と先に鬼太郎が制する。
「ほんとに?」
「小さい頃甘えてたのは本当ですけど、今はそうじゃなくて、我慢、しているから」
「がまん?」
 なにを、とこてんと首を傾げる様子がもしも演技なら、鬼太郎だって「カマトトぶっている」などと言うはずもない。
「早く食べたいんです」
「? 腹減ってたのか? ハムでも焼くか?」
 純粋に心配してくれているらしい水木に、ハーっと鬼太郎はため息をついた。盛大に。
「な、なんだ
「布団まで敷いて待っててくれたのに、それはない」
!」
 水木の顔が真っ赤になった。
「ねえ、布団は一組ですよね?」
………
 水木はそっぽを向いて、それでも足らずに鬼太郎の足を軽く叩いてきた。これで笑うなというのが難しい。
「やっぱりあなたってかわいい」
「生意気言うな」
「水木さん」
………
 促せば、渋々の顔で水木が鬼太郎の方を向いた。たわめられたどんぐり眼に、水木の視線は吸い寄せられる。
「僕おなかすきました、水木さん」
……
 水木は苦虫をかみつぶした顔をした後、じわじわと頬を染め、それから半分くらい鬼太郎の方を向き、黙って手を差し出した。つかめ、ということらしい。何となく察して捕まえて、鬼太郎は「それで?」と視線だけで問いかける。水木はうろうろと視線をさまよわせている。
連れてけ」
 恭しくその手の甲に唇をつけ、よろこんで、と鬼太郎は答えた。
 そして、立ち上がってすぐ、皿、と気にした水木に、それは僕が後で洗っておくので、と満点の答えを返す。水木は困ったようにうつむいた後、うん、と小さな声で頷き、きゅっと鬼太郎の手を握り返した。