ふーこ
2025-09-14 10:27:57
5370文字
Public 小説
 

恋のジンクスってやつは

【ジュヴFES3 展示】
皆主です。部屋で映画を見ることにしたけれど、あまり真面目ではない二人。恋愛のジンクスとか信じてないけど…?架空の映画同好会が出てきます。

 モノクロ映画を映すテレビ画面だけが部屋を明るませている。目の前の人間さえもが無彩色の世界の中にいるようだった。
 
 
 今週最後の授業が終わると、九龍は俺を映画に誘った。
 自由な外出を許可されていない俺たちにとって街の映画館は近くて遠い世界の話だ。俺はいささか緊張したのを落ち着かせようと、アロマパイプを指の腹で撫でながら「まさか、無断で學園外に出ようなんて誘いじゃないだろうな」と尋ねた。九龍から返ってきた「もちろん、アットホーム版ね」という言葉の意味は分からなかったが、どうやら外に出る気はなさそうだということだけは伝わってきて肩の力が抜けた。
 続けて九龍が取り出したのは手書きのラベルが貼ってあるビデオテープだった。何度かなぞられたような跡があるものの、文字は滲んでいてはっきりとしない。
 なんとなくゾッとする。パッケージされていないビデオテープというのは、なぜこうも不安を煽るのか。まァ、呪いの……なんてものを信じてるわけじゃない。そこは安心していい。俺はかぶりを振って脳裏によぎる不穏なイメージを振り払った。この學園の男子寮の歴史も長く、いわゆる思春期の好奇心を満たす類のビデオが受け継がれていたりするものだが、それが今ここに持ち出されているはずもない。
「映研の人が貸してくれた。昔の映画」と九龍がビデオテープをくるりと手の中で回したところで、俺は「そうだ、映画だったな」と自分を馬鹿らしく思って不必要な思考を打ち切った。九龍の言っている映研とは、映画研究会と自称してはいるが正式な集まりじゃない。不認可の同好会だ。
 九龍の交友関係の不明さはさておき、映画だ。わざわざ研究会などと言って集まっている奴らの見ているものといえば、五分で眠たくなるような映画に決まってる。観賞している暇があったら寝ていたい。
 気乗りしない。乗っていない気をパーセンテージで表すとしたら間違いなく百パーセントだ。
「じゃ、風呂あがったら俺の部屋な」
 九龍は片手を上げて颯爽と立ち去った。いつものように教室という教室を巡回してから寮に帰るのだろう。なんか、犬か猫が縄張りを見張っているみたいだ。転校生の九龍の方が来訪者の立場だというのに。
「俺は遠慮する」と、その一言を言いそびれてしまった。九龍の勢いに押し切られて、とうとう映画鑑賞会を開催する運びとなってしまったのだ。それとも、一パーセントの気の迷いが俺の判断を鈍らせたのだろうか。
 
 
 風呂を済ませてから九龍の部屋を訪ねると、既に準備が整っていた。折りたたみ式のミニテーブルの上には袋のポップコーン。それから炭酸飲料のペットボトルが二つ。肘掛け付きのソファまでは用意されていないが、いかにも映画鑑賞って感じだなと思った。
 九龍はベッドを背もたれにして床に座り、俺もその横に腰掛けた。飽きたらベッドを借りて寝ながら見ることにする。
 この鑑賞会を開催するにあたって九龍が自室に持ち込んだのは、ビデオデッキ一体型のテレビだった。どこで手に入れたものだろうか。用務員室にこんなのがあったかもしれないが、さすがにそれを持ってきて見過ごされるはずがないだろう。どこかに備品として眠っていたのを見つけてきたんだろうか。もしかして教室で分かれた後、このテレビを探し回っていたんじゃないか。
 それにしても、古くさい。画面はレンズのようにせり出していて、上の方に『ビデオ』とドットの文字が表示されている。それも、時折しゃっくりみたいにブレていた。デスクの上に置くと角度が良くないからと、九龍は椅子の上に教科書を積み上げて作った低い台の上にテレビを置いていた。
 九龍はペットボトルを一本俺に手渡して、「乾杯」と自分のペットボトルをぶつけた。柔らかくも固くもない奇妙な感触がした。乾杯もクソもないだろ、と言ってみたが、九龍は聞いていないようだ。「上映開始」のふざけたアナウンスと同時に、ビデオテープがデッキに吸い込まれていった。
 
 開始五分で、ということはなかったが、早々に俺の集中力は切れていた。画面を見ているし音も聞いているが、意識の半分くらいは今いる現実のことを考えている。九龍はこれを面白がって見ているのだろうかということだ。
 映画のシーンが切り替わると九龍の横顔がほの白く照らされた。鼻先が一番最初に光を受けて、そこから頬の皮膚の薄いところが赤く浮かんで、徐々に輪郭がぼやけていく。視線がこちらに向いていないと九龍の表情は案外分かりづらい。真剣なようにも、退屈そうにも見える。瞬きが素早いから少なくとも眠たいということはなさそうだ。
 立方体のテレビから聞こえるオーケストラのBGMは、上から布でくるんだようなぼんやりとした音をしていた。画面は不鮮明に外国の建物と人々を映している。
 きらびやかで堅苦しい会合が開かれている宮殿。ドレスとティアラを身につけた女。一転、アパートの一室。煙草を吸う男。
 あくびをかみ殺して、往年の、といった髪型の女優を眺める。身分違いの恋だ。案外、愉快だ。しかし、のめり込んでこれを観て感想を語らおうなんて気分にはならない。
 夢中で、そうしなくてはどうしようもないような、かじりついてでもそれを望むような、そんな感情が俺の中に沸き起こることはないように思えた。楽しいと思うことがあっても、そこまでだ。どこかに堰があって、その存在に俺は安心している。
 それで俺は、九龍を照らす不規則な明滅をぼうっと眺めていた。ベッドの白いシーツが映ると九龍の横顔が照らされて、夜の町並みはまた九龍を暗闇に帰す。
 九龍と二人だけの部屋だが、なんとなく壁の向こうの気配が感じ取れる。休みの前日の寮は夜になってもそこかしこで人の気配がしていた。分かりやすく大騒ぎする馬鹿な奴はそういないが、どこか気の緩んだ空気に満ちている。それを知らしめるものとして、壁の向こうの話し声や足音がかすかに耳に届いていた。
「このシーンいいな」
 遠くの音に意識を傾けていたから、近くで聞こえたその声に普通よりも驚いてしまった。
 今のは九龍の声だ。笑い混じりの声だった。何かをうまくやった友人を褒めるみたいな軽い口調だ。目は相変わらず、不鮮明な画面を見ている。目尻が柔らかく下がっていて、口元から歯が覗いていた。
 いったい何が九龍を感心させたのか。興味を引かれて画面を見ると、男が詭弁をまくし立てているところだった。線の細い字幕がつらつらと流れていく。男は自信満々の顔をしていた。
「お前もけっこう得意だろ。こういうの」
「いや、まだまだだよ」
 九龍は手首をしならせて俺を指さした。横目に俺を窺った表情は妙に余裕たっぷりだ。「寝ないでちゃんと見てたんだな」と言いたげに眉を上げて、それからまた映画に向き直った。俺もそれに倣って前を見る。画面に横線が走って一瞬だけ俳優たちの姿が歪み、またすぐに戻った。昔の家電は叩けば直るなんて言われているが、これもその対象になるんだろうか。
 
 世間ずれしていない王女様。何もかも珍しく輝いて見える。束の間、生まれ変わったように見える。ありふれた未知の世界へ冒険に出ていく。刺激に満ちて、生きている、という感じがする。しかしそれも永遠には続かず、やがて元の世界に戻ることになる。
 なかなかに愉快で、やはり、夢中にはなれない。
 一年毎に中身が入れ替わっていく寮の一室。今は九龍の部屋として在るこの部屋で、ぼんやりと凪いだ時間が過ぎていく。それに関してはけっこう心地が良かった。
 
「これ借りた時さ」
 終盤にさしかかったころ、九龍は視線を画面に向けたまま話し始めた。「上映中のおしゃべりはご遠慮ください」と冗談を言ってやろうかと思ったが、俺も集中して見ているわけでもないし、九龍の誘いで始まったことだから九龍が好きにすればいいと思って、話を聞くことにした。
「面白い噂があるって言ってたんだ。映研の前の前の前のそのまた前の……? 部長だったか、副部長だったか。忘れちゃったけど」
「ちゃんと聞いてやれよ」
 九龍がいかにも真面目ぶって話し出すものだから、こちらも同じように取り合ってしまった。八千穂が学校の七不思議を嬉々として話しているのと同じテンションだと気が付くのが遅れたのは痛恨のミスだ。
「デートでこの映画を見た二人はずっとお互いを思い合い幸せに過ごしました。それから映研じゃ恋愛成就のジンクスみたいになってるんだって」
 九龍はポップコーンを指先にひとつかみして口に放り込んだ。この不可解な告白をした直後にもかかわらず、しばらくは返事を受け付けませんとでも言いたげな態度だ。
「幸せに過ごしました、って……
 なんでそんなもんを俺とお前の二人で見なくちゃならないんだよ、とか、眉唾の噂話なんて馬鹿らしい、とか。言うべきことはいろいろあった。
 九龍はまだポップコーンを咀嚼している。あまり沈黙が続くのも良くない気になった。冗談には冗談の間がある。引き伸ばすほどにものすごく真面目なことのようになってしまうものだ。
「そんなおとぎ話みたいな……お粗末なジンクスがあってたまるかよ」
 最終的に口から出たのはそんな言葉だった。めでたしめでたし、良かったな、で終わることはできない。俺にとっては現在進行形の謎の話だ。
 映画は終わりを迎えようとしている。もう、どんな話だったかなんて飛んでしまった。恋愛成就のジンクスと言われてるくらいだから、きっとハッピーエンドではあるのだろう。
「だよなぁ。俺もそう思う。面白い映画あるかって聞いたらそう言って渡されて、俺もなんとなく、あぁそうなんだって思って受け取ったけど」
 ポップコーンを飲み下した九龍が同意したのを認識すると、俺は急に体が重くなった。心から安心したような、少し落胆したような、腹が立っているような、不可解な感情がわだかまって重しになっている。
 どの感情もたどっていくと全て同じところに集結する。何か特別な意味があったのかと思って焦っただろ、というところだ。
 九龍が、そういう意味で俺を誘ったと言い出すかと思ったのだ。だとしたら理解不能なことが多すぎた。そもそもデートじゃないだろ、とか。こういうおまじないって相手にバラすものなのか、とか。
 なにより、なんで俺なんだよ。お前にまつわる『ずっと幸せに過ごしました』の物語に俺がいるのは違うだろう。少なくとも俺は違うと思う。そう思っていないといけない。
 口が渇いていた。炭酸飲料を少し飲んだが、甘みで余計に渇いた気がする。こんなことをしゃべっている間に映画は終わっていて、画面は暗転していた。もちろん音楽も止まっている。部屋がしんとしていると緊張が上乗せされた気分だ。
「別にわざわざ言わなくてもいいかなと思ってたんだけど……。ほら、甲太郎が知らずに誰かに話したら、巡り巡って変に勘ぐられるかもしれないなって……思い直した」
「賢明だな。俺も今日のことは黙っておくことにする」
 なにもやましくないのに、人に言えない夜ができてしまった。何のせいだ。九龍のせいか、映画のせいか。
……映画、最後の方見なかったね」
「だいたい分かる。ハッピーエンドだろ、多分」
 
 俺は腰を上げて電灯のスイッチを探った。一時間以上も暗い部屋にいたせいで、電気をつけると目がくらんだ。
 九龍がボタンを押すとビデオテープがせり出して、画面は再び『ビデオ』の文字だけを映した。それから十分くらい画面を消し忘れていたが、九龍が気が付いて電源ボタンを押した。
 明るい部屋で余ったポップコーンを消費しながら、俺もたいがいだなと思った。きっと今日のことを思い出すとき、俺はモノクロの画面に照らされる九龍の横顔を鮮明に頭に浮かべるだろうという確信がある。
 それが、他に似ているものを思い浮かべられないくらい、きれいだと思ったからだ。
 
 ◆
 
「じゃあ、これ借りてくな。ありがとう」
 男子生徒は、ビデオテープを持って去ろうとした九龍を引き止めた。前の前の前の、そのまた前の……つまりは『むかしむかし』と同じ意味の言葉から始まる話を付け足すためだった。
 それを最後まで聞いて、九龍は軽く笑った。相手も、その軽さを順当なものとして受け取った。気の良い人間だ。
「葉佩がそういうの信じるタイプかは知らないけど、鰯の頭もって言うし」
「あ、それ知らない言葉かも」
「鰯の頭も信心から。信じていればコレにも価値があるというか、信じる者は救われるみたいな」
「ああ。信心深くはない方かもだけど、覚えておく」
「映画自体も面白いのは確かだから、そこは安心して。それに、初デートは映画が良いなんてことも言われてるしね! 一人で見てもいいけど、誰かと見るのもアリだよ」
 九龍は目を丸くして、それから笑った。恋の噂は多くの人の間で生き生きと飛び交っている。避けようと思っても避けきれないほどに密に。
 それならば一つくらいぶつかってみても良いかもしれないと思ったのだ。これから誘う映画が果たして初デートなのかどうか、解釈は大いに荒れることだろうが。