ジルク
2025-09-13 21:58:28
2480文字
Public 白鳥芸人班
 

絶望の谷、希望の星

CoC「白鳥の歌を謡うとき」ネタバレ
4話セッションの合間に書いた、ギルバートの深層心理と概念の話。
本文中何の説明もないけど、こういう夢を見ました的な……。起きたとき本人何も覚えてないだろうし、4話最終回の展開によってはこの夢を見たことすらなかったことになる可能性は多大にある。

気が付くと、硬い地面で仰向けになって倒れていた。
(落ちてきたのか)
記憶ははっきりしないが、そう認識する。すぐ近くには上が見えないほど高い崖がそびえ立っており、ここは谷底のようだった。
起き上がって辺りを見回す。周囲は暗く、微かな星明かりでわずかに付近が見える程度である。
(また登らないと)
岩壁に近寄ってみるが、上手く伝っていけそうな場所は見当たらない。さっきはどこからどうやって登ったんだっけか。
崖に沿って谷底を歩んでいく。空気は頬が痛くなるほど冷たく、広がる暗闇は不安を煽る。
こんなところに居たくない、居てはいけないという思いが膨らみ、足の進みが早くなる。しかし登れそうなところも見つからなければ、進んだ先に出口がある様子もない。
それでも、と歩を進めていると、ほんの少し開けたところに出た。今まで居たところよりは、星々の明かりがよく見える。
その開けた場所の中央で、一人の青年が膝を抱えて座り込んでいた。こちらに背を向けた彼は、星空の方へ顔を向け、微動だにしない。
……ピーター?」
口をついて出たのは弟分である友人の名前だった。どうしてそう思ったのかわからないが、振り向いた青年は確かに彼だった。
……ギル」
口元にだけ笑みを湛え、昏い瞳で彼はこちらを見る。
「また落っこちてきたの」
「ああ、そうみたいだ」
返した自分の言葉に、妙に納得する。確かに自分は前もここにいた。彼もまた、ここにいたのだ。
あーあ、と溢し、彼は再び空へ視線を向ける。ずっとそうしていたのだろうか。その姿に胸が苦しくなり、思わず声をかける。
「なあピーター、一緒に行こう」
「オレはいいよ」
空を見つめたまま、食い気味に彼は答える。
「でも、ここは暗いし寒い。人が過ごせるような場所じゃないだろ? 上に行けばもっと明るくて暖かい場所があるかもしれない」
「あのさあ、ギル」
彼が溜息を吐いて振り返る。笑っている。笑っているが、どろりと濁ったその瞳に何を映しているのか、判別がつかない。
「星には手が届かないんだよ。見ているだけで十分なんだ、オレは」
……そんなこと言うなよ」
「第一、ギルだって登れなかったんだろ。そんなところをオレが登れると思う?」
「でも、まだ二人で挑戦はしてない。やってみないとわからないだろ」
ピーターに手を差し伸べる。その手を見て、彼はふっと笑った。
「ギル、自分の手ちゃんと見てみろよ」
言われて視線を自身の手に向ける。ピーターに差し出した右手も、意識していなかった左手も、よく見たら切り傷や擦り傷だらけで爪も割れ、血に塗れていた。
「悪い、こんな汚い手で」
「ちげぇよ、バカだな」
彼はポケットからハンカチを出し、俺の手の血を拭っていく。
「ありがとう、でも、ハンカチが」
「バーカ」
困惑しつつ言えば、「バカ」を繰り返された。
……やっぱり俺、お前を置いていけねえよ」
彼の真剣な視線がこちらを射抜く。
「これ、痛くねぇの」
手の傷を見る。汚れは大まかに取れたとは言え、未だ血は滲んでいる。
「あんまり痛くはないな。気にすんな、大丈夫だろ」
努めて明るく返す。彼はわずかに眉を顰めた。
「痛くない訳ないだろ」
呟く声にどきっとする。
指摘されるまで傷があることに気付かなかったのに、認識してしまってから傷はじくじくと痛み始めていた。手だけではない。靴擦れができているのか足も痛ければ、落ちたときの衝撃のせいなのか背中や肩も痛む。
正直、立っているのが精一杯で、もう一歩も歩けそうになかった。それでも、この寒く暗い谷底に居たくなかったし、ピーターを居させたくなかった。
返答に迷っていると、彼が口を開く。
「少しくらい、休憩しても良いんじゃねぇの」
……休憩」
考えたこともなかった。ここは暗くて寒くて辛い場所。だから一刻も早く崖を登らなければいけない。ずっと、そう思っていた。
「そもそもオレは、ギルがどうしてそんなにコレを登ろうと頑張るのかわかんねぇんだけどさ」
ピーターにつられて崖を見上げる。岩壁はどこまでも続いているように見え、先がどうなっているのかは全くわからない。
「ま、でも止めたところで登ることに変わりはないんだろ。だから、休憩だよ休憩。せめて手の出血が止まるくらいまではさ」
傷からは血が滲み続け、指先からぽたりと垂れた。
「ここはこんなだけど、少しくらい「「「ギルなら大丈夫だよ」」」」
声が幾重にも重なって聞こえたような気がして、はっと顔を上げた。
目の前の人物は、ローレンスであり、クリストフであり、最早はっきりとは顔を思い出せない実母であり、そしてやはりピーターだった。
ピーターは続ける。
「ギルは気付いてないんだろうけど、オレにはずっとここに光が見えてるんだぜ?」
触れられた自身の胸元は、自分では普段と何ら変わらない自分の身体があるだけにしか見えない。
……そう、か。そこまで言うなら少し休もうかな」
根拠はわからなかったが、彼の言うことに間違いはないのだろうという直感に従って、地面に腰を下ろした。背を岩壁に預けると、急激に眠気が襲ってきた。
ぼんやりする意識の中で空を見上げる。数えるほどしか見えない星が、弱々しく瞬いていた。
「ずっとここで星を見ていたのか?」
彼が隣に座った気配を感じ、呟くように尋ねる。
「ギルには、星が見えてるのか」
……今、なんて」
「いいや、何でも」
聞き返す言葉は遮られ、そのまま彼は口をつぐんでしまった。
今見えている星がまがい物だということはわかっている。かつて見た月も、太陽も、世界そのものも、すべて偽物だ。それでも、その偽物の星ですら見えていないなら。何も見えない暗闇の中、独りでただ過ごしていたのだとしたら。
手放しそうになる意識を繋ぎとめ、懸命に言葉を紡ぐ。
「ピーター、やっぱり一緒に行こう、俺の目が覚めたら、一緒に」
彼がゆっくりとこちらを向く。
「お前は、独りじゃない」
最後に見えたその顔は、少年の頃の自分自身だったように見えた。