ジルク
2025-09-13 21:17:21
9502文字
Public JA(山羊歌)
 

affectionate evening

CoC「山羊の歌は謡えない」ネタバレ
CoC「一等星の土曜日を見る」リプレイ小説
描写・設定の自己解釈を含みます。自探索者と山羊歌某NPCの関係を整理するために書きました。
2005年頃の話。

――声が聞こえた、ような気がした。

『あなたはどこにも行けなくなってしまった』
『原因はあなたかもしれないし、そうでないかもしれない』
『それを自覚しているかは、置いておいて』

『ここは一人きりの園』
『いつだって、あなたは自分で物語を終えることが出来る』
『あなたは自由。どんな選択肢を選んでもいい』

『その日、世界は破滅するのでしょう』




 ぺらり。
 ページをめくる音に目が覚める。
 目蓋を開ければ、そこはいつもの寝室だ。部屋は薄明るく、未だぼんやりする頭では朝なのか夕方なのか判断が付かない。重い身体をゆっくりと起こす。端に追いやられていた掛布団がベッドからずり落ちる。
 物音で目が覚めたはずなのに、ここには自分しかおらず、妙に静まり返っている。明るくもなく、暗くもなく、ただ静かなよく知る空間に一人置かれている。妙な安堵と不安が胸に広がった。
(アシュトンはどうしてるんだろう)
 寝室の扉を開け、リビングへ向かう。彼はソファで本を読んでいた。
 声を掛けようとして、視界の違和感に気が付く。ぼんやりと視界に霧がかかっているような感覚があるのだ。物を見るのにそれほど支障があるわけではないが、すべてがうっすらと白く霞んでいる。と思えば、その白さはゆらゆらと少しずつ濃度を増していく。煙にしては臭いがなく、水蒸気の類にしては湿度を感じない。
「ねえアシュトン、何か変じゃない?」
 返答はない。こちらに気が付いていないのか、と疑問に思ったときだ。
視界の端に光の塊がぽう、と現れる。見ればそれはふわふわとふくらみ、人間のような形を成した。そして、それは口を開く。
「やあこんにちは、世界が終わるにはいい日だね」
 驚きに声が出ない。目の前のそれが何なのか、何を言われたのか、理解できずにただ凝視してしまう。
光の塊は勝手に続ける。
「何の話かって?  いやいや、とぼけるなよ。キミ自身の話だ」
……俺自身の話? それと世界に何の関係があるの?」
「ん、ああ自覚がないのか、そりゃあ仕方ない。説明してほしいかい?」
 それはあくまでも親切そうにそう述べる。
「よくわからないけど、お願いします……?」
 戸惑いながらもそう答えると、光の塊は楽しそうに笑った……ような気がした。
「構わないよ。キミにはその権利がある」
光の塊は軽やかに近付いてくる。周囲はいつの間にか、すっかり真っ白な霧のようなものに覆われていた。
「さて、キミは自分が何か、おぞましく呪わしい事象に関わったことを覚えているかな?」
……どれのことを言っているのかわからない」
 自分の表情が強ばるのがわかる。関わったことがないとは言えない。むしろ常に関わってきたような人生だ。
 目の前の光の塊は、こちらの言葉を聞いているのか聞いていないのかわからない調子で続ける。
「覚えていないならそれでもいい。キミは世界のトラブルシューティングを行う役目を課された存在だ。その役目は重いものだから、忘却はいい判断だ」
「何かを忘れているような自覚はないんだけど」
 光の塊が微笑んだような気がした。表情が見えるわけではないから不思議な感覚だが、確かにそのように感じた。
「ただ、キミは少し特殊でね。世界に異常をきたし、役目からはじき出されたんだ。今回は特例でこうして私と話しているというわけだね」
 何かを問うても答えてくれそうな気配がないので黙って聞き続ける。どちらにせよそれ以外に出来そうなことはない。
「それで……キミを環の中に戻すために私たちが来たという訳だが、どうする? 絶対に、何をしても生きたくないと、存在することすらおぞましいと言うならここでキミを終わらせてしまってもいい。簡単な事だ」
 思わず息を呑んだ。
生きたくない、なんて思ってない。そう言葉にしようとして声をつまらせてしまう。
生きたい。でもこのところ生きるのが辛い。苦しい。楽になりたい。
(いっそのことアシュトンから離れられたら、楽にはなれるってわかっているんだけど)
 しかし、彼の隣以外に自分の居場所はない。彼以外に自分は在り得ない。だから、彼から離れることは自分にとって死に等しい。
 光の塊は続ける。
「だが少しでも興味があるのなら、あるいは自分の悩みを解決したいと思うのなら。ついてくるといい」
 くるりとこちらに背を向け、それは前へと歩を進める。


 ついていけば、暫くして見たことのない風景が眼前に広がった。
「この街はとある国の一部。滅亡する寸前の世界に、ここは存在する」
 淡々と言い、光の塊は振り返った。
「キミにはいくらかの選択肢がある。好きに動くといいよ。あまり時間はないけれどね。行きたいところがなくなったのなら私についてきてもいい」
 そして、光の塊は建物の一つへと姿を消す。どうやら本屋のようだ。
 一人取り残され、困惑しつつも周囲を見渡す。どこもかしこも半分廃墟のような街で、人の気配はない。行けそうな場所もさほど多くなさそうだ。
(好きに動けって言われてもなあ……
 とりあえず通りを歩いていると、一つの小さな店が目に留まった。シャッターが下がっているが大きなぬいぐるみがつかえて半分ほど開いており、店先にはボールやテディベアが転がっている。
(おもちゃ屋、かな?)
中に入ると、非常に雑多な印象を受ける。乳幼児向けのようなおもちゃから大人向けの難しそうなゲームまで、様々なものが戸棚やガラスケースに収められていた。入口のすぐ近くにレジの置かれたカウンターがあり、その奥に事務所へ繋がっていると思われる扉がある。見渡した限りでは人はいない。
(奥に誰かいたりしないかな)
 そう思いながらも商品の棚に気を取られ店内を見て回っていると、ふと足に何かがぶつかった。見ると、床に一冊の絵本が落ちている。何故か水に濡れており、インクが滲んでしまっている。拾い上げて中を広げてみるも、読めるのはほんの一部だけだ。

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鋼のように無慈悲で、霜のように鋭くて冷たい。
冬の夜、どこかの寂しい山の上で男が凍え死ぬときの月光、それがあいつだ。
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(絵本にしてはなんだか不気味な雰囲気だな……。何の話なんだろう)
 棚に絵本を置けそうな場所が空いていないか見ていると、他の絵本に紛れて何かのファイルが置かれていることに気が付いた。気になって手に取り開いてみる。とある邪神についての記述のようだ。

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ニャルラトホテプは、他の神々に匹敵する力を持っていながら、直接手を下すのではない。
人をそそのかしたり騙したりして、自ら破壊や堕落に落ち込む様に仕向けるのを好む。
出自については不明な点が多く、古くから地球に棲んでいたとも外宇宙から飛来したとも言われる。
予言では地球最後の日に蛇を従者に砂漠から現れ、訪れた地に死と破壊をもたらす。
彼が好んでとる姿に、白人の顔立ちに黒い肌の「ブラックマン」、浅黒い肌で高貴な雰囲気を漂わせる「ブラックファラオ」等がある。
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(神……か)
 神というものは好きではない。世間では信仰すれば救ってくれる存在のように扱われているが、そんなものは幻想だと知ってしまった。自分にとって、神は好き勝手に人間を利用するものであり、家族や大切な人を傷付ける可能性のある存在だ。
 興味を失いファイルを元に戻す。その瞬間、急な眩暈に襲われた。ふらつき、頭痛に立っていられなくなり、思わずしゃがみ込んでしまう。
 暫くすると眩暈は収まり、動けるようになる。なんだったのだろうかと思いつつゆっくり立ち上がると、そこは街の入口だった。持っていたはずの絵本は手元から消えている。
(あれ、……どういうことなんだろう)
 記憶の通りに道を進んでみると、同じ場所におもちゃ屋はあった。しかしシャッターはしっかりと閉められており、開く気配はない。
(扉の方見られなかったな……
 仕方なく他に行けそうなところがないか周囲を見る。少し先にあるビルに、テレビ局の看板が掲げられている。建物は半壊しているが、行ってみれば何か情報は得られるかもしれない。
テレビ局に向かってみると、遠くから見たよりも建物の損壊が激しく、安全に入れるのはエントランスの中くらいで他は瓦礫で埋まっていた。壁に取り付けられたテレビが、途切れ途切れではあるがニュースを流し続けている。

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「社会に不安が渦巻いている。いつこの日々が終わり、元に戻るかわからない」。
米中西部■■■■州。老舗レストランでバーテンダーをしていた男性(46)は、3月中旬に勤め先が休業し、失業保険を申請した。「10代から働いてきたがこんなことは初めて。恐ろしい時代になった」
世界のかつてない恐慌により死者600万人を超えた米国では、急激な雇用減が進む。
歴史的な低水準が続いていた失業率は、戦後最悪だった1982年11月の約11%を上回りそうだ。
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滅亡する世界らしい、不安を煽るニュースだ。
(パンの大神の目論見を止められなかったら、世界はどうなっていたんだろう)
 ふとそう思うも、それを考えても仕方ない。
チャンネルを切り替えてみると、他にドラマ番組と子供向け番組を見ることが出来そうだ。しかし、見てもあまり意味がなさそうだっためそのまま外へ出る。
 通りへ出て建物を振り返ると、たった今出てきたはずの出入り口は瓦礫で塞がっていた。
 道を街の入口の方へ戻って行くと、バス停の横を通りかかる。何とはなしに時刻表を見ると、数字は狂った配列になっており意味を読み取ることは出来ない。停まっているバスのタイヤはひしゃげ、車体が地面に伏せてしまっている。
(滅亡する世界とは言え、これは不自然すぎるよな……
 バスの車内を覗き込む。いくらかの席には荷物が取り残されているようだった。そっと乗り込んで客席を見て行くと、『終末バスツアー』と書かれたパンフレットが見つかった。

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手頃な値段で1日中楽しむことができ、お得な日帰りバスツアー。
終わりゆく花々や静かな観光スポット、温泉、グルメなど、手軽に格安に楽しめるのが魅力です。
※催行が不可能なツアーもございます。また最安値は常に変動しております。予めご了承下さい。
緊急事態による自宅待機命令が、すべての国を対象に発出されています。各種報道機関の発表や自治体のホームページなどで最新情報をご確認のうえ、不要不急の外出はお控えください。
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(終わる世界でさえも、商売する人たちがいるんだ。……意味あるのかな)
また、奥の方の座席の足元に小さなノートが落ちているのを見つける。開いてみると、男性的な筆跡で書かれた日記のようなものだった。

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日記を書く習慣は、私が20年にわたる孤独と二度の世界の終わりを、 正気を保ったまま生き抜くのに役立った。
それは同じような苦境にある人々が、 身につけたほうがいい習慣だと思う。
この日記から勇気と励ましを得て、 たとえどんなに絶望しようとも、強靭さを失わないようにしてほしい。
絶望しきってしまった人は、自分がいまいる庭で、可能なかぎり大きく育つようにすればいい。
そうすれば庭のほうもいっしょに、自分にとって好ましい形に育っていくかもしれない。
もしそうならなくても、時間を無駄にすることにはならないし、いざというときには、 庭を囲う壁に出口をみつけて外に出ることができるだろう。
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……日記)
 かつてのアシュトンの日記を思い出しそうになり、反射的に思考が止まる。思い出したくない、あんな辛い思い出……
 そこまで考えて、ふと思う。アシュトンを連れて帰って来てから、自分は彼の穏やかな笑みが怖かった。むしろ、無表情だったり不機嫌そうだったりするときの方が安心できた。あの日記を読んだときこそ辛かったが、あれがあったから今アシュトンと共にいられているのではないだろうか。
 恐る恐る記憶の蓋を開ける。もう15年ほど昔の話だ。何と書いてあったか、一字一句思い出すのは不可能に近い。
(面倒な問題児で、だけど、『眠れない夜は役に立つ。ただそれだけ』だったかな)
 久し振りに思い出した言葉を反芻する。
……俺、役に立ってたんだ)
 嬉しいような、羨ましいような気持ちに、弱々しく口角が上がる。何故だか泣きたくなった。
(やっぱり、俺は貴方の役に立ちたいよ、アシュトン。必要とされたい、認められたい……。今は、どうなのかな。俺はアシュトンの隣にいても良いのかな)
 溜息を吐いて座席に腰かける。少し疲れてしまった。クッションがつぶれた少し硬いシートに身体を預け、ぼんやりと左手の指輪を見る。彼に貰ったそれを見ていると、嬉しいはずなのにどうしてか胸が苦しくなる。よくわからない感情がこみ上げてきて、気付けば頬に涙が伝っていた。
(わかってる。一緒にいても良いってことも、愛されてるってことも。でも、どうしてこんなに辛いんだろう)
 指輪ごと左手を右手で包む。貰ったときは本当に驚いたし嬉しかった。こんなことをしてもらえるなんて思っていなかったから。でも、同時に酷く不安になった。こんなにも幸福な現実が信じられなくて、怖くなってしまう。
(大切に思ってくれているのはわかるんだけど、その気持ちをどう受け取ればいいんだろう)
 そもそも彼がこれをくれたのは、いつの間にか精神的に限界を迎えていた自分を見兼ねてのことだった。眠れずにいた自分が零した「もっとわかりやすく愛されたい」に、応えてくれたのだ。
(貰っておいてまだ辛いなんて、申し訳ないんだけどな……
 窓の外を眺める。空は雲と霧で覆われている。自分以外に生命の気配がない見知らぬ土地は、ゆっくりと考え事をするのにはちょうどいいのかもしれない。
 暫くそうしていたが、光の塊が「あまり時間はない」と言っていたのを思い出し、席を立った。そろそろ本屋へ行った方が良いだろう。

 道を戻り、光の灯った本屋を訪れる。花の胞子のように光がぷかぷかと浮いていて、こちらを確認した素振りを見せると奥の方へ進んでいく。
 追いかけていくと、切り立った崖のような本棚の群れがある。その中で、布を交互に重ね合わせた東洋の民族衣装を着た一人の男が椅子に座っていた。彼はこちらをゆったりと微笑んで見ては、口を開く。
「ここまでたどり着いたのか。それならあとは、扉を開くだけかな」
「扉?」
「私たち………いや、神様というものは、扉の形をとることがある。未知へ開かれるもの、誰もが手に取ることのできるもの、文明の局地……ドアノブはそのメタファーとも言えるね」
 男は親切そうに笑みを浮かべる。
「知らないなら使い方は教えてあげよう」
 彼に対して嫌悪感は抱かなかった。ヒュプノスが開いた扉のことを思い出し、すっと腑に落ちる感覚だけがあった。
……そもそも、どうして俺はここに連れて来られたんですか」
「ここは君の世界が辿るかもしれなかった世界のひとつだ。信じられないかもしれないけれど」
 彼は穏やかに続ける。
「この世界の君は死んだか、もしくは最初からいなかったらしい。だから異分子である君を呼び寄せることが出来たわけだね」
 理由になっていない、と視線を向けるが、彼は柔らかく笑んだままだ。
「この世界に君を呼んだものは神様だ、元人間のね」
……神様」
彼は頷く。
「彼女も、君と同じようにどこにも行けなくなってしまった人だった。この世界から出られないということだけれど……。同情か、哀れみか、義憤か……好きなように捉えるといい。神様の感情を解釈するのは自由だからね」
 相変わらず神というものは勝手だなと思う。しかし、今回はそのおかげで自分の悩みと向き合い、自身の世界へ帰れるのかもしれないことを考えると、良かったのかなとも感じた。
「この世界にはあとがない。君は何をしても、誰に咎められることもないだろう。君が好きなように生きて、死ねばいい。それがこの場に限っては許されているのだから」
「好きなように生きて、死ぬ。俺の好きなように……
男はゆるりとこちらを見て言う。
「君を望むひとのところに繋がる扉を開こう。君は進んでも、進まなくてもいい。ここに残ってもいいよ。この世界は日を置かず破滅するけれど、世界と心中したいならもってこいの場所だ。あるいは何もせず、自分の世界に帰るのでもいい。君にはそれが許されるからね。死にたいなら死んでもいい……
さてどうする、と男は言って、それから何も無い虚空に手を差し伸べる。
するとジッパーを下ろすように世界に割れ目ができ、その向こうには白亜の城が広がっているのが見えた。
「これが扉だ。この先に君を呼んだものがいる」
……俺、行ってみます。ここに来たことに意味があるとするなら、行ってみた方が良いのかなって。それに」
 小さく付け足す。
「まだ、死にたくはない……彼と生きていたいので」
 男は微笑んで頷き、扉の先を指した。導かれるままに扉を潜り、その向こうに進んでいく。

 白亜の城にはどこまでも続く回廊が、窓から見えるバラ色の空が、薫る田園が、噴水に留まる、虫のような竜のような化け物がある。いくらか歩いていると、突き当たりに扉があった。真っ赤に塗られた扉に手をかけると、それは簡単に開く。
 入った先にいたのは、人間離れした容姿をもつ女性だった。
「こんにちは、よく来てくれました。あなたを待っていましたよ。さあそちらにお座りなさい」
女性は向かい側にあるソファを示す。上質な布が張られたそれは、腰掛けると柔らかく沈んだ。
 彼女はこちらが座ったのを見ると、ペラリ、と手に持っていた本を捲った。
「あなたはどこにも行けなくなってしまったひと。理由は、大切な人との関係が複雑になりすぎてしまったこと。”幸福”も”愛”も、自分がどうしたいかさえも見失ってしまったこと」
 そう、淡々と告げる。
「あなたが望むと望まざるとに関わらず、今あなたはトラブルシューターの環から外れた状態です。私はそれに決着をつけさせるためにここにいます。ここまであなたはいくらかの場所を探索してきたかと思いますが、全ての場所は見られなかったでしょう? それはあなたの行動が制限されているからです。世界そのものの意志として……そうですね、わかりやすく言うなら『運命』でしょうか」
 女性は持っていた本を閉じ、こちらを真っ直ぐに見る。
「その問題を解消する術を私は持っています。原理は説明できませんが……あなたが望むならそれを使いましょう。いかがですか?」
 提示された選択肢に息を呑む。この悩み、苦しみを解決することができるかもしれない。しかし、それはどういうことなのだろうか。
 声が震えそうになるのを抑えながら尋ねる。
「それは……具体的にどうなるんですか?」
 女性はふむ、と顎に指を添える。
「すべてはあなたの望み次第なのですが、そうですね。例えるなら」
 朗読するように、歌うように、彼女は言う。
「言語に問題があるのなら、その言語を1番適した形にしましょう。あなたが神様やそれに連なるものであるのなら、その繋がりを紐解きましょう。あなたが閉じ込められているだとか、物理的な問題なら簡単です。そこから出しましょう。何らかの後遺症なら、治しましょう。世界の方に問題があるのなら……それに干渉することもまた出来るでしょう。代償は私が払いましょう」
 そこで、彼女は一呼吸置く。
「精神性に問題があるのなら……
彼女は手に持っていた本を開き、ページを切り取る。
「ここに、その部分を記録して、差し上げます。そうすれば、失うことなくあなたの手元に置いておくことが出来る。あなた自身も進めるようになるでしょう」
 示したページを本に挟み、彼女は続ける。
「他にも、あなたを生きるために1番適したように変えられます。あなたが望むならば」
……何かをしてもらったとして、何らかの不都合が起こることはないんですか」
 すぐに答えが出せず、質問を返す。女性は特に気分を害するような様子もなく、静かに答える。
「もちろん、ありません。あなたが生きたいよう生きるために、最大限の配慮をします。この世界は私のホームですから、あなたの核に細工を施すことは容易です。それに、時間をねじまげているわけでもありませんから、時間遡行者を追う厄介な犬なんかに見つかることも無いでしょう」
「すべてが、俺の望み通りになる、ということですか」
「あなたがそうしたいのならば。もっとも、あなたがどこにも行けなくなってしまった理由を考えると、自分自身と向き合って考える必要があるのでしょうね」
 でも、ここに来るまでに考えてきたのでしょう?と女性は付け足した。
「俺は、」
 女性が微かに微笑む。
「俺は、このまま自分の世界に帰りたいです。何もしていただかなくて結構です」
 自分で思ったよりも強い口調になってしまう。
「俺の思う都合の良い関係になんて、ならなくて良い。俺はアシュトンの隣にいたいし、彼もそれを望んでくれている。それで良いんです」
 俯き、左手の指輪を、右手でなぞる。
「口に出してくれなくても、普段の態度で示してくれなくても、彼は俺のことを愛してくれている。それがわかっても辛く苦しいのはどうしてか、わからないけど、でも、それで良いんです」
 顔を上げ、女性を真っ直ぐに見返す。
「きっと、辛いのも苦しいのも含めて、これが俺たちの愛で、俺の望んだものなんです。それを変えるなんてしたくない。変えられたくなんかない」
 彼女は静かに微笑んだ。
「そうですか、……それならそれで構いません」
「もしかしたら運命の方があなたに干渉して、存在ごと消しさられるかもしれませんが……それはあなたの知ることの無い事実ですからね」
 彼女が言い終わった瞬間、再び視界が白く霞んでいく。それは、ゆっくりと白い花吹雪に包まれていくかのような感覚で、同時に段々と意識が遠くなっていく。


 気が付けば、自宅のベッドの上で眠っていた。外からは静かな雨音が聞こえている。カーテン越しに柔らかな光が部屋に落ち、うっすらとした明るさが保たれていた。
 身を起こしてベッドを降りる。そっと寝室の扉を開け、リビングに向かった。
 夢で見たのと同じように、アシュトンはソファで本を読んでいた。彼はこちらに気が付くと、静かに口を開く。
「体調はもう大丈夫なのか」
 頷き、隣に座る。互いの左手の指輪を見て、俺は意を決して言葉を紡いだ。
「ねえアシュトン」
……なんだ」
 彼は既に視線を本に戻しているが、気にせずに続ける。
「俺、貴方のことを愛してるよ」
 彼がこちらを見る。数秒、俺と目を合わせた後、彼は言う。
……わかっている」
 それは、とても穏やかで、安心できる声だった。