ジルク
2025-09-13 21:05:40
1597文字
Public 山羊歌信号班
 

パーティー前の話

CoC「山羊の歌は謡えない」ネタバレ
信号班NPCが会話しているだけの話。

コーヒーの香りに満ちた部屋で、文庫本のページを捲る。
素直な文章だ。まだ荒削りな部分も散見されるが、新進気鋭の作家と言うに申し分ない。これほど楽しんで本を読むのはいつぶりだろうか、と思わず笑みが漏れる。
「失礼します。ブラックウッド社長がいらっしゃいました」
控えめなノックの後、扉の向こうから秘書の声がした。
「通しなさい」
手元の文庫本に視線を向けたまま返す。きい、と重い扉を支える金具が音を立てた。
扉の向こうから現れた彼は無遠慮に部屋へ踏み込んでくる。
「人を呼び出しておいて読書か?」
不機嫌そうな声に見上げると、しかめっ面の彼と視線が合う。
「面白そうな新人作家と会ってね。折角だから彼の作品を読んでいたんだよ。君も読むかい?」
栞を挟みアシュトンへ差し出す。彼は表紙を見ると眉間の皺をより深くした。
「この作家と会ったのか?」
「ああ、昨日、一昨日とね。……そういや君のことを知っているような口ぶりだったが?」
真っ直ぐに彼を見やる。サングラスは外していないが、反射的に目を背けられた。彼はこめかみに手を置いたところで、今日は髪を編み込んでまとめていたことを思いだしたのかため息をついて腕を組んだ。
「苛立ったときに髪を触る癖はみっともないといつも言っているだろう? 直しなさい」
窘めると鋭く睨まれる。彼は私の手から本を奪い取り、机の上に放った。
「こんな奴知らないな。僕に近付きたい人間が適当に言っただけじゃないのか」
「ふむ……違ったのか。まあいい。君を呼んだのはね、今日の船上パーティーに新規の客人が来るから覚えておくように伝えたかったからなんだ」
「そんなことか? 船に着いてからでも良かっただろ」
彼は腕を軽く叩くように人差し指を動かし続けている。大人しく話を聞く堪え性くらいは身に付けてほしいものだが。
「その客人というのが、この作家――クレイグ・クロス君と、そのご家族のルート君、アンジェさんだ。知り合いなら事前にどんな子たちなのか聞いておこうと思ってな」
アシュトンの瞳が僅かに揺れる。全く、嘘を吐くなんて悪い子だ。
「君が口を割らないのなら仕方ない。君の狭い交友関係など調べればわかる。それからその非協力的な態度を父上に報告させてもらうまでだ」
「待て」
冷たく言い放てば、彼は焦りの表情を浮かべる。
「そいつらは孤児院の……アダムスハウスのガキどもだ。ただの凡人の癖に……逃げ出した……
「ああ、君が取り逃がしたという」
アシュトンは唇を噛む。
「それであれば、確実に引き込むか消しておくかしないといけないな。どんな情報を持っているかわからない。小さな可能性であっても芽は潰しておかなければ。……聞いているのか」
俯いていた彼がはっと顔を上げる。憎悪、恐怖、焦燥……とても冷静とは言えない状態のようだ。実行はアースラに任せるとしようか。
「詳しい話はアースラと調整する必要がある。少し早いが彼女を迎えがてら打ち合わせをしよう」
「あ、ああ」
携帯電話でアースラに連絡をする。5コール程で彼女は面倒そうに電話を取った。
『なあに? こっちは準備で忙しいのだけど』
「すまないね。例の客人の件だが」
『ああ、聞いてくれたのね。どうだったの?』
「クロだ。今からそちらへ向かう。詳しい話はそこで」
『わかったわ。早くしてよね』
「努力しよう」
電話を切りアシュトンに視線を向ければ、彼は再び何かを考え込むように足元を見つめていた。
「準備ができ次第ACへ向かう。……やるべきことに集中しなさい。ここで彼らを無力化できれば、かつての君の失敗は帳消しだ」
椅子から立ち上がり、彼の肩に手を置いた。小さく頷いたのを確認し、部屋の外へ向かう。
父のミームとして生きるには、まだ彼は人間に近すぎる。だが、父の御心に沿おうとするのであれば、私は彼の兄弟となってやろう。