2025-09-13 19:14:11
3722文字
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公衆電話

告白を断られたとかで、利吉くん自棄気味で大学の飲み会で酔っ払って、終電で終点行っちゃって、スマホの充電も切れてしまってて、公衆電話から、ごめんなさいお兄ちゃんの番号しか覚えてなくて…って酔いのせいもあって泣きそうなりながらお兄ちゃんに電話をする話



 画面には、公衆電話という表示。
 不審に思いつつも、この時間に詐欺もないように思い、電話を受けてみると、少し驚いたような短い声がした。
「あ、っ」
 それはほんの微かな音だったけれど誰だか分かる。何度も何度も聞いた声。聞いていない時も何度も反芻した、私の耳にいちばん残っている音。
「利吉くん?」
「お、にいちゃん……っ」
「うん。どうしたの。公衆電話って出たけどどこからかけてるの? いま」
……ごめんなさい、酔って、終電なのに寝過ごして、それでいま◯◯駅で、その駅のそばの公衆電話、から……
「うん。そうなんだね。教えてくれてありがとう。スマホは? なくしたり、した?」
「いえ、充電が、切れて……
「そっか。ご両親、には」
「ううん。あの、番号覚えてたの、お兄ちゃんの番号、だけ、で……
……そう。じゃあそこ、迎えにいくから、動かないで待ってて。寒いだろうけど、30分もかからないはずだから」
「っ、ごめんなさい、お兄ちゃん。迷惑、かけて、ごめ、」
「いいんだよそんなこと気にしなくて。それより気分は? 悪くない? 大丈夫かな」
「はい。それは、大丈夫、です」
「すぐ迎えいくから。ね。ごめんね、待ってて」
……はい」
 そっと電話を切って、買い置きしてあったカイロを幾つか掴んだ。あとは部屋着のまま上着だけ羽織り、車のキーを手に駐車場へと急ぎ向かう。
 部屋を出た途端吐いた息が真っ白だ。
 彼はこの寒空の下、凍えないだろうか。
 確かあの辺りって、大きな道でも車の通りが少ない。コンビニなんかも、駅のそばになかったような。
 けど、さすがにタクシー会社の番号とかなにかしら案内があるはずだ。その近く看板か何かない? と口に出そうになったのに、けれどわたしはそれを利吉くんに言わなかった。
 彼を迎えに行きたかったからだ。
 わたしが自分で。
 ごめんね。 
 だって、きみがわたしだけと、そんなこと言うから。
 そんなことを言われてやっぱりわたしは、喜びを感じていた。
 はっきりと示された好意を、それをきっぱりと跳ね除けておきながら本当に勝手だ。自覚はあるのに、感情はこんな無様に揺れ動く。

 
 古びた駅舎の前には、一応のロータリーがあってバス停らしきものが見える。すこし離れた場所にある一つの街灯がぼんやりと照らすベンチに人影があった。
 その、人影のすぐ前に車を停める。
 エンジンを切らないまま車を降りて、ボンネットの方から近づく。
「利吉くん、ごめん待たせた」
……っお、」
 すっくと立ち上がった彼は、何か言おうとしたのに、多分私を呼ぼうとしたらしいのに、それを口にする前に子供みたいに顔をくしゃくしゃにして、涙をぼろぼろとこぼした。
「寒かったろ。ごめんね。遅くなって」
「ご、め」
 屈んで、頬の涙に手で触れると、本当に冷たくなっていた。
 慌てて、封を切ってポケットに突っ込んでいたカイロを握らせてから羽織っていた上着を脱ぎ、彼の肩にかけた。
「さ、さむいの、に」
「寒いのは君だろ。さ、車に」
「は、い」
 鼻を啜りながら頷いた利吉くんを、助手席のドアを開いて乗るように促す。黙ってシートに腰を下ろして、すぐにシートベルトに手をかける。その様子を見届けてドアを閉めたあとに運転席へと乗り込んだ。

「じゃあ、行こうか」
「待って、お兄ちゃん」
 ハンドルを握り声をかけると、利吉くんは助手席から身を乗り出すかたちでこちらにしがみついてきた。頬に触る髪がとても冷たい。
「わ」
……きょうは、ほんとにごめん、なさい……
「いいのに」
「いえごめんなさい……お兄ちゃん、ごめん、なさ」
「ううん。ほんと、そんな謝らなくていいってば。君が無事ならそれでいいんだから」
 大丈夫、とこれもまた冷たい背中をそっと撫でて宥める。それでもごめんなさいと繰り返して、わたしの胸で泣きじゃくる姿は、かなり酔っ払ってしまっているからのこととしても、過去の、あの頃の同じ十八のきみよりずっときっと幼いのかもしれない。
 けれどそれでいいと思う
 あの頃のきみは、こんなふうに素直に泣いたり甘えたりできる子どもでは中々、いられなかったろうから。
 思うように甘えることも叶わなかった。多分それを聡いきみはきみに対してゆるしていなかった。わたしからはそう見えていた。
 本当に、生真面目で律儀でかわいいきみ。
 そこはずっと変わらない。今もずっと。
「っ、く。ごめん、なさいお兄ちゃん……お兄ちゃんの、番号だけ、しか本当に覚えてなくて」
「うん。よく、覚えててくれたね」
……子供の頃から、お兄ちゃんの電話は、いつも、すごく嬉しくて、だから覚えて……
「そっか……
 利吉くんが、まだ自分の携帯を持っていない頃は、自宅の電話に掛けさせてもらうこともよくあった。その、ディスプレイに表示されるその番号を彼は、覚えていてくれたのだろう。
 彼の背中に触れる自分の手が、こんなでは物足りないと訴えてくる。そのタイミングで彼が、しがみついてくる手の力がふっと緩む。
 離れないで。
 咄嗟に、強く抱き返すと、利吉くんは驚いたのかびくとその身を震わせた。構わずに腕に力をこめる。
「おに、いちゃ」
「随分と待たせて、ほんとごめんね……
「いえ、来てくれて、ありがとう、ございます……
……
 腕の中で、冷たかった彼の身体がぬくもりを取り戻していく。それだけにとどまらず、熱を感じていた。
「お、にいちゃん。も、だい、じょうぶ……
 だから離してくれとでもいいたげに彼はわたしの腕の中で身動ぐ。とても離せなくて、だめ、と口からこぼれる。
 彼が私を見上げる。
「お兄ちゃん?」
……だめ。まだ大丈夫じゃないでしょう。全然」
「もうだ、いじょうぶですって、ば」
……ちがう。わたし、こそ大丈夫じゃないんだ。きみがかわいくて、大切でたいせつで、しょうがなくて、とっても……だいすきだよ」
 そう言うと、彼は口を半開きにして、文字通りのぽかんとした顔をしてみせた。
 当然だ。
……な、んで。このまえ、あなたわたしのこと」
「だって、あまりにも……こんなにもかわいいきみをわたしが縛るだなんてそんな資格、自分にあると思えなくて」
 違う。こうやって見栄えのいい言葉、きれいごとを並べて、この期に及んでわたしはまだ逃げ道を作ろうとしている。
 どうかすれば、君をどこか私だけの場所に閉じ込めてしまいたいほどの執着を感じている。そんな感情は、自分のうちだけへかたく閉じ込めなければいけない。だからきみが幾ら好意を向けてくれたとして簡単には。
 それに、躱してさえいれば、きみの好意は継続してわたしへと向けられるとそんなことを考えてもいた。
 どこまでもずるくて卑怯だ。
「勝手にわたしの気持ち想像して、勝手にそんな資格作らないでください。そんなの……もしも要るんだとしてもわたしはこんなにもお兄ちゃんがいい。あなたしかああもう。歳が、上なら、そうだったら、よかった」
 きみはこんなにも、真っ直ぐにわたしへ向かってきてくれるのに。
 はらはらと、涙を流したままに切々とわたしへの気持ちを訴えてくる利吉くんが、かわいくて、いとしくてどうしようもなくてわたしは。
「!」
 彼の唇を奪った。
 彼のゆるしもなしにそんな真似に及んだ。
 こうなるってわかっていた。
 だからこそこの子と距離を置きたかった。止まれない。止まらなくなる。たまらないんだ。君が好きで好きでどうしようもない。
 自分を律することのできない私自身の弱さを君のせいにする気はない。そんなのとんだ責任転嫁だ。
 けれどやはりきみのことになると、私は、自身の理性をこんなにも簡単に捩じ伏せることが、できてしまうのだと、あらためて実感した。
 きみがほしいという欲に、そのこころに抗えない。
 触れた重ねた唇が熱い。
 舌で下の唇を撫でると、遠慮がちに開かれた。そこに舌を差し入れる。
 濡れた舌をこちらへと絡ませてくる様子、顔を傾けて口付けを深くしようとするとさまが、利吉くんにとってこれが初めてというふうでもなくて気持ちが無駄に騒めく。
 そんなの分かっていたことだ。このきれいな見た目と、かわいらしい真面目な性格でいて、誰ともだなんて、そんなこと。
 そんな、勝手にも程がある余計なことを考えている間にも、口付けがやめられない。
 彼の舌と、唇から伝ってくる唾液はやたらと甘く感じる。ほんの微かなアルコールの匂いも、彼のものだと思うとそれだけで酔っ払いそうだ。
 頭が、この行為だけでめちゃくちゃに興奮している。離れなければと思うけど離れない。
「は、っ、おにい、ちゃ……ん」
「ごめん、ごめんりきち、く、ん……
 口付けの狭間で彼が私を呼ぶ。そこでようやく唇を剥がした。謝ってなんになるというのか。だとしても口からはかたちばかりの謝罪の言葉を吐くしかなかった。利吉くんは私の胸の辺りでスウェットをぎゅうと掴んでいる。
「もっ、と」