ちゆき
2025-09-11 22:06:45
2021文字
Public ワンドロ
 

一番近くて誰より遠い

2025.9.11 非公式スタバレワンドロ「マル」
どうして家族じゃだめであの子ならよかったの?
セバスチャンとマルのお話

「おはよう、お兄ちゃん」
……マル」
 それは初冬、午後三時を回った頃のこと。研究の合間になにか甘いものでも取ろうとキッチンへ向かうと一人の男がいた。自分とは似ても似つかない、けれど半分だけ血の繋がった異父兄であるセバスチャンだ。寝起きだろうか気怠そうにコーヒーを淹れているその姿に声をかけると珍しくおはようと小さな返事があり、私は若干緊張していた肩の力を抜いた。
「また夜遅くまで仕事してたの?」
「別に、ただ寝過ぎただけだよ」
「そう、ハーヴィー先生も安心してたのよ。お兄ちゃんがエネルギードリンクを買いにこなくなってよかったって」
……あいつが心配するからな」
 そう言いながら湯気の立つコーヒーを啜るこの兄とは幼い頃からいつも喧嘩をしてばかりだった。年頃にもなれば喧嘩ではなく一方的に無視をされるようになり、まともな会話ができたことなどあまりない。しかしここ最近のセバスチャンは少しずついい変化を見せ始めている。
 金を貯めるのだと詰めていた仕事を減らし、母の手伝いをするようにもなった。私の父とはほぼ会話もないものの、声を荒げて揉めることはなくなった。一時は私の勤め先である診療所の医師がカウンセリングの資料に目を通していたほどだったが、それも不要なものと化した。すべては彼女の存在によって。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「あの子と私、なにが違ったの?」
 あいつ、あの子。それは昨年牧場にやってきた女の子。今や町の人気者である牧場の主人はほかの誰でもなくなぜだか人を寄せつけない変わり者とさえ呼ばれる兄を選んだ。二人が交際を始めたときには町中がざわついたものだが彼女はそんな声をものともせず、この冬が明けた頃にとうとうこの地下室から兄を連れ出して行くらしい。私達家族がどうやっても開くことのできなかったあの固く寂しい扉を開けて。
 椅子に座ることはないが以前のように無視をすることもなく話をする姿勢を見せてくれたセバスチャンに、せっかくだからとずっと気になっていたことを訊ねてみた。しかしその質問が悪かったようで彼は途端に顔を顰めて溜息を吐く。
「気持ち悪いことを言うなよ、お前をそういう目で見たことなんか一度もないね」
「え?! 違うわよ、そうじゃなくて! ただ、あの子が来てからお兄ちゃんは変わったから……
 どうして私達家族ではだめだったのか。コーヒーに口をつけながらじっとこちらを見遣る。しかしどんなに睨まれようとうまく言葉を選べそうにない。少しずつ話せるようになったとはいえ、私達は町にいる兄弟や姉妹のように心を通わせるまでには至っていないのだ。視線を逸らし俯いた私とセバスチャンの間に気まずい沈黙が流れたが、突然それを掻き消すかのように家の玄関先から一際大きな母の声がした。
「セバスチャン、来たわよ」
「部屋に通して、すぐに行く」
 来客を告げるたったそれだけの会話だが、この気難しい兄がなんの躊躇もなく部屋に通しても構わないということは十中八九恋人だろう。その証拠にもうセバスチャンは気もそぞろとなり一気にコーヒーを煽る。どうやら変な誤解をさせたまま私達の会話は終わりそうだ。きっと彼女の帰ったあとなら機嫌もいいはずだからそのときにでも謝ろう。そう小さく息を吐きデザートの眠る棚へ向かう途中、セバスチャンがぽつりと私の名を呼んだ。
「え?」
……お前、俺の作った雪だるまのこと知ってるか?」
「雪だるま? ごめんなさい、なんのことか……
「だろ? だからだよ」
 セバスチャンは飲み干したばかりのマグカップをシンクに置く。無機質なその音。無視をされることも苛立ち紛れに酷い言葉を投げかけられることもなくなった。けれどその心はずっとずっと閉ざされたままなのだ。
 切り立った崖を向こうに置いた窓から本日最後の日の光が差し込む。それを背にセバスチャンは笑った。どこかもの悲しく、そしてまるでお前は愚かだと嘲るかのように。
「あいつは俺に居場所をくれた、お前は俺から居場所を奪った──それだけさ」
 その言葉だけを残し、セバスチャンはキッチンをあとにした。誤解もなにもない、彼は正しく私の質問を理解していた。けれど馬鹿みたいな誤解で笑い合える兄妹であればどんなによかっただろう。その場に取り残された私の元へ兄と入れ違いに母親がやってきた。
「あら、マルもいたのね」
……ママ。ちょっとだけぎゅってしてくれる?」
「もう、また喧嘩でもしたの? 最近仲良くしてると思ったのに」
 私は久しぶりに幼い子どもの頃のように母の胸に甘えた。母からはいつもの木の香りがする。小さな頃から慣れ親しんだその匂い。それを胸いっぱいに吸い込んで私は目を閉じた。こんな風に母に抱かれ、その腕の中から手を伸ばすことも声をかけることもできずに見つめ続けてきた兄の背中を思い出しながら。
……ううん。私がまた間違えたのよ、きっと」