namaeggg
2025-09-09 22:56:40
1794文字
Public リバース:1999
 

白煙

グレタとセンメル。未成年の喫煙シーンがあります。

 あなたが碌な大人じゃないと思ったことはないのよ。

 形骸化した会議の後、次の外勤先に関する資料を集めて執務室に戻ると、染み付いた重いタールの臭いとは異なる紫煙がうっすらと室内を漂っていることに気づいた。数時間席を立っていたから当然自分のものではない。グレタ・ホフマンが眉根を小さく顰めるのと同時に、ソファに腰掛けていた少女が振り返った。ポニーテールを揺らして、少女はうっすらと微笑んでみせる。その手元には細い煙を吐き続ける煙草。
「ずいぶん遅かったのね、グレタ」
 別に、待ち合わせをしていたわけではない。だが、まだ執務室を与えられていない彼女がこうしてグレタの元を訪れるのも一度や二度ではなかったから、グレタは呆れて閉口しているだけだ。
 確かに、執務室の合鍵を渡したのは自分だけれど。それは彼女がまだ研修時代に自分の直属の部下だったからであって、同僚となった今、サボり部屋にしていいという意味で預けたわけではない。
 グレタの困惑を理解している上で、センメルワイスは我が物顔で執務室を占有している。しかし、問題はそこではない。
「センメルワイス。あなたはまだ喫煙していい歳ではないはずよ」
 こめかみを揉みながら、グレタは努めて平静に注意をする。
 センメルワイスはもう一度、煙草をこれ見よがしに口許へと運んだ。じりと一瞬赤が灯って、口から煙がぷかりと漏れる。吸い方など、まるで形になってない。真似事であることは自明ではあるが。責任ある大人としては看過できない。だから今度は語気を強めた。
「センメルワイス。」
 怖い顔を作ってみせると、少女は小さく肩を竦めて、備え付けの灰皿にぐりぐりとそれを押しつけた。
「グレタだって吸ってるのに」
 大人びた彼女にしては、ずいぶん子供じみた言い訳だった。
 執務室の天井が黄色く変色するくらいには、ヘビースモーカーであることは認めざるを得ない。かつては嗜む程度だった量も、度重なる逆行と打開策が見つからないことに対する焦りに比例するかのように本数は年々増え続けていた。
「未成年の体には良くないわ」
 ふぅん、とセンメルワイスは値踏みするようにグレタを一瞥する。早くから大人の世界に溶け込んだ少女は時々、そういう目をする。大人を試そうとする眼差しだ。それは孤児がよくみせる仕草であることも、財団職員であるグレタは熟知していた。普段は優等生然としている彼女は、どうしてかグレタの前だけは分厚い表皮にひた隠した一面をほんの僅かにみせることがあった。研修時代に最も近くで見守ってきたからだろうか、彼女なりに気を許している証左なのか。
 その正解はもはや、グレタには知る由もなかったが。
 だけど、グレタ。不思議だと思うのよ。
「隣国のオーストリアでは十六歳から喫煙できるみたいなのに、住む地域によって未成年の区別が違うのよ。身体の成長は地域によってそう違いがあるわけではないのにね。二重帝国時代が続いてたら合法だったのかもしれないわ。ねぇ、財団はどの法を遵守するのかしら?」
……屁理屈を捏ねるのはやめなさい。財団では十八歳からだって、あなたはとっくに理解しているでしょう」
 もちろんよ。と即答して、彼女はおもむろに立ち上がった。
「あなたが普段どんなものを嗜んでいるのか知りたかっただけ。単なる知的好奇心よ。もう吸わないわ」
 そう言って、出口へと向かう。ドアの前で佇立したままのグレタにすれ違いざま、センメルワイスはひとつ囁いた。
「でもね、グレタ。わたしはあなたの健康だって気にしているのよ」
 ほんの少し背伸びをした若い同僚はひらひらと手を振って、さっさと退出してしまった。
 執務室に一人取り残されたグレタは重たい溜息を零した。進展のない会議に別の気がかりがのし掛かって、なんだかどっと疲れが出てしまった。草臥れたチェアに背中を預けると、キィと小さく悲鳴が上がる。よく磨かれて深い艶を放つマホガニーのデスクの引き出しを開け、グレタは慣れた手つきでそれを探り当てる。無意識の所作で一本、口で引き出し、銀のジッポライターのホイールに指をかける。だが、火を点ける前にそれを机に放り出した。
 黄ばんだ天井をぼんやりと仰いで。
 せめて、吸う量は半分にしようかしら。と、グレタは煙のように不確かにそんなことを思った。



 end.