deutzialaughing
2025-09-09 22:56:10
3853文字
Public 大穢
 

見つけて、フェルマータ

青海先生誕生祭記念に書きました。青海先生と隠れん坊をする大崎さんの話です。季節が正反対。CP感少なめですが大青です。ご笑納ください。

【諸注意】
・前編(青海ルート)までのネタバレがあります。後編のネタバレは含まれません。
・名前のみのモブ生徒/児童が出てきます

昭和32年3月16日。
大島への3度目の来島日、時刻は午前6時。
夜行の大型客船に揺られ、自分は大島の北端、岡田港に降り立った。

事の発端は昨年の11月下旬。大島への2度目の来島の際、楓さんからこんな話を聞いた。
『今年の2月から3月にかけ。椿の開花を祝う祭りが催されました』
椿まつりと言うらしい。椿と言えば大島を象徴する花だ。
春を祝い、花を愛でる祭りは日本各地で催されている。大島では椿が一番相応しかったんだろう。
『初めての試みでしたが。来年も開催されるでしょう。盛況でしたから。来年は大崎さんも是非』
自分はまだ大島の春を知らなかった。春を生きる楓さんも。その姿を見せてもらえる、そう暗に示されたことが嬉しくてたまらなかった。


岡田港から泉津方面のバスに乗る。今日は土曜日で、楓さんは午前中に授業があるため、好きに回っていて構わないとのことだった。
泉津には初めて向かう。なんでも、今年に入って100品種ほどの椿を植栽した植物園があるらしい。椿まつりの目玉の一つになっているそうだ。
来島して早々に来てしまったため、開園まで時間があった。どう暇を潰そうかと思案していると、日中の好天にも関わらずバスの中が陰った。気になってバスをすぐに降り、徒歩で引き返すと、どうやら正体は椿で出来た天然のトンネルだったらしい。樹齢200年はあろうかという椿の木々が道路の両側から覆い被さっていた。
椿トンネルを起点に、道路沿いを歩きながら、泉津の景色をスケッチブックに描いていく。そうして植物園に到着する頃には開館時間を迎え、それからは人の波を縫って椿の様々な色を紙に写し取った。スケッチブックが大島の自然で埋まっていく。

昼になった。
新品のスケッチブックが半分ほど埋まったところで、泉津から元町に移動する。元町は大島で最も栄えている地区で、露店が多く立ち並び賑わいを見せていた。時間帯も相俟って人集りが出来ている。
楓さんの姿はまだ無い。きっと片付けを進めている頃だろう。

午後1時を回った。
出店を粗方周り終え、小腹を満たしながら楓さんを待つ。
元町の海を描いていると、楓さんのご近所に住まう方が通りかかる。自分の顔も覚えてくれていたらしく、道すがら声をかけてくれた。
こうして大島の人々と和やかに交流できるのは、楓さんの人徳によるものだと思う。

午後2時を過ぎた。
昼食を終えたのだろう、バスを降りた子供の姿がちらほらと増え始める。
3月の昼間の外気に晒されて、いちご飴の表面が溶け始めてきた。慌てて最後の一つを食べる。

——楓さんが来ない。

場所を間違えたのかもしれない、と手帖を捲ってようやく気がついた。
……待ち合わせ場所を指定し損ねている。元町で落ち合う話しかしていない。
大島から本土に帰る際は必ず元町港に向かう。自分の目には、元町港から控えめに手を振る楓さんの姿が焼き付いていた。だから、楓さんが元町港に来てくれると思い込んでしまったんだ。

様々な不安が脳裏を過ぎる中、ふと、父の顔を思い出した。
自分の父は、たとえ自分がどこにいても必ず見つけてくれる人だ。どれだけ時間がかかろうとも、必ず。
自分も同じように彼を見つけ出さなければ——


午後5時、楓さんを探し始めて3時間が経過した。元町を離れ、波浮港行きのバスに乗る。
この時間は決して無駄ではなかった、まつりに偶然居合わせた生徒から話を聞けたからだ。
楓さんは出勤していたこと。昼食は学校で済ませていたこと。
午後の予定を聞いたとき、人に会う約束をしていると言っていたこと。
椿まつりに向かう話はしていなかったこと。

乗車からおよそ30分、バスの車窓から波浮の景色が見えてくる。
……昨年末の火災の跡が依然として残っていた。本土から離れた島で、しかもその南端にある小さな港町とくれば、3ヶ月弱で元通りというわけにはいかないのだろう。心なしか掌がじくりと熱を持った。
バスを降りて真っ先に楓さんの自宅へと向かう。しかし、いや、やはりと言うべきか、楓さんは不在だった。戻ってくれていれば安心したのだが……ひとつ当てが外れてしまった。
踵を返し、彼の自宅に程近い港に出る。

『こちらの港には、客船は停泊しないんですか』
初めての来島時に、楓さんに尋ねたことがある。
記載されていた住所に“港”と付いており、番地は1だったので、大島に向かえばすぐに到着できると思っていたが……本土からの客船が停泊するのは、大島の西側にある元町港、その補助として使われている北側の岡田港だけらしい。
『かつては観光目的で波浮に停まることもあったそうです。しかし離島振興法の発布により元町港と岡田港の整備が進められ。大型船舶の入港可能な港がこの2港のみになって以降。波浮から人を迎え入れることは無くなりました。現在は漁船の停泊港としてのみ用いられています』
『何だか寂しいですね、』
『同じです。人も。物も。大切に運ばれてくるのは。それを迎え入れる港の役割も』
そう語りながら、楓さんは目を細めて海原を見つめていた。

——今日はまだ、楓さんに迎え入れてもらっていない。
近くにいるはずなのにどこにも見当たらず、ずっと追いかけてばかりだった。
せめてその視線の先にあなたがいてくれたら——
そう思って、港の対岸を見遣った。

あんなに遠い景色が、ピントを絞ったカメラのように鮮明に映る。
まずは見晴台が目に入った。波浮一帯を眺望できる高台だ。初めての来島時に楓さんと訪れ、波浮の景色を描き留めたのは記憶に新しい。
視線を南下させると、鳥居が見える。波布比咩命神社と言い、都道に隣接する参道の他に、港に面するように鳥居が設けられている。海から続くこちらが正式な参道なのだそうだ。

その鳥居の下——いや、正確には奥だ。そこに、くるくると傘を回す人影が見えた。


「楓さん!」
心臓が跳ねるのを厭わずに港を駆け抜ける。あれほど焦がれた人が目の前にいる。
鳥居を潜り境内に入ると、人影はこちらを向いていた。木々と傘の陰から、紺の着流しと首の赤い傷が覗く。
……大崎さん」
「お待たせしてすみません、」
頭を下げる。日はすっかり傾いて、空は薄暮の色になっていた。待たせるどころの騒ぎではない。
「待ち合わせ場所を決めていなかったことに気づいてから、すぐにあなたを探しました。ただ、今日は随分と賑わっていて——
「大崎さん。謝るべきはこちらの方です」
楓さんに弁明を遮られ、顔を上げる。
楓さんは目を伏せ、自分に向き直り、
「申し訳ありませんでした。こちらからお誘いし。元町港でとお約束したにも拘らず。あなたを迎えにも上がらず。このような戯れを……
……そうして深々と頭を下げられてしまった。

「大崎さん。なぜあなたはここを見つけられたのですか」
「元町であなたを探す途中、二人の少年に会ったんです。辰巳海平君と、弟の草介君です」
……あの子たちに会ったんですね」
少年らとは——正確には、海平君とは顔見知りだった。11月の来島時に、楓さんと共に部活動で使う用具の荷運びをしているところを見かけていたからだ。
彼は楓さんの教え子で、弓道部の主力選手だそうだ。海平君は自分の顔を覚えてくれていたようで、楓さんを探す自分に声をかけてくれた。
弟の草介君は年端のいかない少年らしく天真爛漫で、初対面の自分にもすぐに懐いてくれた。
「特に、草介君が良いヒントをくれました。青海先生が隠れん坊をしたがっている、と」
楓さんの“隠れ場所”を波浮に絞り込めたのは僥倖だった。
自分は大島に土地勘がない、過去2回の来島で重点的に見て回ったのは港町である岡田と元町、そして楓さんが暮らす波浮だけだった。
そして今回の待ち合わせ場所は、夜行船の船着場である岡田港ではなく、元町港。
楓さんなら自分の知らない地区に隠れることも、待ち合わせ場所から引き返させて徒労を味わせることもしないと思ったんだ。

「楓さんは、ここがお好きなんですか」
……潮騒がよく聞こえます」
二人で、日暮れの近づく波浮の海を見る。
傘を閉じた楓さんが、いつかのように目を細める。
「特別な音ではありません。この島において。海の音は」
「はい、」
「ですがここだけは。他より心地よく聞こえるんです」
風が吹いた。
木々の騒めきと潮の音が静かに、密やかに調和する。
自分には楓さんの聞こえる世界を知る術がない。それでも、その心地よさの一端を、今の音で感じ取れた。
「貴方に見つけて欲しかったのかもしれません。……この場所を」
そう呟いて、楓さんは眼鏡を押し上げた。
……確かに、これは楓さんの戯れだったかもしれない。けれど、果たして見つけて欲しかったのはこの場所なのだろうか。
……好い場所ですね」
「はい」
「楓さんが好む理由がよく分かります。……だから、」
日暮は思ったより早く、楓さんの横顔は、すでに宵闇に沈んで曖昧になっていた。
少しでも存在を確かめたくて、着流しの袖に手を伸ばす。
……あなたが見つかって良かった、」
瞬間、指先同士が触れて、視線が絡んだ。
楓さんはふっ、と口許に笑みを浮かべ、
「見つかってしまいました」
自分の手を取ってくれた——



参考文献
高田 泰光(1996). 伊豆大島における近代交通網の発達 学芸地理, 50, 61-78.