毎日、誰かの誕生日だろうけれど毎日誕生日おめでとうと言う人はいないと思う。いるかもしれないが、菊司はこれまで見たことも聞いたこともない。いるとしたら、こころの中でこっそり思っている恥ずかしがり屋なのかもしれない。
9月9日はそれでも菊司にとって大切な日――もちろん自分の誕生日よりは――で、彼の誕生日を祝おうと就業後、天照のロビーで待ち合わせをした。
外は風もなくまだ暑そうだ。けれども日は間違いなく短くなっている。6時半近くにもなれば、電灯もあちこちで瞬いていた。
薄手の半袖でまだじゅうぶん過ごせる気候だ。
けれど菊司が大学生だったころ、東北の9月はじめというのは、朝夕はやたらと寒々しかった。半袖で、ぎりぎり過ごせるような温度。思わず、腕をさする。寒さにはいまだ慣れない。
たくさんの人が行き交うロビーで、目についたのは橙色の短い髪だった。
「おーい」
手を振ってみせると、彼はこちらに気付いて顔をあげた。そして、器用にすいすいと人を避けて歩いてくる。
「お疲れさま。定之くん」
「うん」
菊司サンも、というちいさな声を聞き、笑ってみせた。
「で、本題なんだけど」
ジーンズのポケットに突っ込んだスマートフォンを見て、時間を確認する。予約はしてあるので、いきなり閉まっていることはないはずだ。
「行こっか」
「どこへ?」
ロビーを出て、まっすぐ向かいながら問われる。
「枕屋さん」
「まくらやさん? あ」
「そうそう」
ふふふと笑う。
誕生日プレゼントはなにがいいかとリクエストを聞いたとき「まくら」と答えてくれたのをおぼえている。
枕といっても好みはそれぞれあるから、いっそのことオーダーメイドでお願いすることにした。
中身はそばがらや羽毛、ポリエステル、色々あるのだし定之の「好きなもの」「心地のよいもの」を作ってもらえれば御の字だ。
枕の専門店は意外と多くあり、えらぶのには少々手間取った。後輩や先輩に「枕、なに使ってる?」などリサーチをしてみたものの、オーダーメイドというひとはいなかった。
結局、ネットの口コミを見て選んだわけだけれど。
店内は薄明るい。
ぼんやりと、あたたかい暖色系のライトでてらされていた。
ラフな制服を着た店員に名前を告げると、奥に通された。机と椅子がていねいに置かれている。
まずはやはり枕の中の素材から選ぶようだった。
パイプからそばがら、ビーズ、羽毛、ポリエステルの綿にウレタン。さまざまある。
ちいさなクッションのようなものを差し出され、触れてみた。なるほど、素材によって大きく差がある。
定之が着々と選んでゆくさまを、菊司は見守った。
枕はあんがい早く――一時間ほどでできあがった。
それを見せてもらうと適度にふかふかとしていて、快眠できそうだ。オーダーメイドの枕とはこういうものかと思いいたる。
「菊司サンもほしくなった?」
「うん。ちょっとね」
自分の枕は素材など考えず、適当に手に取って適当に扱って、適当に年月を重ねてしまっている。といえば聞こえはいいが、へたっているのだ。とっくの昔から。彼も知ってはいるだろうけれど。
枕が入った大きな紙袋を両腕で抱えている定之を見下ろして、眉根が下がる。
「ありがとう。菊司サン」
「どーいたしまして。よく眠れるといいね」
誕生日プレゼント、前はサボテンだったから〝彼にとって良いもの〟を送りたかったのだ。だから、たずねた。何が良いかと。
「そういえば去年のサボテン、元気?」
――植物に元気、はおかしいだろうかと思ったが、意外にも不思議そうな表情もせず、彼はこくんと頷いた。
「元気」
「そりゃよかった。きみの部屋、なんだか少しずつ明るくなってるみたいで俺も嬉しい」
へんに静まりかえった、すこしさみしい部屋だったから。そう言おうと思ったけれど、やめた。これは菊司の主観でしかないから。
「……どっか、行こうか」
「どっか?」
「うん。どこか行きたいところある? 定之くんの誕生日だし、おいしいものでも食べて帰ろう」
どこがいい?と聞いてみる。
いつもあちこち連れ出してしまっているから、たまにはと思ったのだが、彼はじっと考えている。
和菓子屋かもしれないと思ったけれど時間も時間であるから、もう閉まっているかもしれない。
「じゃあ……あそこ」
指をさした方角を見れば、くだけた感じのフランス料理店があり、看板にouvrir、と書かれていた。英語ならopenだ。まあ、十中八九、開いているのだろう。
「フランス料理? 定之くん好きだったの」
「ふつう……。でもあそこのピスタチオのアイス、おいしい」
「ピスタチオ? 小洒落てんねぇ」
道路を挟んで向こう側。枕が入った袋をかかえて横断歩道を渡る。その光景がいつもの姿とはかけ離れていてなんとなく、可愛い、と思った。
店自体はこぢんまりしているが、テラス席も設けられていた。
メニュー表を渡した男は、気取ったようなかっこうで、にこりとほほえんで去っていく。顔だちからして、ヨーロッパあたりのひとだろう。
「炭酸水もあるね」
「ペリエ……?」
「そうそう、それ。シャテルドンにヴィシーセレスタンにエビアン。俺はねぇ、やっぱエビアンかなぁ。伊藤園が輸入してるやつ」
「エビアン、知ってる」
有名な赤いフォントのやつだ。「……ミネラルウォーター?」と彼はふいに呟いたが、せっかくなのでパリの気分を味わうとしよう。なんだかとても、誕生日会という感じだ。
「エビアンふたつと、あとなににしようか。ピスタチオのアイス……は、頼むとして」
「ベーコンとチーズの、キッシュ」
「いいねぇ。キッシュ・ロレーヌ! 前菜にグリーンサラダ、めかじきのバスク風煮込みなんてある。美味そうだね」
「うん」
こくんと再度うなずいた彼は、メニュー表から視線を動かした。
「アッシ・パルマンティエ……? なんだそれ」
彼の視線に気付いて、そちらを見る。ヨーロッパのひとらしいシェフが、こまごまとした動きをしていた。店内はそれほど客はいないが、シェフはひとりきりのようだ。
メニューを持ってきた店員はやはりきどったようすで、客に気を配っていた。
「とりあえず、これにしとこうか。すみませーん」
彼の濃い青色の瞳がこちらを素早くとらえる。
メニューの文字を指差しながら注文した。なめらかなフランス語でシェフになにかを告げると、ウィ、という声が聞こえてくる。店員はてきぱきとした動きでエビアンとコップを持ってこちらに置いた。
「どうも」
彼は愛想良くにっこりと笑い、背中を向ける。フランス人は自国にものすごくプライドを持っていて嫌なヤツが多いという認識だったが、彼はそうでもないらしい。ニッポンの漫画だってフランスでは有名で、経済においても重宝されているのだ。ニッポンもフランス料理を経済的に重宝していてもおかしくはない、と店内を見て思う。
「じゃ、定之くん。改めてお誕生日おめでとう」
水だけど、と続けてコップをこつんと当てる。ほんのすこしの衝撃で泡がかすかにたった。
「……ありがとう」
コップをかたむけてぐっと飲み干す。意外と喉が渇いていたらしい。
「あと、はい。これ」
テーブルの上にちいさな小箱を置く。
「?」
「ちょっとしたプレゼント」
視線で開けていい、と尋ねられた気がしたので、「どうぞ」と促す。
「……組紐?」
「そう。組紐。俺が組んだやつ。ストラップにもできるし、手首にも、足首にも」
燻し銀の金具を指先で動かすと、調節ができる。そう説明をしていると、まるで仕事中のように感じて、ふと口を閉じた。
「ありがとう、菊司サン」
「うん」
言葉はそんなにいらなかったのかもしれない。
告げなくてもいいこと、告げたほうがいいこと、告げなければいけないこと、告げてはいけないこと。そんな沢山のことを選び取って言葉にすることは難しい。
でも彼とはできるだけ、ことばを交わしたいのだ。刀遣いだから、余計に。
「グリーンサラダ、デス」
にゅっと伸びてきた腕に驚きつつも、つやつやとした白い皿を二枚、トングとともに置かれた。
「お誕生日、ですか?」
彼はたどたどしい日本語で首を傾げている。定之がうなずくと、店員は「メルヴェイユ!」といった。唐突すぎて意味が分からなかったが、おそらく「素晴らしい」や「すごい」といった意味だろう。
次にキッシュ、めかじきのバスク風煮込みが運ばれ、最後にピスタチオのアイスがきた。
「ピスタチオのアイス、はじめて食べたよ。おいしいね、これ」
「うん。ちょっと、きなこみたいな味……」
「ジョワイユー、アニヴェルセール!」
「うお」
スプーンでちまちま食べていたところを、またも腕がにゅっと出てくる。彼は一枚の皿の上にマドレーヌがふたつ載っている。
「お誕生日、おめでとう、ございます」
にこにことした顔で定之と菊司を交互に見ている。
「あ、おまけ? ありがとうございます、どうも」
メルシ、メルシとでも言おうと思ったが、発音に自信が無いのでやめておいた。フランス人は自国の言葉にもつよいプライドをもっているので、他の国の人間がフランス語を使おうものならとても厳しいと聞く。――あきらかに、偏見だけれど。
「よかったねえ定之くん。おまけだって」
「うん。……オレンジのにおい」
オレンジピールが入っている。アイスを食べ終わった彼は、マドレーヌをひとつまみして、口に入れた。
「おいしい」
彼の、そっとした笑顔が好きだと思った。
大輪の花が咲くような、そんな笑顔ではないけれど菊司はその笑顔がとても好きだ。
「?」
「フフ。なんでもない。おいしいものを食べると、嬉しいから」
「うん」
「俺も嬉しい」
きみが生まれてきてくれて、嬉しい。
そのことばは、もう少し夜が深まったときに言おうと思う。
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