ゼミ生の質問に回答して、一息吐いたところだった。最近気に入っているデカフェのコーヒーを淹れて、ミルクは入れるとして砂糖はどうするかと考えた辺りでプライベート用の通話リクエストが飛び込んでくる。
この回線に連絡を入れられる人物はそう多くはなく、実家からかと当たりをつけて液晶を覗くと着信主欄にはお菓子達と表示がある。そういえばアベンチュリンに三匹融通するに当たって、彼らに連絡手段を渡していたのだった。
高級官僚の肩書きを持つアベンチュリンの社宅に問題があるとは思えなかったが、それでもステーションとはがらりと環境が変わってしまう。あの小さな体にストレスがかかれば不調を抱える事になってもおかしくないと、何かあれば連絡を入れるように指示したのはレイシオ自身である。本格的な治療をするならステーションに連れて行くのが一番だが、今回の転居に関わった人間としてしばらくの間は取り次ぎの責任を果たすべきだろう。
「どうした?」
カメラの機能付きのそれに応答すると、お菓子が一匹だけ映っている。背景を見る限り、リビングらしき部屋にいるらしい。
「ねえねえ、出口戦略ってなに?」
「は?」
「えっと、仙舟における前々期開始事業の長期的出口戦」
お菓子特有の可愛らしい声で紡がれた堅苦しい言葉に総毛立ちながら、レイシオは力いっぱい終話ボタンを押した。液晶画面なので圧力の違いによって結果が変わるはずもないのは承知の上で、心境上そうせざるを得なかったのだ。
通信が切れたのを回線の不調だと思ったのかお菓子は再び通話を試みようとしているが、レイシオはあれの話をこれ以上一音も聞きたくない。あの発言が全てでそれ以上はないのかもしれないものの、この瞬間において態度を明確にするのは重要である。
仙舟における前々期開始事業。これはレイシオも思い当たるものがある。スターピースカンパニーに関心があるビジネスパーソンであれば、押さえていて当然のレベルの情報だった。けれど、そこから撤退する予定があるなど完全に寝耳に水である。
高優先度のフラグを立てて、レイシオはアベンチュリンに通話をかける。それでも彼がすぐ反応する様子はなく、レイシオは机の表面を指先でとつとつと突いた。
「レイシオ? ごめん、今打ち合わせ中で――」
「その内容が漏れているからかけているんだ!」
自動的に呼び出しが打ち切られる直前に困ったようなアベンチュリンの声がする。それだ、以外に感想がない。
「えっ⁉ どこか……あ、そういうこと⁉」
にゃー! とスピーカー越しにお菓子が大きな声を出しているのが聞こえて、アベンチュリンもピンと来たらしい。彼の身分であれば家からWEB会議に出席するのは珍しくもないだろうし、それを前提に家は完全防音になっているはずだ。けれどそれは家と家の間と共用部に面する壁にしか施されておらず、アベンチュリンの声は隣の部屋にいるだろうお菓子達に筒抜けになっていたらしい。
ちょっと、ちょっと待って、とさすがに狼狽した声を最後にアベンチュリン側のマイクがミュートになった。それから少しして戻ってくると一言、関係者秘、と口にする。あーあ、といつだったか管理ミスでとんでもない事になった自分のシャーレを見ながら落胆する生徒の声を思い出す。
「インシデント……」
「アクシデントだろう、事態を甘く見積もるな」
「……うん、そうだね。ごめん、後日聞き取りがあると思うからそのつもりでいてくれるかい」
多分近くの支部で良いとは思うんだけど、と続けるアベンチュリンにレイシオは相槌を打つ。最初の発言で通話を切れなかったレイシオにも四捨五入で一%程度は非があるから、それくらいなら応じるべきだろう。
「君、お菓子達と通話できるようにしてたんだ?」
「ああ、環境が変わるから気になる事があれば連絡をと。もちろん、体調面の話だが」
「思った以上に好奇心一杯で多趣味だねあの子達……いや、そうじゃなきゃ僕のところなんて来なかっただろうけど」
またお菓子が大きな声でアベンチュリンを呼ぶのが聞こえて、マイクから距離を置いたアベンチュリンがはいはいとへなへなした調子で返事をするのが聞こえる。それから、それじゃあと気を取り直したような声に変わった。
「ジェイドに一報を入れてからあの子達とお話してくるよ」
「分かった。通話は出られるようにしておく」
「ありがとう、助かる」
意識的に切り替えた口調であるのは明らかだったが、少なくともそこからお菓子に対しての苛立ちのようなものは感じられなかった。すぐさま引き上げなんてことにはなりそうにはなく、新天地に期待を膨らませていたお菓子達を知っている手前レイシオは少しばかり安堵する。
後日、オフラインで話を聞きに来た本社の担当者は、アベンチュリンに完全防音の仕事部屋付きの社宅へ引っ越す指示が出る運びになったとレイシオに告げた。単身用では該当する部屋がなく部屋数が増えるらしいが、お菓子が三匹いる事を考慮すればちょうど良いのかもしれない。
ペットって賢すぎても大変ですね、と漏らす彼にレイシオは同調する他にできる事はなかった。なお、次にお菓子からかかってきた通話の内容はアベンチュリンがくれたおやつが美味しくなかったという文句だったので、どうやら以降も仲良くやっているらしい。
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