mishiadd
2025-09-08 00:41:47
3427文字
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Photogenic.

【転生パロ/年齢操作】「ある構図」を専門に撮る長い三つ編みの月写真家とその家に入り浸る癖毛の美少年の小噺【剣伊】※9/8皆既月食

ランドセルを玄関の上がり框に置いたあと、少年はすぐに再び家を出る。

行き先は決まっていた。このあたりでは有名な写真家の先生の自宅で、実際近隣の住民からはただ「先生の家」と呼ばれていた。
写真集も何冊も発行されており、そのうちの一冊は――少なくともこのあたりの個人経営の店舗では――カフェなどにもよくインテリア代わりに置かれていたりなどした。実際、ひどく見映えのする表紙だった。藍色の空にぽっかりと浮かんだ乳白色の満月に、何本も真っ黒な電線が掛かっている。

『先生』は、そういう構図の月を専門に撮る写真家だった。月と電線が彼の作品群の中でもっとも有名なものだったが、あるときは月と木の枝であったし、あるときは月と街灯であったりもした。遥か遠くにある筈の月を身近な物体で囲み、まるでこちらの手の届く間合いの、すぐそこにあるかのように錯覚させる。洒落っ気のある構図の中に、どこか月というものに対する異常な執着を感じられるというのがよく耳にする評価だった。――もっとも、写真家があるひとつのモチーフに固執することは珍しくない。そういう作風なのだ。動物写真家がいるのなら、月写真家だっているだろう。

少年は別段写真家を目指しているというわけではなかった。習い事はそろばんと習字と剣道で、特に剣道は養父の影響で殊更熱心に取り組んでいた。忙しい放課後の合間を縫って少年が『先生』の自宅に足繁く通うのは、なんだか妙にその作品群に興味を惹かれるものがあったから、だったのかもしれない。
とはいえ、少年がとりたてて芸術への造詣が深いというわけでもない。図工の時間にやった木工彫刻だけは少しだけ面白いような気もしたが、それだけだった。

「先生、こんにちは」

礼儀正しく呼ばわりながら、鍵のかかっていない玄関から家の中へと入る。返事がないのはいつものことで、本当に留守である場合が四割、聞こえていない場合が六割、更にそのうちの何割かは「聞こえているが無視している」場合であった。

とたとたと軽い足音を立てて少年が奥のアトリエへと入ると、古民家を改造した一軒家の角部屋に明かり取りの窓から黄昏時の柔らかい夕陽が降り注ぐ中、その部屋の半分に暗幕を張ったその中でゴソゴソと物音がしている。
『先生』を邪魔することなく、少年は橙色の光に満ちた部屋の中を、後ろ手に手を組んだ姿勢でぐるりと見渡している。望遠鏡や本などが散乱する中、現像したばかりらしい『作品』があたり一面の壁に無造作に貼り出されていた。

いくつか増えている見覚えのない写真のうち、ひとつに気を留めた少年が背伸びをして顔を近づけてみる。有機的な形状に伸びた茨の影が巨大な月に掛かっている構図だった。まるで有刺鉄線の檻の中に月が絡め取られているかのようだった。

ばさり、と重い布の擦れる物音がして少年が振り返る。中からのそりと出てきた『先生』は、部屋を満たす夕陽と同じ瞳の色をしていた。

少年の姿を見た『先生』がぴくりと眉尻を痙攣させる。それから、がしがしと乱暴に頭を掻きむしった。長い髪を無造作に結った三つ編みが揺れた。

……きみ、また来ていたのか」
「声は掛けましたよ。今日は聞こえているのに無視したわけではなかったのですね」

少年の言葉にはなんの反応も示さず、ゆらりと部屋の中を徘徊するように少年が見ていたのとは別の壁へと向かう。手に持っていた写真を無造作に貼った。たった今現像し終えたばかりの作品であるようだった。

とたとたと足元の本を器用に避けながら、少年が駆け寄ってくる。新作を見上げ、「……ふうん」とどことなく無感動に言った。
次々に写真を貼り出しながら、少年を見ることなく先生が言った。

「きみ、もう帰れ。――もうすぐ日も完全に落ちる。小学生が夜道を歩くものではない」
「なら泊めてくださいますか」

先生が少年を見下ろす。口許にひどく大人びた笑みを浮かべて、深遠な月夜の色をした幼い瞳が見上げている。
その瞳にぽっかりと浮かぶ満月を見る。やがて、ふう、と先生が軽く肩をすくめた。

「だめだ、帰れ」
「もう日が落ちました。この部屋もすっかり暗いでしょう。俺ひとりでは帰れません」
「勝手に押しかけてきておいて」
「先生は月をどうしたいのですか」

何ひとつ変わらぬゆったりとした口調で少年が問うた。
先生が壁に貼られた写真に目を遣る。その横顔を見上げ、少年がうっそりと妖しい笑みを深めた。

「先生は月をどうしたいのですか。先生の撮る月は、いつも何かに囲われていますね。
――いつも、何かに囚われて閉じ込められている」

「ほら」と少年が貼り出されたばかりの新作を指さして言った。――屋根の上に飾られた風見鶏の、鳥籠越しに月が映っていた。

「これなんて、檻です。檻の中の、月」
……
「月は『誰のものでもない』とは思いませんか。ただ、そこにあるものだとは」
「護ってやりたいだけだ」

ぴしゃりと短く先生が言った。少年が興味深げに僅かに目を瞠った。

「ただ、護ってやりたいだけだ。――どこにも行かせなければ、なにも見せなければ、きっと護ってやれる。そう思っただけだ」
どこにも行かせずなにも見せず?」

少年が先生を見上げている。
すっかり宵闇の底に沈んだ仄暗い藍色の世界の中で、宇宙そらの深淵を湛えた双眸に、ぽっかりと純白の満月がふたつ、浮かんでいる。

「どこにも行かせず、なにも見せず――見てしまう前に、捕らえてしまえばいい、と?」
……そうだ」
「まだ幼く若いうちに?」

壁の写真を見ていた先生が、ゆっくりと少年を見下ろす。――夕陽色の燃えるような瞳が、月夜色の濡れたような瞳と、かち合う。
とん、と少年がいたずらっぽく片足で立った。すらりと子供らしく細い片脚でバレエのようにバランスをとりながら、ちょん、と先生の服の袖を指先で引っ張った。

「そう、思ったことは?」
「大人を揶揄うんじゃない」
「まだ満ちる前に――ほんの三日月のうちに。満ちてしまえばもう手遅れだから
「帰りなさい!!」

強い語気で言い放ち、はあはあと荒らげた声を落ち着けるように激しい呼吸を繰り返す。どすどすと乱暴な足音を立てながらアトリエを出ていこうとする先生の背中に、少年が呼ばわる。

「先生。――今夜は皆既月食でしょう? だから、今日は先生のところに泊まると言ってあるんです。月写真家の先生の家で、皆既月食を見るから、と」
……何を勝手に……
「不思議ですね、先生? ――満月が、血のように赤く染まるそうですよ。満月って、白いでしょう? 何にも染まらぬ筈の月も、血の色には染まるんですね。……焦ります? 先生」

先生が足を止めている。アトリエの入り口に佇んで、部屋の真ん中に立っている少年を見ている。明かり取りの窓から真っ直ぐに射し込んだ月光が、美術館に飾られている彫刻のような少年の姿をぼんやりと蒼白く浮かび上がらせているのを見ている。

幼く美しい彫刻が笑みを深める。蠱惑的に目を細めた。きっと、天使の像ではあり得なかった。

「ねえ、先生? ――今ならきっと、まだ間に合いますよ。……今なら、まだ」

先生が、落ち着いた足音と共にアトリエの中へと戻ってくる。机の上に置かれていたカメラを手に取り、少年にレンズを向けた。
おや、と片眉を跳ね上げて愉快そうに口許で笑みを象った少年が、月明かりのスポットライトの下で両手を後ろに組んで佇みながら、「フフ」と笑った。愛らしいような仕草で、小さく小首を傾げてみせた。

「先生が月以外を撮るのは珍しいですね」
「いいや。――同じだよ。いつもと同じ。いつも通りだ」

シャッター音が連続して響く。レンズを覗いている先生の目には、カメラ越しに少年が少年らしからぬ流し目をくれるのが見える。それから、一足飛びにこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。驚いて目許からカメラを離せば、すぐ至近距離に少年の顔があった。にいい、と口許が弧を描いていた。

「先生の嘘つき。いつも通りなどではないでしょう? ――俺の檻はどこ?」

その言葉に、先生が溜息をつく。――カメラを置き、少年に向かって両腕を伸ばした。そのまま軽い体を腕の中に抱き留め――



「ここだよ」と、告げた。






Photogenic.・了