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桐子
2025-09-07 23:39:04
1948文字
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まわる世界⑨
息子が寝入ったのを見届けてから、ゲゲ郎はえいやっと勇気を出して、水木の部屋を訪れた。
「水木どの、少しよいか?」
「
……
はい」
襖の向こうからは、承諾する声が返ってきた。
「邪魔するよ」
中に入ると、水木は何か書き物をしていたのだろう。机の前に座っていた。
「勉強のお邪魔だったかのう」
「いいえ。大したことは」
水木は慌てて首を横に振って否定すると、ノートらしきものをしまい込んだ。やはり迷惑だったかもしれないと思ったが、せっかくのチャンスだ。ゲゲ郎は持っていた酒瓶を持ち上げて見せた。
「水木どのは二十歳じゃったな。酒は飲んだことがあるか?」
彼は目を丸くすると、不意にニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「俺は強いですよ」
「お、さては前々からやっておるな」
「おじいさまに付き合わされるんですよ」
なんだそれなら話は早い。縁側に座って、月を肴に酒を酌み交わすことにした。蚊取り線香に火をつけると、馴染みの香りがあたりにただよい始める。暑いは厚いが、日が落ちるとそれなりに涼しくはある。
「さて、では一献」
「はい」
トクトクと音を立てて、江戸切子のグラスに酒をつぐ。夏の夜の匂いはどこか甘い香りがして、庭の木々や草の香りと相まって心地よい。月明りに照らされてゆらゆら揺れる酒の表面を見ながら、ゲゲ郎と水木は乾杯した。
「うまい」
冷たい酒を一口飲んで、水木は感嘆の声を上げた。
「わしの秘蔵の酒じゃ。これは礼じゃよ。鬼太郎をかばってくれたこと、本当に感謝しておる」
「大げさですよ」
水木は照れくさそうにグラスに口をつけた。その頬がほんのりと朱に染まっているのは、酔いが顔に出やすいせいだろうか。
「いいや。あの子には、母親の分も愛情をかけたつもりだったのに、わしの知らぬところで悲しい思いをさせておったのかと思うと
……
わしは父親として失格じゃった」
鬼太郎のせいで妻が死んだなんて、そんなこと考えたこともない。それに、仮にそうだとしても妻は息子の命を守れたと誇りに思うはずだ。それなのに、鬼太郎は自分のせいで母親が死んだと思い小さな胸を痛めていたのだ。そんな息子の気持ちをわかってやれなくて、何が父親だ。
しかし、水木は静かに首を横に振った。
「あなたは立派に鬼太郎くんを育てています。愛されていることと、あの子はちゃんとわかっている。俺がそうだから」
水木はグラスを置いて、自分の目の傷を撫でた。
「聞いていたでしょう。俺の両親は事故で亡くなった。俺を助けてくれたんです」
こんな大きな傷が残るほどの事故だったのだ。体だけでなく心にも深い傷を負ったのだろう。水木は口元に笑みを浮かべて続けた。
「俺は俺を生かしてくれた両親に感謝しています。でも、時々考えてしまうんです。俺がいなければ、両親は生きていたんじゃないかって」
「水木どの
……
」
「鬼太郎も多分、同じなんだ。愛されていたと分かっていても、もし自分がいなかったらと考えてしまう。生き残った人間はどうしたって、悔いが残っちまう
……
」
青い目は、どこか遠いところを見つめて、悲し気に揺れている。水木はしばらく黙っていたが、やがて重苦しい空気を振り払うように言った。
「
……
すみません。こんな話、するつもりじゃなかったのに」
「いや、構わんよ。おぬしさえよければ、もっと聞かせてほしい」
この年若い青年が、どんなことを考え、どうやって生きてきたかを知りたかった。誰かのことを知りたいと思うなんて、妻に出会って以来かもしれない。水木は驚いた顔をしてから、少し考え込んだ。
「あなたのことも、教えてほしい」
「わしの?」
「俺もあなたのこと、知りたいから」
水木はじっとゲゲ郎の顔を見つめた。酒に酔っているせいか、潤んだ目でこうも熱心に見つめられると、なにやら落ち着かない気分になってくる。いやはや、顔がいいというのは男でも女でも罪なものだ。ゲゲ郎は、「そうじゃのう」と少し考えてから言った。
「では、その話し方を止めてくれんか。わしはゆえあってこの組の頭をしておるが、そういう役目をいただいておるだけで、偉いわけでも立派なわけでもないからのう」
「いや、それは
……
年上ですし」
「いいんじゃ。他の者もわしに遠慮なぞしておらんしのう」
とほほ、とわざとらしく肩を落とすと、水木は噴き出した。初めて見る彼の、年相応の笑顔だった。
「じゃあ、俺のことも『水木どの』って呼ぶのやめてくれないか」
「
……
わかった」
ゲゲ郎がうなずくと、水木は嬉しそうに笑った。その笑顔にまた胸がざわつくような心地になる。これはいったいどうしたことだろう。ゲゲ郎は内心首を傾げたが、今はとりあえず酒と、二人で気兼ねなく過ごせるこの時間を楽しむことにしたのだった。
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