なりさ
2025-09-07 23:01:13
4505文字
Public 駄文拙文
 

Nehmen Sie ein Bad.


Nehmen Sie ein Bad.  初出:2016/10/09
『Rebote!』に収録した書き下ろしの『Baden-in-Baden』という話のボツバージョン。
最初はこの話ができる予定だったのですが、上手く進まなくて出来たのが『Baden-in-Baden』でした。
なので、既視感ある感じの出だしだと思いますが、こちらのバージョンも仕上げてみたかったので、この機会にとぐちゃぐちゃになっていた文章を構成修正書き足しなどしてみました。
お風呂で悩み事相談なんてすごく素敵だと思うのは自分だけですかね。
タイトルは某ネット翻訳に《風呂に入る。》と入力して出てきたドイツ語の直訳をそのまま使用してみました。

追記:残していたテキストファイルの保存時に言語設定を間違えて、文章がおかしな順番で保存されていたのを直したのですが、たまに文字が抜けてたりしたら教えて下さい。

 明和大日立の生徒寮の入浴時間は、暗黙あんもく了解りょうかいで入る時間が決まっている。
 長瀬と麻上はほぼ同じ時間に入浴する。この日は長瀬が少し先にいつもの場所で髪を洗おうとしていたところに麻上はやってきた。長瀬は「おう」と麻上に声をかけて迎える。麻上は小さく「おう」と答え長瀬の横に座る。そしてそのまま無言で二人は身体をきよめる作業に入る。
 浴槽の向こう側の壁には『浴槽に入る前に必ず体を洗うように!』と書かれたプラスチック板が貼られている。守る者、守らない者はそれぞれいるとは思うが、長瀬と麻上は毎日身体を洗ってから湯船に入るようにしているのだった。
 今日も二十人は余裕で洗える洗い場は程よく空いていて、浴室には見慣れた姿ばかりである。麻上の横に陣取じんどる長瀬も、いつも同じ洗い場を陣取る麻上ももちろんその風景に馴染なじんでいる。
 しかし、ごくたまに色々な事情でいつもと違う時間に入浴する者もいる。
「お、長瀬と麻上じゃん」
 珍しい声に振り返ると、陸上部でハイジャンプをしている同級生が立っていた。
「おう」
「よう、珍しいなこの時間にいるなんて」
 淡白な麻上の返事と気さくに声をかける長瀬の声が浴室にこだまする。やって来た同級生は長瀬の横に陣取ると、身体を洗う準備を整えながら気が重そうに言う。
「今日疲れたから早めに寝ちまおうって思ってさ」
「そうか、お前も正念場しょうねんばだもんな」
 長瀬の声色こわいろはねぎらいの気持ちが表れていた。
 種目が違えど、インハイに向けて追い込みに入っているのは変わらない。オーバーワーク気味になれば早めに休みたくなる日だって出てくるだろう。
 そう思いながらも所詮しょせん他人事ひとごとなので、あまり気に止めないまま頭を洗い流す。
「そうだ、バスケ部ってインハイ常連じゃん。陸上もインハイ常連っても細かい種目によってまちまちでさー、せっかくだから話聞いてくれないか」
「おお、どうした」
 髪の上で無造作むぞうさに立っている泡を洗おうとした長瀬は話をうながす。それを了解の合図として同級生は話し始める。
「お前らって調子悪い時って相談し合うか?」
 半分以上髪に泡が残っている状態にも関わらず、顔についた泡を拭い長瀬は麻上を見る。
「ああ」
「時と場合によるかな……なあ」
 長瀬の振りに麻上もうなづく。
「一人で考えたい時もあるだろうからあまり口は出さないけど、このままではらちがあかないと感じたら話をするようにはするかな」
 さすがは長瀬。主将という立場に見事に合っている回答だ。
「そうなのかー、やっぱそういうのってチームだから出来るって感じがするわ」
「そうか……。俺らはチームプレイだから自分以外にも誰かがいて何か言葉をかけてくれるけど、お前は孤独なのかもな」
 続いた長瀬の言葉に麻上は頭を洗いながらも同意として頷く。
「そうなんだよ、俺、『ぼっち』なんだよなー」
 確かに、陸上部という視点で見れば仲間は多いが、競技から見れば一人で黙々もくもくたたかう孤独なスポーツだ。
 長瀬は問いかける。
「陸上部ではそういうことないのか?」
「今年インハイに挑戦する陸上部って二年生が主体でさ。あと、種目によって考え方がまちまちだから自分の種目以外の話されても分かんないんだよ。お前らみたいに毎年インハイ確実視かくじつしっていうわけでもないしな。それに他の競技のヤツらもカリカリしてて話しかけにくいし、なんか俺とお前じゃレベルが違いすぎて……みたいな空気とかも感じることが多くて、なかなか話せない」
 声色こわいろに同級生の孤独をひしひしと麻上は感じる。
 今年のインハイも優勝候補としてあげられている陸上部期待の星とまで言われている現状。さらには今年の陸上部は彼以外に同学年ではめぼしい選手がいないとまで言われているのだ。
 だからこそ更に孤独になってしまい、こうやって言わないとどうしようも出来ないほどに精神的に追い込まれてしまったのだろうか、そう麻上は思った。
「難しいな……
 どうしろとはさすがに言えるような悩みじゃなさそうだ、と麻上は思いながらつぶやく。その横でスポーツ刈りの短い髪をさっさと洗い終えた同級生は深く呼吸をし、重そうに口を開いた。
「ところでさ、お前らってどうしても越えたい相手っているか?」
「どうしても越えたい相手…………
 身体を洗う長瀬の手が一瞬止まるのを目にしながら麻上はつぶやく。
「いるぜ、もちろん」
 麻上はボディーソープのポンプを押しながら言う。
 つい力んでしまったのか、ポンプからボディソープが空中に散る。
「うわっ……、龍一、力入りすぎ」
 飛び散った液体の一部が長瀬にかかってしまったらしく、長瀬の迷惑そうな声がする。
「ああ、悪い」
 そんなやり取りを気にすることもなく身体を洗い始めた同級生は言葉を挟む。
「まあ、普通はいるよな」
「お前はいないのか」
 洗い終わったボディーソープを流しながら長瀬が言うと、少し顔を曇らせて目を泳がせていた。
「いるけどな。そいつになかなか勝てない」
 どうやら、同学年に強力なライバルがいるらしい。一年の頃から様々な大会で対戦する度に僅差きんさで負け続けているという。あと少しのところでいつも負けてしまう理由は自身の弱さかもしれないと気づいたときからずっと悩み続けているらしい。
 それを誰にも相談できずに抱えたまま練習をしていれば確かに調子も悪くなるだろう。それに加えて、今年こそは優勝をという顧問るびこもんりのプレッシャーを受けているようで、それが重荷おもにになっている様子が言葉の端々から感じられた。
「最近、跳んでも跳んでも全然思うように行かなくてさ、どうしていいか分かんなくてな。……俺、こんなんで高校最後のインハイ迎えるのかって思った跳ぶのが嫌になってきてさ……
 調子が悪い時は誰にでもあるが、この時期になるとはタイミングが悪いこともあるものだ、と麻上はふと思う。
 コンディショナーを流し終えた長瀬が麻上と二人共同で使っている風呂道具をまとめ、入口横の棚に同級生と置きに行く。そして置きに行っている間にコンディショナーを流し終わった麻上も合流し、三人で浴槽に移動しながら話を続ける。
「だけど、負けたくねえんだよな、俺。アイツにも、自分にも……
「そう思えてるんだったら大丈夫じゃねえか?」
 そんな長瀬の言葉に首を横に振ると同級生は言葉を続ける。
「なにいってんだよ。最近あいつええらい調子がいいらしくてさ、大会に出るたびに自己記録更新してるらしいんだよ。顧問のやつなんかピリピリしちゃってさ……
 タイミングが悪いことに調子が悪く欠席を余儀よぎくされた記録会でライバルの成績がよかったことが追い打ちをかけ、ますますひどいスランプに陥っているようだ。
 ハイジャンプの成績は国内でもトップクラスで、未来のオリンピック候補の一人として期待されているからこその孤独と苦悩があるというところなのだろうか。
「俺もバスケしかやってない状況だからなんとも言えないけど、そんな時は確かにあるな」
「そうなのか?」
インハイに出ることはもはや絶対。そして全国四強に残るレベルのチームのキャプテンはきっと自分が思う以上の重圧じゅうあつと戦っているのだろう。
 長瀬の気持ちもそんなに理解できているとは思わないから、麻上は長瀬の言葉に何も言えないままであったが、
「誰にでもあるだろ、なあ、龍一」
「ああ」
 浴槽に入ったところでいきなり振られ、咄嗟とっさの返事をした麻上に構うことなく、同級生は意外そうな表情で二人を見遣る。
「お前たちでもそんなことあるのか」
「もちろんだよ」
 当たり前じゃないか、という様子で同調する長瀬を受けながら麻上はなんとなく思ったことを口に出してみた。
「お前は今までそんなことなかったのか?」
「うーん。めんどくせえなとかは思ったことがあるけどここまで嫌になったことはないな」
 少し考えるように言葉を放つ同級生の声。それを聞いた隣の長瀬はどことなくませた子供のように言う。
「初めての挫折ざせつっぽいな、それ」
「なんだそりゃ」
「挫折ってこんなもんなのかよー」
 麻上と同級生が同時に声を出す。あきれ気味の麻上とは対照的に同級生の声と雰囲気は『とほほ』という感じである。何かのツボに入ったのか軽く笑うと長瀬は同級生の背中を軽く握りこぶしでたたく。
「さあな。でもお前ラッキーだよ。インハイの前になったってことはさ、お前にとってそれは越えられる壁なんじゃないかって思うぜ」
「なんだ、そのどっかの先生みたいなよく分からねえ達観たっかんした言葉はよー」
「この間見た本に載ってたから、ちょっと言ってみたかっただけだけどな」
「なんだよそりゃ」
「わけわかんねぇな」
 またどこからそんな言葉が出てくるのかわからない一言を言う長瀬に麻上は呆れ同級生は理解不能に陥ったらしい。そんな二人を無視し、長瀬は同級生に問いかけた。
「お前ってさ、なんでハイジャンやってんだ?」
「それってお前はなんでバスケやってんだ?ってのと同レベルの質問じゃねえか」
 同級生の返す言葉はもっともである。
「だからそんなもんなじゃないのか。うまく言えねえけど、お前がやろうって決めてやってるんだし、記録どうこうじゃなくてさ、お前がやりたいようにやってみたらさいいんじゃねえか」
……
 長瀬の言葉に何か感じるものがあったのだろうか。言葉は発しなかったが同級生の表情が少し変化したような気がした。そして麻上も思ったことを思ったまま言ってみる。
……俺はよく解らないまま言ってるけど、追いかけられるより追いかける方が、普通気持ちにも力が入るだろ。お前が弱気のままじゃ勝てるもんも勝てねえんじゃねえか。このまま負けてしまうのか、それとも負けない気持ちで勝つのか、それはお前次第だと思うぜ」
「さすが龍一、いいこと言うな」
 言った言葉にすべて同意と言うような声色の長瀬の声。その声が後押ししたのだろうか。
「そうだな。今度こそ負けねえぞ。三年間いっつも奴に負けてきたけど、最後のインハイはオレがやつからトップをうばってやる」
 気持ちが前向きになったのだろうか。同級生の声が今までより明るく聞こえてきた。そんな同級生の肩をポンと叩いて長瀬は励ます。
「そうだ、その意気だよ。そう思えば絶対超えられるぜ」
「そうだな」
 麻上も、それに同意する。
「なんか、お前らと話をしてたら、もやもやが消えたような気がするよ、ありがとうな」
 ようやくいつもの笑みに戻った同級生の顔がまぶしく見える。
「どういたしまして」
 そう言った麻上に長瀬は続けた。
「俺らで良ければまた話聞いてやるからよ、気軽に相談してくれよ」


 そんなこんなで、明和大日立寮の風呂場は、今日も青年たちの熱気に満ちているのだった。