夜明 奈央
2025-09-08 20:07:00
2256文字
Public 久々綾
 

久々綾 満月の夜に

満月の夜にひっそり長屋を抜け出すくくあや 久々綾の日

 喜八郎は布団の中でその晩何度目かの寝返りを打った。どうにも眠れなかった。普段なら隣に並んでいるはずの布団は、今は押し入れの中にしまわれている。学園長先生のお使いで、今夜は帰らないと言っていた。学園長先生のお友達に文を届けて、返事をもらうだけ。然して危険な忍務ではない。よくあることだ。行き先がちょっとばかり遠かっただけで。
 昼間はうるさい滝夜叉丸も、眠っている間は静かだ。だからいてもいなくても変わらないと思っていたのに、いないとなんとなく部屋がひんやりと冷たい気がする。夏が終わって朝晩冷え込むようになってきた所為だろうか。窓の外からは煌々と輝く月の光が差し込んでいる。灯りを点さなくても月光だけで十分に明るい。今日は満月なんだっけ。
 このまま布団に包まっていても、全く眠れる気がしなかった。諦めて眠くなるまで起きていようと布団を這い出す。
 そこで、こつん、と壁に何かがぶつかる音が聞こえた。風で何かが飛んできたのだろうか。無視していると、こつん、とまた同じような音。こつん、こつん。
 一定の間隔で聞こえる音は、とても自然のものとは思えない。窓からこっそりと外を覗くと、音の原因はすぐにわかった。
「やあ、喜八郎。良かったら一緒にお散歩でもどうかな?」
「おやまあ」
 きっちり制服の頭巾まで被った久々知先輩が、小石を振りかぶったポーズで止まっていた。

 着替えを済ませてひっそりと部屋を抜け出す。今夜は月が明るいから、夜闇に紛れることができない。茂みに潜んで足音を消し、久々知先輩のハンドサインに従って進む。
 程なくして辿り着いたのは月見亭だった。月見亭は大層見晴らしが良く、名前の通りお月見するのにちょうどいい立地だ。にも関わらず、長屋との間には森が生い茂っていて、程よく身を隠すことができる。
「先生たちに見つからなくて良かった」
 久々知先輩がこちらを振り返って口許を緩ませた。
「真面目で優等生の先輩がなんでこんな夜中に長屋を抜け出してるんですか?」
「俺そんな風に思われてるの? こっそり抜け出すくらいはするよ」
 座るように促され、月見亭の床に腰を下ろす。久々知先輩はルールに厳しいタイプだが、我が強いところもある。何か用事でもあったのかな、と思っていると、隣に座った先輩が空を見上げた。釣られて喜八郎も空を見上げる。
「今夜はすごく月が綺麗だったから、喜八郎と一緒に見たいと思ったんだ。ダメだったかな?」
 雲のない晴れた空に浮かぶ真ん丸の月が、中天高く浮かんでいる。夜を明るく照らす月は当然認識していたが、月そのものはちゃんと見ていなかった。その晩初めて見上げた月は、確かに美しい。
「中秋の名月?」
「それは来月だね」
 ふふっと笑われて、自分が適当なことを言ってしまったことに気がついた。月の美しい夜として連想しただけで、それくらいは喜八郎だって知っている。でも、だったら、なんでわざわざ今夜? 疑問が顔に出ていたのか、久々知先輩はすぐに問いの答えをくれた。
「満月で、晴れて雲もなくて、喜八郎が遅くまで1人で起きてる夜なんて、そう滅多にないから。誘うなら今夜だと思ったんだ」
「なんで僕が起きてると思ったんですか?」
「ん? 昼間会った時に『今夜は滝夜叉丸がいない』って言ってただろう?」
「だからって別に起きてるとは……
「でも起きてた」
「たまたまです」
「そうかも」
 部屋に1人というだけで眠れないなんて知られたくなかったが、久々知先輩には全部お見通しみたいだった。
「寝てるならそれでも良かったよ。でも起きてるなら一緒に見たいと思ったの」
「そうですか」
 横に投げ出していた手に久々知先輩の手がそっと重なった。気恥ずかしくて視線を落とすと、すぐそばの池の水面にはまあるいお月様が映っていた。
「綺麗ですね。先輩と見られて良かったです」
「でしょう?」
 手遊びするみたいにして久々知先輩と指先を絡める。先輩のひんやりとした指先に喜八郎の熱がじわりと移っていく。
「尾浜先輩にはなんて言って出てきたんですか?」
「言ってないけどなんで?」
「夜中に起きて久々知先輩がいなかったらびっくりしません?」
「するかも。でも朝までに戻ってれば大丈夫だよ。何してたかは聞かれるだろうけど」
「なんて答えるんです?」
「『お月見してた』でいいんじゃない? 嘘じゃないよ」
「先輩、夜に部屋を抜け出してお月見することあるんですか?」
「これが初めてだね」
「怪しくないです?」
「怪しいね」
 久々知先輩が冗談めかして言うので、釣られてくすくすと笑い合う。先生たちにも滝夜叉丸にも尾浜先輩にも内緒でこっそり会っているなんて、これは正しく密会だ。目的は取引でも情報収集でもない、ただ会って話をするだけ。満月なんてただの口実だ。そんなのはお互いわかっている。わかっているけれど、理由がなきゃわざわざ夜中にこっそり抜け出して会うことなんてないから、口実は重要だ。これを“逢引”と言わずしてなんと言うのだろう。
 横目でひっそり盗み見ると、久々知先輩は言葉通りじっと空の月を眺めていた。青白い光に照らされた横顔はいつも以上に綺麗だ。ずっと見ていられそうだったが、月じゃなく先輩の横顔を見ているとは知られたくなくて、そっと月に視線を戻す。
「眠くなるまで一緒にいてくれますか?」
「もちろん」
 忍者が行動するにはどうにも明るい満月の夜。池の水面には2人の影が仲良く並んでいた。


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