商店街の店主たちとの会合と言う名の飲み会から帰ってくると、どことなく屋敷が静まりかえっている。ゲゲ郎が不思議に思いながら玄関をくぐると、すぐに鬼太郎と砂かけ婆が出てきた。
「おかえりなさい。とうさん、みずきさんがおねつでねてるんです」
開口一番、鬼太郎がそう言った。
「なに、熱が」
砂かけ婆を見ると、彼女は首を横に振った。
「おじじに診てもろうたが、風邪じゃろうと言うておった。薬を飲んで寝かせておる」
季節の変わり目であることだし、薬を飲んで熱が下がれば大事ないとのことだ。水木がここへ来て二週間になる。慣れない環境で、疲れがたまっていたのだろう。
「そうじゃったか……」
寝ている水木を気遣い、みな静かに過ごしているらしい。
「ぼくが、ごほんをたくさんよんでもらったから」
鬼太郎は小さな肩を落としてそう言った。責任を感じているらしい。ゲゲ郎は息子の頭を優しく撫でた。
「鬼太郎のせいではないよ」
「でも……」
「さ、もう寝なさい。水木どのも明日には元気になっておるよ。夜更かししたら、今度は鬼太郎がお熱になってしまうぞ」
ゲゲ郎に促されて、鬼太郎は素直に自分の部屋へと戻って行った。その後ろ姿を見送り、ゲゲ郎は砂かけ婆を振り返った。
「おばばもありがとう。水木どのの様子はわしがみておこう」
日中、砂かけ婆が水木の世話をしてくれたのだから、夜の間ぐらいはゲゲ郎が見るべきだろう。
「そうじゃな。水木どのもその方が喜ぶじゃろう」
砂かけ婆も寝所の方へと戻っていった。
ゲゲ郎は水木の部屋へと向かった。障子戸をそっと開け、音をたてないよう部屋の中へと入る。枕元に腰を下ろして顔をのぞき込むと、顔が赤い。首や額に汗が浮かんでいた。熱が高いのだろう。ゲゲ郎は手拭いで首や額を拭き、額の冷却シートを新しいものに貼り直した。水木が小さく呻いて寝返りを打つ。
うっすらと目を開いた彼は、焦点の合わない目でぼんやりとゲゲ郎を見上げてきた。熱に潤んだ青い目に見つめられ、ドキリとしてしまう。
「とうさん」
まるで子どものように無防備な笑顔を見て、ゲゲ郎は思わず息を飲んだ。無意識のうちに手を伸ばし、なめらかな頬に触れる。水木はその手に頬をすり寄せた。
「もう、どこにも行かないで」
水木はそう呟いた。
時貞翁に聞いたところによると、彼の両親は、彼が中学生の時に事故で亡くなっているそうだ。目や耳の傷もその時に負ったらしい。時がたってもその心の傷は、まだ癒えていないのだろう。
「わしはここにおるよ」
ゲゲ郎がそう言うと、安心したように水木はまた目を閉じた。しばらくすると寝息が聞こえてくる。ゲゲ郎はそっと汗に濡れた前髪をよけ、白い額を撫でた。
頭を撫でられている。ゲゲ郎はぼんやりとした頭でそう思った。ああ、これは妻の岩子の手だ。彼女はよくこうして頭を撫でてくれた。愛情をもって頭を撫でてくれるのは、母と岩子だけだった。
「お前……」
ゲゲ郎は思わず口にした。途端、頭を撫でる手が止まる。優しい手が離れていくのを感じて、「ああ、もう岩子はいないんだった」と思い出した。身じろぎをすると体が重かった。目を開けると、自分の部屋ではない。はて、ここはどこだったかと視線をさまよわせた。
「あ」
青い目がこちらを見下ろしていた。水木だった。そういえば、熱を出した水木の看病をしていたのだった。いつの間にか隣で眠りこけていたらしい。
「すまん、寝ておった。いやはや面目ない」
「いえ」
水木は小さく首を振った。
「一晩中、俺の看病を?」
「途中で寝ておったがのう」
水木の目が覚める前に自室に戻っていればよかった。また冷ややかな目で見られることだろうと覚悟していたが、水木は予想に反して微笑んだ。
「ありがとうございます」
初めて見る、自分に向けられた水木の笑顔。美しい笑みに、胸が高鳴った。いや、そんなはずはない。自分は妻一筋だ。そのうえ相手は男なのだからと、慌ててその高鳴りを誤魔化した。
「いやいや、礼には及ばんよ」
「……久しぶりに、いい夢が見られました」
いい夢、というのは死んだ父親の夢だったのだろうか。水木が少しでも安らぎを得たのなら、看病した甲斐もある。
「水木どのが元気になってよかった」
ゲゲ郎は立ち上がり、障子戸を開け放った。朝だというのにむっとした空気が部屋に流れ込んでくる。
「今日も暑くなりそうじゃのう」
「そうですね」
水木は頷き、ゲゲ郎に続いて立ち上がった。着崩れた浴衣の襟元から、豊満な胸元がちらりとのぞく。ゲゲ郎はなぜか慌てて視線をそらしてしまった。
「水木どのはもう少し寝ておれ」
「ですが」
「はよう元気になってくれた方が、みなも喜ぶ」
そう言うと、水木は穏やかだった表情を曇らせ、口をつぐんだ。どうしたのだろうか。
「……あなたは」
「ん?」
「いいえ、何でもありません」
硬い口調でそう言うと、水木はゲゲ郎の顔も見ずに、さっさと布団の中へもぐりこんでしまった。自分はまた何か間違えてしまったのだろうか。ゲゲ郎はまいったなあとポリポリ頭をかきながら、そっと水木の部屋を出た。
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