来羅
2025-09-06 23:00:57
1844文字
Public トワウォ
 

夕日(風信)

ワンドロライ第8回。


 燃えるような赤夕焼けはいつも別れを連れてくる。
 信一が藍森に引き取られたとき、おいで、と迎えに来た彼は濃いオレンジ色の光をまとっていた。
 別れというものは唐突だ。
 その藍森の訃報を告げる報せもまた。
 立ち竦む信一の後ろに長い長い影が伸びていた。
 見慣れた街が赤く染まっていくのがひたすらに怖かったのを今でも覚えている。
「信一」
 帰ろう。
 その言葉がなかったら、どうなっていただろう。
「帰ろう」
 首が痛くなるくらいに見上げたその男も、オレンジ色だった。
 うつくしい人だ。
 親友の甥でしかない信一を可愛がり、甘やかし、子育てなどというものとは無縁の人生だっただろうに、ひとつの命を生かそうとしてくれる人。
 濡れ羽色の髪に混じる銀色がキラキラとしていて、薄い色のサングラスを外した瞳が柔らかな黄金色を弾いていた。
「信一。俺と帰ろう」
 差し出された手は信一の手よりは少し冷たい。
 抱き寄せられた体からは、いつものように鼻をつく薬剤の匂いがした。
 それが無性に寂しくて、それが無性に切なくて。
 ようやく涙を見せた信一に、男は何を言うでもなく抱きしめ続けた。
 帰ろう。
 一緒に帰ろう。
 涙に滲んだその世界は、目が眩むようにいつも赤い。





「信一」
 呼ばれて、目線だけで振り向いた。
 深く吸い込んだ煙を肺の奥の奥まで行き渡らせ、ゆっくりと吐き出す。
 屋上にいることは告げて出てきたから呼びに来ることはわかっていたけれども、こんなに早いとは思わず眉根が寄った。
……別れの一本か?」
「そ、だからあと少しだけ」
 眼下に広がる街並みは赤い。
 別れのときはいつだって、この色だ。
 二本になってしまった指先で煙草を摘まみ、長くなった灰をアスファルトに落とす。
 燻る煙は風に揺れた。
 どこか甘い香りは、信一の愛飲するものではない。
 この香りに包まれるのが好きだった。
 軽い喫味と柔らかなバニラの甘さ。
 厳しさ強さの中にあるその優しさにぴったりだと、言ったことはあっただろうか。
 今はもう信一の記憶に眠るばかりだ。
「そろそろ行くぞ」
「ん、」
 最後を惜しむ時間とももうお別れらしい。
 煙草に口付けるようにフィルターを挟み、信一は最後のひと口を吸う。
 赤焼けが目に痛くて、思わず眇めた。
 瞬間。
「信一」
 ふいに後ろから伸びてきた手が頭を掴んだ。
 そのままぐっと引き寄せられて、もう片方の手が顎にかかる。
「ん、ぅ────っ」
 触れた唇は甘い。こじ開けられた唇の隙間から、全てを攫うように舌先が絡んだ。
 甘い、甘い香り。
 呑み込まれて、鼻から抜ける。
「最後のひと口くらい俺にも分けろ」
「っ、だい、ろう! 駄目、だって……!」
 どん、と押し除ければ、数ヶ月に及ぶ入院で薄くなった体はそれでもびくともしなかった。
 そこに反省の色はもちろん、ない。
 どこか得意気な顔が笑った。
「禁煙って言われただろ!」
「可愛い恋人にキスしただけだ。許せ」
「〜〜〜〜そういうこと言っても駄目!」
 肺の腫瘍を取っても油断はできないらしい。絶対禁煙を言い渡された龍捲風はその場では大人しく頷いていたものの、信一の目から見れば聞く気がないのは一目瞭然だった。ので、信一もまた付き合うことを決めたのだけれども。
 あの手この手で吸いたがる龍捲風は、子供みたいに手がかかる。
 この人のこんな一面は知らなかった。
 嬉しいような、腹立たしいような、それは複雑な気分だ。
 それでも、こうしてそばにいてくれる幸せを信一は噛み締める。
「最後だからな」
 すぐに折れてしまう信一は番人には向いていないのかもしれない。
 引き攣れた腕の傷跡に二本指を這わせ、抱きついた。
 煙草の代わりに消毒薬の匂いがついた体に鼻先を摺り寄せる。その奥にある龍捲風自身の匂いは変わらなくて、目の奥がツンとした。
 変わらない。
 何も変わらないのだ。
 舌先に残る苦味を分け合うように口付けた信一を、龍捲風が強く抱きしめる。
「帰ろう、一緒に」
 あの城砦へ。
 あの赤い格子のある、ふたりの場所へ。
 赤く、燃えるような夕日の中、あの日かけてくれた言葉を今度は信一が口にする。
 帰るのだ。
 一緒に。
 永遠に。
「大佬」



 崩れかけたアスファルトの隙間。
 赤い光差す壊れかけのバーバーチェアの上で、そんな、甘い甘い、夢を見た。