温暖な気候であるナタにもある程度の季節はある。ここ数日は吹き抜ける風も心なしか涼しくなり、日差しも多少穏やかになっていた。いわゆる、秋が来たのだ。
頬を撫ぜる涼しい風を感じながら、オロルンは図書館の一角で本を棚から降ろして大きな机に並べる。風通しの良いその場所は建物の構造上、窓を開けても陽が差し込むことはない。作業を終えたオロルンは、心地の良い秋風が吹き込むその部屋に椅子を一つ運び込み、さて折角来たのだから、と不在の間に増えていた蔵書を手に取った。風に当たり過ぎれば少し冷えるだろうなと、暖かい珈琲もそれに添える茶菓子もしっかり用意している。ぱらぱらと頁を捲り、ああこれは科学技術をテーマにした推理ものなのだな、とタイトルも碌に見ないまま手に取った小説を読み進めていく。正直なところあまり興味はそそられなかったが、折角読み始めたのだから事件の真相まで読まなければと文字を眼で追った。興味が薄くて内容へ集中もできず、ただ活字を目でつらつらと追っていると、誰かの――否、誰のものかは明確な気配がした。本から顔を上げて窓の外を見れば、つい先日オシカ・ナタの玉座から起き上がったばかりの彼が居た。
「隊長!珍しいな、君が謎煙の主まで来るなんて。どうしたんだ?」
「オロルンか。躰に夜神由来の影響が沢山出ているからな、シトラリとビラムの助力を得て検査を行った帰りだ。お前こそ、そこで何をしている」
声を掛けられた隊長はオロルンの姿に気づき、彼が居る窓辺へと歩み寄った。以前と変わらない星の意匠の仮面をつけ、黒々とした衣服を身に纏っている。
「今日だったのか!教えてくれていたら僕も手伝ったのに……今日は虫干しをしているんだ。僕は図書館の司書も任されているから、その仕事の一環だ。それで、その待ち時間に本を読んでいた」
「お前が司書か。少々意外だな」
「僕以外にここの蔵書を読みふける変わり者が居ないからな。今日の予定はもう終わったのか?もし暇なのなら何か読んでいくといい。借りることもできるぞ」
「ふむ……予定は無いが」
「君はたまに本を読んでいたし、嫌いというわけではないだろう?どうだ、君が眠っている間に入ってきた新刊もある」
「……見せてもらうとしよう」
隊長は僅かばかり考えてから図書館の入口へと歩を進める。上手く誘うことができたとオロルンは満足気にちょっとだけ口角を上げ、いそいそと出迎えの準備をした。
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館内に隊長を招き、先ほどの部屋に二つ目の椅子を運び入れた。少し冷めてしまった珈琲は飲み干して新しく二杯淹れる。本に香りが移ると不味いかなと一瞬よぎったが、まぁ誰も読まないし誰か読むころには匂いも取れているだろうと開き直る。
「空想科学は好きか?君が眠っている間に出た作品だと『石素人』というのがあるぞ。なんとナタでは珍しい、ウォーベンではない活字の紙の書籍だ」
「薦める理由はそれなのか……?種類は何でも構わん、お前が俺に相応しいと思う本を教えてくれ。それを読むとしよう」
「君に相応しい本、か……それなら、これはどうだろうか」
オロルンは三冊の本を見繕い、隊長へ渡した。どれも優しい色の表紙の書籍だ。装丁からしていずれもモンドのものだろう。
「二つは読んだ事があるな。数年前にテイワット全土で流行していたものだろう。部下が話題にしていたのを借り、夜更けの暇を潰す際に読んでいた」
「やはり読んでいたか、じゃあこれだな。これは流石に読んでないだろう?最近出たものだからな。きっとナタで読むのは君で三人目だ。だいたいこういう本は、僕とばあちゃんしか読んでない」
「……そうか。読了済みのお前が薦めてくれるというなら間違いないのだろう、借りるぞ」
「ああ。そうだ、君のお薦めはないか?僕も君が薦める本を読んでみたい」
桃色の表紙の本を隊長に差し出しながらそう尋ねると、隊長はふむ、と顎に手を当てながら僅かばかり考えてから書籍名を幾らか挙げた。
「どれも璃月の武侠小説だな。好きなのか?」
「……ああ。学びになる部分も多いからな。武侠小説が好みでないならフォンテーヌの推理小説はどうだ。そこに置かれている本も、確か数年間に流行った有名どころの作品だろう」
そこ、と指された場所には先ほど読みかけていた本があった。
「……推理小説は僕は遠慮する。さっき挙げてくれた武侠小説の最後のものは確かここの蔵書にあるから取ってくる、君は先に読んでいていいぞ」
読書を始めた隊長を一旦置いて、オロルンは隣室で隊長が題名を挙げた本を探した。それは直ぐに見つかり、戻る前にぱらぱらと出だしを眼に通す。璃月の武侠小説と言えば、信義に厚い主人公がその武力を持って悪人を成敗していく物語が多い。冒頭を見る限り、この作品もその例に倣っているようだ。ふとその主人公像にどことなく隊長の生き様が重なるような気がしたオロルンは、根っからそういう気質なのだなと微笑み、書籍を手に部屋へと戻った。
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暫く二人して読み耽り、ほぼ同じタイミングで一冊を読み終えて顔をあげた。
「君、速読なのか?だいぶ早かったな」
「そういうお前もそうだろう、何ならお前の本のほうが厚いだろうが」
「言われてみればそうだな」
どうだったか、とは聞くだけ野暮だろう。オロルンが渡したのはクスっとするような柔らかい空気感のコメディ作品だ。仮面の下から僅かに透け見える口角が上がっているのだから、少しはお気に召したらしい。
「薦めてくれたこれ、とても面白かったぞ。主人公が悪人を千切っては投げ、千切っては投げする様は爽快だった」
「気に入ったようで何よりだ、お前の薦めたこの本も興味深いものだった」
「いい本だっただろう?優しい話で僕も好きなんだ……っと、そろそろ本を棚に戻してやらないと」
空の色が変わるほどではないが、気づけば日が傾き始めていた。湿気てくる前に終えてしまおうと、ぱたぱたと干していた本を片付ける。
「……手伝いは要るか?」
「大丈夫だ、直ぐに終わる。君は……宿に戻るか?もし君がよければだが、夕飯も一緒に摂りたい。どうだろうか」
「構わん、すぐ終わるのであればここで待たせてもらおう」
「よかった。そろそろニンジンが食べ頃なんだ。きっと甘くて美味しく育ってくれていると思う」
「……どこか店に行くのかと思ったが、お前の家に行くのか?」
投げかけには答えないまま、オロルンはいそいそと書棚に本を収めていく。あとは最上段だけとなったところで本を抱えたまま梯子に脚を掛けた。
「その状態で梯子を使うんじゃない、危ないぞ」
「大丈夫だ、慣れている――わっ」
このくらいどうってことない、とオロルンが慣れた様子で梯子を上って最上段に全ての本を収め終えたその時だった。梯子が突然ぐらつき、宙に身が投げ出される。
――落ちる!
背を打つ覚悟できゅっと目を引き結んだが、想定していた衝撃は来なかった。暖かい肢体がオロルンを抱き留めている。
「危ないと言っただろう。もう少し危機感を持て」
「す、すまない隊長……ありがとう、助かった」
抱き留められたオロルンは優しく床に降ろされた。瞬時の判断、庇う時の身のこなし、抱き留めた後の対応全てが、まるで先ほど読み終えた武侠小説の主人公……否、それよりも遥かに主人公然としていた。
「それにしてもお前、少しばかりその……肉が付いたか?」
「な!そんなことは……」
「別に太ったと言いたい訳ではない……何と言ったらいいか、その、だいぶ柔らかいなと」
何もそんなところまで武侠小説の主人公に似なくてもいいじゃないか、とオロルンは口を少し尖らせる。
「……君が眠った後から全然鍛錬をしていないからな、きっとそのせいだ。そうだ、君、躰の調子が落ち着くまでは暇だろう?稽古をつけてくれないか、君に教われば僕も強くなれる気がする。涼しい季節だし、いいだろう?」
「……お前の都合に合わせてやるから日を決めろ」
「よかった。よろしくな、隊長」
失言だったなという想いがあるのだろうか、隊長はいやに素直にオロルンの要望を聞き入れた。
読書の秋、の次は運動の秋だなと、一緒に居られる理由があるなら何だって構わないオロルンは満足気に微笑んでいた。
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