有栖川
2025-09-06 11:34:19
18904文字
Public 10月吸血鬼パロ本
 

ダンス・イン・ザ・ヴァンパイアホーム/02

吸血鬼パロのkiis。原作沿いifパラレルで、サッカーしてるし監獄もあるけど、異種が普通に人間と混じっている世界観。
吸血鬼のkis×吸血鬼の眷属になっちゃう41の話です。捏造と特殊設定もりもり。
10月に出す本の一部になります。サンプルになる部分を更新しきったらpixivにまとめる予定です。

02 Moonlight, Bloodnight




 タクシーを降りて自宅に着いたのは深夜零時を回った頃のことだった。オートロックの錠が閉まったのを確認してから、後付けで自分で取り付けたアナログの鍵も二重に閉めて、それからセキュリティシステムが正常に作動しているのを確かめる。世一は初めて訪れたカイザーの自宅の様子にやや興奮しているきらいが見られたが、ふかふかのソファにダイブしたのが運の尽きで、しばらくすると電池が切れたみたいにぱたりと寝込んでしまっていた。
 まぁ、そうなるよな。なにしろコイツは人間から吸血鬼に生まれ変わったばかりなのだ。そんなの体力を使い果たしていて当然である。
 カイザーは妙に納得すると、毛布を引き摺ってきて世一の隣に腰を降ろし、そして目を閉じた。そばに腰掛けたのは、決して一緒にいたかったとかそういうおセンチな理由からではなく、世一がまた勝手にいなくなったら困るからという実利に即した考えによる。カイザーは育ちの関係で物音に敏感なので、すぐ隣で世一が起き上がれば即座に目を醒ますはずだ。
 そしてソファにもたれて眠るというアスリートにあってはならない方式を採用して眠りについたふたりは、特に何かイベントを起こすこともなく、翌朝カーテンの隙間から射し込む朝日に焼かれて目を醒ました。
「うわあっつ! あっつい! かゆい! かゆいし痛ッ、なんだこれ!?」
 いや違うな。カイザーの場合、正確には、朝日に焼かれて悶え苦しむ世一の絶叫で目を醒ました。この家が完全防音の高級マンションでなければ近隣から苦情を入れられていただろうと確信出来るほどの大声で普通にクソうるさかった。
「なんだ、うるせぇ、……アー、直射日光か……プロテクト錠飲ませんの忘れてたな」
 のそりと起き上がり、とてとてと窓へ寄っていくと隙間がなくなるようシャッとカーテンを閉める。すると先ほどまで子供のように叫び喚いていた世一はあっという間に元気になり、「なぁ今の何!? ちょっとお日さま当たってただけなのにっ、いつから世界にはデス光線が降り注ぐようになったの!?」などとカートゥーンアニメに脳をやられたみたいな胡乱な台詞を喋りたくるようになるではないか。
「クソ黙れシャラップ世一、変わったのは世界ではなくお前の身体の方だ。お前は今後プロテクト錠を飲まない限り朝日にふんわり身体を焼かれ続ける生涯を過ごすことになる、クソ諦めろ。ところで昨晩のことは覚えているか?」
 それをピシャリとぶった切ってやって強制的に話の流れを作ると、世一はきょとんとして小首を傾げ、それからううんと唸った。
「えーっと……ぼんやりとしか。なんか……気付いたらカイザーとホテルの廊下突き当たりにいて、俺の首から血が出てて、お前の口にはべったり血が付いてて、なんかそのまま……タク拾ってここに来たんだっけ……?」
「思ってたよりは覚えてるな。実は俺も会場から消えた世一を探していたところ、気がついたらあそこにいて、死にかけていた世一を見つけたんだ」
「エッ!?」
「そしてお前を生かすため、俺の血を与えて吸血鬼に変えた。朝日が痛いのはそれが原因だ。サンプロテクト錠をやるからさっさと飲め」
「エッ!? ……えぇっ!?」
 パタパタと壁際に寄って棚の引き出しを開けると、中から白い徳用ボトルを取り出して投げる。もはや唸っている場合ではなくなったらしく大仰に喉をのけぞらせる世一は、しかし突然ぶん投げられたボトルを小賢しく反射神経で避けるとぱしっとキャッチし、それからラベルに書かれたドイツ語にチラッと目を通す。
「〝吸血鬼用サンプロテクト錠90日分……眩しい朝日も、刺すような西日も、照りつける夏の陽射しまで、これ一錠で丸一日完全ブロック〟。なにこれ?」
「現代吸血鬼の必需品。ドイツメーカー発祥の画期的発明だ。多分日本でも売ってる」
 辿々しく読み上げられた声にキッパリそう言って返すと世一が今度こそピシリと固まった。
……えっ、もしかしてマジで俺、吸血鬼になったの……?」
 カイザーが吸血鬼らしいってのは知ってたけど、と、所在なさげに呟く世一の声は隠し切れない震えと動揺を孕んでどこまでも不確かに揺れている。
 ……どうやら現実を受け入れさせるのには、まだもう少し時間が必要そうだ。


 仕方なく、それから数時間ほど、カイザーは世一の様子を伺いながらゆっくりとあれやそれやを説明してやるハメになった。幸いのこと今はオフシーズンで、カイザーも世一も互いに予定らしい予定は入っていない。時間だけはそれなりにある。そしてこれからどう生きていくべきか、互いの身の振り方を決めるためにも、時間は必要だ。いくらでも。
 世一は純血人間育ちらしく異種についての知識に乏しく、まずカイザーはそこから説明を始める必要があった。異種っているらしいよね、なんか。よくわかんないけどノアって狼男なんだろ? 世一の認識はそのレベルで止まっており、まず異種についての基礎と世間様での振る舞い方あつかわれ方を理解させるのに一時間かかり、カイザーは話をしているだけでは時間の無駄だと考え途中から並行して朝食の準備に取りかかった。世一もついてきて隣で目玉焼きを焼いていた。固焼きだった。カイザーは半熟派だったため結局自分でやり直した。
 吸血鬼そのものの話に入れたのは、朝食を軽く取り終え、カイザーお気に入りのマシンで淹れた食後のコーヒーを並べる頃になってからだ。カイザーは吸血鬼であり、世一も昨日吸血鬼になったこと。現代の吸血鬼は最大の弱点である陽の光を科学の力で克服しているが、薬を飲み忘れると今朝の世一のように文字通り痛い目にあうこと。陽の光を浴びる生活を何代か続けたり人間と交わっていった結果、現在は耳が尖っている吸血鬼はごく少数派となり、カイザーと世一もそのご多分に漏れないこと。吸血鬼のシンボルたる牙は吸血時以外はちょっと鋭い犬歯ぐらいに偽装出来るから、隠していればまぁまぁバレないこと。ただし一日に一回は吸血鬼用血液パックや栄養タブレットを規定量摂取しないとコンディションが崩れること。喉が渇いてもそのへんの人間の血を吸ってはいけないこと。世一はカイザーによって吸血鬼化させられたため、見えない繫がりが生まれ、いわゆる主従の関係にあるはずだということ。
……本当なら、眷属にされた相手は洗脳状態になって、主人の命令に絶対服従自由意志無しのコウモリちゃんになるはずなんだがな」
 互いにコーヒーを三杯ほど飲み干した頃になって、ようやくそこまで話が辿り着き、カイザーは行儀悪く肘を突いて息を吐いた。ちらりと世一のカップ横に目をやると、サンプロテクト錠が手つかずで置かれているのが見える。
……だがいいから飲め、と渡したソレをいつまで経っても口に入れないでぼーっとコーヒー舐めてる姿を見る限り、お前がそう・・なっていないのは明白だ。どーなってんだよ、お前は?」
「えっ、あっ、いやだって明らか怪しいクスリだからなんか口入れるの怖くてさぁ……?」
「ハァ……。その抵抗が出来る時点で自我があるってコトだ。つーかさっき俺も同じの飲んでたろーが、そんなに砂になって消えたいのか世一くんは」
「なんだよその言い方!? あ〜、もぉ、飲めばいーんだろ、飲めば……!」
 半ば以上心ここにあらずと言った調子でぼんやり話を聞いてはコーヒーをすするを繰り返していた世一が、カイザーの視線に居心地を悪くしたのかもぞもぞと錠剤に手を伸ばす。そして持ち上げたごくふつうの白い薬剤をじーっと眺め回すと、十秒ほど経ってから、ようやく意を決したように口の中に放り込んでコーヒーを口に含んだ。
 コーヒーで薬飲むの普通にあんまり良くないぞ。まあ吸血鬼は人間よりカフェインの許容値高いから大丈夫だとは思うが……
「ッ……!?」
 そう思って眺めていると、突然世一がぶるぶると肩を震わせ始める。
 オッ、やっちまったか? なりたてだとまだカフェイン許容値が上がりきっていなかったのだろうか。などと頓珍漢なことを考えていると、
……エッ何これ!? ただの錠剤なのになんかやけに美味ぁ……!」
 目の前で赤ちゃん吸血鬼がもっと頓珍漢な反応をした。
 つーかなんだその変な恍惚顔と語彙のないリアクションは?
 世一のクセに頬の赤みが妙にエロい。食レポだったら諸般の事情で落第だぞお前。放送禁止。
「なぁこれマジで美味ぇ〜、一日の摂取量超えて飲んじゃうヤツとか出ないの? グ○サプリみたいに」
「吸血鬼専用調整だから人間にはクソマズらしいけどな。つーかそんな自制心のねぇ吸血鬼はもうどっかで犯罪起こして独房行きになってる」
「アッウン、ハイ、そーゆー感じね……
 などというカイザーが無表情の下に秘めた懊悩には当然気付くことなく、世一がふたたび、うぅんと唸って首を傾げる。
 これはあれだな、頭の中で論理という名のパズルを組み立てている時の顔だ。
 はからずも世一とそれなりの付き合いになってきていたカイザーは瞬時にそう気付いた。世一がいちいち構ってきたり隣で自主練したりするせいで、こーゆーのいつの間にか分かるようになってんな……。そう益体のない思考を薄ぼんやりと弄んでいると、やがてパズルのピースを嵌め終えたらしい世一が、新技を思いついた時と同じ動きであっとくちびるを小さく開き、それから、いつもより神妙な面持ちでカイザーへ顔を向け直す。
……わかった。俺、ホントに、……本当に吸血鬼になっちゃったんだな」
 そして世一が、観念したようにそう言った。
 だったらもうソレを受け入れてうまくやってくしかないよな、と続けられた言葉は、思いのほかアッサリした調子だった。
「もぉ納得したから、今後はソレ前提でやってくわ。で? なんか他にさ、吸血鬼の話ってある? 注意するべきこととか」
「ハァ? 注意すべきこと……?」
 ここ数時間の粘りが嘘のようにサラッと全てを受け入れた世一に調子を崩されながらも、なんかまだあったっけ……と今度はカイザーが首を捻る。世一がなぜか隷属化しないとか、なんで世一は会場を抜け出していたんだとか、自分が世一を吸い殺すほどの興奮状態に陥って暴走してたっぽいのは何故だろうとか、気に掛かることはいろいろあるが、それは吸血鬼そのものに対する話では特になくて……
……あ。注意点というほどじゃないが、一個、吸血鬼なら誰でも知ってる伝承……みたいなのがあるな」
 と、ふと思い出したどーでもいい寄りの話があって、カイザーはポンと手を叩いた。
「へーっ、どんな?」
「親が子に冗談混じりで話す寝物語みたいなヤツ」
 興味津々といった風体で世一が丸っこい目をこちらに真っ直ぐ向けてくる。まぁ親が子供に話すと言っても、カイザーは親との仲が完全に終わっているので、本で知った話なのだが。「吸血鬼の親子に向けた読み聞かせブック」的なので。実家にあった。あのクソ親父も女に蒸発されるまでは子育てする気があったんだと思う。
 とにかく、その本に、幼子への読み聞かせ話として書いてあったのだ。吸血鬼に古来より伝わる——御伽話が。
……真実の愛に目覚めた吸血鬼には、一度だけ、奇跡を起こす力が宿るんだと」
 複雑な気持ちになりながらカイザーが呟くと世一がへぇーと間抜けな声を漏らして頷いた。
「なんかデ○ズニー映画みたいだな」
…………
 カイザーは何も言わなかった。自分の父親が後生大事に抱えていた薔薇の入った硝子のケースがかなりソレだなと思った過去をなんとなく思い出して、気分が落ち込んだからだった。
……。とにかく、そういう御伽話があるが、実際に真実の愛による奇跡とやらが成就した話は俺も聞いたことがない。世一が気にすることもないだろうが、うっかりどこぞの馬の骨に恋して苦しむようなことがないようにな」
 そして腐した気分につられて思わず口さがない台詞を吐いてしまう。だが世一はそのへんは特に気にした素振りもなく、そーだなー、なんて呑気に頷いて、コーヒーカップに口を付けているばかりだ。
「じゃ〜、まぁ、目下考えるべきはこれから俺がどう過ごしていくかってコトと……昨日の夜に何があったのか、だよなぁ」
 ズズ、とお行儀悪く音を立てて冷めきったコーヒーを啜り、世一がぼやく。「まぁ正直俺もお前も何にも覚えてないんじゃ、昨晩の方は考えてもしょーがなさそうだけど」そしてカイザーも薄々そう思っていた今のところの結論を的確に弾き出すと、カチャンとカップをソーサーに戻してふっとカイザーに目を向けてくる。
……世一、」
——なぁカイザー、しばらく俺のこと、ココに置いてくんない?」
 その仕草になんだか妙に胸騒ぎがして世一を制止しようとしたが、残念なことに世一の方がワンテンポ挙動が早かった。
「吸血鬼のコトとかよくわかんないし、栄養タブレット買おうにもどこに売ってるかすら知らないし。俺はサッカーさえ続けられればそれでいーんだけど、今のままじゃそうもいかなさそう」
 いったいどこの世界に、かつて完膚なきまでに叩きのめして最高道化マイベストピエロ煽りをした男に同居を提案する人間がいるんだろう。ここにいる上にもう人間ではなくなってしまったんだが。だがきょうび、吸血鬼だってこんな意味不明なことは言わない。これは純粋に潔世一はイカれているという話なのだ。ボコった相手に馴れ馴れしく絡んでくる時点で答えは決まっていたわけである。
 まぁ世一を最初に煽ったのはカイザーなのだけど、という話は今は棚の上に置いておいて。
……どこに俺のメリットがあるんだよ、その提案」
「えーっと、俺といつでもサッカー談義できるトコ?」
……クソ時間の無駄。クソ却下」
 グチグチ食い下がって世一の提案を払いのけようと試みるが、この潔世一とかいう男、心臓が鋼鉄で出来ているうえに生えている毛も図太い。世一はニッコリ笑って、カイザーがあえて目を背けていたウィーク・ポイントへいとも容易く王手を掛けてきやがるのでたまったものではない。
「そう言うなって。俺のこと吸血鬼にしたのはお前なんだからさ、責任持てよな」
 ソレを言われたらおしまいなのである。
 少なくとも、カイザーの意外と良識的で常識人な部分が無視出来ないほどに痛む。確かに、潔世一を吸血鬼へと変える決定をしたのはカイザー自身だ。カイザーには世一を人のまま見殺しにする選択もあった。それが出来ず、異種に変えてまで生き返らせた罪は……なかったことには出来ない。
「ハァ〜〜〜〜〜〜……クソ傲慢野郎が。……とりあえず一週間だ。その間に吸血鬼としての基礎を叩き込んで自立させてやる」
 仕方なく、カイザーはこれ見よがしにも程がある長い長い溜息を吐くと、世一の提案に折れた。
 幸い、家は広く無駄に部屋数も多いし、越してきて以来一度も使われていないだけで客間もある。ベッドも机もあるから、世一が転がり込んでもそれほど困ることはない。カイザーのメンタルの安寧は恐らく損なわれるだろうが、言ってしまえばそれだけ。
 ……〝なりたて〟を放置して街に放り出し、取り返しの付かない事件を起こされて芋づる式にカイザーが吸血鬼化させたことがバレるよりは遙かにマシだ。一度は警官七人をのしたカイザーとはいえ、今更独房に入れられる趣味はない。
「やった! これからよろしくな、カイザー!」
 そんなカイザーを見ながら、世一はとても楽しそうに手を叩いて笑っていた。コイツが何考えてるのかマジで一切分からない。分かりたいとも思わないが。

 ——未来永劫、この男とはこうなのだろう。

 カイザーは重ねて溜息を零し続けた。ミヒャエル・カイザーの人生はどこまでいってもクソだ。生まれた時から、きっと死ぬまで永劫に。


◇ ◇ ◇

 そういうわけで、謎と不穏を抱えながらもふたりの慣れない共同生活がはじまった。なし崩しで世一がカイザーの自宅に転がり込むコトに決まったその日の午後、つまりパーティーでのアクシデントの翌日にはカイザーの車を使って最低限の家財を移動させ、世一はカイザーの家のゲストルームに棲みつき始めた。家電製品の類は持ち込ませず、衣類とお気に入りの日用品、そしてユニフォームとスパイク等々だけを積み込んでそれで終わりだから、往復は要らなかった。異国の地に住んでいるからなのか、そういう性格なのか、世一の家……寮の部屋は、簡素でモノがなかった。
「なんか思ってもみなかったコトになっちゃったけど、ビックリ半分、もう半分は、正直ちょっとワクワクしてるかな」
 その晩世一は、少ない荷物をほどいてゲストルームを作り変えながら、そう囁いた。
「お前のコト、青い監獄ブルーロックの頃はマジで嫌いだったけどさー。一緒にプレーしたり仕事したりするうちに、若気の至りが抜ければ意外といいヤツかもなってこと、わかってきたし」
……どーゆー意味だよ、何が言いたい」
「ん。カイザーさぁ、広報仕事で俺が困ったりしてたら、まぁまぁ助け船出してくれたじゃん? 人あたりはいいけどそれだけのヤツより、口も態度も最悪だけど手を差し伸べてくれるお前の方が、仕事はしやすいよなってだけの話」
……意味不明なハイタッチとかはそれが理由で?」
「エッ、意味不明だと思ってたのアレ。チームメイトで友達なんだから、コミュニケーションぐらい取りたいだろ。俺なりに頑張って欧米式を学んできたんだよ」
…………(友達になった覚えなんざないが?)」
 ただ残念なことに、カイザーにとり、世一の言っていることはだいたい意味不明なままだった。一緒の家に住んで、距離感が縮まっても、その意味不明さは何ら変わることはなかったのだ。
 世一は無条件にカイザーを信用し、無遠慮に人の家へズケズケと上がり込んで、そして無神経にカイザーの名前を口にした。何度も、何度も、しょっちゅう、同じ家にいるというのにわーっとカイザーを探しに来て名前を呼んだ。
 用件はたいがいくだらないことだった。茶柱が立ったとかいう話はともかく(日本では幸運の証なんだろ? 知ってる)、自室に飾っているノアのフィギュアが倒壊してパーツがこぼれたとか、勝手に俺の分までクッソダセぇTシャツ買ってきたとか、牛乳の入ったココアを作ったから一緒に飲もうなどと抜かすだとか、本当に心底どうでも良すぎて溜息と共にあくびが出てきそうなほどだった。
「なぁ、あそこの8番なんだけどさぁ、今の動きたぶん……
「あぁ、狙いが外れてスカしたってことだろう。だが決まっていれば——
「得点の可能性は十分あったな。それを見抜いて綺麗にボールを采配したってワケだ。この辺のテクはまだ冴から学ぶコト多そうだな〜」
 だが、アスリートとしての潔世一は、決してそばにいて不快な存在ではなかった。
 思考が近く、理想も近しい。波長が合うってヤツか、とにかく、サッカーの話をしているときは悪くなかった。コイツ相手に楽しいなんて口が裂けても言いたくなかったから言わなかったけど。なにしろカイザーは過去一度、潔世一とのサッカーがクソ楽しすぎたせいで惨めな敗北を全世界に晒すハメになったのだ。
「な〜、カイザー!」
 そう——だから、世一との暮らしは、べつに楽しくはない。
「カイザー、おはよ。ランニング行こーぜ」
 決して。隣にもうひとり並べてのランニングなんて面倒この上なくて億劫だ。相手のペースに合わせて走るなんてかったるい。一日一回規定量のサンプロテクト錠を忘れないようになってきたのは、まぁ、世一にしては覚えがいいなと思うけど。それだけ。……それだけだ。
「カイザーカイザー、出来たっ! 見てこれ、バッチリ! はじめてオムレツ成功しちゃった、アハハなんか文字書いてやるよ」
 一緒に飯を食うなんてのも勿論ダルいことこの上ない。世一の失敗飯を毎日食わされる身にもなってくれという話だ。徐々に上達していっている様子が意外と面白くて悪くないだなんて当然有り得ない。なんだよそのウネウネしたケチャップのかけ方は。あ? 日本語? ひらがなで書けバカ。ギリ読めるから。意味は? ……〝ご主人様〟? イカれてんのかコイツマジで。本来なら吸血鬼の主従契約ってもっと厳格で重々しいものなんだからな。そのアホ面晒せてる現状に感謝しろよ。つーかなんでそのままなんだよお前は。
「はぁ〜、カイザーんちって意外と住みやすいってか、住めば都って感じ〜。俺もーずっとココいようかな、料理もふたり分作った方が楽しいし、タブレットも慣れてきたし」
 とにかく、暮らしの首尾は、総括して「思ったよりはまぁうまくいってる」が6で、「いや無理、意味わかんねぇ、コイツマジでクソ」が4といったところだ。潔世一はミヒャエル・カイザーとまるで気が合わないし、息も合わなければ、間違いなく身勝手で自分勝手なエゴイストさいあくと言っていい部類の相手に入るけれど、でも、隣に絶対置きたくないと唾棄するほどには嫌悪出来ない相手でもあった。
 世一のサッカーの技術は認めている。纏わり付いてくる女たちのように必要以上にベタベタしてくるところがないのもいい。ピッチ上での傲慢極まりない暴言と私生活での穏やかで良く気がつき世話好きな部分が奇跡的な同居を果たしているところも、意味不明だがかえって面白い。それになによりサッカーにかける狂気が好ましい。情熱と呼ぶのも憚られるソレがあるから、ミヒャエル・カイザーにとっての潔世一は、隣に並んでいても疎外感を覚えない、サッカー狂いの愚か者おなじいきものなのかもしれないとそう思える。
 そう思ってしまったのだ、不本意ながらも、……一緒に過ごして、たったの数日が経ったくらいで!
 だからきっとこれはその報いなのだ。
……おいミヒャエル、なんだこのクソ体たらくは?)
 一緒に暮らし始めて七日が経った頃、カイザーの身体に異変が起こった。
(このタブレットは今までだって飲んでただろ? だというのに……なんでこんな感情になる? そもそもこのクソ世一は、何故こんなコトをしてるんだ?)
 唇を押さえる。頭の内側に、大昔に本で読んでそして一笑に付したもうひとつの御伽話が蘇る。曰く、眷属となった吸血鬼は、主人が与える血無くしては生きていけない身体になるという。そして眷属を下僕ではなく生涯唯一のつがいと定めた主人もまた、人間の生き血だけではやがて生きてゆかれなくなる……
「オエッ、は、なんでだよ、飲めねぇ……!」
 タブレットを吐き戻し、かぶりを振った。藁にも縋るような思いで取り寄せた血液パックなんて勿論口にする気にもならなかった。その代わりに、自分の身に起こる異変が何かも分かっていなそうな様子で喉を喘がせ顔を紅く火照らせるいきものの、青く丸っこい、大きな瞳にばかり目が吸い寄せられていく。
「なぁカイザー、あつい、頭あついって、はぁ、喉渇いたぁ……
 たったの七日で、カイザーの身体はまさに御伽話の通りになりつつあった。世一もだ。……もしかしてこの七日間のあいだに、主人と眷属として身体が書き換わってしまったとでも言うのだろうか? カイザーは額を押さえて重たい頭を振る。脂汗が手のひらに零れて滲んだ。嘘だと言ってくれ。だけどこの激しい発作のような症状は、御伽話は真実だったのだと雄弁に語りかけてきている。
(現代吸血鬼が聞いて笑わせる、クソ最悪だ、クッソ……!)
 カイザーは生唾を飲み込んではぁはぁと浅い息を繰り返す眷属の姿を眺め見た。世一の身体からは得も言われぬ甘い香りがしている。極上の果実のような。この世のどこにも存在しない、楽園の林檎の如く。はやく口に付けて飲み干したいと願ってやまないほどの、甘く、甘く、甘ったるく馨しい香りが……
 ——コイツの身体から人間としての生き方すべてを吸い上げた、あの夜と同じよう・・・・・・・・に。
「カイザーの血が欲しい……
 動けなくなったカイザーの代わりに、ご主人様の首筋へかぷかぷと赤ん坊のような牙を押し当てながら世一が囁く。「かわりに、俺の血、吸っていいからさぁ」はぁはぁと荒く息を吐いて、大きな瞳を欲望で煮詰めて、わけわもわからず欲情したこどものように寄る辺ないまなざしでカイザーを射抜き、縋るように指を添わせて腕を引く。
「なぁ、欲しい、欲しいんだよ、飲ませて、お前の血をちょうだい、かいざぁ、」
 こんなふうに縋られるなんて気持ち悪いはずなのに拒む気にすらなれなかった。
「お願いだから……
 だってうわごとめいた呟きを漏らす世一の紅潮した頬は、どうしようもなく美味そうに愛らしく染まっていたから。「おれ、だめなきゅうけつき、みたい……」囁く鈴の音に喉が鳴るのをどうにも隠し切れない。は、こんな筋肉のついた男の声が鈴の音に聞こえるなんてミヒャエル・カイザーもいよいよヤキが回ったなと、何日かぶりにそんなことをぼんやり考えて、だけどそれすらも熱く狂おしい吐息に呑まれていく。
「おまえだってさ、のど、かわいてんだろ? だったら……おたがいさま、だよな…………
 世一が嘯いた。
 甘い香りでむせ返りそうで、頭がおかしくなりそうだとそう思った。
「共犯者、に、なろーぜ、……カイザー?」
 世一の牙が、ぐっ、と押し当てられて、鋭さを増していく。教えてもいない吸血法を本能で悟って、普段はちょっと鋭い犬歯ぐらいに偽装している牙の本性を取り戻し、世一が熱烈に愛らしく、あわれにもカイザーの血を求めている。
「は……はは……無様だなぁ、…………世一?」
 カイザーは目を瞑り、世一の頭をそっと抱き寄せた。
 露わになったうなじは生白く、カイザーが吸い尽くした痕はどこにも残っていない。新雪をもう一度踏み荒らすことを許されたような快感にゴクリと生唾を飲み込んで、大きく口を開く。
「あぁ、俺も、お前の血が欲しい。……この契約はお前から差し出したものだ、後悔しても、……もう聞かない」
 鋭い牙を柔肌へあてがう。ズブリと力を込めて皮膚を食い破るこの瞬間の快感がたまらない。「——ぁ、」世一が喉を震わせ、甘美な毒に似た感覚に身をよじる。けれどそれでも彼は、血を吸われている身ながらも、出来たての牙をカイザーの首元へぐっと押し当てて…………
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
————————ッ!」
 そうして獣たちは貪り合った。
 主人の血と眷属の血を互いに喰らい合って、その身の糧とし、血を吸い吸われる享楽に耽った。
 吸血鬼の牙から滲み出る分泌液が傷口から染み込んで、本来感じるはずであった痛みをたちまち快楽に変えていく。気持ちいい。きもちいい。きもちいい……♡血を吸われて乱れていく世一の姿が、血を吸おうと一生懸命にしがみついてくるおぼこい世一の姿が、何もかも愛らしくて無様で愛おしくて、つい、カイザーも腕を回して、世一の背を撫でさする。
 指先で優しく背をさすると世一が気持ちよさそうに吐息を漏らすから、気を良くして今度は首筋をなぞる。すると世一もカイザーの背に指を添わせてくるくるとからかうようにさすってきて、可愛いなぁなんて思ってしまって、ますます、血が美味しくなったように思う。
 脳味噌がバカになっていくみたいだ。ぐずぐずに理性が溶けてこの可愛い可愛い眷属コウモリちゃんを骨抜きにしてやりたいという感情だけでいっぱいになる。すると身体のどこかにぽっかりと空いていた大穴に何かが注がれ、満たされていくような感覚になって…………
(あーあ……何やってんだ俺は、世一なんかと、こんな…………
 最後に、その正気じゃない光景を、俯瞰して見ているような冷え切った自分の声を聞いて、
 ——それからカイザーはぐちゅりと音を立て牙を引き抜いた。
……ッ、は、はぁ、はぁ…………
 吸血ヴァージンの世一は当然として、カイザーも食事としての吸血は初めてだ。疲労感と酩酊感、そして異様なほどの充足感に一緒くたに見舞われながら、なんとかかんとか息を吸って吐いて頭を振る。
 こんな麻薬みたいなモンを主食にして生きてたなんて中世の純血吸血種はイカれてんな。
 そう薄ぼんやり思考を弄んでいると、カイザーから遅れてようやく意識を現実に回帰させたらしい世一が、血を吸われる前よりも頬を真っ赤にして、ごしごしと頬を拭っている姿が目に映る。
「どうした世一、今更気恥ずかしくでもなったのか? 最初に言ったじゃないか、後悔してももう聞かないってな」
 ハッと息を吐いてわざとらしく肩を竦めて見せた。なんというか、正気じゃない出来事があったばかりだから、世一を揶揄ってわざと怒らせることで気を逸らしたい、そんな気持ちがあったのだ。
 だがカイザーは忘れていた。相手は悉くカイザーの思い通りにならなかった、あの潔世一なのだということを。
「後悔は……してないからいいんだけど。でもあの、なんか、世の中にこんなに気持ちいいコトがあるなんて知らなくってさ……
 世一はカイザーの意に反してぽっと頬を赤らめたまま気恥ずかしそうに唇をすぼめ、それから、上目遣いにカイザーの目を覗き込んだ。
 よっつぶんの瞳がかち合って、視線が交錯し、どこにも逃げられなくなる。クソ、コイツおぼこいベイビー吸血鬼のクセに吸血鬼における武器のひとつ、魅了チャームを使ってきてやがる! バケモンかコイツは。いや潔世一が化物じゃない瞬間なんてなかった。いつだってこの男はカイザーを滅茶苦茶にして何処にも逃げられないよう縫い止めてしまって、だから、きっとこれからこいつは、
……ホントに、すげぇ気持ち良かった、の。ハマっちゃいそぉ……えーと、だからその、なんていうか」
 取り返しの付かないコトを口にする。
 俺もお前も後戻りができなくなるような、まさしく悪魔の契約を、いとも容易く俎上に乗せて締結させてしまう。
「明日からも、血ぃ吸うときは、優しくしてくれたら嬉しいなって。なっご主人サマ〜、……なんちゃって?」
…………………………ハァ〜………………
 カイザーは深く、深く溜息を吐いて、大きく首を振った。
〝明日からも〟。その言葉は、世一が自分自身の意志でカイザーに牙を立てられ続けることを選んだということを意味している。コイツバカだな。マジでクソバカ。とんだ常識知らずだ、なんて警戒心のないクソアホ赤ちゃん吸血鬼なんだろう?
「ンなこと冗談でも俺以外に言うなよ。……ま、俺以外の血は受け付けない身体になってるだろうがな」
 うまく言葉に出来ない情動がこみ上げて、衝き動かされるままに身体を抱き寄せ血の跡を舐めると、世一が嬉しそうに顔をほころばせて真似をしてくる。まるで耳をぴこぴこさせているウサギか犬だ。こんな愚かしい生き物、カイザーが放り出したら一瞬で世にはびこるクソ犯罪者共に取って喰われておしまいに決まっている。
 仕方ないから俺が保護してやらないとな。
 カイザーは七日ほど前に自分がやらかした所業を綺麗に棚の上に上げてそう決意した。己の行為を、熱に浮かされたとしか言いようのない気の迷いを正当化するかのように。
 ……とにかく、それからふたりは、吸血鬼用タブレットの代わりに、夜毎互いへ血を与え合うようになった。
 そして離れることもできなくなった。一週間で自立させるなんて嘘八百、本能として——互いに互いの血に溺れてしまったのだ。クッソ忌々しい。


◇ ◇ ◇


 それからも、些細な食生活・・・の変化を除き、共同生活は非常にうまく進んでいった。朝は起きたら一緒に走り込み。気が向いたらその帰りにカフェに入ったり、適当なパンを買って帰ったりして普通の人間の朝食を摂る。午前は練習なり家事なりトレーニングなりをしてまた普通の昼食。午後もその日したいことを各々やって、お互いのやりたいことが一致したら、一緒に出掛けたり遊びに興じたりする。それから日々の買い出しも。
 ふたり暮らしが馴染んでくる頃にもなると、ふたりぶんの日用品を調達するペースも完全に掴んで、お互いそれほど言葉を交わさずとも家事の分担が出来るようになってきた。世一が一緒に試合の録画を見たがっているときのサインや、逆にカイザーが読書中に世一を隣に座らせておきたいときのサインにも、なんとなく気付けるようになった。そしてお互いの目がばちんと合ってしまったとき、世一が頬を赤らめる瞬間があれば——その意味も。
 世一はカイザーに血を吸われることを好んでいる様子だった。
 浮いた話もなく、サッカー一筋だった世一にとって、血を吸い合う秘密の時間は、今までになく刺激的で魅力的な遊びなのだろうな——と、カイザーは漠然とそう感じ取っていた。
「んっ…………
 何しろメカニズム的に、吸血鬼に血を吸われるというのは、吸われる側にとってほとんどセックスと同じ快楽行動なのだ。初めて互いを〝食事〟したあとに調べたのだが、どうも獲物からスムーズに血を得るため、唾液に向精神薬と同じ働きをする成分を含ませて傷口から流し込むようになっているらしい。ついでに吸血している側にも、餌をより美味しく感じさせるため脳内麻薬を分泌させて興奮状態にするとかなんとか。
「世一……目つむるな、見せろ、ン……よいち」
 なので吸血中はなんかカイザーの方も無駄にそういう気分になってしまい、世一を甘ったるく抱き寄せてイチャイチャしてしまう。
「ふ、ぁ、かいざぁ?」
……あぁ、いい子だな」
 なんか、無意味に、頬を撫でたり髪の毛を指先で梳いたりして、ぺたぺたスリスリ可愛がってしまう。己はそのへんの犬猫にすら愛想を振りまかない生き方をしてきたはずだというのに……
 吸血タイムが終わったあとは己のやらかしを把握したまま正気に返るため、このミヒャエル・カイザーともあろう者がこんな色ボケクソ野郎みたいな真似を、と、思うには思ったのだ。しかしどうにもならなかった。本能には逆らえないってヤツだ。吸血鬼ってクソだな。とにかくどうにもならなかったので、二週間目ぐらいでもう諦めた。だって血を吸わないと死ぬ。カイザーも世一も。そう、だから……これは仕方のないことなのだ。
 たとえ、それが原因なのかなんなのか、吸血時以外の世一の距離もどんどん近くなっていっているとしても……
「な〜カイザー、カイザーってば、——聞いてた?」
「あ? ……クソ聞いてなかった」
「はぁ〜? もぉ、二度手間なんだけど」
 世一を吸血鬼に変えてしまってから一ヶ月が経ったある夜。シラフの状態でスマホを弄っていたはずの世一は、気がつけばカイザーの肩にどさりと頭をもたれさせかけ、子供のようにぶうたれていた。一緒に暮らしてみて初めて知った驚きの事実なのだが、なんかこの潔世一とかいうやつ、割と気を許すと甘えた行動に出るタイプだったらしい。あまりにぺたぺた触ってきたりするので一度驚いて訊ねたところ、「あ〜俺一人っ子だから、両親にはまあまあ甘やかされてたとこあって。……あと監獄で大人数に囲まれて暮らしてたのにそのあと何年か一人暮らしが続いてたから、ちょっと人恋しくなってたんだよね」と照れくさそうに言われたので、そういうことらしかった。いやどういうことなんだよ。
 とにかく、この一ヶ月で、世一の中でカイザーは〝身内判定〟をされたようなのだ。身内だから甘えるし、その代わりなんでも親身になって助ける。血を与え合うのもその一環。どうやら世一の中では、この奇妙な関係性がそう処理されているらしい。
「ったく、しょーがないヤツ。もう一回だけ言ってやるから耳の穴かっぽじってクソよく聞けよ」
 だから世一は、カイザーが上の空で話を聞き流していた事に対しても、それほど気にしていない調子でこんなふうにあははと笑うし。
「俺来週から日本行くから。ほら、前にチラッとだけ話した青い監獄ブルーロックの仕事のヤツ。二週間ぐらい帰ってこないから、うちの中のコトよろしくな〜!」
 そして当然のようにこんなコトをかましてくる。
 カイザーは身内だから、まぁ多少適当に扱っても許してくれるよな! ……などと言わんばかりのものすごくスッキリした笑顔でだ。
「ハ? いきなり何言ってるんだお前は。そーゆーのは一ヶ月前には言えクソバカが」
「いや一ヶ月前って俺がココに転がり込んだばっかの頃じゃん……
「誠意を見せろって話だよアホの世一くん」
 そしてカイザーは相手が誰であろうとそこらへんキッチリしてないとイライラする性質たちなので、普通に甘えを突き放してバタンと勢いよく読んでいた本を閉じた。
「言ったよな? 別に勝手に出掛けてもいいが、冷蔵庫の中のモノやら何やら予め調整が必要だから、外泊だけは早めに共有しろと。ご主人様の命令が聞けないのか、このポンコツ眷属が」
「だーっ、ゴメンって! 半年ぐらい前からスケジュールは決まってたんだけど、なんかバタバタしてて言うの忘れちゃってたの!」
「誠意」
「あ〜、もぉ、大変申し訳ありませんでした! 共同生活のルールを守れない俺が悪かったです!」
「及第点以下。今回だけ特別に許してやる」
「お前ってホントワガママ王子……
 一方の世一はというと、カイザーにグチグチ細かく詰められてやや疲弊した様子を見せたものの、「まぁ今回はカイザーが正しいか……」と若干しおらしい顔付きになり、はぁとちいさく溜息を吐いたらすぐに表情を明るくする。そしてそのままばっとカイザーの手を握り取って持ち上げると、何故かやたらと浮かれている調子で、「でさ、あともう一個確かめときたいコトあるんだけど」などと嬉しそうに口走る。
「眷属と主人が離れられないとかなんかそーゆー制約あったりする? あればお前の分も旅券とホテル手配しないとなーって思ってさ!」
 そこからカラッと明るく告げられた問いに、カイザーはふるりと首を横へ振った。
 なんか、聞き間違えでなければ、「カイザーと一緒に旅行したいな〜!」みたいなテンションが見え隠れしているような、そんな気配がしたからだった。
「眷属の分際で主人の予定を勝手に決めようとするんじゃねぇよ。ハァ、まったく、主人の側が縛りを設けなければとくにそういった制約はないハズだ。定期的に互いの血を飲まないと渇きには襲われるが」
「アッそういえばそれがあったなぁ……。やっぱカイザーも行く?」
「おい人のことを生きる輸血パックみたいに扱うな。あとクソ行かねぇって言ってんだろ」
 はぐらかすと今度はハッキリ言い直されたので、やっぱり聞き間違えじゃなかったらしい。お前マジで言ってんのか? 俺とお前の間柄で? 一緒に? 日本へ二週間? 何故? つーか世一が青い監獄ブルーロックの仕事してる間何してりゃいいんだ。コイツ本当に計画無しすぎるだろ。
「それより、俺がいない分の血をどうにか確保して持たせないとな。今日からちょっとずつ採血してパッキングしておくぞ。液体検査で引っかからないように小さめのボトルに詰めるから向こうで一日一本ずつ飲め」
「え、固まらない?」
「凝固しないように薬剤入れるに決まってんだろ。お前の血も二週間分用意するから今日から直で吸う量半分以下にしろ。元々必須量の倍以上飲んでるから、まぁ、減らして慣らしておけば旅先でもギリギリ足りるはずだ」
「あ、そぉ? そんな感じ? ん〜、まぁカイザーが行きたくないならしょうがないかぁ」
 俺は行きたかったけどな、カイザーと。世一がぼそりと呟く。カイザーはそれについ、うっかり、何故、と口を滑らせる。言ってしまったあと、あ、しまったな、と思いながら。
「なんでって、だってカイザーに俺の故郷とか見てほしかったし」
 聞く気もなかったはずのセンチメンタルな答えを、カイザーは吹き飛ばすつもりで鼻で笑った。
「は、なんでだよ。俺たちはただルームシェアしてるだけの他人だろ、……友人でもないのに?」
 その言葉を口にすると、何故か、胸がチクリと痛んでざわついた。
 世一はそんなカイザーの顔を見て、ふっと笑ってこう言い返した。
「ここまで一緒にいたらもう友達ではあるだろ、主人と眷属である前にさ!」
 主従関係の方が先だバカタレ。


「ハァ…………
 ——というのがちょうど二週間前の話であり、バカでかいキャリーにカイザーの血が入った小瓶を日数分詰めた世一が無事ミュンヘン国際空港を旅立ってから、更に一週間が経っていた。ま、そのうち二日ぐらいは移動時間なのだが……。トランジットを挟むからまあまあダルいんだよな、ドイツから日本は。ちなみにカイザーが世一に同伴しなかった理由の四割がこれだ。残り六割は青い監獄勢ブルーロックスと関わるメリットが一ミリもないから。
………………
 溜息ばかりを束ねてそのへんに積み上げ、気が乗らなくなった本をぱたりと閉じる。机の上には、同じような理由で途中で読むのを止めてしまった本が何冊も積み上がっていた。カイザーは基本的に中途半端なところで読書を止める性格ではないのだが、どうも、ここ一週間というもの目が滑って捗らないのである。それで読んでる本がつまらないからいけないのかと思ってあれこれ本をとっかえひっかえしてみたのだが、どれもこれも途中で手が止まる。こうなるともう本の内容以外に原因があると言われているようなものだ。
………………クッソありえねぇ」
 それでもまだ認めがたくて、カイザーは抵抗するように唇を尖らせた。
 いやだ、認めたくない、そんな、隣で世一がダラダラしてないから読書が捗らないだなんて。
 絶対に認めたくない、ミヒャエル・カイザーの人生が、潔世一に取り返しのつかないところまで侵食されていると平伏するも同じだから。マジでクッソ無理。
「違う違う、マジで違う、クソ違う……!」
 脳内でイマジナリーネスが「でもカイザー、世一に最高道化マイベストピエロされたあたりからずっと世一の話しかしなくなって地味に怖かったよ。キミの代わりに僕が世一の息の根止めてやらないとって思ったぐらい」などと物騒なことを言い始めたので思考の外へと追いやった。息の根は自分で止めないとつまらないからダメだ。あと今となっては眷属の血しか受け付けない身体になった関係で世一が死ぬとカイザーも自動的に主食が取れなくなって衰弱死するのでダメ。
「あ゛〜〜〜〜〜〜…………
 イマジナリーネスが消え去り、今度は静寂が戻ってくる。一ヶ月のあいだずっと騒がしくて賑やかだったはずの家の中を、しんと張り詰めた静けさだけが支配している。
 カイザーは唸った。この雪の降る夜のような空間が自分にとっては何より好ましいはずだった。己というクソ物には、何より寂しいのが肌に合う。そのはずだったのに。
「世一……
 ……今は、その寂しさが、肌を刺す。
 バカみたいに騒がしいあいつの明るい声が、ほんの七日離れただけだというのに、……恋しくて自分が嫌になる。
「クソッタレ……主人が眷属に乱されるなんぞあっていいハズないだろ……
 初めは、むしろ喜んでいた。せいせいするなとすら。世一と暮らし始めてから、生活のほぼ全てがアイツとぴったり一緒になって、不快というほどでもないが、どことなく不思議な感じがし続けていて、世一の不在はそのリセットにもってこいだと思っていた。それにたったの二週間の話だ。世一を眷属にしてしまうまでは、会わない日が続く方が当たり前だったのだ。
 すぐに終わる・・・・・・
 耐えられない話じゃない。そう思っていた。
……あと七本しかない……
 だけど今は、世一から採血して詰めておいた血の小瓶たちを、恐れるように撫で回してばかりいる。
 これすら無くなってしまったら、本当に世一との繫がりが切れてしまうのではないか、と、それを恐れている自分を克明に感じてほとほと嫌気が差す。
「これも吸血鬼のクソ本能ってやつか? 本当に……クッソ忌々しい」
 舌打ちして考えを振り払うように頭を払った。チラリとスマホの画面を横目で見たが、日本にいる世一からの連絡は今日も届いていない。その現実を前に、眷属のくせに薄情なと思う自分と、他人なんだから当然だろうがと冷笑する自分が対立していて、クソだな……と思う。
「別に……世一はひとりでもやってけるヤツだ。それだけの話だろ、ミヒャエル? 監獄の友人共もウジャウジャいるだろうから、退屈もしないだろうしな…………
 己に宥めるようにそう言い聞かせている姿は、客観的に見ても道化師じみて滑稽だと思った。
 だってこれじゃまるで、自分が世一を必要としているようではないか。
 世一の方はカイザーなんざいなくてもなんともないはずだろうに、
——あ?」
 だがそんなやさぐれた思考は、心臓をぎゅうと絞り取るような悪寒が走って、強制的に停止させられる。
「なんだ……?」
 カイザーはがたりと立ち上がって、バッとあたりを眺め回した。いつも通りの、静かで、何の変哲も無い、普通の自宅だ。賊が侵入したということも多分無い。ではこのピリピリと肌を粟立たせるような緊張感、……そしてゾッとする怖気は、一体どこから?
——世一?」
 気がついた時には、考えるより先に、くちびるがその名を紡いでいた。
「世一……世一、あのクソバカが……!」
 カッとした、炎のような怒りが己の中で膨れあがっていくのを感じる。カイザーはスリッパをバンバン鳴らしてリビングを走った。寝室でジャケットを引っ掴み、ラフな格好の上へ強引に羽織る。ポケットにスマホと財布、それからパスポートとを突っ込んで、そのまま続けざまに玄関へ向かう。
 常識的に考えて、飛行機でほぼ一日近く掛かる距離にいる相手の状況なんて、分かるはずがない。
 けれど今のカイザーには、そんな常識的なことを思考に乗せている余裕はなかった。吐き気がする。ひどい吐き気が。唇を手で押さえ、オートロックでドアが閉まる音を背中に聞きながら、恐怖に駆られるようにして走り出した。殆ど本能に衝き動かされるかのように、自分が何をしているのか半分も分かっていないまま、ただ、唇の中に広がる己の血の味ばかりを噛みしめて。
 この声のする方へ、——今すぐに届かなければ・・・・・・・・・・と。