Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
gib_fox
Public
tski松ガス
Clear cache
コンビニ ケーキ 踏切
平和軸if
初老の男性モブ視点で、両片思いの二人です
古代史博物館の隣に、小さな喫茶店がある。一階部分が注文と客席が少し、二階が五席ほどの大きさだ。木造の建物は年季が入り、階段は軋む。昔、ここ一帯で火事があったとき、奇跡的に焼けずに済んだそこは、私のような常連でないと少し行きにくい、入り組んだ場所にある。
カウンターに書かれた、珍しい注文方法でコーヒーをオーダーする。何グラムの豆で飲むのかをマスターに伝え、淹れ方もそれによって違う。コーヒー豆の産地も飲み方によって異なるが、マスターに言えば好みで変えてくれる。
二年まえ、マスターが代替わりをした。若い息子が頑張ってやっている。するとコーヒーとケーキをテイクアウトできるようになり、クレジットカードで会計を済ませられるシステムが整った。のんびりとしてそうで顧客層の拡充を淡々と進める若者は、見ていて気持ちがいい。粋な計らいはすぐに常連の間でも好評を博し、家でも楽しめるありがたみを感じる。
──カウンターでコーヒーを飲んでいると、一週間の内に一、二日やってくる青年がいる。三ヶ月まえからだ。
ここで飲んでいくこともあれば、コーヒーを持ち帰る日もある。カウンターでノートパソコンを開きながらも、画面を見ていなかったり、本を読みつつも、すぐに閉じてしまったりと、集中力に欠けるというかなんといか。見ているだけでも気が散っているのがよくわかる。こういう、心ここにあらずといった若者は、マスターと違ってどう接したら良いかわからない。
青年の手にはいつも一枚のチケットがある。隣接する古代史博物館の前売り券だ。期間限定の展示の一部が印刷されていて、箔押しの文字が、窓から差し込む日の光で私の目に軽く反射したから知った情報だ。その展示は私も見に行ったし、とても素晴らしかった。展示期間がもうすぐ終わってしまうのでは? と彼がためらうのを焦れったく思った。
青年は常にどこか浮ついて、落ち着かない。腰を据えてのんびりしているふうには見えない。彼の発する気配が、こちらまでそわそわさせる。
これはまあ、生きてきた経験の勘か──青年はその展示を見に行きたくても、見に行けない事情があるのではないか、と仮説を立てた。
青年はテイクアウトをした日の翌々日にまたここへやってきて、「十六グラムのグアテマラと、タルト・フリュイをください」と言った。落胆気味の声を聞くと、私は彼がまだ、博物館へ行けていないと知る。マスターがコーヒーを淹れるのを、カウンターで静かに見守る青年は、黒目の中に艶やかな光を映して、まだ諦めを捨て切れないのだろう、チケットを手帳に挟んで大事そうに鞄へしまった。
さて、喫茶店を出てしばらく歩くと踏切がある。赤い光を灯す目玉のような警報器は、カンカンと甲高くお馴染みの音を鳴らしながら、長い時間この道路を封鎖する。長い時間、と言ったが長くなるのは一日の内数回で、その時間帯だけはどうしても、線路を行き交う運行ダイヤがかぶるのだ。右へ走り去る列車を見送ると、今度は左から来る列車が駅へ吸い込まれていく。よく保育園の散歩の時間潰しにこの踏切が使われ、二台も走る列車が見られたことを喜ぶ子どもたちを見ると、こっちまで笑顔になる。大人にとっては長いだけのつまらない光景が、輝く瞬間でもあった。
そのつまらない光景の中で、やはり同じくつまらなさそうにしている男性の存在を、私はときどき目にしていた──大柄な彼が古代史博物館の職員である、ということも知っている。一度博物館内で偶然見たことがあるのだ。あの大きな体で展示に使われた額を、傷つけないよう丁寧に扱っていた。休憩中にふらっと外へ出るのだろう。
踏切が開くまでの間、以前までの彼なら列車が行き交うのをただ黙って眺めていた。あくびを噛み殺しながら、まだ通り続ける列車を睨み、思案顔をするのだ。手元にはコンビニの弁当らしきものが入ったビニール袋をぶら下げていた。
しかし最近は、スマートフォンを取り出し、通知があるかを画面上で確認し、なにもないようですぐポケットにしまう。そしてまた数分後にはスマートフォンを開く。その繰り返しだ。
そういえばその行動も、三ヶ月まえからである。私の頭に、博物館のチケットを握りながら、もどかしくも鈍い動きを見せる青年の姿がよぎった。
彼は、この職員の男性と面識があるのだろうか。
古代史博物館へ戻る道すがら、あの喫茶店がある。三ヶ月まえから青年がここへ通うようになり、しかし踏切付近で彼らは鉢合いそうなのに、会ったのは見たことがない。
──はるか昔に読み
耽
ふけ
った、探偵小説を思い出す。この男性とあの青年。接点や期間のつながりと一致。なんてことはない日常の、ミステリーとも言えない些細な出来事を、私の老後の楽しみとしてつい捉えてしまう。
「きっとなにか、あると思うんだよね」
翌日喫茶店で、若いマスターにここまでのあらましを話すと、彼は「へぇ」と相づちを打ちながら、私のちょっとしたゴシップに目を輝かせる。
「あの青年は博物館に行きたい。そして男は来るのを待っている」
「仮にそれが本当だったら、すごい洞察力じゃないですか」
「まぁ、あくまで想像だよ。全く接点のない二人かもしれない」
そこまで得意げに言ったが、ふと我に帰って恥じらいを覚えた。
「いやしかし、なんというか
……
無理やり若者の繋がりを見つけてくっつけようとしてる、お節介な人間のようだな」
定年退職をして、暇になったせいだろうか。そう言うとマスターは笑い、私のまえに今日の一杯を差し出してくれた。
十六グラムのグアテマラ。青年は毎度、どんな気持ちでこれを飲んでいるのだろう。
◇
二ヶ月後。
夕立が降ったあと、空に虹が出た。良いことがある前触れかもしれない。思い立って外に出てみると、いつも行く喫茶店はしばらく臨時休業中であることを思い出した。マスターに子どもが産まれるらしい。これから一ヶ月はあそこのコーヒーとケーキが味わえないので、コーヒーは自宅で淹れるとして、ケーキは別の店で買うことにした。ただ、どうにも舌が物足りないと訴えている。自分で淹れるコーヒーもあまり良い味とは言えず、妻と二人で、申し訳ないが早めの喫茶店再開を待ち望んでしまう。
そうは言っても仕方のないことなので、私は毎日ふらふらと散歩を繰り返していた。
最近では博物館周りの都市開発が進んでいる。工事の音があらゆる場所から聞こえ、また高層マンションやビルができるのかと
辟易
へきえき
した。
あの踏切に差し掛かり、私は列車が流れるのを見ていた。いつの間にか、遅い時間にはなるがいつものように、この踏切に立ってしまっている。疲れた顔の会社帰りの人たちは、渡れないことを苛立ちながら立っていた。右へ、左へと流れていく列車はマイペースに時を刻む。
──ふと、あの長身の男性の姿が視界に入った。今夜は残暑のためか、ジャケットを羽織っていない。ワイシャツとスラックス、手には相変わらずコンビニの袋を持っていた。彼はスマートフォンを動かしてなにかを打ち込んでいた。片手で器用に動かし、ポケットにしまうと、反動でがさりとビニール袋が揺れ、彼が少し慌てた様子で中身を確認する。
コンビニで弁当を買うと、たまにななめになって具材が偏ったりするが、あの男性が今まで、そんな
些事
さじ
を気にして持っていたことがあっただろうか。私は出来る限り今までの記憶を遡ったが、男性が揺れを気にしてビニール袋を持っているシーンなどまるで浮かばない。
それか、今まで買ったことのない、崩れると困るものでも入っているのか。
踏切の音が止み、遮断機がゆっくり開く。向こう側とこちら側で、世界がつながったように感じた。私が歩き出すと、彼も歩く。足の長さがある分、彼の方が早く私の横へたどり着いた。彼が通るといつも、かすかなタバコの香りがする。
袋の中身が、ちょうどよく私の視線の高さから見えて、それはかさりと鳴って存在を主張する。
──新発売のシールと、透明のふたが二つ、ちらりと見えた生クリーム。
今は日曜の夜。この辺りで一軒だけの、古くからあるケーキ屋は早々に閉まってしまった。喫茶店はもちろん休み。高級で見目の良いケーキなど、電車に乗って買いに行くには遅すぎる。
近ごろのコンビニの商品は美味しいと、いつか妻が力説していた。これしかなかった、と手土産で渡されても
遜色
そんしょく
ないと頷いてもいた。私も昔ながらのケーキ屋や、こだわりのある喫茶店など、古き良き時代ばかりを振り返らず、あの煌々とした明かりの中へ入ってみようか。
……
しかしあの男性には良い人がいるのか。それならばあの青年は。私が立てた仮説は崩れ去ったかと悔しくはあったが、ひとまずコンビニのドアをくぐった。
◇
「十六グラムのグアテマラと、二十一グラムのフレンチをください」
そう言って青年は、猫背を少しだけ伸ばして会計をする。まえよりも瞳の輝きが少し増して、テイクアウトのために椅子に座って飲み物を待っていた。
喫茶店が再開し、私は以前のようにコーヒーを飲みながら客層を眺める。育児休暇明けのマスターは寝不足と幸福を混ぜた顔つきで、カウンターに立っていた。
「今日はケーキ、いいんですか?」
とマスターが聞けば、青年は悩んだ素振りを見せる。言いづらそうに、彼はゆっくり口を開いた。
「あんまり甘くないのって、ありますか?」
私は目を丸くする。
青年はわりと、甘いものが平気なのだと思っていた。タルトやムースもよく食べていたように記憶している。私は彼のオーダーしたものを振り返る。
十六グラムのグアテマラ、二十一グラムのフレンチ。後者はロースト感が強い──コーヒー豆は炭のように黒々として、油分さえ飛んでいる。
いうなれば、その香りにはタバコのような雰囲気がある。
「このビスコッティがいいですよ」
持ち歩きも楽ですし。とマスターが告げると、彼は顔を上げ、二度ほどまばたきをした。ビスコッティはキャラメルの風味と、ナッツが含まれた二種類が包装されていて、ケーキほどデザート感のあるものではないが、その苦いコーヒーを
嗜
たしな
むような人物であればたしかに問題ないだろう。
「ありがとうございます」
じゃあ、それで。と青年が言うと、マスターはすぐ、焼き菓子を入れる袋にビスコッティを包んだ。大きめのテイクアウトカップに注がれたコーヒーと共に手提げ袋に入れられ、青年の手に渡り、大事に持ち歩かれる。
カラカラと喫茶店のドアベルが鳴り、青年の後ろ姿が店内のガラス窓から完全に見えなくなるころ、私はマスターに尋ねた。
「二十一グラムのフレンチだなんて、聞いたことないよ。いつからメニューになったの」
若い店主ははにかみながら、「実はね」と明かす。
「さっきのお客さんと考えて生まれたんですよ。最近二つテイクアウトするから、お相手の方の好みの味は? って聞いたら、実はわからない、でも薄いのは飲まないと思うって言われてね」
「まぁ
……
マスターには悪いけど、コーヒーは飲めたらなんでもいいって人もいるからね」
深く頷き、嘆かわしく感じながらも、若い店主は話を続ける。
「タバコを吸う人らしいからね。話を聞けば、味の好みもなかなか渋い人なんですよ」
でもね、とマスターは、やや隈のできた目元を
綻
ほころ
ばせる。
「その相手の人、あのお客さんが甘いの好きだからって、コンビニで慣れないケーキまで買ってきてくれたんだって」
そんなに大事に思われるの、嬉しいですよね。とマスターは、先代の父親によく似た顔で笑った。
広告非表示プランのご案内