コンビニ ケーキ 踏切

平和軸if
初老の男性モブ視点で、両片思いの二人です

 古代史博物館の隣に、小さな喫茶店がある。一階部分が注文と客席が少し、二階が五席ほどの大きさだ。木造の建物は年季が入り、階段は軋む。昔、ここ一帯で火事があったとき、奇跡的に焼けずに済んだそこは、私のような常連でないと少し行きにくい、入り組んだ場所にある。
 カウンターに書かれた、珍しい注文方法でコーヒーをオーダーする。何グラムの豆で飲むのかをマスターに伝え、淹れ方もそれによって違う。コーヒー豆の産地も飲み方によって異なるが、マスターに言えば好みで変えてくれる。
 二年まえ、マスターが代替わりをした。若い息子が頑張ってやっている。するとコーヒーとケーキをテイクアウトできるようになり、クレジットカードで会計を済ませられるシステムが整った。のんびりとしてそうで顧客層の拡充を淡々と進める若者は、見ていて気持ちがいい。粋な計らいはすぐに常連の間でも好評を博し、家でも楽しめるありがたみを感じる。
 ──カウンターでコーヒーを飲んでいると、一週間の内に一、二日やってくる青年がいる。三ヶ月まえからだ。
 ここで飲んでいくこともあれば、コーヒーを持ち帰る日もある。カウンターでノートパソコンを開きながらも、画面を見ていなかったり、本を読みつつも、すぐに閉じてしまったりと、集中力に欠けるというかなんといか。見ているだけでも気が散っているのがよくわかる。こういう、心ここにあらずといった若者は、マスターと違ってどう接したら良いかわからない。
 青年の手にはいつも一枚のチケットがある。隣接する古代史博物館の前売り券だ。期間限定の展示の一部が印刷されていて、箔押しの文字が、窓から差し込む日の光で私の目に軽く反射したから知った情報だ。その展示は私も見に行ったし、とても素晴らしかった。展示期間がもうすぐ終わってしまうのでは? と彼がためらうのを焦れったく思った。
 青年は常にどこか浮ついて、落ち着かない。腰を据えてのんびりしているふうには見えない。彼の発する気配が、こちらまでそわそわさせる。
 これはまあ、生きてきた経験の勘か──青年はその展示を見に行きたくても、見に行けない事情があるのではないか、と仮説を立てた。
 青年はテイクアウトをした日の翌々日にまたここへやってきて、「十六グラムのグアテマラと、タルト・フリュイをください」と言った。落胆気味の声を聞くと、私は彼がまだ、博物館へ行けていないと知る。マスターがコーヒーを淹れるのを、カウンターで静かに見守る青年は、黒目の中に艶やかな光を映して、まだ諦めを捨て切れないのだろう、チケットを手帳に挟んで大事そうに鞄へしまった。

 さて、喫茶店を出てしばらく歩くと踏切がある。赤い光を灯す目玉のような警報器は、カンカンと甲高くお馴染みの音を鳴らしながら、長い時間この道路を封鎖する。長い時間、と言ったが長くなるのは一日の内数回で、その時間帯だけはどうしても、線路を行き交う運行ダイヤがかぶるのだ。右へ走り去る列車を見送ると、今度は左から来る列車が駅へ吸い込まれていく。よく保育園の散歩の時間潰しにこの踏切が使われ、二台も走る列車が見られたことを喜ぶ子どもたちを見ると、こっちまで笑顔になる。大人にとっては長いだけのつまらない光景が、輝く瞬間でもあった。
 そのつまらない光景の中で、やはり同じくつまらなさそうにしている男性の存在を、私はときどき目にしていた──大柄な彼が古代史博物館の職員である、ということも知っている。一度博物館内で偶然見たことがあるのだ。あの大きな体で展示に使われた額を、傷つけないよう丁寧に扱っていた。休憩中にふらっと外へ出るのだろう。
 踏切が開くまでの間、以前までの彼なら列車が行き交うのをただ黙って眺めていた。あくびを噛み殺しながら、まだ通り続ける列車を睨み、思案顔をするのだ。手元にはコンビニの弁当らしきものが入ったビニール袋をぶら下げていた。
 しかし最近は、スマートフォンを取り出し、通知があるかを画面上で確認し、なにもないようですぐポケットにしまう。そしてまた数分後にはスマートフォンを開く。その繰り返しだ。
 そういえばその行動も、三ヶ月まえからである。私の頭に、博物館のチケットを握りながら、もどかしくも鈍い動きを見せる青年の姿がよぎった。
 彼は、この職員の男性と面識があるのだろうか。
 古代史博物館へ戻る道すがら、あの喫茶店がある。三ヶ月まえから青年がここへ通うようになり、しかし踏切付近で彼らは鉢合いそうなのに、会ったのは見たことがない。
 ──はるか昔に読みふけった、探偵小説を思い出す。この男性とあの青年。接点や期間のつながりと一致。なんてことはない日常の、ミステリーとも言えない些細な出来事を、私の老後の楽しみとしてつい捉えてしまう。
「きっとなにか、あると思うんだよね」
 翌日喫茶店で、若いマスターにここまでのあらましを話すと、彼は「へぇ」と相づちを打ちながら、私のちょっとしたゴシップに目を輝かせる。
「あの青年は博物館に行きたい。そして男は来るのを待っている」
「仮にそれが本当だったら、すごい洞察力じゃないですか」
「まぁ、あくまで想像だよ。全く接点のない二人かもしれない」
 そこまで得意げに言ったが、ふと我に帰って恥じらいを覚えた。
「いやしかし、なんというか……無理やり若者の繋がりを見つけてくっつけようとしてる、お節介な人間のようだな」
 定年退職をして、暇になったせいだろうか。そう言うとマスターは笑い、私のまえに今日の一杯を差し出してくれた。
 十六グラムのグアテマラ。青年は毎度、どんな気持ちでこれを飲んでいるのだろう。

 ◇

 二ヶ月後。
 夕立が降ったあと、空に虹が出た。良いことがある前触れかもしれない。思い立って外に出てみると、いつも行く喫茶店はしばらく臨時休業中であることを思い出した。マスターに子どもが産まれるらしい。これから一ヶ月はあそこのコーヒーとケーキが味わえないので、コーヒーは自宅で淹れるとして、ケーキは別の店で買うことにした。ただ、どうにも舌が物足りないと訴えている。自分で淹れるコーヒーもあまり良い味とは言えず、妻と二人で、申し訳ないが早めの喫茶店再開を待ち望んでしまう。
 そうは言っても仕方のないことなので、私は毎日ふらふらと散歩を繰り返していた。
 最近では博物館周りの都市開発が進んでいる。工事の音があらゆる場所から聞こえ、また高層マンションやビルができるのかと辟易へきえきした。
 あの踏切に差し掛かり、私は列車が流れるのを見ていた。いつの間にか、遅い時間にはなるがいつものように、この踏切に立ってしまっている。疲れた顔の会社帰りの人たちは、渡れないことを苛立ちながら立っていた。右へ、左へと流れていく列車はマイペースに時を刻む。
 ──ふと、あの長身の男性の姿が視界に入った。今夜は残暑のためか、ジャケットを羽織っていない。ワイシャツとスラックス、手には相変わらずコンビニの袋を持っていた。彼はスマートフォンを動かしてなにかを打ち込んでいた。片手で器用に動かし、ポケットにしまうと、反動でがさりとビニール袋が揺れ、彼が少し慌てた様子で中身を確認する。
 コンビニで弁当を買うと、たまにななめになって具材が偏ったりするが、あの男性が今まで、そんな些事さじを気にして持っていたことがあっただろうか。私は出来る限り今までの記憶を遡ったが、男性が揺れを気にしてビニール袋を持っているシーンなどまるで浮かばない。
 それか、今まで買ったことのない、崩れると困るものでも入っているのか。
 踏切の音が止み、遮断機がゆっくり開く。向こう側とこちら側で、世界がつながったように感じた。私が歩き出すと、彼も歩く。足の長さがある分、彼の方が早く私の横へたどり着いた。彼が通るといつも、かすかなタバコの香りがする。
 袋の中身が、ちょうどよく私の視線の高さから見えて、それはかさりと鳴って存在を主張する。
 ──新発売のシールと、透明のふたが二つ、ちらりと見えた生クリーム。
 今は日曜の夜。この辺りで一軒だけの、古くからあるケーキ屋は早々に閉まってしまった。喫茶店はもちろん休み。高級で見目の良いケーキなど、電車に乗って買いに行くには遅すぎる。
 近ごろのコンビニの商品は美味しいと、いつか妻が力説していた。これしかなかった、と手土産で渡されても遜色そんしょくないと頷いてもいた。私も昔ながらのケーキ屋や、こだわりのある喫茶店など、古き良き時代ばかりを振り返らず、あの煌々とした明かりの中へ入ってみようか。
 ……しかしあの男性には良い人がいるのか。それならばあの青年は。私が立てた仮説は崩れ去ったかと悔しくはあったが、ひとまずコンビニのドアをくぐった。

 ◇

「十六グラムのグアテマラと、二十一グラムのフレンチをください」
 そう言って青年は、猫背を少しだけ伸ばして会計をする。まえよりも瞳の輝きが少し増して、テイクアウトのために椅子に座って飲み物を待っていた。
 喫茶店が再開し、私は以前のようにコーヒーを飲みながら客層を眺める。育児休暇明けのマスターは寝不足と幸福を混ぜた顔つきで、カウンターに立っていた。
「今日はケーキ、いいんですか?」
 とマスターが聞けば、青年は悩んだ素振りを見せる。言いづらそうに、彼はゆっくり口を開いた。
「あんまり甘くないのって、ありますか?」
 私は目を丸くする。
 青年はわりと、甘いものが平気なのだと思っていた。タルトやムースもよく食べていたように記憶している。私は彼のオーダーしたものを振り返る。
 十六グラムのグアテマラ、二十一グラムのフレンチ。後者はロースト感が強い──コーヒー豆は炭のように黒々として、油分さえ飛んでいる。
 いうなれば、その香りにはタバコのような雰囲気がある。
「このビスコッティがいいですよ」
 持ち歩きも楽ですし。とマスターが告げると、彼は顔を上げ、二度ほどまばたきをした。ビスコッティはキャラメルの風味と、ナッツが含まれた二種類が包装されていて、ケーキほどデザート感のあるものではないが、その苦いコーヒーをたしなむような人物であればたしかに問題ないだろう。
「ありがとうございます」
 じゃあ、それで。と青年が言うと、マスターはすぐ、焼き菓子を入れる袋にビスコッティを包んだ。大きめのテイクアウトカップに注がれたコーヒーと共に手提げ袋に入れられ、青年の手に渡り、大事に持ち歩かれる。
 カラカラと喫茶店のドアベルが鳴り、青年の後ろ姿が店内のガラス窓から完全に見えなくなるころ、私はマスターに尋ねた。
「二十一グラムのフレンチだなんて、聞いたことないよ。いつからメニューになったの」
 若い店主ははにかみながら、「実はね」と明かす。
「さっきのお客さんと考えて生まれたんですよ。最近二つテイクアウトするから、お相手の方の好みの味は? って聞いたら、実はわからない、でも薄いのは飲まないと思うって言われてね」
「まぁ……マスターには悪いけど、コーヒーは飲めたらなんでもいいって人もいるからね」
 深く頷き、嘆かわしく感じながらも、若い店主は話を続ける。
「タバコを吸う人らしいからね。話を聞けば、味の好みもなかなか渋い人なんですよ」
 でもね、とマスターは、やや隈のできた目元をほころばせる。
「その相手の人、あのお客さんが甘いの好きだからって、コンビニで慣れないケーキまで買ってきてくれたんだって」
 そんなに大事に思われるの、嬉しいですよね。とマスターは、先代の父親によく似た顔で笑った。