画板に向かう男が、珍しくいやに現実的な絵を描いているので、思わず顔を顰めながら、そして首を傾げた。この男が好きな絵はもっとふわふわした、なんだったか、いん、しょう、は?それが今はどうだ。熱心に絵の具の重なりで描いているのは、まるで現実を切り取ったような、写真のようではないか。
しかしやはりと言うべきか、まるきり現実的と言うわけにも行かないようだ。
描かれた人物には影が無いし、体の至る所がが果実を輪切りにしたようにすっぱり途切れている。だが、例えば手が無いと言うより、服の袖ごと無いのが奇天烈だ。そしてじっと机上の耳を見詰めている。耳だ。食パンのとかではない。リアルな人間の片耳だった。しかも更に可笑しなことに、そのそばにはさも当然のようにフォークが置いてあるので、逆に不審だ。人物はおそらく男で、その人物自身の耳は描かれているので、その耳は誰か別の者のものだと言うことだ。その奇妙な現場だが、人物以外がやけに明るい。ベランダの外の景色は暗いのに、描かれた部屋の中が異様に明るく、思わず目を眇める。ぎらぎらし過ぎていて吐き気すら覚える。そしてそれが、今その絵を描いているこの部屋を描いたものだと言うことが、たぶん一番奇妙なことだ。しかし勿論影も左手も無い男などこの部屋にはいないし、耳もなければフォークも置いていない。確かに夜の時間ではあるが、部屋の中をこんなに明るく照らせる照明はない。
先程から一言も声を出さず、息すらしていないのではないのかと思うくらいの、そちらを見る。視線を描き手に向けると、男はゆっくりと筆を置いた。
「わたしには見えているのに、それを否定されるんです……写真機を借りてみてもダメでした、やっぱりわたしには上手く扱えなくて、写せなかった写真と、あと、信じてもらえない光景を仕方なくスケッチで説明したつまらない紙切れと一緒に、燃やしてしまいました。」
だからわたしを否定する人達でも分かるように、もっと鮮明にしているんです。それは好きで描いているわけじゃないってことじゃないか。苦しそうだ。しかし、もっと楽しい絵を描け、だなんて気持ちを無視したこと言えやしない。
「おまえ、薬のんでるか?」
絵描きが顔を上げて、こちらを見る。
「お薬がなくても、なんでもない人のように振る舞えます、わたし、人にそう思わせること、ちゃんと出来ます。」
「……それを頑張らなくても良いんだ、って薬のまされんのが嫌なのか。努力はなかったことにされ、無力だと言われるって。」
じっと動かない描き手を見て、それを肯定と捉える。肩を竦める。
「薬をのまないなら幻覚が見えた時おれを呼べ。」
「おまえも幻覚なのに?」
「それはお互いさまだろ。」
思わずまた目を眇めた。
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