望月 鏡翠
2025-09-03 01:34:45
974文字
Public 日課
 

#1830 「苔」「食べる」「椀」

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 辿りついた場所は豊かな山だった。傷つき隠れる場所を探している龍にとっては、おあつらえ向きの場所だった。背の高い木が光を反射してキラキラと光る鱗を隠してくれる。
 水は豊かで、食べるものはいくらでもある。好奇心旺盛なリスや獣の子供が寄ってくるの、牙で引っ掛けて捕まえては食べていた。体力を取り戻しながら、龍は傷ついた鱗を舐めては痛みを慰めていた。
 深い矢傷は龍の手で抜くことはできない。回復には時間がかかりそうだった。
 ある日、その山に人がやってきた。
 龍は人など大嫌いだったが、その存在には気づかなかった。人の匂いが全くしなかったからだ。古い木の匂いがした。身につけている外套からは苔が生えていた。古い岩が動き回っているような男だった。
「ん、血の臭いがすると思ったら、怪我をしているのか」
 男が声を出したときに、龍は初めてその存在に気がついた。
 唸り声をあげ牙を剥き出して威嚇したが、人間は恐れる様子がなかった。
「そのままでは傷が癒えまい。抜いてやろう」
 這いずって逃げる龍を、男は熊のような強い力で捕まえて、問答無用で矢を抜いた。龍は悲鳴をあげてのたうち回った。バタバタと暴れ回ったが、しっかりと捕まえられ、川に投げ込まれて傷を洗ったあと、傷口はふわふわの苔で塞がれた。
 わけがわからぬままであったが、龍は久しぶりに水の中で泳いだ。ぷるぷると顔を振って水を払っているうちに、人間はどこかへ消えていた。
 噛み殺してやろうと思っていた龍は驚いた。傷口が舐められないことにも驚いた。口の中にもじゃもじゃとした苔が入ってくる。
 しかしそこから傷は痛むことはなくなった。苔が血が染みて朽ちてきた頃、人間はまた現れた。手に苔を手にしている。相変わらず人の匂いがしない。
 人の匂いや金属の匂いがしないから、龍はひとまずその存在を受け入れた。怪我が思ったよりも早く癒えて、矢もなくなったので機嫌が良かったのだ。
 男は龍を見て、怪我につけていた古い苔を新しいものと取り替えた。もうあまり痛く無かったので、文句は言わなかった。
 やはり人の匂いはしなかった。
 クンクンと鼻を寄せて匂いを嗅ぐ龍をくすぐったそうに押しのけると、手当を終えた男は、椀に酒をついで飲み始めた。
 それがあまりに芳しいので、龍は一口舌を差し入れて舐めた。