桃の芽吹きはやや遅い/リョ桃
四天宝寺のお笑いダブルスとかゆーヤツらと対戦した時は、少なくともオレは、“それ”に気付いちゃいなかった。てんで、気付いちゃいなかったんだ。越前は、オレにとって、可愛げのないところがなんかちょっとかわいい、特別気に入りの後輩だ。ずうっと、そう思ってた。必要な時には気が合うし、やりたいこともだいたい一緒。一緒にいて気持ちがいい、存在だと感じてた。全国大会決勝を、迎えるまでは。
――越前が、記憶喪失
…?!
長野の軽井沢まで迎えに行ったそいつは、オレの知る越前のはずなのに、そいつはオレの知る越前を知らなかった。おいおい、どういうことだよ
…! たとえばいっちばんギリギリな状況でのコードボールが自陣に入ってきたときなんか、この事態と比べたら、天と地どころか地球のド真ん中と宇宙のどっか遠くてっぺんよりもっともっとずうっと遠くまでのどこかくらい、断然遠くて比べ物にならないくらい動揺させてくる。前に越前がまぶたを切ったときも、心配はしたけどよ、ぜってぇ自分で落とし前つける気だって分かってたし信じてたから、ここまでは心配しなかった。今はただひとつ、不安よりも絶対思い出させてやる、という気持ちがオレを鼓舞させるのが、オレを衝き動かすぜんぶになったみてぇだ。だけど、そう簡単にはいかねぇらしい。なんでだよ、なあ、越前
…! 思い出してくれよ
…!
なあ、越前。桃先輩、って、いつもみたいに呼べよ。なあ、お前の好きなテニス、しよーぜ。なんで、桃先輩って呼ばねえんだよ。オレは、お前にとって、そんなに容易く忘れられる程度の存在だったのかよ。遅刻しないように迎えに行ってやって、帰りに寄り道しながら帰って。部活以外でも、一緒にすごしたよなぁ。なあ、ほんとに、オレのこと覚えてねぇのかよ
…?!
ちくん、ちくりと、いくつも、トゲがぶっ刺さったみてぇだ。針山に座らされてるみてぇな痛みだ。心臓をとりあげられて、剣山の上に置かれちまったみてぇだ。だけど。
越前が、オレのダンクスマッシュに、なにかを、感じ取った。そのときオレに見えた光のきざしは、分厚い雲のほんのちいさなちいさな切れ間にぴったり太陽が重なる瞬間を、思わせた。
トゲは、ぽろりと抜けきるには、まだちくちく痛みを伝えてくる。けど、越前と対戦した皆が駆けつけてくれて、オレのなすべきことが変わった。オレは、会場に現状を報告するためにひた走った。とくん、とくんと、やけに弾む胸が何かの胎動みたいで、けどそのときのオレに、“それ”の正体を考える暇はなかった。
全国大会を、越前の勝利による優勝で終える。オレは、越前のあたまをぐしゃぐしゃとなで回した。胸の中心でなにか少しとくんと温もるものがあったが、オレはそれを、単に『コイツ、ほんとにやってくれやがったぜ!』っていう高ぶりだと認識した。
余韻のなか、次の日も、その次の日も、越前の家の前までチャリを走らせて、練習に連れ回した。信じちゃいるから離れるのが怖いってこたぁねぇけど、なんか、少しでも長く、一緒に居たかったんだ。そして。“それ”は、ついにオレにその正体を、あらわにしてきたんだ!
全国大会の三日後。ほんの、三日後だぞ? 越前の家に行くと、越前は居ないと言う。
「へえ、用事かなんかっスか? あいつ、何時に帰って来ます?」
訊けば、いつになるか分からないと、言う。
そのまま、越前は、姿を消した。ちくん! ずきずき、もやもや。ああ、剣山が今度はオレの心臓めがけて直接ぶっ刺さって来やがった。オレは、その痛みを抑え込むようにぎゅっとシャツを握りしめながら、自分のあたまをぐしゃぐしゃと、何度も、かき混ぜる。
――…なん、っで、だよ
…っ!! なんでっ、なんにも言わねぇでどっか行っちまったんだよ! そんなのありかよ、なあ、越前
…! ねえよなぁ
…!!
オレは、“それ”がただの可愛がっていた後輩の失踪をくるしむだけのものでないことに、薄々気付き始めた。けど、どれほど天気が読めようと、その風だけは真相を掴ませちゃくれなかった。掴むのが、こわかったのかもしれない。臆病風、ってのはこーゆーのを言うのかね。なあ、越ぜ
……っと、
…そうだった、今は、あいつは居ないんだ。ここに。ちくり。ああ、またこのトゲだ。オレは、それを抜けるのが越前しか居ないってコトには、気づき始めてた。
そして。U-17選抜候補の合宿に、オレたち中学生が招かれた。そこに。
「ちぃーーす」
なあ、信じられっかよ!? 信じてたけどよ、コイツもぜってぇ来るって! けど、そーゆー予測の可不可じゃなくてよ、久しぶりに見た越前に、久しぶりにつかまえた越前に、ぱつんと弾けそうなくらいとくとくはずむ胸が、そこにぶっささってた全部のトゲを、根こそぎ吹っ飛ばした。その解放の瞬間に、やっと、思った。
――…ああ、オレ、こいつに、
…恋、してんだ。
その実感が頬をくすぐるだけの時間を今はろくにくれやしないけど、越前が高校生と打ち合いしてる間、オレはずっと、ヘンに浮かれてヘンに痛む胸に、おかしいな、トゲはもうないはずなんだけどよ、と、首を傾げる。恋ってのは楽しいだけじゃない、なんて、どっかでだれもがうたってる。恋ってのは胸が痛むもんだと、どっかでだれもが、うたってる。オレは、胸に、この身体にずうっと抱えてきた“それ”の尻尾を掴んでも、まだ、“それ”との付き合い方にてんで不慣れなんだよなぁ。越前がもし、イヤじゃないってなら。ふたりで、それを掴んでいけたらいーんだけどなぁ。
***
「もーいーかい?」
ネットの反対側に居る相手に向けたようにみせたそのことばは、真実、ほかのただひとりに向けたものだった。
――ふぅん? 桃先輩、やぁ~っと自覚してくれたんだ。オレは、視線の変化に、じゃれついてくる腕のしぐさの微妙な変化に、それを感じ取る。なら、もう逃がす気ないよ。
…ま、元々、逃がす気なんかさらさらないけどね。さぁて、このデクの棒で肩慣らししたら、いっちょ、また打ち合いでもします? どんな愛の言葉を語るより、オレたちみたいなのは、ラリーがいちばん解るでしょ。これまで我慢してきたぶん、せいぜい楽しませてもらいますよ、“鈍感なセンパイ”?
ああ、桃の木って芽吹きこんな時期なんだ。ただひとりだけのそのイレギュラーが、オレには、常識になってくんだろうね。楽しみだよ。
終
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