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桜霞
2025-09-01 21:57:36
8892文字
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【RKRN】しのぶれど【雑夢】
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【RKRN】しのぶれど【ZAT夢】14
※つどい設定があります。
※捏造がたくさんあります。
※なんでも許せるひと向けです。
誤字脱字がありましたら、該当箇所のみ教えて頂けると、大変助かります。
よろしくお願いします。
戦から戻ってきたら、お前に言おうと思っていたことがあったんだ。
一緒に暮らさないかって。
だってお前が、楽しそうに笑うのに、すぐどこかに行ってしまいそうな気配があったから。
でも、口だけでは認められないだろうから、手柄を挙げたかったんだ。
足軽くらい、どうってことはないと思ってたんだ。
◆ ◆ ◆
城へと続く大通りを、行列が進んでゆく。先頭はスッポンタケの旗印。その後ろに笠と杖を持った女たちが続き、男衆が駕籠を担いでいる。駕籠の後を、腰に刀を提げた者達が続いた。
「なんだあ、この行列」
「嫁入りか?」
「白木じゃない、違うだろ」
「あの旗、スッポンタケのじゃないか」
「どこぞの領主かな」
「さあ
……
」
町の人々は何がどうしてこんなことになってるんだろうと互いに顔を見合わせた。行列は武家町に向かい、東脇の屋敷の前で止まった。男衆たちが駕籠を降ろし、後方に下がる。武士たちも一歩下がり、その場に膝を着いた。侍女が駕籠の戸を開けて、手を差し伸べる。駕籠から現れたのは、豪奢な打掛を纏ったスッポンタケの姫君、杉姫であった。
東脇の家にいるのは、当主の篤成とその母、そして屋敷の雑事を担う女中と下男だけだった。母は既に出家し、妙心尼と名乗っていた。普段であれば妙心尼が指示を出して客人をもてなすところ、今回は姫本人のみならずそば付きの女中や護衛の家臣ももてなさなければならないとあって、東脇家は圧倒的な人手不足に陥った。以降篤成は、「屋敷の門が古くなっていたのを最近になって新しくしたからといって、他領の姫君の饗応を任せるのは如何なものか」と記録している。
目付の家からという形で派遣された彼女は、勝手場の一切を取り仕切ることになった。湯浴みや部屋での世話はまた別の家の奥方などが取り仕切っていると聞いて、彼女は少々呆れてしまった。スッポンタケの姫が何用でタソガレドキを訪れたのかは知らないが、手厚いにも程がある。これで黄昏甚兵衛の生母である崇洞院まで出てきたら手に負えない。
「目付の方さま、鮒はどのように」
「膾にしてください」
「こちらは」
「榧の実は煎って、最後に出してください」
「お酒は如何いたしましょうか」
「式三献で」
「しきさんこん」
「かわらけを三つ重ねてください。塩と梅干、くらけ、生姜
……
あとは打鮑があれば」
「はあ、鮑」
ご用意いたします、と若い女中が踵を返す。直後、どっしりと構えた年嵩の女中が「打鮑なら既に用意がございます」と横槍を入れた。申し訳ございません、と若い女中が一礼して小走りで勝手場を後にする。音を立てない、と年嵩の声が追いかけた。
「申し訳ございませんねえ、目付の方様。なにぶん、若輩でございまして」
「どうぞお構いなきよう。かような事、あの齢で慣れておられたら私の立つ瀬がございません」
「ま、おほほ。御上手ですこと、」
不意に、女中が膝を着いて低頭する。振り返ると、妙心尼が少し疲労の見える顔でこちらに来ているところだった。彼女も膝を着こうとしたところ、「どうかそのまま」と制される。
「お膳の準備は如何様に」
「おふささんのおかげで、何もかも順調でございます」
年嵩の女中───ふさが、「もったいのうございます」と低頭する。彼女は内心、半眼になった。下手に出るふりをして、ふさが彼女を快く思っていないのは明らかだった。誰だって、常時自分が取り仕切っている領域を特別な事例だからと取り上げられれば、気分の良いものではない。
「左様ですか。それは良かった。では、申し訳ありませんが、杉姫さまのお相手をして頂けませぬか」
「? はあ
……
、しかし、家格が足らぬとお夏さまは仰せでしたが」
松上夏とは、この度スッポンタケの姫を迎えるにあたり、東脇の補佐をするよう、黄昏甚兵衛から仰せつかった、城の女中小頭である。今回の饗応は、夏姫が一切の差配を取り仕切っていた。目付の家から派遣された彼女に対しては、横目でちらりと見遣るなり、「あなたはお勝手を。杉姫にお目通りが適うのは宴の席のみです」と申し渡した張本人であった。彼女としては、初対面の相手のご機嫌伺いをしなくていいなんてラッキー、と思いながら、粛々と夏姫の言う通りにしたのだが。
妙心尼は弱り切っていた。
「それが、ちょっと
……
とにかく、いらしてください。杉姫様は、城下の噂とかいうものに、いささかご執心でおられる御様子
……
」
「
……
なるほど」
彼女は嘆息した。
つまるところ、タソガレドキ城下で流れている天罰の噂がどこかからスッポンタケにまで流布しているのだろう。それを確かめに来たというところだろうか。伴の数が多いのは、町に紛れても違和感を持たせにくくするため?
……
考えても埒が明かない。とにかく、私塾に通っていた時から口を開けば父に強請って作らせた貝合わせだのなんだのばかりを話し、町人のことなど気に懸けた素振りもなかった夏姫からしてみれば、城下の噂について話を振られるとは思ってもみなかったらしいということだけは確かだ。
夏姫は妙心尼に連れられて現れた彼女を睥睨していたが、妙心尼が杉姫に彼女の紹介を済ませた後、彼女が伏せた面をそのままに言い放った言葉に、口を噤むことになった。
「杉姫さまにおかれましては、我らが殿であらせられる黄昏甚兵衛に、あわや天罰が下るものと御憂慮頂き、罷り越して頂いた次第とお見受けいたします。この乱世において、殿にまつわる流言飛語に惑わされぬ御慧眼、また御寛容、いたく感服いたしました」
杉姫が変わらぬ表情の下、奥の歯を噛みしめる。侍女が何か言いかけて、しかし口を噤んだ。視線が刺々しいものになるが、彼女にとってはそよ風と変わりない。
「我ら臣下、より一層、心をこめて振舞をさせて頂ければと存じまする」
彼女が更に低頭する。
長い沈黙の後、杉姫が漸う「大儀である。下がりゃ」と告げた。彼女は深く一礼し、しずしずとその場を後にした。
彼女と一緒に退室した妙心尼が、安堵した素振りで彼女に声をかけた。
「助かったわ、目付の方。もう、お夏さまは妙なことを口走るばかりで、いつお怒りを買う事かと
……
それにしても、天罰の御噂なんて、やはり他のそれと変わりないものということが知れて、私、本当に安堵いたしました」
彼女はちょっとだけ片眉を寄せて曖昧に笑ったが、妙心尼の安堵をひっくり返すのも気が引けたので、「お役に立ててよかった。お勝手はおふささんがいれば宜しいでしょうから」とだけ返した。
件の占い師を捕えたと押都が報告を受けたのは、日が沈もうかと言う刻限だった。
斜陽が、城下の外れにある寺を照らす。
太陽はとっくに沈んでいた。最後の日差しが、暗がりを生んでいる。
ふと、影に紛れて、動く気配があった。気配は寺の裏に回ると、本堂に隠されるようにして建っている蔵へと入って行った。
「押都小頭、」
戸の傍で待機していた忍び達が頭を垂れる。蔵の戸を閉じると、後はとっぷりとした闇だけが残る。灯りは無く、しかし蔵の中で待機していた忍たちに不自由する様子は見られない。
蔵の奥では、痩せ細った男が一人、柱に括りつけられていた。ドクササコ忍者の八味地黄丸である。八味の周囲には扮装で使用していた狩衣などが置かれていた。
「吐いたか」
「いえ、弥太郎のことは知らぬと
……
申し訳ございません」
「よい」
押都が八味の前に膝を着いた。八味が片眉だけを持ち上げる。押都は静かに言った。
「取引と行こう。お主の持っている情報によっては、このままタソガレドキ領外に逃がしてやる」
「
…………
フン
……
」
八味は押都を睨めつけた。その視界には、押都の背後で腕を組み、八味を睥睨するタソガレドキ忍者たちの姿がある。数の力でも膂力でも、八味は劣っていた。渋々、八味はそれ以上の条件を吹っ掛けるのをやめて、無言で押都を促した。
「で、弥太郎だが。お前の手の者ではないのか」
「違うな。何度も言っとるが、殺しはわしではない。別の忍の仕業じゃ」
「どこの忍だ」
「さて
……
、そこまではよう知らぬ。おそらくはアカトキじゃろうが、確たる証拠は無い」
「何故アカトキの忍だと?」
「わしの拠点にしていた長屋に、何者かが忍びこんだ跡があった。わしが突然帰ったもんじゃから、慌てて出て行ったんだろう痕跡があったわい。お前達にバレたのかと思って後を尾けたら、どうもそういう感じではなかったがの」
ふ、と八味は片頬を吊り上げた。
「ま、そいつが実際殺しをしたのかは知れぬがな。わしにとっては好都合よ。然るに利用させてもらっただけじゃ。手間が省けて助かったわい」
タソガレドキの気配が揺らぐ。物騒じゃのうとせせら笑う八味に対して口を開きかけた部下たちを片手で制して、押都は問いを重ねた。
「お前の拠点に忍び込んだ奴の人相は」
「さあてなあ。どこにでもいる町人のような風情だったが。ちと背は高かったかの」
「戯れるな、八味。おまえ、大方調べてあるんだろう」
感情の読めない押都の声音に、タソガレドキが気取られぬよう固唾を飲む。他方、八味の鉄漿が歪んだ。
「はは
……
、これを話すからには、わし一人の命では足らぬぞ」
「八味」
鋭い声音を、しかし八味は興味なさげに受け流した。
「そいつは、数年前からこの城下に住んでいるらしい。昔から城下に住んでいた奴と、顔が大層似とるらしい。随分と馴染んで、武家屋敷にさえ出入りしとる。宴などがあれば、御用聞きとして必ず屋敷に入っておった。今頃、東脇の屋敷におるのではないか」
「───」
東脇の屋敷。
今宵、スッポンタケの杉姫を招いて、宴席が行われている屋敷である。
宴席は恙なく始まったように見受けられた。東脇の屋敷を訪った黄昏甚兵衛は、供の者を別室に下がらせ、杉姫との間に自身の妻である桐御前を置いた。
ほどなくして膳が運ばれ、それぞれの盃に酒が注がれた。東脇の屋敷に集められた各屋敷の奥方たちは、慣れぬことに戸惑いながらも、杉姫に声をかけ、能狂言や和歌などについて言葉を交わし、めいめい酒とつまみを楽しんでいた。
しかし、杉姫だけは箸を持たなかった。やがて酒の膳が下げられて、魚や米、汁物などの乗った二の膳が運ばれてくる。主人や客人より先に手は付けられぬと、誰もが甚兵衛や杉姫の手元を窺った。杉姫は袖から扇を拡げ、口元を隠している。
「杉姫さま、如何されましたか? ご気分など優れませぬようでしたら、仰ってくださいませね」
「いえ。御厚情痛み入りまする。ただ
……
、」
杉姫がちらりと末席に視線を走らせた。きちりと座していた彼女が瞬いて顔を上座に向ける。
「長宅殿は、このような御膳で身罷られたとの由。どうにも恐ろしゅうて、喉の狭まる心地でございます」
「それは、お気の毒」
頷いて、桐御膳が膝の向きを変える。
「此度のお勝手を預かるは、目付の。お主で相違ないかえ」
「は、」
彼女はすぐに手指を板間に着けた。
「毒見については、如何様な差配をしたのかえ」
「は。お勝手にて、東脇家の女中数名にて毒見を済ませております。また、杉姫さまの御膳に関しましては、姫さまの侍女の方に毒見のご助力を賜りました」
うむ、と甚兵衛が頷く。桐御前は優しい微笑みをそのかんばせにたたえ、杉姫に向き直った。
「今しがた申し上げた由にございますれば、杉姫さまにおかれましては、」
「しかし、長宅殿はその後に御膳を口に含まれたのではありませんか?」
「
……
」
微笑を崩さぬまま、杉姫の様子を窺っていた桐御前が姿勢を戻す。直後、涼やかな視線がきろりと彼女の方を見遣った。彼女は嘆息を堪え切れなかった。
「ようございます。杉姫さまの膳をこれへ」
すぐに侍女が腰を浮かせた。彼女は自分の膳を脇に避け、心配そうに様子を窺ってくれている妙心尼に、ちょっとだけ微笑んで見せた。侍女が杉姫の御膳を彼女の前に差し出す。
「お箸やお椀に口をつけますが、よろしいか」
「構わぬ」
姫が答える。内心で白々しいと吐き捨てながら、彼女は椀を持ち上げた。箸を取り、汁物をひとくち、口に含む。お椀を置いた後、鮒の膾をひとくち。どれも盛り付けの見目を損なわないように、慎重に箸で切りほぐす。彼女の箸が、するめと鰹節の酒漬けの和え物を摘まんだ。
───瞬間、彼女の手指から箸が吹き飛んだ。
「!?」
空気が固まる。手指に、衝撃が遅れてやって来る。咄嗟に視線を走らせた先、天井板がほんの少しだけずれている。
「曲者!!」
誰かが叫んだ。招待客のうち一人がキッと眦の色を変え、すぐさま障子を開け放ち、傍らに控えていた侍女から薙刀を受け取った。
どた、と天井裏で音がする。何人かは色を失って悲鳴を上げ、杉姫は桐御前の背後に隠された。気合諸共、薙刀が天井を穿つ。手応えが無かったのか、鋼はすぐさま引いた。天井板が鋼にまとわりつき、ぽっかり空いた穴から暗がりが覗いて、影が蠢いた。
「御免仕る!」
「曲者はいずこか!」
襖を開けて、若衆たちが刀の濃口を切るより、薙刀の方が早かった。再び抉られた天井が、ばらばらと板を取り落とす。
彼女が見上げていられたのはそこまでだった。視界がぐにゃりと曲がり、吐き気がこみあげる。どさ、と暗がりから人が落ちた。
「目付殿? 目付殿!!」
妙心尼が駆け寄ってくれる。細い腕が背を支えてくれたが、頼りない。体重をかけては諸共に転ぶ。なんとか手を床に着き、口元を押さえるも、脳みそが無理やり捻じ曲げられているようだった。世界が歪んでいる。平衡感覚が掴めない。
「曲者!!」
「そこに直れ!!」
「朔!! 妹御が!!」
鋼同士がぶつかり合った。悲鳴が上がる。騒がしい足音が逃げ惑っている。天井から落ちて燭台の灯りに浮かび上がった黒い塊は、床に這いつくばるようにして俊敏に跳躍し、若衆の刃を躱していた。
妙心尼がヒッと息を呑む。彼女は唸りながら、なんとかして顔を上げた。
黒い塊は、人間だった。人間だと彼女が思えたのは、人間が忍び装束を着こんでいたからだった。視線が合う。合ったと、彼女は思った。背後で妙心尼が竦み上がる。彼女は懐をまさぐった。小太刀を握ろうとする手指が震えて、力が入らない。焦燥が加速する。
「───!!」
朔之丞が名を叫んだ。刃が振り下ろされる。鉄錆の匂いがまだらに散った。低い呻き声が、斬られた片腕を庇って後ずさる。
血の滴る片腕は手ぶらだった。朔之丞は瞬いて、しかしもう一歩踏み込もうとしたところで、彼女のえずく音を聞いた。
半瞬、そちらに気を取られた朔之丞の隙を突いて、男が開け放たれている障子に身を躍らせる。朔之丞の視界は、男が飛び込むだろう庭の暗がりを捉えた。
「逃がすな!!」
怒号が轟く。
雲間が晴れた。
庭が明るくなる。
月の光に、男の姿がはっきりと浮かび上がった。
闇を濃くした庭の暗がりが、蠢いた。
◇ ◇ ◇
戦から戻ってきたら、お前に言おうと思っていたことがあったんだ。
一緒に暮らさないかって。
だってお前が、楽しそうに笑うのに、すぐどこかに行ってしまいそうな気配があったから。
でも、口だけでは認められないだろうから、手柄を挙げたかったんだ。
足軽くらい、どうってことはないと思ってたんだ。
いつか一緒に足軽で稼ごうと言っていただろう。
お前は知っていたのか。死肉の生臭さ、それらを啄み貪る獣。腐っていく肉の醜悪さ、不味く足りない飯、飢餓から来る苛立ち、生き残っても次の日には死ぬかもしれない虚しさ、
……
。
生き残れたのは奇跡だった。意識を失う瞬間、死ぬんだと強く思った。次に目が醒めた時、全身が痛かった。それでも生きていることに涙が出た。
貸し出された鎧は既にボロボロだった。がむしゃらに動きまくっている内に、アカトキ側の陣営に出ていた。
「タソガレドキはもう陣を引いたのか」
「そうらしい。まったく、足の速いことよ」
「では主だった大将首は無いな」
「あぁ、そこらに転がっている残党が名のある武士であることを祈ろう。とりあえず、それらしいものは首を切ればいい」
恐ろしいとは思わなかった。すぐさま視線が動いて、傍に倒れているアカトキの足軽の鎧を奪った。だらりと垂れ下がる気持ち悪い死体の重さにどうとも思わない自分がいた。
アカトキ領を出たら鎧を脱ぎ捨てればいい。そう考えていたが、あと少しで領地を抜けるというときに、アカトキの忍に見つかった。タソガレドキの領民であることはすぐにばれた。
「なあおまえ。生きたいか? 生かしてやろうか」
いやに声の良い偉丈夫が蠱惑的に囁く。
帰りたかった。だから死にたくなかった。だから頷いた。だからどんな艱難辛苦にも耐えた。だから好きでもない女を抱いた。だから男に蹂躙された。嘲られても構わなかった。どんなに馬鹿にされたって、お前だけは、おれのことを受け入れてくれると信じていた。
だから、帰って、お前に。ずっと、言いたかったことが。
帰って、お前に。
お前を、おれの───
◇ ◇ ◇
頬に砂利が押し付けられている。
背中、いや首の根本のすぐ下が押さえつけられている。おそらく誰ぞの足だろうが、胸が地面と密着しているせいで動かせない。
「奥方さま、」
「あねうえっ、しっかりしてください、あねうえ!!」
オエ、と女がえずいている。
地面に手を着いて起き上がろうとした直後、頭を鷲掴みされて無理やり顎を上げさせられた。口の周りの覆いが乱暴に外されて、露わになった顔に、屋敷がざわめく。
有無を言わせず顎だけを下げさせられ、口に何かが突っ込まれた。鼻と口を塞がれ、酸素を求めた体が、口の中の物を嚥下する。
「杉姫さま、こちらへ」
「後山の辰姫。下がられよ」
「畏れながら、殿。わたくしは、我が弟の仇を前にして下がる性分ではございませぬ」
薙刀を構えたままの女に、甚兵衛はやれやれと嘆息した。盃を置いて、大儀そうに立ち上がる。
「これよりは裁きの時である。皆、下がるがよい」
「
……
」
姫君たちはそれぞれ顔を見合わせ、やがてその場を後にした。入れ替わるようにして、甚兵衛が縁側に出る。
「弥太郎じゃな」
「
……
、」
押さえつけられた男は答えない。
「長宅の件、お前の仕業で相違ないな」
「
……
ない
……
」
口が勝手に動いた。意識して黙ろうとしても、口の周りの筋肉が言う事を聞かず、動かせない。次第に、頭の一部が朦朧としてきて、男は喘いだ。遅れて、先程無理やり飲まされたものは自白剤だと気付く。
「後山の件はどのようにして殺めたのじゃ」
「
……
蜂の毒を使った
……
香を部屋で焚きしめて蜂を放った
……
香は商品として仕入れた
……
蜂の粉がついたから、女を庇って、着物をわざと汚した
……
」
彼女を抱えるようにして支えていた尊奈門が、ハッと息を呑む。険しく眉根を寄せる尊奈門を他所に、弥太郎の口は勝手に動いた。
岩室の薬箱は、弟が母のへそくりをくすねて買い換えたものだということ。侍女を介して、処分をするために預かった古い薬箱の中身を、新しいものに変えておいたと、嘘を吹き込んだこと。
箸については、店主に指示されて仕入れた商品を、自分で作ったものと入れ替えて、正規品として売ったということ。
城下に流れていた天罰などの噂は勿論、侍女や下男などを利用して罪を着せたことは事実だが、全ての犯行は、弥太郎一人による犯行だったということ。
……
一連の自供を聞いた甚兵衛は、重々しく宣言した。
「斬り捨てい」
「は」
弥太郎の目の色が変わる。しろがねの刃が振り上げられた。楔のような足から逃れようと、暴れ、もがいて、虚空を掻いたその先に、ぐったりとした彼女がいる。
「───」
虚ろな、それでも、彼女の瞳が、男を映した。
一閃。
ひとの頭が、落ちて転がった。刀を下げた雑渡が膝を着き、頭を垂れる。
朔之丞が、彼女の視界を遮った。瞬いて、彼女は瞼を伏せる。隣で、妙心尼が小さく念仏を唱えている。
「首は城下の前に晒せ。胴はその傍に打ち捨て、獣の喰うに任せるがよい」
「は。承知いたしました」
雑渡に指示を受けたのか、何人かの気配がさっと移動した。袖の内側で血と脂を拭った雑渡が、刀を鞘に納め、高坂に預ける。
「
……
」
「
……
」
朔之丞は物言いたげに雑渡を見遣ったが、何も言わなかった。
雑渡と朔之丞がすれ違う。
朔之丞は、すぐに若衆と侍女を集めて、杉姫たちへの弁解と、この後の宴席や食事の相談を始めた。
その背後で、雑渡が彼女の傍らに膝を着く。
「ごめんね。大丈夫?」
「
…………
」
彼女は息を吐いて、大儀そうに体を起こした。雑渡が腕を伸ばし、彼女を受け止める。ぐったりと雑渡にもたれ、彼女はすべてを察し、───嘆息ひとつで、すべてを許した。
「私が運ぶよ」
「あとで薬など届けます」
「うん、よろしく」
彼女を横抱きにした雑渡が、妙心尼に一礼する。視界の端で、雑渡が明るい広間から暗い廊下に移ったのを感じながら、彼女はゆっくりと瞬いた。
脳裏で、与一の母が泣いている。ごめんなさい、と彼女は与一の母に謝った。どうしたって彼女は、雑渡の味方であるが故に。
雑渡が刀を振り下ろしていなければ、きっと彼女が追い詰めていた。
……
とは言え。
「私、三途の川でさえ、あなたを待つことになりそう
……
」
「また待ってくれるの? 今度は私に待たせてよ」
「
……
」
震える喉からなんとか絞り出した言葉にすこぶる機嫌よく返されて、彼女は今度こそ溜息を吐いた。
月の影を、雑渡は上機嫌で歩いた。
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