望月 鏡翠
2025-09-01 12:15:42
848文字
Public 日課
 

#1827 「仙女」「針」「胡瓜」

#毎日最低800文字のSSを書く


 仙女の残し針という言葉を知っているだろうか。天に住まい毎日を楽しく過ごす仙女たちが、ふと置き去りにして不意に私たちの手を刺す針のことである。あなたもちくりとやられたことがあるかもしれない。
 仙女は痛みや労働を知らない。血を流したり、汗をかいたりはしないものだ。普段は針仕事なんてもちろんやらない。しかし肩にかけた羽衣に願いをかけて、特別に模様の針を刺すことがある。思いを込めるという作業は自分の思いを載せなければならないものだ。人任せにはできない。だから自らの手で、針を刺すのである。
 それは、彼女たちが手を動かす数少ない機会である。
 しかし老いることがない彼らは、永遠に近い時間を手にしている。急ぐ必要はない。それに楽しいことは他にたくさんある。針を一つずつ刺していくような地味な仕事はすぐに退屈してしまう。
 ひと刺しふた刺ししたあと、今日はこの辺りでやめておきましょうと手を止める。針山なんて持っていないから、その辺りのものにぷすりと突き刺しておく。残りは明日でいいかしらと傍に置いて、戻ってくるのは三日後かあるいは一年後か。
 羽衣は常に肩に掛けているから、無くしたりはしない。もちろんこれにも、水浴び中に覗き見をしていた奪われるという例外がある。つまり仙女というのは、定命のものからすると大変おおらかな性格をしているということなのだ。
 戻ってこないし、どこに針を置いたのかなんて忘れてしまう。だから置き去りの針がそこら中に残っている。彼女たちの指先は針で刺されたりしないから気にならないのだろう。
 そうして、ちょっと針を置いておこうというときによく選ばれたのが、夏場にポコポコと実る瓜の仲間だった。胡瓜や茄子はよく向こうとこちらを結ぶ馬としてやってきてそのあたりに立っていたので、針を刺すのにちょうど良かった。適度な硬さもあるし、針がぷつという感覚が心地よい。
 そうして刺された針を乗せたまま地上に戻ってくるから、実ったばかりの胡瓜やなすには、鋭い棘が生えている。