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むかいえ
2025-08-31 20:22:23
10138文字
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シャアム
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帰結/帰途
シャアム。「貴様がいなければ」のあの時にアムロがいないのに歴史通りの奇妙な世界を体験するシャア。心中ENDだけど、実は生きているのかもしれないしそうでないかもしれない。想像にお任せ。
◼️帰結
「
――――
貴様がいなければ!!」
叫んだ内容は紛れもない本心だった。しかし同時に、かの存在がいない世界など考えたことはなかった。
アムロ・レイ。連邦の白い悪魔。ガンダムの乗り手。誰よりも戦争兵器としての可能性を示してしまったニュータイプ。かつてシャアが愛した女を、殺した男。一度は肩を並べていた時期もあったけれど、結局二人は相反し、モビルスーツ越しに銃口を向け合っている。
お互いの主張をお互いが受け入れられず、侃侃諤諤と平行線
――
その最中に飛び出た言葉の一つで、一瞬、アムロの反応が途切れた。
「
………
そうだな
…
」
ザザ、と通信にノイズが混ざる。どうしてか、濡れた手で無遠慮に撫でられるような不快感が這い上がってきた。
言うな、と喉奥から叫びそうになる。
「あの時、世界が、俺を」
戦闘の只中で、あちこちで破壊活動が続けられていて、今まさにシャアとアムロも殺し合っていて。そんな中に落とされるアムロの声。
言うな! シャアの言葉が音になるより先に、彼の声が耳に届く方が早かった。
「
――――
忘れてくれたら、よかったのにな
…
」
それは先程までの激情を全て削ぎ落としたように、虚な声だった。何故か、彼がうっすらと微笑んでいることがわかる。きっと自嘲的な笑みだ。目の前に立つ白いガンダムから伝わってくるのは
――
紛れもなくアムロの本心だと、わかってしまう。
呆気に取られながらも反射で操縦桿を動かした。振り上げたビームサーベルがνガンダムに受け止められる。宙域を照らす火花のような輝き。全天モニターに映し出されたその光に目を細め、僅かに機体を後退させた刹那。
虹のような光が見えた。
「
……
ッ!」
ぐわんと視界が滲んで、揺れる。次いで真っ黒に塗り潰される。意識を失ったわけではない。しかしよりにもよって今、視界に不調が出るなど! と思わず舌打ちする。咄嗟に額を庇うように動かしていた手を操縦桿に戻し
――――
しかし、何も掴めない。
「は
……
?」
「
――
クワトロ大尉? 大丈夫です?」
一瞬止まった思考が聞き覚えのない
――
否、懐かしい声に呼び戻される。無意識に閉じていた瞼を開いた。
薄暗い視界はサングラスを通したもの。轟々と響く機械の翼の駆動音。無機質なリノリウムの廊下。そして目の前に立つ見覚えのある少年が、不思議そうにシャアを見上げている。
「
………
、カミーユ
…
?」
「?
…
はい。どうしたんです、急に」
クワトロ大尉、ともう一度呼ばれた名は、シャアが七年前に拾って利用した名で、もう捨て去った名だった。それを当たり前のように呼ばれて、何と答えればいいのかわからなくなる。
――
カミーユ・ビダン。白昼夢でも見ているのか、と呆然とするシャアを怪訝な表情で見上げている。懐かしい顔だ。感情豊かで繊細な、子供の顔だった。人伝に、彼があの戦役の結末で心を壊してしまったことは知っている。ぐっと込み上げるような思いをどうにか呑み込んだ。
「
……
大尉、大尉! ちょっと、さっきから変ですよ」
「あ、ああ
……
すまない、少し、混乱して
…
」
何が起こっている。シャアは今わかる情報をひたすら拾っていく。
そもそもシャアはアムロと戦っていたのだ。宇宙で、サザビーのコクピット内で操縦桿を握っていた。だが現在、彼の肉体にかかる負荷は紛れもなく、懐かしくも忌まわしい地球の重力だ。ぐるりと見回した周囲にも見覚えがある。カミーユと共に、地球で世話になった艦。アウドムラ。
「ええ
…
なんでまた突然
……
あ、さっき言ってた人のことで? なんだか神妙な感じでしたし」
「さっき言ってた
…
?」
「ええ、はい。なんでしたっけ。
……
ああ、『アムロ・レイ』を知っているかって」
まだ現状すら満足に把握できていないのに、カミーユの言葉に息を呑む。どくん、と心臓が嫌に大きく脈打った。彼は続ける。その名を呼ぶのに、声には感情も関心も乏しい。遠くの見知らぬ他人の名を、ただ聞き返しただけのように。憧憬に煌めいていた記憶の中のカミーユのものとは異なり、目の前の彼の眼差しは平坦に凪いでた。
「俺は知らないですよ。
――
誰ですか、それ?」
シャアは覚えている。
アムロ・レイを覚えている。
だが後に知るこの世界は、彼の存在を忘れてしまっているらしい。
***
白昼夢というのも、あながち間違いではないのかもしれない。そう結論付けたのは、アウドムラから宇宙のアーガマへ戻ってきて幾ばくか経った頃だ。
過去の自分
――
というよりも、並行世界の自分の身体は、シャアがその時々で動かしてはいるけれど、気付けば数日経っていることもある。本当に、アウドムラで過ごしていたかと思えば、いつの間にか宇宙に戻ってきていたのだ。だが、かつてシャアが歩んできた過去と同じような出来事はこの世界でも起こっているようで、体感時間は短くともそれなりに日時は進んでいる。故に白昼夢と仮定していた。
早く現実に戻らなければ、知らぬ間にアムロに撃墜されてしまいそうで気が気ではない。
――
そのアムロは、やはりこの世界にはいなかった。本当に趣味の悪い夢だ。
一年戦争の『英雄たち』。アムロがいないながら似たような歴史を辿ったこの世界では、英雄の旗印となった『アムロ・レイ』がいない代わりに、ホワイトベースに所属していた面々が丸ごと大々的に英雄とされていた。
では連邦のガンダムは、と探ってみれば、固定のパイロットはおらず、その都度派遣されてきた連邦軍人が操縦していたようだ。機体性能が高く、高度な学習機能も搭載されていたことから可能だったらしい。世論を見てもガンダムパイロットよりガンダムの性能の方に着目され、評価が高い。ひいてはそれを開発した連邦軍も鼻高々だと言わんばかりに、戦後はプロパガンダに利用されている。
アムロがいなければ成り立たないだろう、という場面も幾らかあっただろうに、まるで無理矢理辻褄を合わせたように、違和感を覚えさせないような歴史が刻まれている。
……
吐き気がした。
アムロがいない世界。誰もアムロを知らない。彼と戦友であったはずのハヤトも、ブライトも、誰も彼もが。
――
今この身体を動かしているシャアだけが、彼を知っている。
「アムロ。
…
アムロ・レイ。忘れられるはずがない。いないわけがない。どこかに
…
きっとどこかにいるはずだ
……
アムロ」
でなければ、この世界の自分は何なのだ。もはや復讐するあてもなく。ララァ・スンの生死も調べてみたところでわからず。あらゆるものを失って執着するようになったライバルすらいないと言うならば。
随分と色褪せた世界だった。平坦で、大体がシャアの思惑通りに進んで、誰も壁にすらならない。アムロがいない世界。彼と出会わなかった世界は、こんなにも
――――
「
……
君なら、私の前に必ず現れる」
私に立ち向かう、はずだ。
寝床で眠り、次にシャアの目が覚めたのは宇宙世紀0093
――
後に第二次ネオ・ジオン抗争と称される、本来のシャアがアムロと戦っていた時代だった。
***
――
アクシズが落ちてゆく。
結局、この世界も連邦の腐敗具合は変わらない。ロンド・ベルの孤軍奮闘すらも。しかし、全てが後手であった。
アムロはいない。それでも、サイコフレームの横流しはしてみた。フィフス・ルナの攻防にも彼は現れない。代わりとばかりに対峙するパイロットは皆、アムロのいない穴を埋めるように優秀だった。彼の実力には遠く及ばないけれど。
アムロはいない。まるであてつけのようにロンデニオンではクェスと出会い、勧誘した彼女を兵器へ仕立て上げた。
アムロはいない。νガンダムはいない。彼は現れない。
アクシズが落ち、地球が寒冷化する、今この瞬間になってさえ。
「
――――
ッ何故だ!! アムロ!!」
サザビーのコクピット内。ガン! と目の前のモニターを力任せに殴りつけた。アクシズが落ちる。地球へと落ちていく。ブライトたちの策略すら好機にして。
「貴様が、いなければ
……
貴様でなければ、誰が私の前に
…
! 誰が私を
…
止めに来ると
……
!!」
血を吐くような叫び声だった。
地球の重力に縛られた人々を皆宇宙へ上げる
――
その目的はもちろんあったが、それよりも余程強く、アムロとの決着をつけたいという気持ちがあった。だからアクシズを落とすという凶行までしたのに。
この世界でも、もしかしたら、彼が現れてくれるのかもしれないと淡い期待をしていた。結局、トントン拍子に進む思惑も作戦も、ロンド・ベルはいつも一歩遅く、そうして阻まれることなくアクシズは落ちている。
シャアの勝ちだ。だと言うのに達成感もなく、こんなにもただ、虚しいのは。
「アムロ
……
!」
ああ、どうして君がここにいない。どうして私を止めに来ない。どうして、どうして誰も彼もが君を知らないのに、私だけが覚えている! こんな思いをするのならいっそ、私も忘れてしまえたなら
――――
!!
「
……
ッ?」
アムロ・レイ。
アムロ、君は。
君は、どんな、男だったか
…
?
「
――――
」
目的を達成し、落ちていくアクシズを前に。まだ戦闘中の宙域で、シャアはしかし呆然と目を見開いて固まった。
思い出せない。アムロ・レイが、思い出せない。
「アムロ
…
」
どんな男だった? どんな目をしていた? どんな声で、どんな顔で
……
どうして、思い出せないのだろう。ヘルメットを脱ぎ捨てて、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。
アウドムラで微笑んでいた口元は。ア・バオア・クーで射抜かれた闘志に燃える眼差しは。男の輪郭がぼやけていく。思い出そうとすればするほど、水が滲んでいくように、アムロの姿が薄れていく。
――――
世界が、俺を、忘れてくれたらよかったのにな
…
「ふざけるな
…
ッ!」
もう一度モニターを殴りつけた。罅割れが広がる。握った拳が痛い。しかしもう、シャアにはどうでも良かった。
どうして君がいない。君が、貴様がいない世界など! 忘れてほしいなど、よくもそんな残酷なことを言えたものだな
――
私に刻み付けて、ここまで変えておいて!!
「忘れられるものか! アムロ、私から逃げられるとでも
…
!」
睨みつけた青い星。ついに大気圏に突入し、発火して赤く燃えるアクシズ。
滅びの流星が地球に堕ちていく。嗚呼
――
白昼夢は終わる。シャアは根拠もなくそう思い、それを見届けた。
視界の端から、光が溢れる。この白昼夢の一番最初に見たものと同じ、虹色の光だ。きらきらと輝くそれは美しく、だがこんな悪夢を見せた悍ましい光でもあった。シャアは眩いそれを睨み付け、そうして受け入れるように目を閉じた。
◼️帰途
――――
自分が、いなければ?
戦闘の只中の言葉の応酬。シャアから届いた叫びの一つが、頭の片隅で閃く。
アムロは別に、英雄になんてなりたくはなかった。そもそも、ただ自分を守るために戦っていた。そして帰る場所を失ってしまった彼にとって家のように身内のように大切なものとなった、ホワイトベースの皆のために戦っただけだ。怖くても、苦しくても。
それだけなのに世間で英雄などと称され、表向きは持て囃されて。退役すら有耶無耶にされ、監視ばかりの屋敷に押し込められ。失望の眼差しと溜息が耳につく。七年も前のことだけれど、今でも鮮明に思い出せる暗い日々が脳裏を過ぎる。
自分がいなければ、どうなっていたのだろう。サイド7は、ガンダムは、ホワイトベースの皆は
――
自分がいなければ無事ではなかっただろう。そのくらいの自負はアムロにもある。
だから、そう、自分は。あの時、シャイアンの屋敷に押し込められ、鬱々と燻っていたあの時期。
――
消えてしまいたい、と考えたことがある。
「世界が僕のこと、忘れてくれたらいいのに」
未来でアムロが必要とされるなんて、その時は思っていなかった。
だからホワイトベースの皆が無事で、戦争がどうにか終結した過去はそのままに。功績も名誉も何もいらないから、世界中の人がアムロのことを忘れてくれたらいい。化け物を見るような眼差しも、理解できないと囁く声も、もうたくさんだった。ニュータイプだとか英雄だとか、そんなしがらみも全部投げ捨ててしまいたかった。仲間たちに忘れられるのは、少し悲しいけれど
……
そう考えるほど彼は心身ともに疲れ切っていたのだ。
シャアの言葉で過った暗い追憶。今では心の整理をつけた過去だ。故に、返した言葉に大した意味はない。動揺を誘うとか、そんな含みすら持たない。
あの時のことを思い出して、ぽろりと口から溢れ出ただけだった。嫌なことを思い出したな、馬鹿なこと考えてたよな
…
と虚無的に笑ってしまうような、ただの当時の感情を思い出しただけ。
しかしその言葉で、赤い機体の動きがパタリと止まり
――
同時に、シャアの気配がなくなったのを感じた。
「な
……
ッシャア
…
!?」
思わぬ事態に追撃の手が止まる。サザビーは動かない。通信に応答もない。
そこにいるのに、いない。
ニュータイプの勘がアムロに囁きかける。恐らくシャアの身体はコクピット内にあるはずだ。だが
…
精神や心といった彼をかたちづくる芯がぽっかりとなくなったように感じた。空っぽの器だけが残されている。
「おい、シャア! シャア!?」
異常事態だった。突然すぎて、そのまま撃墜してしまえば良いものを、アムロは呼びかけることしかできない。
そこでハッと思い出す。作戦の一部、アクシズ内部からの爆破。ラー・カイラムは既にアクシズにつけていた。作戦が上手くいっているならば、そろそろ
――――
「ああ、くそっ
…
!」
思い至って、アムロは咄嗟に目の前の機体を掴んで飛んだ。やはりサザビーは反応しない。されるがまま、まるで糸の切れたマリオネットのようだ。薄気味悪さを感じながら地表から離れたところで、爆弾が作動したのか轟音と閃光が弾け、アクシズが砕けていく。
アムロは自分の行動すら理解ができない。置いていけばよかった。そのままビームサーベルで叩き切ってしまえばよかった。彼の中に渦巻く様々な感情が、怒りと共に口をつく。
「なんで助けたんだ俺は
……
おい! 何をやってんだ! いい加減に
…
!
――
帰って来い! シャア!」
叫んだ内容は無意識だ。どうしてそう言ったのか、アムロ自身わからない。
そうして、その叫びの影響かどうかは不明だが、導かれるように唐突に、サザビーのコクピットハッチが開いた。
「
………
は?」
金色のパイロットスーツに身を包んだ男が立っている。もう空っぽではない、とアムロは察して、心の奥底でひっそりと安堵する。何をするつもりなのかと見つめていれば、男は未だ爆破の衝撃が消え去らない宇宙に飛び込んだ。
「はあ!? ちょ
…
なっ
…
シャア!?」
今この場ではあまりにも脆い人の身が、明確な意志を持って、νガンダムに向かって飛んでくる。もともとサザビーを掴んでいたから大した距離ではない。全天モニターの前、νガンダムのコクピット部分を、コン、とノックする姿が映る。
アムロは数秒、迷った。
奴を仕留めなければ死に切れるもんじゃない、と覚悟を言葉にしたのはアムロ自身だ。どんな心算か知らないが、無防備なシャアを殺すなら今が一番の好機だろう。それこそνガンダムの腕を振り抜くだけでいい。
生身では通信回線が使えないが、ジェスチャーからシャアはコクピットを開けろと訴えている。直接話したいことがあるのかもしれない。ヘルメットで表情はよく見えなかった。
しかし彼も確実に銃火器は携帯しているだろう。あるいは爆発物を隠し持っている可能性もある。コクピットを開けたアムロを、自爆覚悟で襲う可能性だって零ではない。シャアの性格からしてそんなことはしないだろうと思いはするが、そのくらいの危機管理はアムロも軍人として養ってきたのだ。
悩むアムロを前に、モニターに映し出されているシャアの体が揺らいだ。近くで起きた爆発の余波だ。
「!
……
チッ!」
アムロはシートから立ち上がり、ヘルメットを被り直す。そして銃を取り出して正面に構えた。一度息を大きく吐いて、コクピットハッチを開く。
ガコン、と鈍い音がして開かれたハッチの向こうに、シャアが立っている。
彼は腹を括った
――
これで自爆でもされたなら、この男を未だ信じたいという甘さを捨て切れない、自分の負けだ。
「何のつもりだ、シャア!」
「
……
何もしない。ヘルメットを取りたいからハッチを閉めてくれないか」
妙に静かな声をしている。通信越しに聞いた激情が嘘のようだった。
覚悟を決めて、銃を構えたまま片手で操作しハッチを閉じる。全天モニターは未だ戦場を映し続けているのに、二人の周囲はあつらえたように全てが遠い。
酸素が満ちると、シャアがヘルメットを外した。見たことのない顔をしている。幽霊でも見たような、どこか呆然とした表情だ。
「アムロ
…
いるな
…
」
「何がしたいんだ貴様は」
「君がいない世界を見た」
「
…
は?」
一瞬の油断。言葉の意味を理解出来なかったアムロの僅かな隙をつき、シャアがあっという間に距離を詰める。そして向けられた銃口を弾き飛ばすと、アムロの腕を掴んで引き寄せた。
「なっ
…
」
「アムロ」
引き寄せられて、そのまま男の腕の中に収まってしまう。巧みに関節を抑えられてしまえば腕が上がらない。ならばと蹴り上げようとすれば、察したのか足払いをかけられ、半ば押し付けられるようにコクピットシートに座らされた。シャアの方がアムロよりも体格が良い。乗り上げて体重をかけるように抑えられ、してやられたとアムロは歯噛みする。
「シャア
…
!」
「忘れてほしいなど、よくも残酷なことを言ってくれたものだ。おかげで悍ましい世界を見たよ」
ぐっと指先の力だけでアムロのヘルメットも器用に外される。何の隔たりもなく視線が絡み合った。アムロは息を呑む。シャアの青い瞳の奥、仄暗い怒りと執着が見えたからだ。同時に叩きつけられるような思惟が脳髄を掻き回す。強い怒り。憎悪。孤独感。虚無。寂寞。大きな安堵と、悲しみ。
――
そしてアムロを求める心。
「何を言って
…
」
「私は忘れたくない。アムロ。世界が君を忘れるなら、私にはもう
……
生きる意味がない」
何が何だかわからなかったシャアの言動が、少しずつ繋がっていく。これは返答だ。
――
世界が俺を忘れてくれたら。そう言ったアムロへの、シャアの返答だった。
『
――――
アムロ! 繋がったか!?』
一体この短時間で彼に何があったのだろう。呆然とシャアを見つめていたアムロの耳に、ブライトからの通信が飛び込んできた。ハッと視線をずらせば、通話用モニターが起動している。ノイズが酷い。
「ブライトか」
『アクシズが
……
って誰だ!! アムロじゃない
…
間違ったか
…
!?』
「合ってるよブライト! 何があったんだ!?」
『アムロ! いや合ってるって、じゃあお前今、誰といるんだ
……
ン!? まさか、シャアか!?』
「流石察しが良いな、キャプテン」
『シャア!? はあ!? な、なんで一緒にいるんだお前たち!? どうなっている!?』
「それでアクシズがどうした」
『誰が貴様に言うかッ!!』
ノイズ混じりの怒声が響く。ブライトの反応も当然だろう。今まさに戦争しているネオ・ジオンの総帥がシャアだ。かつては肩を並べたと言っても、これまでの戦いで多くの仲間も喪っている。さらには地球にアクシズを落とす凶行。簡単に割り切れるものではない。
「ブライト! この人のことはいいから、何があったんだ!?」
『くっ
……
アクシズが割れたのは見たな? 分断させる爆発が強過ぎた! 計算上、後部が重力に引かれて地球に落ちる!!』
「ほう。
…
どうする、アムロ」
『貴様が元凶だろうがッ!! 何を他人事みたいに
…
!!』
ノイズがさらに酷くなる。ブライトの怒声もざらざらと砂粒が混じるように掻き消えて、やがてぶつりと通信が切れた。もともと通信が繋がったことが奇跡のようなものだったのだから仕方がない。
「退け、シャア」
「
……
アムロ。アクシズは落ちる。もう手のつけようがない」
言外に諦めろと嗜めるシャアの声。カッと頭に血が上り、アムロは唯一自由だった頭を勢いよくシャアの顎に打ちつけた。短い呻き声と共にシャアの体が揺らぐ。蹴り飛ばすように男を押し退け、シートに座り直して操縦桿を握る。
「たかが石ころ一つ! ガンダムで押し出してやる!」
「なっ
…
馬鹿なことを
…
!」
あわよくば気絶すればいいと思ったが、頑丈な男だ。シャアをコクピットから追い出そうとも考えたが、今はとにかく時間が惜しい。
「そこを動くなよシャア。
――
…
もう戻れないならせめて、俺と一緒に死ね!」
νガンダムが飛び立つ。アムロとて無事で済むとは思っていない。それでも、何もしないままは嫌だった。
振動するコクピット内でシャアがたたらを踏む。シートの後方にしがみ付いた彼の姿は、もうアムロからは見えなかった。
***
「アムロ」
アクシズを押し返そうと取りつくνガンダム。そのコクピット内でも口論しながら、二人は広がっていく光の中心にいた。
連邦もネオ・ジオンも関係なく同じようにアクシズを押し返そうとしていた多くのモビルスーツも、皆弾き飛ばされてもういない。地球を守りたいと立ち向かった者たち。彼らの心も受け取って共振したサイコフレームの力は、どうやらアクシズの軌道を変えたらしい。
――
人の心の光。あたたかく、美しい光だ。
「結局、決着はつかなかったな。ああ
…
だが君のいない世界は、味気ないものだったから
…
」
砕けた全天モニターがまばらに周囲の映像を映す。二人を乗せたνガンダムは、アクシズの代わりとばかりに大気圏内に突入していた。
もう飛べない。堕ちるだけだ。救った星に灼かれるなど、なんという皮肉だろう。
「アムロ。
……
君と一緒なら、死ぬのも悪くない」
ダイクン家の夢。ネオ・ジオンの再建。思い描く未来はあっても、諦めることに悔いはない。
全てを放り出すことになっても
――
シャアはアムロを選んだのだ。
「なんだよそれ
…
」
アムロはシャアに抱き締められている。アクシズを押し返し、力尽きて地球に落ちる最中、壊れていく機体の振動で二人の体は振り回され、咄嗟にシャアがアムロを庇うように腕の中に抱き込んだのである。そこから離れるタイミングも見失ってそのままだ。未だ揺れ続けるコクピットの中、燃え落ちていくまでの短い間、二人はぽつぽつと話をしている。
「最後にキスをしても良いか」
「は、あ
…
?」
シャアの端正な顔が寄せられた。吐息が頬にかかる。アムロは男の正気を疑ったが、間近に見える青い瞳はひたすら真摯だ。抱き締められてからずっと感じている思惟も、真っ直ぐにアムロを求め続けている。
――
これだけ求めておいて、この今際の際で、尻込みするのか、この男は。
奪ってしまうことなど簡単だろうに。最後の一手を相手に委ねている。引き際を見極めて逃げ道を確保しようとしているのだ。そう思ってしまうと、どうしてか困惑よりも苛立ちが湧く。アムロは衝動に抗うことなく、シャアの胸ぐらを掴んで引き寄せた。数センチの距離が埋まり、互いの唇が重なる。青い瞳が見開かれた。してやったり、と喉の奥で笑って舌先を差し込む。口の中でも切っているのか、血の味がした。
「
……
いくじなしめ」
銀の糸がぷつりと途切れた。互いの唇が離れた数秒、煽るようにアムロが言えば、今度は負けじと男から口付けが降る。
ガンダムが赤く燃えている。その向こうに映し出されていた青空は、ついに全てのモニター回路が駄目になったことで見えなくなった。非常灯だけが照らす暗いコクピット内で、二人は抱き締め合っている。
「
…
もういいのか、シャア」
「ああ、もういいんだ、アムロ
…
――――
」
ただ強く強く、もう離れることがないように。
***
「ニュータイプって奴は
…
本当に
…
どいつもこいつも好き勝手に走り抜けていく
……
」
オーロラのように美しい光を見つめながら、ブライトは振り絞るように苦く呟いた。
ばたばたと騒がしい艦内で、彼はモニターを前に立ち尽くす。ブライトはニュータイプではない。アムロとシャアがどうなったのか、感じることもできない。それでも最後の通話で、二人一緒に声が聞こえたから。
ブライトはアムロが生きていると信じている。帰ってきてほしいと願っている。けれど、もし、虹の彼方へと歩み出してしまったのだとしたら。
「
……
もう手を、離さないでやれよ」
――――
その時はきっと、あの男と共にいるのだろう。
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