紫輝
2025-08-31 10:49:02
5892文字
Public リとヌと御仔の話
 

ひんやり仔龍で納涼を

リとヌと御仔と暑い日の話です。ヌ様の能力とメルモニアの構造に都合の良い捏造を含みます。リ殿暖涼両用なので(言い方)二人とも暑くても寒くてもパパにくっつきにいくんだろうなと思うと可愛いね

 本日のフォンテーヌはらしからぬ高温に見舞われていた。照りつける太陽、焼ける石畳、吹き抜ける温風、まとわりつく湿気。世界に誇る地上大湖が、今日ばかりは少し恨めしい――そんな日だ。
……うぅ〜〜〜……
 まるでフォンテーヌ廷全体が浴室のようだ、と共律官達も精彩を欠くパレ・メルモニアは最高審判官執務室には、幼仔の唸り声が響いていた。ヌヴィレットの膝の上、常の元気が鳴りを潜め、ぐたりと己の胸へ身を投げ出しているレヴィに同胞達のような尾があったなら、それはびたんびたんと床を叩いて不機嫌を語っていたことだろう。
「あちゅい〜〜
「そうだな
 何度目かの言葉でむずがる我が仔の額や首裏の汗を拭ってやりながら、ヌヴィレットも何度目かの言葉を返す。袖を捲り、髪を一つにまとめ、靴も脱がせてしまったレヴィにヌヴィレットが今してやれるこれ以上の事は、せいぜい冷たい水を与えてやることと手のひらで仰いでやることくらいだ。くっついているから暑いのではと床に降ろそうともしたが、「や、だっこ」とぐずぐず両手を上げられて即撤回している。
 ヌヴィレットのほうも上着はとっくに脱いでしまったし、スカーフも外してしまったし、二つほどボタンも開けてしまった。レヴィに少しでも暑苦しさを感じさせたくなかったのと、正直ヌヴィレットも参っていたので。
 湿気の多い大気は水龍たる二人の好むものではあるがこの気温はいただけない。まるで鍋の中で茹でられているようだ。
「おうちかえる……お水はいる
 レヴィが唸る。自宅のバスルームのひんやりとした空気に思いを馳せて危うくそうしようと縦に振りかけた首を制して、じんわりと熱をもつ小さな頭をぽんぽんと撫でた。
「とうさまもそうしたいが、今日は大事な書類が届くのだ。私はここにいなければならないし、おまえを一人で留守番させられない。おうちに帰るのは少し待っておくれ」
「うぅ〜〜」
 正直ヌヴィレットも家に帰りたい。自宅には伴侶の氷の力を利用した冷風扇がある。水を浴びて冷風扇の風を受ければ、この暑さもかなりマシになるだろうという確信があった。単純に『下に降りたい』という思いもある。とかく熱気は上に滞留するものなので。
パパ……パパのとこいく……
 胸元に押し付けられた頭の向こう側で萎れ切った声がくぐもる。ぐす、と鼻をすする音に、ヌヴィレットは眉を下げた。いよいよ限界のようだ、と。
 深呼吸を一度。
 ふわ、と、喉元が光を放った。
――リオセスリ殿』
ヌヴィレットさん? 珍しいな、コレで声掛けてくるなんて。声が聞きたかっただけ、とかならそれはそれで大歓迎なんだが、何か緊急の用事かい?』
 伴侶の声が感覚を揺らす。“コレ”――精神感応はよわいと経験を重ねた龍種の持つ特殊能力だ。主に伴侶や親子間で使われるものだが、龍王たるヌヴィレットにはその気になれば同胞達に声を送ることもできる。今のところ使用予定はないけれども。
 一方的で申し訳ないがリオセスリには受信のみ可能であること、常は使わぬよう心がけること、応答を拒否したければ遠慮なくそう言って欲しいこと。この能力についての説明を聞いてまず「いつでも呼んでくれて構わないんだが」とヌヴィレットを甘やかしたリオセスリは、それからどことなく楽しげに「なるほど、『つがいネットワーク』」なんて笑ったのだった。そのネーミングがなんだかあたたかくてくすぐったくて気に入ってしまったので、以来ヌヴィレットもリオセスリに対する精神感応だけは『つがいネットワーク』と称している。閑話休題。
『君の声はいかなる時も聴いていたいと思うがレヴィの事だ。少し時間をもらえるだろうか』
……っ、勿論。俺たちの大事な息子がどうしたって?』
 空気の詰まるような音のあと、伴侶の応答が響く。水の下から飛び出してくるような事態でないのはリオセスリも察しているのだろう。その音律は穏やかなものだ。
『本日のフォンテーヌの気温がこの季節の平均値を大幅に超えていることは君の耳にも入っているだろうか』
『ああ。“上”から戻ってきた事務官が汗だくだったな。朝もやけにあったかいなと思ってはいたが』
『この気温にレヴィが参ってしまって、君のところに行きたいとぐずっているのだ。行かせても構わないだろうか』
 今も「あちゅい」「パパ」と繰り返しては唸っているレヴィの背中を撫でてやりながら送った声に、伴侶はなるほどと笑う。
『確かにこっちは茹るほどの暑さにはなってないからな。いいよ。寄り道せず、マシナリーとアベラントに気をつけておいでと伝えてくれ。出迎えには出られないかもしれないが、執務室にはいる予定だ』
『ありがとう。煩わせてすまない』
 伴侶の返答にほっと息をついた。少なくともレヴィを暑さから解放してやる事はできそうだ。
『とんでもない。可愛い息子のことだ。頼ってもらえて誇らしいね。ヌヴィレットさんは? しんどくないかい』
 くつくつと笑ったテノールが気遣わしげな色を帯びる。のに、きゅ、と胸が疼いた。
正直なところ、些か辛くはある』
『あんた暑いの得意じゃないもんなぁ
 “今”じゃなきゃ俺がそっちに行ったんだが。
 やれやれとため息をつく伴侶にヌヴィレットもこればかりは巡り合わせだと肩を竦める。ヌヴィレットの待っている書類は近日行われる裁判のそれだ。先日摘発された詐欺グループのメンバー達がそこには名を連ねていた。メロピデ要塞の方も、彼らの受け入れに向けて準備に追われているのは想像に難くない。
『休憩と水分補給はこまめにな。額とか、首周りを冷やすと効率的に体温を下げられるぞ。上着は?』
『脱いでしまった。レヴィが暑さを感じるかと思ったので』
 伴侶からのアドバイスにふむとうなずきつつハンガーにかけられた法衣をちらと見やるヌヴィレットの様子は勿論彼には見えていないのだけれども、よかった、今日はそれで正解だと思う、と伴侶は笑う。実はボタンも二つほど外してしまった、と付け加えると、満点だが共律官の前に出る時は閉めて欲しい俺がどうにかなりそうだからと微か面白くなさそうに告げられて肩を揺らしてしまった。
『君とレヴィ以外の前でこのような姿はしない。安心して欲しい』
 リオセスリが時折滲ませる悋気は不思議と甘く心地良い。と正直に伝えたところリオセスリが顔を覆ってしまったのも懐かしい記憶だ。ヌヴィレットの愉しげなさざめきに伴侶の降参とばかりの「なら安心だ」が響いて、送られた無理はしないようにという気遣いを受け取ったのを最後にネットワークを閉じた。
「レヴィ」
「あい
「パパと話をした。今日はお部屋執務室にいるから、レヴィが『秘密基地』に来ても大丈夫だそうだ。「寄り道せず、マシナリーとアベラントに気をつけておいで」と言っていた」
……!!」
 へにょりと萎れながらも呼びかけに応えてくれる愛息子の額に浮かんだ汗を拭ってやりながら告げると、瞳が輝きを取り戻し蒼い触角がふよと浮き上がった。
「パパのとこいく!」
 気持ちが先走っているのだろう。膝の上で身じろぐレヴィの背を撫でて、ヌヴィレットは指を鳴らす。
「まずは水だ。パパからも水分補給はしっかりするようにと言われたからな」
「あい!」
 揃いのグラスを手に取って傾ける。本日は冷やすと甘みの立つ沈玉の谷の水だ。熱の籠った体内が冷やされていく心地よい感覚に目を細め一息。少しだけ落ち着いた様子のレヴィの頬を包み、アイオライトを覗き込む。
「今日は内緒のリフトを使って、外に出たらすぐに水に入りなさい。海面は水温も上がっているだろうから、少し深いところを泳ぐようにすると良いだろう。水流に気をつけて、パパも言っていたが寄り道はしないようにな」
「あい!!」
 『内緒のリフト』とは、四階から地上階に位置する巡水船乗り場への直通リフトのことだ。有事の際、最高審判官及び補佐官の迅速な移動を想定して設計されたものだが、現在は主にレヴィが海に遊びに行く時に使用されている。以前はヌヴィレットが人目を避けるために頻繁に利用されていたことを考えると、リフトも今現在の、これ以上ない平和利用に喜んでいることだろう(ちなみに“リンデちゃん”や“おにいちゃん”に伴われて街に降りる際は正式なリフトを利用している)。
 こくこく、真剣に元気にうなずいてくれる素直で良い仔の息子によしと笑みを返して、二度指を鳴らす。現れた水がチョーカーのように、レヴィの首に寄り添った。
「これなあに?」
「おまじないだ。暑さには首の後ろを冷やすと良いとパパに教えてもらったのでな。おまえが無事にパパのところまで行けるように」
 ちゃぷちゃぷと指先で水のチョーカーと戯れるレヴィに微笑むと、レヴィは「ありがとぉ、とうさま!」と嬉しそうに笑い。
「いってきます!」
「ああ、行っておいで」
 靴を履き直し、ぶんぶんと手を振って、弾丸フジツボの砲撃の如き勢いで執務室を飛び出して行ったのだった。



やあ。来たな、レヴィ」
 『約束』通りきちんと着替えをして、ランプが青いのを確かめて、そろそろとドアを開けて。
 部屋の中、ぱちんと合ったアクアマリンを細めて笑ったパパに、レヴィはてててと駆け寄る。
「パパ!!」
 ぴょんと跳ねれば伸びてきた逞しい腕がレヴィを膝の上まで連れて行ってくれて、大きな手が優しく頭を撫でてくれた。
「外が暑くて元気がないって、とうさまが心配してたぞ」
 熱は篭ってなさそうかな、と頬に触れるパパの手はひんやりとしていて気持ちいい。レヴィは両手も添えてその手に擦り寄り、はふ、と息をつく。
「ん。きょうね、めるるもにゃ、あちゅいの。とうさまがおそでくるくるしてくれたけどあちゅかった」
 むむと眉を寄せながら水の上の暑さを一生懸命語るのに大変だったな、と喉奥で笑ったパパがその指でちゃぷんと首元をつついて。
「このカッコいいチョーカーはどうしたんだい?」
 ひょいと首を傾げられるのに、レヴィは胸を張る。
「とうさまのおまじない!」
「おまじない?」
「ん! ぼくがね、ちゃんとパパのところにいけますようにって!」
なるほど」
 確かにこれなら首の後ろが冷やせるな、ヌヴィレットさん天才か
 ぶつぶつ呟いていたパパは、何かを思いついたように唇の端を引き上げる。チョーカーにパパの指先が触れ、薄青い光が首のそばで輝くのに思わず瞑った目を、レヴィはぱちくりと瞬いた。
「ひえひえ!」
 先ほどよりもひんやりとする首周りに首を傾げ触れた『おまじない』の中に、さっきまでなかった何かが浮いている。
「帰る頃にも暑かったら困るからな。パパからも追加のおまじないだ」
 愉しげに笑ったパパが見せてくれた鏡の中の自分。その首元で揺れる『おまじない』の中には、キラキラした欠片が漂っていた。
「パパのこおり!」
 “ひんやり”の正体を知って、レヴィは快哉を上げる。つんつん、指先でそれに触れて、くふりと笑った。より涼しくなったことよりも、とうさまとパパがレヴィのために『おまじない』をしてくれたことが嬉しい。これならば外がどんなに暑くても元気におうちまで帰れる――そう考えてから、ふと思い出した。『おまじない』をかけてくれて、レヴィを行っておいでと送り出してくれた、優しいとうさまのことを。
 とうさまもレヴィと同じ水龍だ。成龍だからレヴィよりも強いかもしれないけれど、それでもやっぱり暑さは嫌いなはずだ。暑いパレ・メルモニアで、一人で辛い思いをしていたらどうしよう。
とうさま、だいじょうぶかなぁ
 いっしょにこれたらよかったのに。
 笑顔を引っ込め肩を落とすレヴィの背中を、パパがぽんぽんと軽く叩く。
「とうさまの傍にはセドナさんもいるし、とうさまが辛くならないようにみんなが手伝ってくれるはずさ。でも、心配だから夕方になったらパレ・メルモニアまでお迎えに行こうな」
……ん!」
 それはとてもいい考えだ。もし『水の上』がまだ暑くても、パパがいれば氷の力で涼しくしてもらえる。とうさまも無事におうちまで帰れるだろう。そうとなれば時計が“5”になるまでに、パパが秘密基地を出られるようにしなくてはならない。ぼくおりこうさんしてるね、と宣言したレヴィの頭を、パパは偉いぞと撫でてくれたのだった。



 日中よりは幾分か落ち着いた気温の中、ヌヴィレットは心持ち鈍った足取りを自覚しながらリフトに乗り込む。なんとか業務を終えられてよかった。早く帰って水を浴びたい。『最高審判官』の装いに心中ぼやきながら一階への到着の音を聞き、惰性で踏み出した足を思わず止める。
「あっ!」
 とうさま!と、笑顔で大きく手を振ってくれる愛息子と、隣で軽く手を上げている愛しい伴侶。予想外の出迎えに固まるヌヴィレットへ、駆け寄ってきた勢いのまま飛びついてきたレヴィを受け止めれば、冷気が肌を撫でた。
 すり、と寄せられる頬のやわらかさと冷たさに目を細め思わずそれを堪能していると、レヴィがくふくふと得意げに笑う。
「さくせん、せいこうした!」
「作戦?」
「ん! ぼくね、パパにおねがいしてひえひえにしてもらったの。ぼくがひえひえだったら、とうさまもひえひえになれるでしょ?」
「一度で二度美味しい、天才的な作戦だよな」
 お疲れさん、と、歩み寄ってきたリオセスリがくれる労いに君もと返しつつ、ひんやりとしたちいさな頭を撫でる。伴侶が言うには、レヴィの身体全体を薄い氷元素の膜で包んでいるらしい。こんな繊細な使い方はした事ないからあまり長続きはしないがと頬を掻くリオセスリに、そもこのような使い方は簡単にはできないと微笑む。優秀なつがいを持って誇らしいと囁けば、この暑いのに体温が上がるから勘弁してくれないかと顔を逸らされた。
「パパのまほうとけちゃうまえにかえろ!」
「今日は冷たい水をたくさん飲んだだろうし、腹も労わらないとな。涼しい部屋であったかい紅茶でもどうだい」
 息子がくいくいと手を引き、伴侶が最高の贅沢だろ? とやわらかく笑う。
そうだな。レヴィが頑張りすぎて風邪を引く前に急いで帰って、皆で『贅沢』するとしよう」
 息子の口からくちゅんと可愛らしいくしゃみが響くのに微笑みうなずいて、ヌヴィレットは“ひえひえ”のレヴィを抱き上げた。