ふーこ
2025-08-31 00:46:30
7304文字
Public 小説
 

愛しい日々は不定形

クラリュとグレート。愛してるゲームが一大ブームだったころ、やってほしいなぁ〜!!と思っていました。書き終わってみたら結局させてなかった。

「愛してる」と最後に言ったのはいつだったか。
 クラーリィは眼前で繰り広げられている「愛してるよ」の応酬に軽いめまいを覚えながら人生を振り返った。妹にそう言ったのが一番新しい記憶かもしれない。その言葉を軽く他人に言える性格でないことをクラーリィ自身も周囲の人間も理解している。昔から溺愛している身内に言うのが関の山だ。
 だから、ほんの数分の間にこんなにも「愛してる」を聞いたのは生まれて初めてだ、と思った。
 爽やかな風の吹き抜ける中庭で、リュートは弟を見つめて微笑んでいる。心からの愛情を乗せた眼差しだ。グレートも必死にリュートを見つめ返していたが、そこには親愛の情というよりは意地があるのが誰の目にも分かった。
「グレート、愛してるよ」
 数度目のリュートの言葉を、グレートは小さくのけぞりながら聞いた。それから意を決したように息を吸い込んで、やっと口を開く。
「リュート兄貴……あ、あい……あい」
 い、の音をそのままずるずると伸ばし続け、しかめっ面を和らげることはない。対面の兄がさらさらの髪を揺らして小首をかしげてみせたのは、余裕の現れか、単純にこの状況を楽しんでいるのか。
……だーっ! もういいだろ! 考えてみりゃ……こんなモンに本気になることねーっての」
 我慢の限界とばかりにグレートがそっぽを向いた拍子に、真っ赤になった耳が髪の隙間から覗いているのがリュートの目に映った。
 弟を根負けさせたからといって優越感に浸るような意地悪なところは、リュートにはない。「ボクの弟は素直じゃないけどかわいいな」と思うだけだ。
 全身で不機嫌を示す弟の肩を叩いてなだめながら、リュートは傍らに立つクラーリィに向き直った。
「と、こんな感じのゲームです。実演した方が分かりやすいかと思ってお見せしたんですが、いかがでしたか?」
 クラーリィは黙って眼鏡を押し上げた。いかがでしたかと言われても、適切な感想もわいてこない。
……内容は分かったが、それが生徒の間で流行するのは理解できんな」
「ハハ……。親愛の言葉を言い合っているだけですから、悪いことではないと……思うんですけど」
 リュートは上目遣いにクラーリィを窺った。見つめてみたところで、いつもの厳しい表情は崩れないままということしか分からなかった。
 
 生徒同士がそこかしこで「愛してる」と言い合っている。
 教師の一人からクラーリィに上げられた報告では、その事実に「風紀の乱れ」という烙印が押されていたが、果たして事実はどうだろうか。実演を前にしてクラーリィは呆れた。
 本当になにか対処をしなくてはいけないのだろうか、というのが率直な感想だった。実の伴わない言葉が飛び交っているのは好ましくないとも思うが、わざわざ禁止をするのが正しく効果的なことなのか。
 そもそも、この流行に自分の意思が介入すること自体がどうにも変なことに思えた。許すのも禁じるのもおかしなことに感じられて仕方がない。
「それにしても、いったいどうされたんですか? 急にこんなことを聞くなんて珍しいですね」
 もっともだ、とクラーリィは思った。今まで生徒の間の流行に興味を示したことなど一度もないのだから、今回に限ってどうしたんだと思うのも無理はない。しかし、もはや関与すまい思ったばかりである。クラーリィはリュートの問いには答えを返すことはできなかった。
「お前は知らなくてもいいことだ」
 相手を冷たく遮断する声色だった。これ以上会話をする気がない返事だと分かって、リュートは口を結んだ。きっと次の言葉は「邪魔をしたな」で、文字通り煙のように姿を消してしまうことだろう。
 引き留めて追求しようにも、議題がこのゲームではなかなかに難しい。何を隠しているのですかと迫ったところで危機感や緊張感がまるでないのだから。
「ケッ。そんなの、ちょっと考えりゃ分かることだろーが」
 状況を打開したのはグレートだった。すっかりいつもの調子を取り戻した挑発的な態度だ。無遠慮にリュートの肩に肘を置いて体重をかけたので、リュートは一歩よろめいてしまう。
「どういうことだい? グレート」
「それはなぁ……
 グレートの瞳が鋭く輝き、クラーリィは眉を顰めた。嫌な予感がしたのだ。不愉快なのにどこか懐かしくもある。クラーリィはその瞳に彼の父親の面影を見た。こうなった彼がろくなことを言ったためしがない。
「自分もやってみたいからに決まっとろーが! こういうクール気取ってるタイプが一番ムッツリスケベなんだよっ! そこかしこで仕掛ける様子が目に浮かぶぜーっ。いけねーんだー、魔道に関わる奴は老けないってそういう意味で言ったんじゃねーぞオレは……
「コラ、失礼だぞグレート。理事長に限ってそんなこと……
 リュートまでもが言葉の途中でハッとして口元を押さえた。思わぬ伏兵によからぬことを想像されている、とクラーリィは勘づいた。グレートをどの魔法で懲らしめてやろうか考えていたところだったのに、二人揃って油断も隙もない。
「しかし、待てよっ……。理事長は強くて聡明で高い地位を持っておられて、当然すごい人気だ……! 噂では昔、彼氏にしたい男ナンバーワンだったとかっ。そんな理事長がもし本当にそこら中で愛してるなんて言ったら、国が大変なことに――!」
「どこで誰がとったんだよ、そんなアンケート。ふざけた国だな」
 焚き付けた張本人のグレートが、一転して無責任な冷めた視線を兄に向けている。自分よりも盛り上がっている人間を目の前にすると、不思議と冷静になるものだ。
 思い込みの激しいのは似なくても良かったのだが。クラーリィは頭の血管が怒張するのを感じた。
「誰がそんなことするかっ! ワケの分からん噂を持ち出すなっ!」
 指先で練り上げた法力を二人にぶつけ、クラーリィは無理矢理に会話を打ち切った。これ以上あらぬ妄想を続けさせたら名誉に関わる。
「まったく……そのエネルギーを少しは勉強や魔法の特訓に生かせ」
 クラーリィは今度こそ身を翻してその場を立ち去った。
 背後には積み重なってきゅうと倒れた兄弟がいる。情けなくてため息を吐くと、長い髪がクラーリィの肩からはらりと落ちた。憂いひとつ取っても存分に艶めいている。彼氏にしたい男ナンバーワンはあながち過去の栄光ではないようだ。
 

 
 リュートの目はしんしんと魔道書の文字を追っていた。
 数日前にクラーリィから言われた通りに魔法の勉強に励んでいるようだが、しかしこれは、特に説教されたのを反省してやっているということではない。リュートは放っておいても熱心に魔道書を当たっては研究や実践を積み重ねる生徒だった。
 口の中で呪文をぶつぶつと唱えながら指先を空中に振るうとその場に黒い霧が現れ、窓から差し込む強い西日も吸い込んで、ほんの数秒で床を埋め尽くした。
 膝の下まで届きそうなその濃霧の中はひんやりと冷たく、禍々しく、底なしに暗い。リュートはそれを意にも介さない。というよりも、気がついていない。体が魔法を試しているのは無意識のことだ。
 リュートにはたまにあることだった。熱心さは讃えるべきであるが、クラーリィにはそれを止めなくてはならない理由があった。ここは魔法の訓練場ではなく、クラーリィの書室なのだ。個人的に所有している魔道書をリュートに見せるのは今回が初めてではない。リュートが好んで知りたがる暗黒魔法の魔道書は、普通の書架にはそう多く所蔵されていない。だからリュートは度々この書室に訪れてはあれこれと本を吟味して読み込んでいる。
 クラーリィは魔界の植物の酸の香りを思い出していた。化け物のような花に食らいつかれた記憶も新しい。耐えられる人間、つまり自分のことだが、そんなお目付役が側にいる時にしかこんな暴発は許されないだろう。クラーリィが床に向かって杖を振るうと霧はゆっくりと浄化されていった。下手に霧の中に踏み込むと冥界に引きずり込まれそうで、慎重にその作業を行う。リュートが呪文の解読にひっかかって黙っている間がチャンスだった。
「リュート。……リュート!」
 名を呼ばれた少年は二度目にようやく顔を上げた。
「んっ、呼んでいましたか? ここの解釈が難しくて、つい夢中になってしまって……。聞いてください、この本によるとですね――
「冥界の沼の毒霧を召喚できる、ってところだろう」
「そっ、その通りです! まず毒霧で相手の自由を奪って、更に地獄の酸で体を溶かし……そこから飢えた沼の主、大主、さらには裏主なんてのも呼び出せるらしいです」
「裏主? ……そこまで知るハメにならなくて良かったよ。まったく……適性があるのは光魔法だと自分でも分かっているだろうに」
「ハハ……。でも、光と闇は表裏一体……闇を知れば光の強さを増幅させることもできるでしょう?」
「加減をわきまえれば、な」
 リュートは首をかしげた。まさか自分が尊敬する理事長の書室と体を毒で腐らせ魔物に食わせそうになっていたとは微塵も思っていない。
「その本は持ち出しても構わんが……読むときは周りに十分注意しろ。さっき召喚しかけてたぞ、お前」
「えっ!? わーっ、すみません。気をつけます……
 リュートは本をぎゅっと胸の前に抱きしめた。このうっかりがなければ完璧なんだが、とクラーリィは額を押さえる。
 リュートは優秀な子どもだった。いとも簡単そうに発動させてみせた魔法だが、そもそも呪文を読み解くにも学が必要だ。こめる魔力を調整するのも、空に陣を組み込むのも、並の者にできることではない。才能があり、努力だって惜しまない。リュートは学園の環境でその素養を伸ばしている。
 もしかしたら、王子も。クラーリィが自分で気が付いたときにはもう心の奥からこみ上げてくる懐かしさを止めようがなかった。苦しさを伴うほどかけがえのない記憶だった。
 幼い頃のクラーリィにとって魔法とはとても素晴らしく、きらきらしていて、日なたのように優しく、大樹の幹のように頼もしいものだった。烈しく残酷な威力を持ったものでもあると知ったのも、そう遅くはないことだったけれど。平和な時代に生きていたならば、王子もこんな風に好奇心と意欲に溢れ、教師に小言を言われるような生活を送っていたかもしれない。あるいは、自分だってそうだったかもしれない。
 リュートを見ていると、自分や亡き王子のことを考えすぎてしまう。クラーリィは自嘲して思考を切り上げた。もしものことを考えるのは心だけがどこまでも遠くに離れていってしまうようで頼りない。
「どうかしましたか?」
 リュートは顔を赤くした。クラーリィがたまに浮かべる表情は怯んでしまうほど美しいのだ。水面に月光が揺れているような、静かで寂しい雰囲気をまとっている。
「おまえがそうして魔法に夢中になっているのを見てると、昔のことを思い出す。心から……愛しいと思う日々だったよ」
 クラーリィは眼鏡の奥で瞳を細めた。心の中に遠い日のことを映して、それを見つめている。いま目の前にいる人間がそこに触れることはできない。
 しばし静かな時が流れた。古い本の香り、絨毯の柔らかな踏み心地、西日がだんだんと傾くにつれて暗く溶けていく輪郭。
 心から愛しい。
 リュートは頭の中でその言葉を反芻して飲み込もうとした。愛しているは、クラーリィにとって重い言葉なのかもしれないと思った。クラーリィの愛は、ずっと遠く、過去という湖の深くで大切に輝いているものなのだろうか。例えば十年そこらしか生きていない子どもがぴょんと飛び込んで息の続く限り潜ってみたとして、その輝きを思い知ることはできるだろうか。リュートには分からなかった。
 クラーリィは癖のように、自分で自分を慰めるように、肩を撫でていた。先の大戦で大怪我を負ったと聞いたことがあるとリュートは思い出した。そこに傷があるのだろうか。それさえも遠く届かない過去のことだろうか。
「理事長……! ボクは……いえ、ボクも。ボクも愛しています」
 思わず口にしていた。自分の口から出た言葉にリュート自身も驚いたが、クラーリィだって目を丸くした。
 けれど、一度飛び出した思いは止まらない。水中で吐き出した空気が泡になって上っていくのと同じことだ。波の立った水面が周囲に広がっていくのと同じこと。
「ボクも、今の生活とか、この学校で過ごすこととか……理事長から魔法を学ぶことだって、とても楽しい……。だから、愛してるんだと思います。愛しいと思っています。もちろんその中には理事長がいらっしゃらないとダメで……だから……
 いつもはもっと言葉がすらすら出てくるのに。リュートは歯がゆい。授業で発表をするときも、下級生にものを教えるときも、友達や家族と話すときも、言いたいことをちゃんと言葉にして繰り出していけるのに。言わなくてはいけないことは言えると思っていたのに。
「だから、その……理事長にも、愛して欲しいんです!」
 肺の中の空気を全部使い切ったような気分で、リュートは大きく息を吸い込んで、鼻を鳴らすように短く吐き出し、それから恥ずかしくなって目を伏せた。
 何を張り合おうとしているんだ、ボクは。
 そんな内心を見透かしたようにクラーリィは困り気に笑っている。それからクラーリィはリュートの頭を軽く叩くように撫でた。
「願われるまでもない……。オレも、愛しているよ。この平和な日々を」
 クラーリィは確かめるようそう言った。
 内政や外交に奔走している内、心のどこかに鋭さを残していなくてはならないことを学んだ。固く閉ざして隠さなくてはならないものがあることも、蔓延る醜悪さを刮ぎきれないことも。いいや、案外に昔からそうだったのかもしれない。正義感や、誇り、悔しさ。そんなものをずっと心に燃やしていた。研ぎ澄まし続けなくてはいけない刃をいつも心の中に持っていた。それがクラーリィの屋台骨のように機能していたのだ。
 しかしどうだろう。こうして口にすると、愛しているという言葉は暖かくクラーリィに浸透し、じわりと癒やされた。ずっと愛と共に在ったのだと思える。今もまた、愛の中にいるのだと思える。
「フン……。そんなに今の生活を楽しんでいるのなら、次の特訓はもっと厳しく充実させてやろう。覚悟しておくことだな」
「ハ、ハイッ! よろしくお願いしますっ!」
 リュートがとびきりの笑顔を見せると、クラーリィも嬉しくなった。かつての城の景色を思い出す。子どもたちが集まって、王子が笑っていて、女王が見守っていてくださった。
 いつか、この子どもも同じように思い出すだろうか。学園で過ごした日々を振り返って力を得ることがあるだろうか。
 勝手な感傷だ。クラーリィは小さく笑って、その期待を胸の中にしまった。
 
 そのとき、扉の向こうで物音がした。
 クラーリィの書室に訪問があるのは珍しいことだから、二人は、おや、と思って扉へ向かった。そこに立っていたのはグレートだった。
「リュートはともかく、おまえがここへ来るとはな……。すこしは魔法を学ぶ気になったか? しかしここは専門的なものばかりだぞ……おまえには、ちと早いだろう」
「グレート。授業のことならボクが教えてあげるよ。魔曲と魔法は別物で戸惑うかもしれないけど――学んで損することはないと思うよっ」
 クラーリィが話しかけてもリュートが話しかけても、グレートはわなわなと震えたままそこを動かなかった。
「や……
 ようやく声を出すと、グレートは一歩、二歩とよろめくように後ずさった。
「や?」
「や、や……
 後ずさりを続けたグレートは、壁に背中をぶつけてやっと止まった。それからサッと青ざめて口を大きく開いて息をたっぷり吸い込んだ。
「やっぱりやってんじゃねーか、このおっさん! 愛してるとか言って……しかもリュート兄貴相手にィィ!」
 クラーリィは、今のを聞かれていたのだと気が付いて意識が遠くなった。額を押さえてなんとか自身を現実につなぎ止める。リュートの方は間の抜けた声を上げていた。まだ弟が何のことを言ってるか分かっていないようである。
「少年趣味のド変態! ムッツリスケベのおっさん! こんな密室で夕暮れのムードまでばっちり作りおってからに……計画的犯行だなこれは。新聞に売って情報提供料たんまりもらって、今後一生このネタで強請ってやるぜェーっ。『衝撃! 学園理事長の危険な囁き』っと……
 思い込みの激しいのと性根がひん曲がっているのは、いったい何の影響だ。ずいぶんと都合の良い部分だけをしっかりと聞き取って事実を湾曲させたものだ。
「ま……待って、グレート。理事長が愛しているとおっしゃったのはボクのことじゃなくて、言ってみればこの学校というか……
「学校……ってことは全校生徒にヤル気か!?」
「へっ? いや、そーではなく……
「余計タチがわりーじゃねーかよ! 売り出すタイトル変えなきゃな……えー、『狙われた学園』っと」
「えぇい、この大バカ者が! そうではないっ!」
 思わず繰り出した攻撃魔法にもグレートがめげなかったものだから、誤解が解けるまでグレートは結界を張った書室に軟禁状態となった。
 けれど詳細に会話の説明をする羽目になったことと、わざわざ結界を張って話していたために結局根も葉もない噂が立ったことで、クラーリィの心労はたいして軽減もされなかった。
 リュートはと言うと、クラーリィから引き出した「愛している」の言葉をたまに思い出してはあたたかな気分になり、それからこの顛末を思い出して苦笑する、なんてことをしばらくのあいだ繰り返した。
 この日のことも愛のある日常として消化できるかどうか、その日が来るまで分からないことだが、とかくそれまで腹の中にしまっておいてみる他ないのだ。