ほしのねい
2025-08-31 00:27:26
4821文字
Public フベラファ
 

【フベラファ】勝負にならないお年ごろ

※ゆるっと現パロ
※片思いラくんと、かろうじて踏みとどまってるフさん。





…………

しっている、匂いがした。

――ちがう。そんなはずはない。薄暗い室内は、覚えのある寝室だ。
きゅうっと腹がちいさく鳴り、なにも口にしていなかったことに今さら気づく。
かろうじてゼリー飲料は胃に流し込んだが『それは食事じゃないです』と、静かに睨んでくる顔がチラついた。
先日共有された天文学会の議事録に目を通した――ところまでは、記憶がある。

……のどはもう、良さそうだな)

かすれた声と、こめかみを軋ませていた頭痛。
完全に、風邪の引きはじめだった。
身体は見ため通り頑丈にできているが、寝不足だったのは否めない。
週末はスケジュール通り休みなので、余裕で完治できるだろう。――と、つい議事録に手をのばしたのが、よくなかったのか。
痛む頭も喉もそっちのけで、参考文献にまで手を出してしまっていた。
それでも、寝室のベッドに身体を沈ませることには、成功したらしい。

――何時だ……

寝室にわずかに零れてくる光が、やわらかい。
朝まで寝てしまったのかと焦ったが、おそらくリビングの明かりだ。また、つけっぱなしにしてしまったのか。
まだ鈍い痛みをのこす頭で考えようとしたが、やはりうまく思い出せない。
こんな時は、おとなしく目をつむった方がいい。

「っ」

ぐぅ……っと、我ながらまったく可愛げのない腹の音がする。
自覚をすればするほど、目がさえてきた。だが動きたくない。
しょうがない大人だと自分でも思うが、ここは寝て誤魔化そうとワザとらしい寝返りをうつ。
――そのときだった。

……フベルトさん?」

起きちゃったんですか?

……っと、背中が汗ばむ。なぜいま、この子の声がするんだ。
知っているものよりもずいぶん控えめな声だったが、間違うはずがない。
思わず寝たふりをしてしまったのは、かなり動揺していたからだ。

知り合いとはいえ、歳の離れた男の部屋に入り込むことを許された、子ども。
そんなのは、ひとりしか知らない。

(まずい、な……っ)

ドクドクと跳ねる鼓動がうるさい。
ぺたぺたと近づいてきた子に、顔を覗きこまれている気配がする。
やわらかなミルクの匂いする。
きょうは何を持ってきてくれたんだろう。ますます腹がすいてきた。
フベルトはぐっと奥歯を噛んで、寝たふりを続行する。

――熱、さがったみたいだ」

ほそっこい指が、ぺたりと額にふれてくる。
まだ寝ているとダマされてくれている子は、そのままフベルトの目許をなぞってきた。
ひんやりした指先が、きもちいい。
寝たふりのはずだったが、とろりとした眠気にいっしゅん意識をもってかれそうになる。
だめだ――

……なぜ、いる……
「っ!」

――ラファウ、なぜここに?

思ったよりも声がかすれていた。目のまえの子どもが、はっと息をのむ。
喉を傷めるなんて最悪だ。これでも言葉を扱う仕事しているのに。

(では、なくて、だな……

いまは自己嫌悪よりもこっちだ。
思わず掴んでしまった小さな手は、フベルトのなすがままにされている。風邪のせいでなく頭が痛い。
いくら知り合いだからって、成人男性の寝室にひとりで入ってきたらダメだろう。
まして、子どもが寄せてくるあどけない好意を知ってしまっている男に――

「門限はいいのか? いま、なんじだと……っ」

――いや、何時だ?

言っていることが支離死滅だ。
いつもと違う。体調不良を嫌でも自覚する。

……まだ夕方です。義父さんには連絡してるので心配いりません」
「ゆうがた?」

子どもは、ラファウはフベルトに手をつかまれたまま、ぽつぽつと律儀に答えてくれる。
薄暗い寝室。人工的な明かりのしたで、淡い色のひとみがうっすらと伏せられる。
ゆっくりと瞬くまつげがやたらときれいで、まじまじと見てしまった。

――きれいになったな、と素直に思う。

出会ったのは、いまも昔も十二歳。
聡くて、まっすぐで、かわいい子どもは、
フベルトのそばでうつくしく成長してしまった。

……フベルトさん、まだ寝ていたほうが」
「あ、ああ……

まずい、見すぎだ。
ごくっと鳴ったのどは、空腹のせいだけじゃない。

そもそもなぜラファウが?
研究室の者が話してしまったのか?
ポトツキ先生には連絡済みだと言っていたから、先生が?
ああ。そのエプロン、やっぱり似合うじゃないか。

――ぐらぐらと思考が散らかる。
汗で張りつく背中のシャツが不快だ。
この子のために用意してしまった白いエプロンが、これでもかと似合っている。目に毒だ。
きっちり上までボタンがとめられた清潔なシャツ。
そこからわずかに覗く喉もとの白さに、眩暈がする。
決まった制服はないらしいが、きっちりした格好がラファウにはよく似合っていた。

……がっこうが終わって、)
(着替えもせず来たのか、ここに……

どれだけ急いで、やってきたんだろう。
すこしだけネクタイがよれているのに、今さら気づく。

たったそれだけ。
たったそれだけでこんなにも危うく見えてしまう子どもを、早くかえさなくては。

……、ぅ……

――ラファウ。

くちびるだけで、名まえをたどる。
ちいさな手を掴んだままの右手が、じわりと熱をおびた。
あわい瞳をふちどるまつげが、わずかにふるえている。

……だめだ、これは)

どくん、と。
どうしようもない鼓動が跳ねる。手遅れなのはとっくに自覚済みだ。
このきれいな子どもは、フベルトのことが好きなのだと言う。
勘違いだと誤魔化すには、あまりにも切実で、ひっしで――なかったことにはしてやれなかった。

――いいか、ラファウ。勘違いをしてはいけない』
『幼いきみの世界は、きみが思っているよりずっと小さなものだ』
『ポトツキ先生の目をみて、君はいまと同じセリフが言えるのか?』

そう畳み掛けるように、硬い声で言ってやったのに。
子どもは『……それで、ぜんぶですか?』などと、すこし得意げにフベルトを見上げてきたのだ。

『フベルトさんがダメだっていう理由。ぼくが嫌いだから……じゃ、ないんですね』

そう言って、ものすごくかわいい色になってる頬を見せつけながら、
『フベルトさん、ちがう?』などと、まっすぐ見上げてくるのだ。これに抗える男が、いるんだろうか。
そのクセ、清潔なシャツに包まれたちいさな肩が強張っていることに気づいてしまって……もう、だめだった。
『嫌いじゃない』なんて、あたりまえだ。この子を嫌える人間などいるものか。

誰にだって物怖じをしない聡い子どもが、
フベルトの言葉ひとつに、どれだけ緊張していたのだろう。

そんなにかわいい顔をしないで欲しい。
かわいい子に、かわいい想いを、傾けられてしまっている。
酷い誘惑だ。愚かなほどまっすぐでいじらしい瞳から、目が離せないのは自分の方だ。

……私は、きみがかわいいよ』

だいじな子だ。大切だと思う。それではダメか?
ぎりぎり踏みとどまったなけなしの理性で、そう答えるだけで精一杯だった。
本音でもあるから、嘘は言っていない。
このあどけない想いを、自分なりに大切にしてやりたかった。

(すきなこ、前にしたら……タガなんて簡単に外すぞ)

だいじに、したい。
だいじに、しないと――
好きな子は、まだ守られるべき子どもだ。

――わかりました、とラファウは小さく頷いたきり。
フベルトを困らせることもなく、『義父の元教え子』とその男に懐いてる『子ども』のまま――

かわいい距離を保っていたつもりだった。





(だからこれは……っ)
(いったいどういう状況だ??)

ふたりしかいない、ベッドのうえで――
崩れた前髪が垂れる額に、ぴたりとまるっこいおでこをすり寄せられている。

「まだ、あつい」
……っ」
「ねつ、ぶり返してませんか?」

ちがう。
きみのせいだとは言えず押し黙っていると、何を思ったのかするりとベッドの中に入りこんでくる。
――右手を、フベルトにつかまれたまま。
小柄なからだは、当然のようにすっぽりと腕の中におさまってしまった。
大人しくうつむく、まっしろなうなじが嫌でも視界に入りこむ。ドっと背中が汗ばんだ。
せめてこの手を、放してやればいいのに。
子どもが嫌がっていないのをいいことに、心地よい体温を手放せなくなってしまってる。ダメすぎるだろう。

体調のせいだ。
体調のせいで、タガがゆるんでる。

「フベルトさん」

――くるしい?
――ねむれないんですか?

そう、ちいさな唇からこぼれてくる。やわっこい、あやすような声だ。
……もしかしなくとも、これはポトツキ先生がみている小さな子たちと同じ扱いなのだろうか。

「フベルトさん、顔色が悪かったって研究室のひとが教えてくれて」
――っ、――
「だいじょうぶなら、顔だけみていこうって……そしたらベッドのしたで、フベルトさん倒れ込んでて」

ぐらぁっと眩暈がする。

やはりベッドにはたどり着けていなかったのだ。
寝床におさまっていたのは、目の前の子ががんばってくれたから、らしい。

「お鍋、かってに借りました」

ミルクがゆを作ってます。
食べられそうですか? って。

(ああ、だからか――

起き抜けにただよっていた、やさしい匂い。
こんなものを人に作ってもらうなんて、いつぶりだろう。

「ラファウ……

悪い。たすかった。でも寝る部屋には入ってきたらいけない。
寝かしつけるのもだめだ。おでこも。
――そんな、あたまの中で考えたセリフぜんぶ、声にならない。

…………こんど、……
「???」

お礼にひとつ、
きみのお願いをきいてやろう。

「おねがい?」
「ああ……、なんでもいいぞ」

やっと口から這い出たのは、そんなセリフだった。
こう見えて金ならある、と続けないだけマシだ。

「どこか……行きたいところは、あるか?」

食べたいものでもいい。
プラネタリウムでも。
動物園でも、水族館でも。
公園でもなんでも。

「そう、だな、ぜんぶでもいい……

まだわずかに掠れている声を、こんなところまで可愛いちいさな耳に吹き込んでやる。
ちゃんと聞こえただろうか。これはもう、ただの口実だ。
口約束にするつもりはなかった。ずっとずっと、甘やかしたかった。
腕の中でぱちぱちと目を瞬かせる子が、かわいくて、かわいくて仕方ない。

……ひとつってフベルトさんが言ったのに」

ごはん、フベルトさんのおすすめ教えて下さいね。
プラネタリウム、フベルトさんが案内してくれますか?
まえに言ってた郊外の公園、小鳥がすごくかわいいって。

それから、
それから――

「なんでもいいです」
「なんでも、って君は……

それがいちばん困るだろう。
そう言いそうになってしまった言葉を、寸前でのみこむ。

「っ!」

ぎゅうっと、身体をますますちいさくして。
つながったままの小さな手が、おずおずとフベルトの手を握りかえしてくる。

かわいい色になってしまっている頬も、
ゆれている淡い瞳も、
わずかに緊張している、ちいさな身体も――
ぜんぶぜんぶ、フベルトのせいだ。

(ああ、)
(ああ……

なんでもいい、だとか。
そんなことを言ううつくしい子どもは、
フベルトの手の届く『ここ』が、いいのだ。

……ラファウ」
「???」
「ラファウ、聞いてくれ」

わたしも、
わたしもなんだよ。

うめくように可愛い子の名まえを呼んでしまった男は、
腕のなかの子がいちばん欲しかった言葉を、とうとう口にしてしまうのだった。






(勝負にならなかったの男はなし)