桜霞
2025-08-30 18:35:10
17391文字
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【RKRN】神代の終わり【もののけ姫】

もののけ姫とRKRNのクロスオーバー話です。
以前ちょろっと書いたものに「こういうのが見たい!!」と仰ってくださった方がいらっしゃいまして、ついでに昨日金ローでもののけ姫やってたらしいので、記念(?)に書きました。
解釈違いがあったらごめんなさいね。
※雑父の名前捏造
※先々代以前の組頭とか捏造
※なんでも許せる人向け

ヨロシャス!!!!!!!






 カミを見た。





 ◆





 当時最新式の火縄銃が日本に輸入されたのは、一五四三年頃、現代においては前之浜と呼ばれている小浦に異国から来た船が漂着したことから始まる。
 大隅国における種子島で実演された火縄銃二丁を買い求めた種子島時堯は、家臣であった篠川小四郎をはじめ、刀鍛冶であった金兵衛尉清定らに量産を命じ、翌年には改良版を数十挺用意させた。
 その後、堺からやってきた橘屋又三郎などが一、二年ほどでほとんどを学び取り、火縄銃の存在は瞬く間に波及し、戦においてはいかにこの通称「種子島」を入手し活用するかが、趨勢を分ける肝となった。
 守護として畿内の一部を治めていたタソガレドキも、所領に遅れは取っておられぬとばかりに火縄銃の情報を集めた。種子島が最初に使用された戦いから情報を得て、鉄砲隊を組織し、忍軍に火器系統の武器を扱う部隊を設立した。所領が小さく、資源の乏しいタソガレドキは、しかし一部地域に鉱山を有していたため、種子島や堺から家督を継げない職人たちを呼び寄せ、厚待遇で迎え入れ、鉄砲を自国内で賄えるような体制を構築しようと計画した。
 しかし、タソガレドキに鉄はなかった。無いものは他から仕入れるしかなく、とは言えこの時代、鉄を生産できる土地は限られていた。鉄を作るためには高温が必要であり、そのためには大量の木が必要だった。つまるところ、鉄作りには豊かな森と、それを維持、管理するだけの力と知識が不可欠だった。そのどちらもが、タソガレドキには無い。
 鉄砲づくりにおいて、タソガレドキは他国に依存、要するになかなか返すことのできない借りを作ることと同義の状態であった。この借りをどう扱うか、政治的な駆け引きが絡んでくるとあれば、大なり小なり揉め事が生じる。つまるところ戦である。
 戦を仕掛けなければ所領の増えることはほとんどないこの頃において、しかし戦ばかりしているのも領地の体力を悪戯に消耗させることに繋がる。不必要な戦は民草に負担を強いて、領主への信頼と信用を損なうことになる。タソガレドキは、このような揉め事をできるだけ最小限に抑えつつ、またどうにか他国に依存せず、継続的に鉄を入手しなければならなかった。
 タソガレドキにおける評定では、最近はもっぱらこの話が議題に上がって、収束する兆しをなかなか見せなかった。
「ここはやはり、西方の地から得た方が」
「いや、南の方が森が豊かだ」
「だが、南は森が古い」
 タソガレドキ城の最深部にある忍軍の詰所でも、今日も小頭以上が地図を囲んで、ああでもないこうでもないと話し合っている。
 会議の様子をうかがっていた昆奈門は、嘆息して意識を会議から遠ざけた。縁側に座ってぼけっとしていると、微かな気配を拾い、ゆるりとそちらに視線を向ける。
「やあ、陣内」
 言いながら、昆奈門は立ち上がった。
「昆。会議の様子はどうだ」
「いやあ、まだまだ」
 陣内は手に茶と菓子を持っていた。菓子に手を伸ばした昆奈門を、ひょい、と陣内が避ける。その避けた先に待ち構えていた昆奈門の別の手が、菓子をひとつ摘まみ上げて、陣内が「あ、」と言う間に、昆奈門の口へと運んだ。
 半眼でやれやれと嘆息する陣内に、昆奈門は肩を竦めて見せた。
「終わらせたいんだか終わらせたくないんだか、これじゃ分かんないよ。いつまで同じ話をしてりゃあ気が済むんだか」
……そろそろ一刻だ。休憩にはちょうどよかろう」
 爪先の向きを変えた陣内が障子に手をかけようとしたその瞬間、「失礼します」と声が降り立った。細い庭先に降り立った忍にはどこかけたたましい雰囲気の余韻があって、すぐさま室内から「騒がしい」と苛立った叱責が飛んだ。障子が開かれる。月輪隊小頭の高坂だ。昆奈門はわざとらしく、うへえと首を竦めた。
 忍は恥じ入るように低頭した。
「申し訳ございませぬ」
「何があった」
 問うたのは組頭だった。は、と更に低頭した忍は、少しだけ顔を上げると、「アサノの件でございます」と一呼吸ですべての感情を抑制した。昆奈門は口笛を吹く素振りをして、陣内に小突かれた。
「アサノに焚きつけられた地侍がとある村との諍いにて敗退。本拠地まで撤退した模様でございます」
「なに、」
 さしもの小頭たちの腰も浮いた。アサノと言えば、昨今、守護代に反旗を翻し、方々に戦を仕掛けて、アサノ公方とまで呼ばれるようになった大侍である。このままの勢いで小競り合いを繰り返せば、いずれ数多の村々や町を飲み込み、ひとつの大きな国となって、南紀の方まで勢力を伸ばすのではないかとまで目されていた。タソガレドキとしても他所事として放っておくわけにはいかず、さりとてタソガレドキの領地と隣接するところまではまだ時間がかかるだろうので、こうして間諜を放つのみに留まっていた。
「村一つに、アサノが負けたと」
「はい。どうも、その村に多量の火縄銃があるようでございまして」
 火縄銃は、その構成からして安価に大量生産できるような代物ではない。村一つで賄うには限度があった。
「ということは、その村で火縄を賄っているということか」
「そこまでは。面目次第もございませぬ」
 小頭たちは顔を見合わせた。
「どこの村だ」
 問われて、忍はとある山中にある小さな湖の傍を指さした。アサノの本拠地、およびタソガレドキ城下から、近くも遠くもない距離にある。
 南紀ほど、また西国ほども遠くない場所にあって、火縄銃という中々に高価なものを大量に持ち、アサノを追い返すほどに戦力のある村。資金や資材の調達、どのようにしてそのような村になったのか、挙げれば謎にきりがない。
 ややあって、組頭が口を開いた。
「このことは、わしから急ぎ殿に知らせる。雑渡」
「は、」
 狼隊小頭が、小さく身を乗り出す。
「何人か見繕って、アサノを下した村を探れ」
「は。承知致しました」
 首肯するように礼をする父親に、昆奈門は冷めた眼差しを送るに留まった。



 さっさと仕事を切り上げて足早に帰宅した昆奈門を、優しい出汁と味噌の香りが出迎えた。
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさい、昆奈門」
「ただいま帰りました」
 土間に立つ初老の手代に目礼し、昆奈門は囲炉裏の傍で脇息に凭れながら繕いものをする母親の傍に寄った。
「お加減はいかがですか、母上」
「まったく、あなたと来たら。帰ってくるたびに私の様子を窺ってどうするんです」
「そうは申されましても」
 心配そうに眉を下げる昆奈門に、彼女は呆れたようにして言った。
「あなたほど分かりやすい忍など、他におりましょうか。どうせまた、あのひとの足の遠のく忍務でも決まったのでしょう」
 図星である。うぐ、と昆奈門は小さく首を竦めた。
「あなたはいつもそうね。あのひとの帰りが遅くなったり、遠出の忍務が入ったりすると、当てつけのように家に帰ってきて。あなたも忙しいのでしょうから、城下の長屋で寝起きすればよろしいのに」
…………母上は私が邪魔だと仰る」
 半眼で口を尖らせる昆奈門に、彼女は小さく嘆息した。
「誰も左様なことは申しておりませぬ。そういうところはあのひとにそっくりなんだから」
 母の言葉にかちんと来て、昆奈門は「そんなことはありません」と咄嗟に彼女を突っぱねた。
「そうは申されても、私の目には、若様は昔の旦那様に瓜二つでございますよ」
 食事を用意した手代が、眦の皺を深めながら二人の前に膳を置いた。
「ばあや、前は私のことを母上に似ていると言ってくれていたのに」
「そりゃ男の子は母親に似るものでございます故。御方様はお美しいから、ますます精悍に磨きがかかって。ほんに、旦那様の若い頃そっくりでございます」
 最後の一言に、昆奈門はがくりと肩を落とした。
「もう、二人して揶揄って。いただきます!」
 がつ、と勢いよく食いつく昆奈門に、女二人は目配せしあい、こっそりと笑みを深めた。雑渡家の主である勒奈門が帰ってきたのは昆奈門が茶碗を二度ほど空にしてからだった。昆奈門は白々しく「あれ、今日は帰ってくる予定でしたっけ。御櫃、もうほとんど空ですよ」などと白々しく言い放った。
「ごはんなら、まだたんとございますが。お召し上がりになりますかの」
「うん。悪いな、ばあや」
 いいええ、と手代は嬉しそうに勒奈門の食事の用意を始めた。先程までなんやかんやと他愛のない話をしていた昆奈門がふつりと黙り込む。
「昼間の話だがな」
 どっこらせと囲炉裏の傍に座りながら、勒奈門は言葉を続けた。
「あれ、お前も行くことになったぞ」
……え!?」
 数拍遅れて父の言葉の真意を汲み取った昆奈門がぎょっと目を剥いた。
「何故ですか!? あれはそもそも黒鷲の仕事でしょう!!」
「そりゃあ勿論、黒鷲からも一人連れていく。陣内の馴染みの」
 そう言われて、昆奈門の脳裏に四六時中雑面をつけている奇特な男の姿が浮かんだ。というよりほとんど雑面だけが浮かんだ。組頭の息子であるのに最初の任務で仕損じて顔が割れてしまい、以降雑面を身に着けているとかいう、噂なのか真実なのかよく分からない逸話を持っている男だ。昆奈門も、何度か一緒に仕事をしたことがある。その上で、昆奈門はこの男が何かを仕損じるというところをほとんど想像できなかった。
「長烈が一緒なら、私なんかいらないじゃないですか。父上たちだけで行ってきてくださいよ」
「なんだおまえ、怖いのか」
「はっ!? 怖いって、なんですかそれ」
 そんな、幼子みたいな。ぼそぼそと、昆奈門の口の中で言葉があやふやになっていく。一方、昆奈門の脳裏には、かつて横目に見たことのある深い森の姿が鮮明に蘇っていた。
 忍は、あらゆる感情を己の意思のもとに操ることができるように、過度な訓練を施される。どんなに内心が揺さぶられていても、それを表に出すことも、動作に出すことも禁じられる。己の揺らぎを肌の外に出して纏ったままでいるのは二流以下であって、小頭以上を輩出したことのある家においては、二流以下の存在は許されないという物言わぬ重圧が、忍軍にはあった。
 昆奈門とて、幼い頃から、己の感情は二の次だった。喜怒哀楽のすべてが己の裡で大きくなった瞬間、それらを遥か高みから冷徹に俯瞰する術を、骨身に沁みるまで叩き込まれている。
 だからといって、感情そのものがなくなるわけではない。昆奈門はうっすら、森や山といったものをおそれていた。厳しく己を律していなければ、木々の合間に広がる闇が、何か恐ろしい生き物の、ぽっかり開いた口のように思えることもあった。
 しかし、己の恐怖心を両親の前で認めることができるかどうかは、また別の話である。
……べつに、こわくはないですけど……
「けど、なんだ」
 言葉を探しあぐねた昆奈門の視線が彷徨う。その視線が自分の方に来る前に、彼女はばっさりと言い切った。
「わたくしのために忍務を断ろうなどという烏滸がましい考えは捨てなさい」
「う、」
……あなたたちが過度に心配するほどに、わたくしは我が身の脆弱さが恨めしくなる。私のためを思えばこそ、忍として忠義を尽くしなさいと、あれほど教えたつもりなのに」
 彼女が鼻をすすり、悲哀たっぷりの仕草で袖口を持ち上げ、顔を覆った。
「やはり、忍ですらない母の言葉では、不足が生じていたということですね。ああ……母は悲しい……
「分かりましたよ!! 行けばいいんでしょ、行けば!!」
「分かれば宜しい」
 瞬きひとつ、彼女がスン、と白けた顔と態度に戻る。先程までの悲哀はなんだったのか、昆奈門はなんだかどっと疲れたような気がして、半ば押し込むようにして無理やり味噌汁の具を口に咥えた。



 朝早くに発とうとした昆奈門たちを見送りに立ってくれたのは、山本の父だった。先代組頭でもある老体は、普段から屋敷の外に出るようなこともほとんどなくなったと昆奈門は聞いていたが、陣内が用意をしていると「おまえ、古い森の方に行くのか」どこから聞いたのか、突然声をかけてきたのだという。
「先代。見送り、ありがとうございます。この辺で戻られないと、家人が心配しますよ」
「む……そうか」
 山の中の獣道がさらに先細るところで、勒奈門が声を張り上げる。耳の遠くなった老体は、「雑渡」とほとんど怒鳴るようにして勒奈門を呼びつけた。
「はい、はい。なんですか、先代」
「雑渡、いいか。あの辺りへ行くなら、必ずにおいを消せ」
「におい? そりゃまあ、はい、消しておりますが」
「違う。まったくわかっとらん。ヒトとしてのにおいを消せと言っとる」
 はあ、と生返事をする勒奈門の後ろで、昆奈門、陣内、長烈は思わず顔を見合わせた。しかし、この三人のうち誰もが、先代の発する言葉の意味を正しく掴めてはいないらしかった。
 何せ、忍はにおいを残さない。忍んだ痕跡を残さないようにするためである。また、犬などに追われないようにするため、逃げる途中、敢えて水を被ることもある。最近実戦に投入されるようになったばかりの新人や戦場ならともかく、火薬を専門とする狼隊や潜入調査を主とする黒鷲隊は、特ににおいを消すように厳重に注意される。
 自分たちのにおい消しはほとんど完璧に近い、筈だ。
 しかし老人は、しゃがれた声ではっきりと言った。
「よいか。あの森は、他とは違う。努々忘れるな。生きて帰りたくば、においを消せ」
 おどろおどろしい声が地面から這い上がって、己の手足を絡めとるようだった。簡単には振り払えないその語気に、忍たちは固唾をのみ、しばらく動けなかった。
 昆奈門の背筋に、怖気がのったりと覆い被さっていく。昆奈門がようやく老体から踵を返すことができたのは、父が「分かりました」と言うのを、ぼんやり遠くに聞いてからだった。
 老体はひとり、いつまで経っても帰る素振りを見せず、昆奈門たちをじっと見送っていた。
 普段は熱を冷ましてくれる爽やかな風が、いやに汗を冷やして体温を奪うような気がする。
「随分と様子がおかしかったな」
 峠を二つほど越えた辺りで、長烈が初めてぽつりと独り言ちた。昆奈門は常の調子を崩さずに答えた。
「いつものおじじの心配性でしょ。あんまり気にしてたら動けなくなるよ」
「そうとも言い切れん。あのひとはあれで生き残ってきたからな」
…………
 長烈に、だから気にすることはない、と続けようとしていた昆奈門は、半眼になって、きゅ、と口を閉じた。
「念の為に、途中で水を被ってから進もう」
 むっつり黙り込む昆奈門に、陣内がこっそり苦笑する。
 一行は途中、滝壺に飛び込んでにおいを消した。いい具合に腹も減っていたので、ついでに鮎でも取って食べようとした昆奈門には父から兵糧丸が渡された。獣にも極力遭遇しないように、汗をかいたらすぐに拭うなどして、一行は徐々に、普段足を踏み入れない森へと入って行った。
 木々が少しずつ、太く、高くなっていく。薄暗い杉の森から、木漏れ日のきらきらしい、明るい空間へと変わっていく。人の手が入っていない、自然だけで作り上げられた森に揺蕩う空気は重厚で、すこし息をするだけで肺が痛むほどだった。空気が澄みすぎているのだ。一呼吸で賄える血の巡りが増え、思うさま走り回りたいような心地さえ湧き上がってくるようだった。
 森の中の空気に、常の呼吸を乱されている。普段なら、こんなことは絶対にないのに。
 蟠る小さな焦りを、不随意に生える木々が苛立ちに変える。獣道さえ曖昧で、昆奈門は時折方向感覚を失いかけた。
 不意に、先頭を行く勒奈門が指文字を使った。瞬間、昆奈門たちは合図通りに身を隠す。動くなと身振りで示された指示通り、じっと同じ体勢を保持して気配を殺す。呼吸を深く、長くして、……ただの好奇か、昆奈門は、ちらりと木々の合間に視線を走らせた。

 ───カミを見た。

 時が止まったようだった。呼吸も忘れ、周囲に流れる時さえ忘れ、昆奈門はただただ目を見開いた。
 己の目がおかしくなったのかとさえ思った。
 木々の合間に見えたのは、白い毛並みの恐ろしいほどに美しい山犬だった。あまりにも大きすぎて、己が山犬の間合いの外にいるのが俄かに信じきれなくなるほどだった。
 ふつうの生き物とは違う。森が、山が、かのカミにひれ伏し、同時に山犬を生かしてもいた。
 肩を抑え込まれる。昆奈門は静かに息を呑んだ。
 瞬きひとつで、サァッと現実が戻ってくる。今自分がどこにいるのか、昆奈門はようやく思い出した。
 昆奈門の肩を抑えていたのは陣内だった。気付けば昆奈門は、隠れていた木と岩から身を乗り出そうとしていた。
 それからどれくらいの刻が経ったのか、昆奈門には正確には量り兼ねた。もう一度あの山犬を見たいと思って、しかし肩にかかる手がいやに重くて、振り払えなかったのだ。
 やがて昆奈門の見ていた方を注視していた勒奈門が「行くぞ」と低く言って、一行は再び移動を再開させた。訓練された体は昆奈門が意識するまでもなく号令の通りに動き、逸ることも、遅れることもなかった。
 初めて、おそろしいと思っていた森や山の正体を見たと、昆奈門は遅れて理解した。
 奈落の果てにまで続いていそうな暗闇が恐ろしいのではない。その向こうにいる、カミのような───とにかくふつうとは違う、古い生き物。昆奈門とは違う時を生きている異形の存在がおそろしかったのだ。
 肌の下が粟立つ。
 安堵か、───はたまた、畏怖か。
 あんなのは幻だと言い切れない圧が、この森にはあった。移動を再開してからしばらくして、ようやく一行は、森が眩しすぎるのは西日のせいだと分かった。
 木々から抜け出し、光の向こう側に出ると、一行を湖が出迎えた。湖の岸には黒く禿げた山々が連なっており、そこからぽこんと飛び出るようにして作られた島のようなものがあった。高台になっている島の中腹以降は逆茂木で覆われており、頂上にあるらしい集落からは人の気配が感じられた。
 あれが自分たちの目指していた村だと、背後にある空恐ろしいほどに純然たる自然をそのままに、昆奈門たちは誰からともなく安堵で肺を空にした。
「すごい森だったな。しかし、仕事はここからだぞ」
……
 あれを、すごい森だったなの一言で片づけるつもりなんか、こいつは。
 昆奈門は毎度の如く父に苛立ったが、口の端に乗せることはしなかった。単純に、口答えしたところで意味がないからだ。
 一行は湖を回り込むようにして移動した。既に日は山向こうに沈み、影が雑渡達を隠してくれていた。
 ほとんど炭だらけになった山から村に行くには、逆茂木で覆われた土台の中に唯一残された細い通路を進むしかなさそうだった。急斜面に植えられている逆茂木を越えたところで、その上には背の高い丸太が塀のように聳え立っていた。丸太の壁はところどころがへこんでいて、おそらく監視兼狭間の役目を果たすのだろうと察せられた。これは村と言うよりも、ちょっとした山城である。その丸太の壁の向こうには背の高い建物があり、常時煙を吐いていた。
「あれが、所謂たたら場ですかね」
「規模としては大きすぎるようにも思えるが……まあ、そうだろう」
「これだけ木を切って、加えてあんなにでかいたたら場があるなら、火縄を自分たちで賄ってるのも頷ける」
 鉄を作るには、砂鉄用と火を熾す木炭用で、一つずつ山を削る。たたら場の周囲には丸裸にされた山しかなく、この村がいかに鉄を作ってきたかをまざまざと見せつけていた。
 昆奈門たちは、島の死角になるように、逆茂木を陰にして周辺を探った。米俵や何某かの荷物を背中に乗せた牛たちが列を成し、牛飼いたちに手綱を引かれて細い道を上って行く。村に通じる入り口は開け放たれているように見えて、その実、丸太の壁がそのまま垂直に持ち上げられているだけだった。おそらく一人や二人では開けられないだろう。あれが閉じられてしまえば、文字通り、虫の一匹這い出る隙間もない。
 外周から分かることを共有して、昆奈門たちは日が完全に落ちるのを待った。月と星の灯りに目が慣れる頃、昆奈門たちは忍装束に着替えて、狭間の死角を縫うようにして進んだ。逆茂木の間を、土壁を這うようにして進み、かぎ縄を放って塀に引っ掛け、素早く登り切る。弊の内側には見張りのための足場が組んであった。足場の向こうには家々が連なり、絶えず点されている火が昼間のように煌々と集落を照らしていた。ざっと見渡すだけでも、牛飼いの男たち、見張りの要員だろうか、揃いの服を着て頭巾をしている者たち、そして女たちが賑やかに過ごしているのが見て取れる。どこからか鋼を打つ特有の音も聞こえて、鍛冶師もいるだろうことが分かる。
 松明から生まれる暗がりに潜み、集落の中に移動する途中、昆奈門たちは遠目で見張りの持っている鉄筒を見遣った。今まで昆奈門たちが見たことのない銃の形だ。ということは、この集落の中では、鉄砲が生産されるどころか、独自の改良を施し、技術が多少発展している可能性が高い。
 音も無く地に降り立って、昆奈門たちは四方に散った。押都は一際人間の集まっているところへ行き、陣内と勒奈門は村全体を把握するために移動した。
 昆奈門はひとり、たたら場の方へ向かった。人目を避け、気配を消し、暗がりから暗がりへと移動する。

 ───ひとつふたつは

 次第に、女たちの声が大きくなってくる。女たちは唄っていた。たたら場で吹かれる火は人の背丈をゆうに超えるほどの高さになるため、基本的に背の高く作られている建物の壁を、昆奈門は打ち鉤を使って器用に上った。大屋根の天井には煙を逃すための窓が幾つか設けられており、昆奈門は煙の一番薄いところから、そっとたたら場を覗き込んだ。

 ───赤子も踏むが みっつよっつは

 ───鬼も泣く々々……

 ぎいい、と規則的に木の軋む。女たちが歌いながら、天井からつるされた糸を掴んで、たたらを踏んでいる。

 ───たたら女は黄金の情け

 女がたたらを踏むのか、と昆奈門は素直に意外に思った。
 たたら場では、金屋子神が信仰され、祀られることが多い。この金屋子神は醜女とされ、また嫉妬深いため、特に女を嫌うとされる。故に、製鉄作業からは女が遠ざけられることが多かった。

 ───溶けて流れりゃ

 ───刃に変わる……

 それでなくとも、たたらを踏むのは重労働だ。一度起こした火を絶やすことはできず、四日五晩、火に風を送るためにたたらを踏み続けなければならない。一度火を落としてしまうと、十分な量の鉄が作れなくなってしまうからだ。
 女たちは一刻ほどたたらを踏むと、次の者に交代して、二刻ほど休むのを繰り返しているようだった。時折外から来た女が握り飯や粥などを差し入れに持ってくる。おそらく夜通しどころか日中も行われる重労働に、男の影は無い。
 唄を背後に、昆奈門は示し合わせた集合地点へ移動した。まもなく丑三つ時を過ぎて、本来であれば朝特有の静けさと心地の良い冷たい空気が肌を覆う頃だが、たたら場の周囲には煤と煙が漂っていた。
 山の端が、白く染まる直前。夜明け前の、一番闇が深くなる頃に、昆奈門たちは集合した。脱出するために見張りの目をどう掻い潜るか矢羽音で相談しようとした、ちょうどその時。
「モロだ!! モロの一族が出た!!」
 見張りの怒号で、たたら場の空気が一変した。誰ぞが火を点けて銃を放ったのか、空気が重く振動する。監視用の足場を、見張り達が血相を変えて、次々と走って行った。皆の意識がとある一点に集中していることを見て取って、忍たちはすぐさまそれらとは反対方向へと足場を駆け上がった。背後で、わあわあと雄叫びが木霊している。絶叫を、女の「いや! あんた!」という悲鳴が掻き消した。
 忍たちは、顔色を変えずにたたら場を脱出した。





 ◆





 アサノ領付近からタソガレドキ領に帰還した忍たちが持ち帰った情報により、黄昏甚兵衛はたたら場と交渉することを選択した。
 忍軍に直筆の文を持たせ、直接交渉しても良かったが、忍軍から報告を受けた際、石火矢を持って見張りに立っていた者達の特徴を聞いた甚兵衛は、面倒くさそうに眉根を寄せた。
「柿色の着物に、白い頭巾だと?」
「は……、左様でございますが、何かお心当たりが」
 ち、と甚兵衛が舌を打つ。
「師匠連の者どもだ。たたら場め、天朝の息もかかっておるとはな」
 一転、甚兵衛は方針を転換した。忍軍は甚兵衛の命を受け、たたら場を出入りしている牛飼いたちがどの村で交易をするのかを探り、また、たたら場からどこへ鉄が売られて行くのかを探り、結果、たたら場を支配しているのが花街上がりの女と分かって、しかし黄昏甚兵衛は眉一つ動かさず、たたら場と鉄のやり取りをしている領地に文を送って会合の段取りをつけた。タソガレドキ領で生産される幾らかの茶葉と引き換えにたたら場を紹介してもらえることになり、それらの段取りを経てようやく、たたら場へ直接、甚兵衛の文が届けられることになったのだった。
 エボシからの返事は時を置かず届けられた。
 曰く。
『先だって貴殿の麾下が我がたたらを訪れた折には、何のお構いもできず心苦しい限りでございます。古き獣に手古摺る我々にとって、貴殿へのお力添えは些か荷が重く、我らに由縁無き者どもからさえ、たたらを守ることが難しくなっている始末。黄昏甚兵衛殿におかれましては、このような些末な村など、どうぞお捨て置きくださいますよう』
 甚兵衛は溜息を吐いた。何とも気の強い女である。花街から飛び立って一国を築き、武士などの立場を得ずとも侍たちと刃を交えて勝ち残っているのだから、さもありなん。甚兵衛は家臣の何人かと己の内助を呼び、いくつかの指示を出した。
 タソガレドキはたたら場と交易をしている領地から更に遡って、その領地にたたら場を紹介した者を辿り、またその者がどうやってたたら場を知ったかなどの情報を得て、最終的には、師匠連と時の室町幕府の重臣との会合に関わる全ての関係者に渡りをつけた。幕府側には茶器などを贈答し、貴族達には多少の資金援助をするなどして、翌月、朝廷および幕府から、たたら場周辺一帯の所領が名実ともにエボシのものとして安渡されることとなった。
「いやあまったく、お前さん一体何をしたんだ」
 天朝と幕府からの通達を下げ渡しに来たジコ坊にまでそう言わしめたエボシは、静かに片頬だけで微笑んだ。
 こうしてタソガレドキは、良質な鉄を生産するたたら場と、直接交易ができることになったのである。





 ◆





 時の室町幕府から黄昏甚兵衛に下知があったのは数日前である。米の他、食料となるもの、そして火薬の原料となるものを西のとある山間の村へ送れとの指示である。幕府からの指示とは言え、中身は天朝からの思し召しとあっては無碍にするわけにもゆかず、黄昏甚兵衛は例によって配下に命を下した。
 黄昏甚兵衛が雑渡昆奈門に指示を出してからちょうど二十日後、雑渡は西国でも随一と謳われるたたら場に来ていた。米や食料、その他必要物資を用意し、人足を調達して、静かに、息をひそめて気配を殺し、山間を抜けた。
 山間の湖を背に土と木を汲み上げて小高い山のようになっている集落に人の気配を感じた時、尊奈門は数日ぶりにようやくまともな呼吸を許された気がした。道中の山や森は尊奈門の知っているそれとは、見目からして違ったからだ。この辺りの森は、すべての木々が太く、高く伸びて、緑が生い茂っていた。
 しかし、その森を抜けたと思えば、目の前に広がるのは士が剥き出しになった禿山である。尊奈門はなんだか拍子抜けして、思わず来た道を振り返りそうになったが、「振り返るな、尊奈門」と雑渡に静かに制されたのだった。
「ようやく着きましたね、組頭」
「うん。何事もなくて何より」
 見張りに立っている者たちに由縁を告げて、中に入る。伝達だろうか、サッと人が走って、程なくして
「おおい!よく来たな」と気の良さそうな男たちが数人やってきて、人足たちを手伝った。
「なんだ、牛はいねえのか?」
「おお、俺たちゃ用意したんだが、あの人がみんな追い返しちまったんだよ」
 ムッとして声のした方を見やった尊奈門に「水をもらっておいで」と雑渡が指示を出す。尊奈門は渋々「承知しました」と近くの者に井戸はないか訊ねた。
 その間に、雑渡はふらりと村の奥へ進んだ。包帯を巻いた大柄な余所者は目立つはずだが、気配を消した雑渡は風景に紛れて、誰も彼もが気付こうとしなかった。
「そうか、着いたか。よくよくもてなしておやり」
「はい」
 頷いた女たちが雑渡とすれ違う。
「しかし、よろしいのですか、エボシ様」
「何がだ、ゴンザ」
「ありゃあ、タダの人足じゃありません。いや、普通の人足も混じってはいますが……他の奴は、気配も、においもねえ。あれは草、忍です」
「しのび?」
「へえ、闇夜に紛れて裏工作をする、つまらねえ奴等で」
「闇夜。私にはただの人足に見えるが」
「左様」
 ビャッとゴンザが跳ね上がる。エボシ様と呼ばれた女は微動だにせず、雑渡の方を見遣った。受けて、雑渡が口を開く。
「黄昏甚兵衛が忍、雑渡昆奈門と申します。お取込み中失礼」
「っき、きさまっ、気配を消して突然現れるとは、無礼なっ!」
「つまらぬ者故、礼儀作法には疎いのです。悪しからず」
「何応っ」
 ゴンザ、とエボシの声がいきり立つ男を止めた。
「は、はい、エボシ様」
「お前、運ばれてきたものがこれと会っているか、確かめてきておくれ」
 エボシが木札の束と、紙を何枚か差し出した。ほら、と促されたゴンザは弱り切った顔で、「しかし、エボシ様、」と女と雑渡の間で視線を彷徨わせる。
「大丈夫だ。丸腰だろう」
 エボシが諭すように言う。
 ゴンザは目の前に立つ気配のない男を、頭の先から爪先まで、じっ……と検分した。やがてどこにも武器の影を認められなかったのか、ふん、と鼻息荒く踵を返す。
「エボシ様に指一本でも触れたら、叩っ斬ってやる」
 雑渡は応じなかった。怒りを露わにした足音が遠くなって、エボシが「気を悪くしないでおくれ」大儀そうに言った。
「あれで根は善人だ」
「左様で」
 雑渡は懐から書状を取り出した。エボシも黙ってそれを受け取り、慣れた手つきで開く。
……おまえ、これがどこから寄越されたか知っているのか」
「さて。存じ上げません」
「返事を持ってこいと命じられているか」
「はい」
「まったく」
 呆れを隠さずに言った女はその実、笑んでいた。強気伴、小ばかにしたとも取れる艶やかな笑みだった。
「返事はそこらの山犬にでも喰われたと返せ」
「山犬」
「そうだ。知らぬわけはあるまい。でなければ一人か二人は喰われている」
「しかし、山犬は文など喰いますまい」
「シシ神も、このたたら場も欲しがる駄々っ子だ。その程度の言い訳でよかろうさ」
 雑渡は嘆息した。天朝を幼子と言い切る女の前で、これ以上小手先の策を弄したところで無駄である。
「それにしても、無傷であの山を抜けるとは。忍びというのも、なかなか馬鹿にできん」
「帰りは湖から行かせてもらいますよ」
「アサノの地侍たちと行き会うぞ」
「あなたからの返書がないのなら、手土産くらいは持って行かねば」
「はっはっは、苦労するな」
「誰のせいかお分かりなら、色よい返事をいただきたいものです」
 雑渡は一礼し、踵を返した。
 エボシは引き留めなかったが、近くを通りかかった女を呼び止めて、二、三、言づけた。



 尊奈門はすっかりたたら場の男たちと意気投合し、女たちに可愛がられていた。相撲を取って何人か投げ飛ばし、やんややんやの喝采を受けている。
「帰るよ、尊」
「あっ、はい!」
 尊奈門は慌てて人足の衣服を整えて、笠を目深に被った。四方八方から、他の人足達も雑渡の元に集合する。雑渡が全員そろったことを確認し、村の入り口に移動した。森に行くのではなく、湖に降りようとしたところで、「ちょっと待って!」女の声が一行を呼び止める。
「あっ、おトキさん」
「尊! さっきはすごかったじゃないか」
「いやあ、それほどでも」
 あります、とばかりに胸を張る尊奈門。その隣から、「何か御用でしょうか」と高坂が柔らかに訊ねた。
「あらいい男! あんた最初からいた?」
「ちょっとトキ!」
「甲六に言いつけるよ!」
「構うもんかい、この旦那の方がよっぽど稼いでくれるだろうさ!!」
 違いねえや、あっはっはと村人たちが笑う。呆気に取られている高坂に、「ごめんよ、気を悪くしないでおくれ」トキはからっと笑った。
「いやね、これ、エボシ様から。土産だって」
 はい、とトキが高坂に布で包まれた長い筒状のものを渡す。あとこれも、とトキは別の包みを尊奈門に持たせた。
「今度はまたゆっくり来なよ。道中気を付けるんだよ」
「はい! おトキさんも、お元気で」
 お土産、ありがとうございます、と尊奈門が頭を下げた。
 じゃあねと皆に見送られて、雑渡達は一路、人間に丸裸にされた山を下って行った。
 山の稜線の陰にたたら場が消えてようやく、雑渡は高坂を呼んだ。
「陣左」
「はっ」
「何もらったの」
 高坂が包みを少しだけ外す。あっ、と尊奈門が声を上げた。
「石火矢だ。見張りが何人か持ってました」
 更に報告しようとした何人かを、雑渡が視線で制す。
「エボシめ。余計なものを持たせてくれた」
 雑渡は高坂に石火矢をしまうように仕草で指示をすると、すぐに歩調を早めて湖へ向かった。
「組頭」
「急ぐぞ。山犬に嗅ぎつけられたら面倒だ」
「山犬ごときに遅れを取る我らではありません!」
 果敢に言う尊奈門は、一方で、しっかりと皆の後について湖に向かっている。
「この山に棲むのはただの山犬じゃないよ、尊」
「ええ……?」
「あとについて来ている彼らには悪いけど、この辺りで撒こう」
「はっ」
 直後、雑渡達は跳躍した。瞬きひとつで消えた雑渡達の姿に、後をつけていたゴンザたちは目を白黒させた。
「時間がかかるけど、遠回りして行こうか」
「承知しました」
「おまえ、先に走って行ってくれ。アサノには寄らなくていいよ」
「はっ」
 一番足の速い者の気配があっという間に遠くへ消える。
「組頭」
「うん?」
「あの石火矢が余計なものって、どういうことですか?」
 尊奈門に、「そりゃ、余計だからだよ」と雑渡は溜息混じりに答えた。
「これから私達が湖に入る理由だからね」
 まったくいい迷惑だよ、と言う雑渡に、尊奈門はいつまでもきょとんと小首を傾げるままだった。





 ◆





 シシ神狩り、失敗。





 ◆





 たたら場の方で騒ぎがあったらしいという噂は、すぐに黄昏甚兵衛の元にも届いた。雑渡に調査のためにひとを寄越させようというところで、甚兵衛の元に文が届いた。エボシからである。
 エボシの文には、鉄の生産量が激減する旨が記載してあった。しかし、特にこれと言った理由はなく、また、アサノがたたら場を支配したという話も聞かない。
 甚兵衛はやはり雑渡たちをたたら場に遣わした。
 何度目かの深い森は、変わらず雑渡達を出迎えた。しかし、重苦しいほどの透き通った空気は、どこか清廉な、心地よいものに変わっていた。
「この前来た時と、なんだか違いますね」
 尊奈門の言葉に、そうだね、と雑渡が頷く。
 吹き抜ける風に、自然と足取りも軽くなる。いっそ肺や心臓が痛むほどの、太古の自然から遠のいた人間を追い詰める自然の圧が、どこかに霧散しているのだ。
 森を抜け、湖に出て、雑渡たちは瞠目した。
 どこまでも連なっていた禿山のすべてに、爽やかな色合いをした下草が茂っている。風がそよぐたびにまだらに色を変えて、見る者の心を和らげるようだった。まだ木は生えていないが、いずれ静かで穏やかな森になるだろうことが、肌に伝わってくる。
 遠めに見るたたら場は屋根が落ちて、煙が途絶えていたが、丸太の門は開け放たれいた。門に続くまでの細い道には、たくさんの人々が行き交っていて賑わっている。そこに、いつ古い獣に蹂躙されるかといった、張り詰めるような緊張感は無い。
 人足たちに交じって道を進んでいると、「あれっ?」村の方から、陽気な声が降ってきた。
「おやまあ、尊奈門じゃないの!!」
「あっ、おトキさん!」
 声の方を見上げた尊奈門が、ぱっと表情を明るくさせて駆け寄ると、トキたちが笑顔で出迎えてくれる。
「なんだい、あんた、またちょっと大きくなったんじゃないの?」
「え! そうですか?」
 照れる尊奈門に、トキたちは優しく微笑んだ。尊奈門の背後から、雑渡は控えめに声をかえた。
「エボシ殿はどちらに」
「奥にいらっしゃるよ」
 トキがあっさりと答える。笠を目深に被り、口元を布で隠した男に、トキをはじめとした女たちはものともしない。
……伺っても」
「どうぞ」
 一礼して、雑渡たちは村の奥へ進んだ。
 進むにつれ、以前とはまったく違う村だということがよく分かる。村のあちこちから笑顔が溢れて、以前の、どこか緊迫した中にある高揚は見る影も無かった。以前にも活気はあったが、今は温かみが増えている。
「随分、様変わりしましたね」
……ま、悪いことがあったばかりじゃなさそうで、何よりだけど」
 一体何があったのかと訝しむ雑渡たちの足元を、まだ歩けるようになったばかりだろう齢のこどもたちが、きゃーっと駆け抜けていく。
 そういえば、この村にはこどもがいなかったのだと、雑渡達は初めて気が付いた。
 雑渡たちを出迎えたエボシは、どこか憑き物の落ちたような顔で、朗らかに笑っていた。
「やあ、よく来たな」
 凛々しく引き締められていた眦が、柔らかく緩む。雑渡は初めて、エボシの美しさを知った。
……その腕は如何されました」
「モロだ。首だけになっても動きよったわ」
「モロ」
「シシ神の森に棲んでいた山犬のことだよ」
 雑渡の脳裏に、白銀の毛並みが鮮やかに蘇る。同時に、モロの一族が出たという怒号が思い出された。
 まだ己が青かった時分だ。父が生きていた。なにより、山本が翳を背負っていなかった。
「私達が手古摺っていたあの森は、シシ神の森と呼ばれていた」
……存じ上げております」
「そのシシ神の首が不老長寿の薬になるとかで、天朝が欲しがったのだ」
……なるほど」
 以前、たたら場に来た時の、エボシとのやり取りを思い出す。同時に、たたら場との交易を始める前に調べた中に、師匠連という詳細が不明な団体がいたことも思い出された。
 師匠連と天朝が一体何を目論んでたたら場を抑えようとしているのか探ろうかと計画した忍軍を止めたのは黄昏甚兵衛だ。甚兵衛は、深入りするとろくなことが無いと言って、必要以上の調査を忍軍に禁じたのだった。
「で、首は取ったのだがな」
 あっけらかんと、エボシが言う。陣内と尊奈門は、思わず顔を見合わせた。
「結局、シシ神が暴走して、この辺り一帯が全滅しそうになったから、首は神に返された」
「山に緑が戻ったのは、そのおかげですか」
「そうらしい。たたらもそのときにダメになってしまった。なんとか再建はするつもりだが、もうここで、今までのような大量生産は難しいだろう。森も大事にしなければならないしな」
……これからはどうなさるおつもりで」
 エボシは肩を竦めた。
「順当に行けば、アサノの支配を受けることになるだろうな」
「おや。この辺りの所領安渡は、我が主の尽力あってこそと思っていましたが」
「お前たちの見捨てた命への対価として受け取った」
「では、過分に過ぎますな」
 淡々と返す雑渡の言葉に、エボシは眉を潜めた。
……お前たちの属国になれと」
「はい」
 雑渡があまりにもあっさりというので、エボシは片眉を跳ねさせた。雑渡は調子を変えずに言葉を続けた。
「実際、いい話ではあると思いますよ。この辺りをあなたが管理してくれるのであれば、我らは後顧の憂いなくアサノ退治に乗り出せる。たたらの技術を今後も活かしてくれるのであれば、悪いようにはなりません」
……なるほど」
 たたら場が生きていれば、タソガレドキの同盟国としての立場を確保することができただろう。だが今、エボシ達に力はない。
 鉄を、力としないことを選んだ。
 力を民草にも再分配してこの国の封建制度を壊すことによる、己のような立場の民草を生んだ国を崩すのではなく、民草たちといい村を作ることに決めた。
 タソガレドキの評判は、エボシも知っている。戦を繰り返すタソガレドキのような国をこそ憎んでいたエボシの心は、しかし凪いでいた。今ではタソガレドキでさえ、かつての己を見ているような心地さえする。
……いいだろう。その話、慎んでお受けしよう」
 力強い瞳が、雑渡を射抜く。
 内心で、雑渡は顎を引いた。油断すれば、この女に背後から刺されるような気さえするほど、エボシの双眸は強かな光に満ちていた。



 こうして、タソガレドキはまたひとつ、所領を増やすことになった。
 エボシは改めて、雑渡を鍛冶場に案内した。箇所は違えども、誰もが全身のどこかに包帯を巻いている。彼らはノミで鉄を打ち、石火矢を作り、或いは修理していた。雑渡の姿を見ると、彼らは「おお、」と目を丸くした。
「こりゃ、こりゃ。エボシさまが、また新しいのを連れてきなさったとは」
「外の方ですか。まさか、ワシらと似たような方にお会いするとは、思いもせなんだ」
「あんたも病かえ」
 雑渡は微笑んで答えた。
「いえ。左半身を燃やしまして」
「はあー、そりゃまた」
「こりゃあ、剛気なことでいなさるわい」
「エボシさまがお連れになるのもようわかる」
「こわやこわや」
 そういう老父は、穏やかに、そしてどこか楽しそうに笑っている。
「ワシらも今度から、ちょっと燃やしちまったことにするかの」
 わっはっは! と、鍛冶場が笑いに包まれる。雑渡も、肩を震わせて穏やかに笑った。
 その様子を見ていた尊奈門と陣内は、ちょっとだけ顔を見合わせてしまった。



 以降、たたら場は、歴史の表舞台から退場した。
 どこにでもあるような、湖と緑に囲まれた自然と共生する村は、今日この日まで続いている。




 おしまい