気づいたときにはもう、長い長い旅の真っ最中で、引き返せるはずもなかった。おなかの中にいるこの子を、この魂を、私は愛しいと思ってしまっている。
長い長い旅に至った経緯。創造魔法の暴走が各地で起こり、それを止める方法を探す。ゾディアークという、たくさんの人に会えなくなる方法以外のそれを。――十四人委員会も、出来ればそれを選びたくなかったことくらい分かる。私――十四人委員会第十四の座、アゼムも探し続けていたし、第三の座エメトセルク――私の夫だって探し続けてた。十四人委員会としては、たくさんの人に会えなくなっても、残った人だけでも守らなきゃいけない。私もそうしなきゃいけなかった。けど、その方法は、無理だって思った。だからアゼムを示す赤い仮面を置いた。カピトル議事堂を出て、足が駆けようとしたところで呼び止められた。掴まれた腕に力がこもっている。
「アゼム……アマテラス!」
「……ハー、デス」
パパとママにもらった方の名で呼び直されれば、振り返るしかない。呼んできたこの人の、お父さんとお母さんからもらった方の名前を呼ぶ。深々と眉間にはしわが寄って、苦々し気に唇が噛まれている。いっつも私は彼に眉間のしわを付けてしまってるけど、今日は特に。……心配、させちゃってる。
「どこに行くんだ。何故アゼムを辞める」
「……アゼムじゃ見つからないのかもしれないから。大丈夫! 冥界に還ったりとかしないから!」
「当たり前だ! ……ああ、くそ……お前を止めるべきだというのに、こんな状況でもお前を送り出してやりたいなど……」
「ありがとう」
ローブとローブを触れ合わせ、それ越しに体温を確かめた。ため息ののち背中に回ってくる手が、こんな時でも優しかった。心も体も繋げた相手の体温というのはどうして格別に暖かいんだろう。
「……受け取れ」
「?」
ハーデスが私の手に何かを握らせてくる。ころん、と私の手の中で転がったのはクリスタル。しかも、ハーデスのエーテルがぎっしりと詰まっていた。
「何かあったらそれを使え」
「あはは! 本当に心配性なんだから!」
「な……! こんな時に旅に出るからだろう! まったく……お前ってやつは……」
「へへ……本当にありがとう、ハーデス。行ってくるね」
「……ああ、行ってこい」
出かけるのを、心配をにじませながらも、それでもいつもの笑顔で見送ってくれる。この人が私の帰るところになってくれて、ほんと、私って幸せ者だ。これが最後の、ハーデスとの会話になるなんて、のんきな私は思ってもみなかった。この後、ヒュトロダエウスにもイデアを借りるために創造物管理局へと訪ねた。白い仮面の私に目を丸くしたけれど、いつものように一室へ通してくれた。
「いらっしゃい、アマテラス。旅の準備をしに来たのかな?」
「正解! 長期で借りることになるけどいい?」
「もちろん! いつもの野営のセットと……こんなのもあるよ。エーテル視除け!」
「ほほう?」
親友であるヒュトロダエウスが言う。エーテル視除けとはエーテルで獲物を認識する野生生物対策に使われるイデアなのだと。ただまあ、エーテルを視れる人にはあまり効果はないみたいだけど、とも。ただまあ、これからの旅はいつ終わるか分からないもの。せっかくなのでそれも借りていくことにした。
「エメトセルクは何て?」
「行ってこいって。そう、言ってくれた」
「……そっか。じゃあ止める理由はないね。楽しんできて!」
「うん、ありがとう! 行ってくるね!」
扉の方へ振り向いて出ようとしたところに、ヒュトロダエウスの言葉になってない声が聞こえた。何か、言い忘れたことでもあるんだろうか。
「どうしたの?」
「……ううん。何でもないよ。行ってらっしゃい」
今思えば、ヒュトロダエウスは気づいていたのかもしれない。彼も、それもハーデスより視るのが得意だから。小さいときはそんな二人の目を羨ましがってたなあ。……今は、どうだろう。
この子の存在に気づいたのはいつだっけ。旅に出てからだったとは思う。その時滞在してたのは、色とりどりの果物が生る島だった。果物も、海から獲れる魚も美味しくて、そればっかり食べていた気がする。島の住人のお仕事を手伝ったりして時々食べ物をおすそ分けしてもらったけれど、果物と魚以外だと食べ進めるのが遅かった。普段は何でも食べる方だと思っていたけれどどうしてだろう。
「アゼ……アマテラス。よく聞いてほしい」
あなたのお腹に赤ちゃんがいる。この島の医者に告げられる。……そう、言われてしまうと思い当たる点がいくつも浮かんでくる。月のものがここのところ来ていない。この世界を救う方法を探すのに必死になって、それで遅れてるんだと思っていた。果物や魚ばっかり食べるのも、「食べつわり」とか呼ばれるものだと思えば納得してしまえる。この子の父親にだって心当たりしかない。私は、彼としか経験がない。だから、必然。
「エメトセルク様にもご相談された方がいい」
アーモロート外でも私とハーデスが夫婦であることは周知の事実だった。だから……その言葉を言われるのも想定内、ではある。
「……考えておく」
「ええ、よく考えて。……どうか、後悔のない選択を」
診療室から退室する。そのまま診療所を出て、滞在中のいい感じの岩戸まで歩く。走る。いつの間にか手はおなかをかばって。かばいながら、走って走って走った。岩戸に着いた頃には膝から崩れ落ちて、涙がとめどなくあふれだした。
「どうして……! どうして、今、来てくれちゃったんだ……!」
もっと、優しくて穏やかな時にお迎えしたかった。ゾディアーク以外の終末を止める方法は未だ見つからない。終末を迎えるかたくさんの人の犠牲で成り立つ世界の上かの二択を迫るなんて出来ない。かといって、……手放すことも、もっともっと出来ない! 膝から崩れ落ちてもなお、おなかに添えている手が答えだ。
「来てくれて、ありがとう……君は、わたしとハーデスの、だいすきで大切な子だよ……」
まだ報告もしてないけど、絶対、彼もそう思ってくれる。もっと早く言えって怒りながら迎えに来て、私のおなか越しに君を撫でてくれるんだ。生まれてからも大事に大事にしてくれる。守って、くれてしまう。例え大変な時――そう、まさに今だ――だったとしても、私と君を守ってくれてしまうんだ。当代のエメトセルク、ハーデスは怒りん坊で、でも、とてもやさしい人だから。フードで隠れてる、たんぽぽの髪飾りを撫でる。……大丈夫。私が何とかしてみせる。君もきっと一緒に居てね。
地脈、水脈、風脈と同じように、空の方には天脈があり、そこが薄い地域から終末現象が起きている。アゼムだった頃にもした調査の通り。前に詳しく見ようとして空を飛びあがろうとしたら地元のみんなに身重なんですからって止められたのが記憶に新しい。そんな優しい島が今――終末に襲われている。創造魔法が恐怖に染められ牙をむく。得物の刀を手にして、そんな恐怖たちを斬っていく。
「大丈夫!?」
「は、はい……私は……でも妻が」
この人に見覚えがあった。私を診て、君がいるって教えてくれた人だ。小さな島だから、この人の奥さんにも見当がついていた。
「分かった、見つけてくるよ! だから避難していて!」
そう励まして、早々に駆けた。彼女のエーテルは……いた! 恐怖が腕を振り下ろそうとしたそこに割って入り斬っていった。
「ありがとうございます、アゼム様」
今はもうその座にいない私は黙って首を振る。
「……そう、だったわね。アマテラス。……船に乗って向かおうとして、夫と落ち合おうとしたらこれで……」
この島の避難先は隣の大きな島だ。調査の上だと天脈もここより厚い。この終末向けの避難場所と言えた。
「夫さんなら先に向かってるはずだよ。一緒にいこう」
「……ありがとう、心強いわ」
そうして共に船着き場に向かうと、船が二隻留まっていた。一隻は分かる。隣の島への避難用だろう。じゃあ、もう一隻は?
「私と夫はこっちだから……」
夫さんは先にもう一隻の方にいた。奥さんもそっちに行く。よく見ると行き先が張り出されている。……アーモロート、行き? え、まさか。まさか、だよね。奥さんと合流できて、どこか安心した顔の夫さんが口を開く。
「……私たちのところにはなかなか子どもが来てくれなくて。でもこうして、誰かの子どもが生きていける礎になれるなら、この命を使える。……この人も、一緒に居るって言ってくれた」
「アマテラス、激しい運動は控えて、その子をどうか大切にしてね」
そうだったとおなかに手を添える。君はまだいてくれてるかな。そんな私の様子に二人は微笑んでアーモロート行きの船に乗り込んでいく。
「村長が、残った木の実は自由に食べていいって言っていた。どうか身体に気を付けて、『アゼム様』」
「あ、ま、待って……!」
伸ばした手は空を切る。
「ありがとうございました、『アゼム様』」
どうして、違う、ちがうんだよ。そのために助けたんじゃない! 生きて、歩いてほしかった! 追いかけなきゃって思うのに、足が動かない。船はもう出港してしまった。アーモロート行きの船に乗った人は半分以上いた。きっとこれからゾディアークに魂を捧げに行ってしまう。間に合わなかった。……ハーデスに、辛い選択をさせてしまった。
「みんなを守れなかったのに、アゼムなんて呼ばれる資格なんてない……!」
いつの間にやら岩戸の中に戻っていた。どうして岩戸には行けて止めるためには動けなかったの。アゼムの座を降りたのはきっと正しかったんだと思う。師匠だったらなにか違ってたのかな。ううん、出来ることをやるしかない、けど。
「どうしたら、いいのかな……」
君はそこにいてくれてる。診てもらったときよりも少し膨らんだおなかの中で、だんだんとエーテルを感じ取れるようになってきた。不甲斐ない、ママでごめんね。でも、君がいるから還らないでいようとは思う。
それからは、還らないためだけに行動していたと思う。岩戸の中で起きて、エーテル視除けをふりかけて、外へご飯を取りに行って、岩戸の中でご飯を食べた。この島にはもう人がいない。管理する人ももちろんいない。味が薄い、気がするけど、君は美味しいって思ってくれてたかな。あの日からいつのまに、創造魔法の暴走は起きなくなってた。けれど未だ終末の傷跡は残っている。このまま君を産んで、育てられる?
(考えたくない。苦しい)
この惨状を、十四人委員会も看過できないだろう。またゾディアークを使う? また誰かいなくなる? いやだ、考えたくない! 岩戸の中で、ひたすらに目を瞑った。
何回そうやって寝て起きてを繰り返してきたのだろう。いつの間にか私のもとに手紙が届いていた。音声通信は全部応答しなかったから、苦し紛れに手紙にしたのだろうか。しかもただの手紙じゃなくて、何か術式が込められてる。開けてしまえば還らないだけの平穏はきっとなくなる。なくなるから開けないほうがいいのに、それでもこの手は手紙の封を切っていた。ヴェーネス。私の師匠の名が一番上に書かれたそれの内容に衝撃を受け、やっぱり、考えたくないことのリストを増やした。
「終末は、まだ終わってない……でも、この方法は……」
思わずおなかに手を当てる。着々と大きくなっている君を抱きかかえるように。……人もろとも、世界を分割する。それによって、終末へ対抗できるように分割後の人たちに力をつけてもらう。それもエーテルとは違う力。その力は分割後の人たちの方が扱いやすい、とも。……突拍子もない発想だ。師匠らしい。けど、それは、今いる人たちとのお別れ、じゃないの。ヒュトロダエウスも、ハーデスも、そして君も、そのままでいられない。世界のためには分割を受け入れたほうがいいのかもしれない。だけど。
「どうして、私は……」
「アマテラス」
知った声が岩戸の前から聞こえた。……師匠?
「そこにいるのですね、アマテラス」
やっぱり……師匠だ。こんな惨状でどうやって顔向けすればいいんだろう。
「開けてくれないなら、壊しちゃいますよ?」
「わー! 待って! せっかくいい感じの岩戸、壊さないで!」
思わず出てきた私を、師匠が笑顔で思いっきり抱きしめてくる。人の、体温。あったかい。出発前の彼の体温を思い出してしまう。
「う、う、あ、ああ……」
そのやさしさに、あったかさに、溢れ、子供みたいに泣き喚いた。それでも彼に会いたいというのはせめて音にはしないように堪えた。私の涙と鼻水とで汚れちゃうのに、師匠は構わず抱きしめ続けてくれた。……堪えた意味、なかったかもしれない。
「ごめんなさい……師匠……」
「いいんですよ。また会えてうれしい。私こそ、気づけなくてごめんなさい」
「旅してたから、仕方ないですよ……アゼムも辞めてしまったし……」
涙が落ち着いた私は、岩戸の中に師匠を招き入れた。師匠直伝のお茶と、それに合いそうな果物を切って出す。その果物を口にして、師匠は美味しそうに綻んだ。それを見て安心した私も一切れ食べる。
「おい、しい……」
久しぶりに味が薄くないものを食べた気がする。採った時期は同じはずなのに、どうしてかな。……良かった。君に、美味しいものをあげられた。
「いま、何か月ですか?」
「多分、ですけど」
安定はしてるけど産むには早い月齢を告げる。一瞬難しい顔をした師匠だけれど、すぐに笑顔に切り替わった。そのやさしさに、また泣きそうになる。
「……彼には告げないのですか」
「……伝えたら、きっともっと頑張っちゃいます。頑張りすぎちゃいます」
「ふふ、目に浮かびますね」
「そうでしょう!? 厭だ厭だって口では言うのに、結局助けてくれちゃうんだ……ホント、もったいないくらいですよ、私には」
「ふふふ、惚気られちゃいましたね」
そうして他愛もない話をするのはいつぶりだろう。とても楽しくて、でも、師匠のことだからそれだけで来たんじゃないっていうのは分かる。少しでも長く他愛もない話を続けようとした。けれど。
「手紙、読んでくれてありがとう。おかげであなたの元に行くことができました」
「その術式、やっぱりそのためでしたか……」
その一言が出てしまったら、考えなきゃいけなくなる。おなかに添えた手が、震える。君を生かして、大きくなってもらうことだけ考えていればいい平穏は、どこに。
「私にできることなんて……さっきまで、考えたくないって思ってしまってたんですよ。見て、聞いて、感じようなんて思えなかった。アゼムの適正も、あなたの弟子の地位も怪しいくらいなんです、本当は」
「それならどうして手紙を開いたのでしょうか? ――大丈夫、シンプルに考えて。どんな理由でも咎めたりしないと約束するわ、アマテラス」
私が、術式を読み取りながらも手紙を開いた理由。平穏がなくなると分かっていながら、どうして手は手紙を開いたのか。不意におなかの中からとん、と軽い蹴りが入る。ああ、君だ。君がいるんだ。優しい青色のエーテルをなでる。
「この子に、もっと良い未来を見せてあげたい。誰かの犠牲が少しでも少ない手段を見つけて、それで、この子とパパを会わせてあげたい。……そのためのヒントが、欲しかった」
成果は上々とは行かなかった。むしろ、親子三人で暮らせる日が遠のいた。難しい顔の師匠を見て、壁はさらに高いものなんだって実感させられた。
「そう……話してくれてありがとう。貴方にもお礼を言わなければいけませんね。……ありがとう、アマテラスと一緒にいてくれて」
そう言って師匠は君に微笑みを向けてくれた。あえて触れてはこないのは、私の本音を聞いたからだ。
「私はやっぱり、ゾディアークを使うことにも、世界を分割することにも賛同できない。だってそれは、この子と、大切な人たちとのお別れだから。……ごめんなさい、どっちつかずだ。星のことも考えられてない」
「貴方が見て、聞いて、感じてきた証でしょう? 私はあなたを誇りに思いますよ」
「師匠……」
こんな考えを肯定してくれるとは思わなかった。でも、肯定してもらえたことで、ようやく体がうずうずしてきた。本当は君にもこの星の素敵なところを見てほしい。籠るのもそれはそれで楽しいけど、やっぱり外へ出て旅をするっていうのが、私にはすっごく楽しいって感じるんだ! 君にも教えてあげたい!
「ありがとう、師匠! 私、旅に出るよ。この子に素敵なものを見せてあげたいし、諦めたくない。幸せに、なってほしい」
「行ってらっしゃい、アマテラス。あなたの旅路に幸福を祈っています。……貴方には、あなただけの力がある。それを、覚えていて」
「? 分かりました! それじゃ、行ってきます!」
この時の私には思いうかびもしなかった。だって、思い出しちゃえば彼を喚びたくなってたと思うから。
岩戸を飛び出してからの旅は楽しかった。素敵なものを見つけたらすぐに君にも話しかけて「一緒に見たい」で話を締めた。誰かが困っていたら迷わず手を貸した。
「いやあ、同じ妊婦さんに偶然出会えて助かりました。妻も今妊娠してて、少しでも食べられるのが欲しくて……」
「そうだね……私の場合は果物と魚が食べれたからこうしてとってきたけど、これからも二人で話して探ってみて! せっかく二人一緒にいるんだし!」
そうですよね、そうしますと言いながら果物と魚を受け取るこの人の笑顔を見れば、やっぱり楽しくなってうれしくなってくる。平和な、アゼムだった頃とやってることは同じだけど、この笑顔が良くてずっと続けてきたんだ。アゼムになる前からずっと。
「そういえば、エメトセルク様はいらっしゃらないのですね」
「うん、見送ってくれたんだ。こうやって旅するのも、産まれたらしばらくはお預けだろうし……だからお土産見繕ってこなくっちゃ」
「それならぜひお礼をさせてください! 日持ちするものがいいですよね……」
案内されて、おすすめのお土産を選んでいると、そばにある花瓶のなかに星に似た薄青色の花を見つけた。君のエーテルの色に似てて、すごくかわいい。
「その花が気になりますか」
「うん! この子のエーテルの色に似てて、つい見ちゃった。この花が自然に生えてるところにも行きたいな……」
「それなら地図を描きましょう! 少々お待ちくださいね……はい! この先の海もきれいですよ」
「ありがとう、助かるよ」
結構いっぱいもらっちゃったな。感謝を告げながら、地図の場所へ向かう。……思えば、私の歩いた道は手を貸して借りるの積み重ねだったな、と道すがら気が付いた。ヒュトロダエウスにもハーデスにもいっぱい手を貸してもらった。特にハーデスのことはさんざん振り回してきちゃった。そのうえ、私の帰る場所にもなってくれちゃった。厭だ厭だっていうのに、おこりんぼうなのに、私の夫で幼馴染はどうしてこんなに優しいんだろう。ポケットの中のクリスタルを取り出す。まだハーデスの魔力は満タンだ。大丈夫。まだ、使わない。空はそろそろ夕闇に染まろうとしてる。今日の宿を見つけて、そこに泊まる。
「ふう……寝袋もいいけどベッドというのもやっぱりいいね!」
ご飯を食べて、お風呂に入って、あとは寝るだけの状態でベッドに腰かけた。なんかまだ寝る気分じゃない。何かで暇つぶせないかな。そう思って周りを見ようとして、ベッドサイドに置いたタンポポの髪飾りに目を奪われた。たんぽぽの花飾りに、たんぽぽの葉っぱみたいなデザインのリボンがくっついている。子供がフードの中でこっそりつけてそうなかわいいそれ。すっかり大きくなったおなかの前で、見せるように手に取った。
「そういえば、まだ話してなかったかも! ママはね、たんぽぽが大好きでね……これを贈られて、もっと大好きになったんだよ――」
まだ私が子供で、東のほうから引っ越して来たばっかりのころ。こっちのみんなに東にもたんぽぽがあるんだよって採ってきてたたんぽぽが萎れてた。探検で見つけた、たんぽぽがいっぱい生えてる広場でしょんぼりしてたところに……同じく子供だったハーデスがやってきた。いっつも本を抱えていて、この時もそうだった。
「はあ……なんだ、おまえ。なにしてるんだ」
「……ひがしにもたんぽぽあるんだよってとってきたの、げんきにしようとしてるの」
水をあげても、日光に当てても、肥料をあげても萎れたたんぽぽは元気にならなかった。悲しくて、ちょっとぶっきらぼうになってた。そんな私にムッとなったのか、眉と眉を寄せて、小さいハーデスはぶっきらぼうに返してきた。
「もうしおれてるならむだだろう。たましいはだれにもつくれないし、ひといがいはかえるときもえらべない。あきらめろ」
事実の羅列。このたんぽぽがもう元気にはならないのはほんとはわかってた。けど、認めてしまえば、悔しくて、悲しくて。
「な、なにないてるんだ」
「わかってたもん! でもかなしんだもん!」
たんぽぽのためにできることが何もないのが悔しくて、悲しくて、そんな気持ちをどっかにやっちゃいたくて、涙も声も我慢できなかった。ずっと眉を寄せてたハーデスが不意に手を差し出してくる。
「……かせ」
「ひぐ……なにすんの?」
「おまえがうるさいから。はやくよこせ」
「いいけど、なにすんの?」
「いいから! だまってまってろ」
私から萎れたたんぽぽを受け取ったハーデスが何やら創造魔法を使うと、萎れてたたんぽぽが髪飾りに変身した。鮮やかな黄色い花に、黄緑色のリボンがとってもかわいい! しかも、たんぽぽのギザギザの葉っぱみたい! 目を輝かせてた私の目の前に、押し付けるように差し出してくる。照れくさそうに目は逸らして。
「げんきにはもうならないが、こうしてやればきえたりしない」
「……へへ、ありがとう、ハーデス! とってもかわいい! ずっとだいじにするね!」
「……かってにしたらいい。もともとおまえのだ。おまえがなきっぱなしだと、うるさくてほんもよめやしない。……それだけ、だ!」
そう、そうだ。彼の怒りんぼうで優しいところが、大好きになっちゃったんだよなあ。フードの中の髪に付けていかなかった日はない。けんかした日だって結局はつけてっちゃうのだ。
「――それに、パパが怒るのも優しいからなんだ。もし君が叱られたとしても、パパは君のことを心配して、想ってくれてるからそうしちゃうんだ」
まるでわかった! って言ってくれるみたいにとん、とおなかを蹴ってきた。
「もし帰ったら、その時は一緒に叱られようね」
3回蹴ってくるのに、まるで「い・や・だ!」って言ってるみたいでおかしくなって笑った。私とハーデスの子供なんだなって嬉しくなった。……壁掛けの時計はすっかりいい時間だ。もうそろそろ寝ようか。
「明日、君のエーテルと同じ色の花、見るの楽しみだね……おやすみ」
女の子が、泣いてる。長くて、まっすぐな金髪の子。瞳の色はつい最近感じるものと同じ。
「うまく、できない……どうしたらいいの……」
私にもハーデスにも似てないけど、手は思わず伸びていた。君と同じ色のエーテルを感じたから。同じはずなのに、どうしてそんなに薄いんだろう。
「どうしたの? 私でよかったらお話聞かせて?」
触れられなかった。声も聞こえてないみたい。返事は帰ってくることがなく、ただこの子は泣き続けていた。
「うまくできない、なら一緒に練習する? 出来るようになったら楽しいよね!」
「あるいは、別のことやるのもいいかも! やらなきゃいけないことばっかりっていうのも息が詰まっちゃうよね!」
「お話しするだけでも楽になるかもよ、だから……」
だから、どうか笑って。そう思って言葉を紡いでみるけど、やっぱり言葉が届かない。……まるで、君に話したたんぽぽのときみたいだ。あの時は私が泣いてて、それから、ハーデスが来て、それで笑えてた。……この女の子にとってのハーデスはどこにいるの? 女の子のそばには未だ誰もいない。お願い、おねがい。ひとりぼっちにならないで。幸せに、なって。
泊まってる宿の天井。窓のほうから東向きの光。……朝だ。夢を見てた。寂しくて悔しくて悲しい夢。エーテルの薄い、一人ぼっちの女の子の夢。とん、と君がおなかを蹴る感覚。
「おはよ、ごめんね、ぼーっとしちゃってた。ご飯食べて、お花を見に行こうね」
腹ごしらえを済ませて宿を出る。天気は快晴。一面の青色。地面は薄青色が風に揺れて、星が輝くみたいに咲いていた。みんな青色かと思えば、色が濃いのも、白っぽいのも、先っぽがピンクに色づいて紫色にも見えるのもあった。まるで人みたいだ。それが、こんなにきれいな景色を映し出している。
「どう、きれい?」
ひと蹴りが、肯定してるように思えた。エーテルが煌めいている。この煌めきも、遠くにいる煌めきたちも、終わらせたくない。……今日見た夢を思い返す。
「ごめんね、ママ、やることができたよ。見守っていてくれるかな」
宿に戻る。滞在期間を延長してもらい、部屋で思案する。あれはありえる未来だ。エーテルが薄いのは、師匠たちが分割したから。君が私と一緒に生きてたら、きっと、そうなる。……あの子は泣いていた。私にとってのハーデスやみんなみたいな存在があの子にもいてほしい。星と星を寄せる、私の召喚術がもしあの子にも使えたら。渡せたら。君に、君のパパと会ってほしい。会えなくても、幸せにしてくれる誰かと一緒にいてほしい。そうしてみんなが近づきあえたら、きっと。
「少しずつでも、笑って、幸せに近づいて」
創造魔法を練っていく。広範囲にわたらせる必要があるから、当然その分エーテルがたくさん必要になる。……ポケットの中を探る。ハーデスのエーテルがたくさん詰め込まれたクリスタル。これを全部使っても足りるかどうか。それでもこれがなきゃこの賭けはできない。きっと私の無事を願って渡してくれたのに、違うことに使ってごめん。でも私は、君にも笑ってほしいんだ。
「……あとは、世界が分割されたときにこの魔法が発動すれば賭けの始まりだ……」
私と君に影響がない程度に、クリスタルに私のエーテルも混ぜる。きっとあればあるだけいいはず。夕闇色がとってもきれいだ。そしてこのクリスタルに術式を込めれば……完成!
「ふう……」
寝て起きてご飯を食べて術式を創っていって、岩戸にいた頃と似たような動きをしているけど、気持ちはだいぶ違う。これが出来上がったとき、満ち足りた感じがした。とん、とおなかから響く。あっ。
「そうだそうだ、構ってあげられなくてごめんね。またお花を見に行こうよ」
一面の青は、やっぱりきれい。よく見たら違う色なのもやっぱり好きだ。そういえば地図には、この花たちの向こうに海もあるって書いてもらったな。
「ねえ! 海も見に行こうよ! 今行けば夕日に間に合うかも!」
エーテルが煌めいたのを肯定ととらえて、海へ向かって歩みを進める。……勘だけど、君を産むことはできない。それでも君が、君の魂が、笑ってくれたらうれしいって思うんだ。少しでも君のママだった存在として、そう願ってる。……潮の香りがする。
「海が近いよ!」
駆けようとして、君がいるのを思い出して早歩きに切り替えた。そうして歩いていけば、ほら、見えてきた! 少しだけ夕日がちらついている。普段ならここで砂のお城を作ったり泳いだりするけど、今日はなんだかゆっくり眺めたかった。椅子を創って、そこに腰かける。海と空の間で光が輝いて、空はオレンジ色に着替えてく。当たり前かもしれない光景が、今は目が離せなかった。
「きれいだね……」
世界が分割されたらきっと、君ともお別れしなきゃいけない。今でも信じたくない。離れたくないよ。君のママでいたいよ。ハーデスにも君のパパになってほしいよ。君のことで夫婦会議とか開いたりして、けんかもするけどそれ以上に仲良くなったりしたい。滲むのをぬぐっていると、だいぶ日は地平線の向こうへ沈んで……緑に光った。それと同時に夕闇色のクリスタルが光る。術式が発動してる。……そっか、もうタイムリミットか。お願いだ。どうかこの力を使って、幸せをつかみ取って。分割後の私の魂はどうなるんだろう。そういえばエルピスで私の魂に似た使い魔と一緒にいたってエリディブスが言ってたっけ。もしかしたらこっちの世界にまで冒険しに来た分割後の私の魂かもしれない。まあでもそれより。
私の大切な魂たちが幸せになれますように。わがままを言うなら、このたんぽぽの髪飾り。これだけは持って行かせてほしい。君にも、私の生まれ変わりにも渡せない大切な記憶だからね。私じゃなきゃ、きっと旅をするにも重いだろう。じゃあね。また会えたら、また楽しくやろうね。
――そうして、「なりそこない」に至る。
「……い。おい。起きろツィーディア。遅刻するぞ」
身体をゆすられながら、痛む頭を抱えながら目を開く。そこには私の家族であり一国の主である夫が呆れ顔で私を見ていた。なんか、変な夢を見ていた気がする。
「やっとお目覚めか。お前にしてはずいぶん珍しいじゃないか。公演の日は寝過ごすことなんてなかっただろう」
「……ちょっと、頭痛くて。もしかして起こしてくれたの」
「……私が見たい劇を遅刻で潰されたらかなわん。それより時間を見ろ。しゃべってる暇なんてないぞ」
そうして示された時刻で完全に目が覚めた。超特急で身支度を済ませ、使用人と子供たちに朝の挨拶を済ませ、朝食の具材をパンにはさんだものを渡される。それから車の動く音が近づいてきた。
「乗っていけ。乗りながら食え」
「皇帝自ら運転するなんて」
「言ってる場合か」
急いでいるのは事実だ。ためらう時間もなく車の中に乗り込んだ。パンくずがこぼれないようにと気を使う中でも、朝食はさみパンはおいしかった。頭痛はいつの間にかなくなった。
「今日の公演が終わったら医者に診てもらうぞ」
「そんなに? 頭痛はもうないけど……」
「お前が公演の日に寝過ごすなんてあり得ないことだからな」
「それはまあ、ね……」
いつもは公演があるときにはうきうきで目覚ましよりも早く起きちゃうくらいだ。ソルが買ってくれたジャンパーを着て、日課のランニングをして、シャワーを浴びる時間があるくらいに。だからソルが言わんとしてることも分かりはするんだ。この人は……仕方なしで見合いをして、結婚して、私の家族になってくれて、私の演劇バカっぷりを見てきた人。公演後、としたのもきっとその結果だ。……そういうところで家族として大切にしてもらってる、と、感じる。だからこの人が望むなら子供も産んでみせたし、その遠い目が何か見つけられたらって思う。
「何もなかったとて、それはそれでお前はこれからものびのび演劇ができる。そうだろう」
「わかった、分かったわよ。お願いします」
「なら、公演が終わった後劇団で待っていろ。医者を連れてくる。お前の団長にも待機してもらえ」
「団長にも? わ、分かった……」
心配しすぎなんじゃないかしら。そう思いつつも、団長にいつ話を通すかの算段をつけ始めている。劇団の前に停まった車を降りて手を振る私に、ソルは気だるげに返した。歩いて、準備していく中でふと今朝見てた夢を思い返す。
暖かい暗闇の中で遠くて近い、でもやっぱり遠い誰かが優しく語り掛ける夢。優しいんだけど寂しそうで、私は力になりたい、願いをかなえたいって思った気がする。その願いは……なんだったっけ。
今はまだ、「なりそこない」は、思い出せない。こたえあわせは、せいかいで。
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