千草莱
2025-08-30 02:38:04
6302文字
Public 弟子バロ
 

【大逆転裁判】Over drink 

一杯飲まされる、ということもある。 お酒に関するネタから派生した亜双義とバンジークスのお話。

前日譚的な漫画(pixivにとびます)

Over drink


 夜も更けて、誰もが寝静まったバンジークス邸。
荘厳な佇まいの屋敷に似つかわしくない、質の悪いタバコと
酒の匂いをまとった亜双義一真が、使用人の使う裏口を
音をたてぬようそっと開ける。
キッチンやランドリーを抜けて廊下に出ると、
薄暗い中、ランプを掲げた主人が仁王立ちしていた。
凹凸のはっきりした顔は、見慣れていても下から照らされると
なかなかの迫力がある。亜双義はあやうく悲鳴をあげるところだった。

「遅かったな」

低い声が闇をつたって耳の奥を震わせる。
怒声、とまではいかないが、あきらかに不満をこめた声色だ。

「そうか?まだ日付がかわったばかりだろ」

並みの人ならば怯えるような眼光のバンジークスを前にして
亜双義は少しもたじろがず、斜に構えて睨み返した。
何も後ろめたいことなどない。



 この国における東洋人の扱いは、日本にいては想像もつかないほど
粗雑なものだ。バンジークスのそれは、裏切られたという過去に
基づいたものだったが、多くの英国人は理由もなく下に見る。
日々、仕事に励む中で絶え間なく差別に晒されては鬱憤も溜まる。
検事という仕事柄、荒れるわけにはいかないが憂さ晴らしくらいは許されたい。
そんな時、船で働いていた頃の知り合いがやっている大衆向けの酒場は
ちょうどよい発散の場になった。
バンジークスが仕事以外で関わることはないであろう、泥やオイルにまみれた
労働者たちが集い安い酒で油っぽい料理を流し込みながらわいわい騒いでいる中
時に話に混ざり、時に一人であたりを眺めながらジンでも飲んでいると
溜まったイライラもどうでもよくなってくる。
心を病むことなく仕事に打ち込めるのも、こういう時間があるおかげだ。

こうして酒場に行くのは月に数回程度、行く前には屋敷に連絡をして
ディナーが無駄にならないように気を付けている。
飲む量や使う金額もそう多くはない。寄り道もせずすぐ帰っている。
睨まれるいわれはない。

「何か問題があるのか?」

語気を強めて聞けば、バンジークスは黙って亜双義の襟元に視線をやる。
シャツの襟には、べっとりと毒々しいほど赤い口紅がついていた。
普段、酒場に給仕以外の女性はいないが、今夜はどこぞの劇団が
打ち上げと称して大勢で乗り込んできた。その一群にいた女優が、
どれほど気分がよかったのか知らないが、酒場にいる人ほぼ全員に
ハグをして回った。その中に、逃げ遅れた亜双義もいた。
口紅はその時ついたものだ。会話すら交わしていない。
そんな状況について、どこから説明したものかと考えていると
バンジークスはわざとらしい大きなため息をついた。

「どこで何を楽しもうと自由だが、身持ちを崩すようなことはやめなさい」

咎められた瞬間、亜双義は自分の髪が逆立つのを感じた。
真面目だった留学生が、国を出た解放感と異文化交流の高揚で
放蕩に耽り、落ちぶれる……そんな話は珍しくない。
父、玄真だって、本当は悪い遊びのせいで病気になったのだろうと
邪推されることもあった。
かつて信頼した友人の息子を預かる身だと自負するバンジークスが
心配するのは道理かもしれないが、彼にだけはそんな疑いを持たれたくはなかった。

「お師匠様は、弟子の色事にまで口を出すのか」

あざけりを隠さずに、亜双義は鼻で笑う。数歩踏み込んで、バンジークスの
目をのぞき込めば、戸惑いと恐れで揺らいでいた。


 亜双義がバンジークスに抱く想いは複雑だ。
従者として侍っていた頃は、主である彼が身心の居場所の全てだった。
記憶を取り戻し、父への所業が判明してからも、恨みは募れど嫌いになることはできず。
真実が明らかになり、仮面を外して素顔で向き合えば、検事や貴族としての
姿ではない、彼の人間味に強く惹かれた。

元々、彼に師事を求めたのは自分のためであった。
あの夜、船の中で牙をむいた獣性を御せるようになるには、
優秀な検事として犯罪に立ち向かい続けた彼に学ぶ必要があった。
それなのに、今や彼に褒められ、信用されることに充実感を得ている。
もっと彼の特別になりたい。
その、瞬きの間に見逃してしまいそうな笑みを浮かべた口元に触れたい。

触れたいと、自覚してからは忍耐の日々だ。
倫敦から去ろうとした彼をとどめて検事を続けさせたうえに
己の劣情まで押し付けるほど、亜双義は厚かましくはない。
まさか自分をそういう目で見ているなど思ってもいないであろう、
バンジークスの無防備な振る舞いに奥歯を噛んで耐え、せめて
いつか自慢してもらえる一番弟子であろうと心掛けてきた。
ストレスが溜まった状態で晩酌につき合い、うっかり醜態をさらすような
ことは絶対に避けたい。酒場に行くのはそんな理由もある。
こちらの葛藤も知らずに、遊び歩いていると断じて咎められるのは許せなかった。

「欲に負けて醜聞を晒すことが心配なら、貴方が満たしてくれてもいいのだぞ」

……私に、何ができる?」

自分にこそ性欲が向いていることも知らず、ただ無理なことを言って困らせていると
思っているのだろう。そこに何も含みはないのに、とぼけられているようで腹がたってくる。

「手も口もあるだろうが」

亜双義は鼻で笑いながら、普段は彼に向って使わないような下品な口調で返す。
バンジークスはしばし思いを巡らせ、その意味することに至って顔を赤くした。
初めて見る、恥じらって赤面する様子に亜双義の心臓がどくんと音をたてる。
気が付いた時には、バンジークスの顔を掴むようにして引き寄せ、唇を食んでいた。
殴られても文句は言えないと覚悟したが、振りほどかれる気配すらない。
顔を離すと、ぐっと眉間のヒビを深くしたしかめ面があった。

「安酒の味はお気に召さないか」

うるさい心臓をなだめつつ、精一杯の虚勢で憎まれ口をたたく。
これまで少しずつ縮めた距離も、一気に開くことだろう。
そんなに飲んだつもりはなかったが、きっと悪酔いしていたのだ。
飲み過ぎるとろくなことがない。
黙り込んでしまったバンジークスに、わざと明るい声でおやすみと言って横を通り抜ける。
返事は返ってこなかった。




 どんな夜でも必ず朝はやってくる。
やや二日酔い気味の重い頭に悩みながらも、いつも通りの時間に起きて
当主を起こして身支度を手伝う。従者の頃から続く、亜双義のルーティン。
珍しく、バンジークスは既に起きていた。
おはよう、の声は少しかすれて、いつもより低い。目覚めはあまりよくないようだ。
昨夜のことには何も触れない。なかったことにしたいのだろうと察し、亜双義も何も言わなかった。


 そこから数日。何も変わらず日々は過ぎ、厄介な仕事は舞い込んでくる。
相変わらず、ふとした折に差別や妨害にあい、その度舌打ちしながら耐える。
担当事件の裁判を終え、事後対応にひと段落付いた日。亜双義が資料を片づけながら、
いつもの酒場に繰り出そうかと考えているとバンジークスが傍にやって来た。
用事があるのかと発言を待つが、何も言い出さない。
しびれを切らした亜双義が切れ気味に促すと、ようやく口を開いた。

「今夜、酒場に行くつもりか?」

咎めると言うより、恐れているような響きで問いかけられ、亜双義は首をひねる。

「なんだ?行くなというなら止めてもいいぞ。かわりに貴方がつき合ってくれるなら」

真意の見えぬ中、探る様に返した言葉になぜかバンジークスの顔が明るくなった。
常日頃、じっくり彼の表情を観察している亜双義でなければ気が付かない程度の変化だが。

「飲み頃のボトルがある。君が気に入っている銘柄だ」

「それはぜひ、飲まなくては!」

その返事に満足したのか、バンジークスは頷いて自席に戻る。
無理やりキスをしてきた相手を晩酌に誘えるのは、彼にとってあれが取るに足らないことだからだろうか。
腑に落ちないものを抱えたまま、亜双義は夜を迎えた。


 バンジークスの部屋には、飲み頃を迎えたワインだけではなくウイスキーやブランデーもある。
頼めばビールやシードルも用意してもらえるだろう(さすがにジンは執事に渋い顔をされそうだ)
亜双義がワイン以外を飲みたくなったとして、わざわざ離れた酒場に行く必要はない。
しかし、この部屋で、バンジークスと過ごすならば気晴らしのためにあおるような
飲み方はしたくなかった。彼の好むものを共にあじわい、ゆったりとプライベートな話を交わし
彼について知り、自分について知ってほしい。
翌朝、頭痛と引き換えに忘れてしまうなどもったいない。
ともに過ごせる時間は有限なのだから。


 とくとくと注がれるワインを勧められるままに飲み干していく。
飲み頃というだけあって、ガーネット色の液体はなめらかに喉を滑り
芳醇な香りを口内に残す。
バンジークスは、今回の裁判についていくつか評価できる点と課題点をあげたあとは
何も言わずに盃を重ねている。
先日の非礼について詫びるべきか。触れずに何もなかったことにするべきか。
亜双義が悩んでいると、バンジークスが小さく咳払いをした。

「君は優秀で、将来も有望だ。容姿も悪くない、と思う。
 誰の前に出しても恥ずかしくない青年だ」

急に誉め言葉を並べられて目を丸くする亜双義をよそに
バンジークスはややうつむきながら、話を続ける。

「本来、紹介する相手に困ることはないが……
 国をまたぐとなると、安易に話を持ってはこられない」

すまないと謝られて、ようやく見えてきた。先日、色事に口を出すのかと
噛みつかれたので、誰か女性を引き合わせたいと考えたのだろう。
しかし、亜双義はいずれ日本へ帰る身。帰国の際に別れるのは不誠実だし
連れて帰るとなれば困難は計り知れない。
バンジークスが家の繋がりで紹介できるような相手に、結婚を前提としない
紹介などできるはずがない。
かといって、玄人女をあてがうなどできる性質ではない。
自分がどうにもできないことに口を出したばつの悪さに、顔を暗くしているのだ。

「酔っぱらいの戯言だぞ。そんなに真剣に取り合わなくてよかったのに」

片思いの相手に女を紹介されるなど、嬉しくない。
善意が人を傷つけることもあるのだと、亜双義は心の中で舌打ちをした。

「戯言か。そうだな。そうでなくては、あんなことは言うまい」

師に徒労を負わせたことを怒るでもなく、バンジークスは独りごちる。

「あんなこと?」

亜双義が聞き返すと、手に持っていたグラスをテーブルに置いて
ふい、と横を向いた。どことなく、拗ねているようなそぶりだ。

「私に、相手をしろ、と……

口の中だけに留めるようなごく小さな呟きは、二人きりの部屋では
亜双義の耳にちゃんと届いてしまう。
あの夜、小言に腹が立って口走ったこと全て、なかったことにはしてくれないらしい。
当然、衝動的にはたらいたあの狼藉も。

「できぬことは、口にすべきではない」

こちらを見ぬまま続けられた言葉を聞いて、亜双義の苛立ちが高まる。
身勝手ながら、これまでの忍耐も葛藤も無下にされたようなものだ。
無言で席をたち、バンジークスの目の前に進み出た。
何かと問われる前に、彼の顎を掴んで正面を向かせて唇を重ねた。
驚き、薄く開いた隙間から舌を差し入れる。
一瞬、びくりと肩が跳ねたようだが、あとは固まったように動かない。
驚くほど熱い口の中は、先ほどまで同じものを嗜んでいたはずなのに
胸を満たすような甘さを感じていつまでも味わっていたかった。

「今夜は貴方好みの味だろう?」

口の端の雫をぬぐってやりながら、亜双義がバンジークスを見下ろして問う。
視線に情欲をにじませることにためらいはない。
バンジークスはヒビを深くした眉間に指をあて、苦悩の表情を浮かべている。

「貴方が相手してくれるなら、哀れな淑女は生まれない。
 悪い店や女に騙されて身持ちを崩す心配もない。
 なんだ、いいこと尽くしではないか!」

笑いながら、亜双義はバンジークスの出方を伺う。
弱みに付け込む罪悪感と、先ほどのキスでかき立てられた興奮が
天秤の皿にのせられ、棒が激しく左右に揺れている。

「本当に、私で満たせるのか?」

かすかに声を震わせながらバンジークスは亜双義を見上げる。
いつも涼やかな青をたたえている瞳が、色を濃くして亜双義の姿を映す。

天秤の揺れは止まった。

「証明してやる」

腕を引いて立たせると、奥のベッドへと向かう。
テーブルに残されたボトルは一本、グラスがふたつ。
この程度の量、彼にとっては喉を湿らせた程度のはずだ。
思考が鈍るほどではない。
その証拠に、ついてくる足取りはしっかりしていた。




 力を抜いて横たわる身体を拭いてやり、衣服を整える。
まるで朝の支度を手伝う時のような手際のよさに、亜双義は我ながら
情緒がないと苦笑した。

「そんな辛そうな顔をするな。俺が日本に帰るまでの辛抱だろ」

熱に浮かされたような時間のあと、何も言わずに悩まし気な表情を
しているバンジークスの頬をそっとつつく。
亜双義にとっては、性欲のはけ口などではない。
無我夢中で何度か好きだと口走った気がするが、彼の耳には届いただろうか。
聞こえていたとしても、本気にとってもらえるかは分からない。
ただ身体を利用したのだと思われたとしても、この関係をどうにか
今後に繋ぎ止めたい。

「それはいつだ?」

「いつ、と言われてもな……まだ学ぶことは多いが、あまり成歩堂を
 待たせたくはないし……

「焦ると、遠回りをするぞ」

亜双義に背中を向けて、なぜか不機嫌そうに言い放つ。
バンジークスが何を考えているのか思いを巡らせるが
どうしても希望的観測が混じってしまう。
自分が好意を抱いているから、相手の行動にもそれをみてしまうだけだ。
そう言い聞かせて何度も考え直すが行きつく答えはひとつ。

「もしかして、俺が日本にいずれ帰るから辛いのか?」

バンジークスは答えない。この場合、沈黙こそが肯定だろう。
ぎゅう、と後ろから彼を抱きしめて頬を寄せる。
帳を降ろして薄暗い寝台の中、間近で見れば耳も頬も赤い。

「では、ずっと離れずにすむ道を考えよう」

「ナルホドーとの約束を違えるのか?」

「貴方と別れることなく、あいつとの約束も果たす。
 二人で考えれば何かしら方法はみつかるだろ」

「そんな、都合のいい話が……

言いかけて、口をつぐむ。
亜双義は顔がにやけるのを押さえられなかった。

「都合がいいと、認めたな」

「強引な男め」

呆れるバンジークスに、何を今さらと亜双義が笑いかける。
もう一度キスがしたくてこちらを向かせれば、バンジークスの口の端が
ほんの少し上がっていることに気が付く。
それに違和感を覚え、今夜、ここに至るまでを思い返した。
酒場帰りを咎められたこと。
女遊びを疑われたこと。
別の相手を紹介したかったと言われたこと……
ずっと隠し通すつもりだった思いをさらけ出し、強引に関係を深めるに
至ったのは、彼の行動の積み重ねがきっかけではなかったか。

「どこからが、貴方の策だ?」

訝しむ亜双義の唇は、問い詰める前に塞がれた。