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果南(カナン)
2025-08-22 23:02:01
2650文字
Public
さめしし
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ゆりかごを編めば
さめしし。ワンドロのお題「挟まる」「電車」で書きました。
休日の二人の帰り道です。ゆるやかに、守りながら運ばれていく。
電車が止まり、扉が開く。三人掛けのシートの真ん中に座っていた男が、席を立った。
オレは隣に立っている村雨に、ちらりと視線を向けた。吊り革に掴まっている手を下ろさずに、村雨はこちらを見返してくる。
「何だ」
「いや
……
座らねえの、と思って」
村雨は軽く眉根を寄せて、否定の意思を送って寄越した。
郊外の隠れ家的なレストランに、二人でランチを食べに行った帰りだった。休日でも車内は混んでいて、オレ達は乗った時からずっと立ちっぱなしになっている。オレは別にそれでも構わないのだが、深夜に緊急手術で呼び出された後にそのままやって来て、しっかりコース料理を平らげた上にワインまで飲んでいた村雨は、きっと疲れているし眠くなっているはずだった。できることなら、座って休ませてやりたい。
オレの考えていたことは、そのまま顔に出ていたのだろう。村雨は深紅の瞳でさっと撫でるようにオレを見ると、表情を和らげた。
「あなたの気持ちは嬉しい。が、他人に挟まるのはどうも落ち着かないので」
「
……
」
「特に、あの隣の男は匂いが良くないし、反対側は若い女性だ。進んで腰を下ろすのに適した状況とはとても言えないな」
視線は全く空席のほうへ向けずに、さらさらと小さな声で村雨は言った。一応、オレ以外には聞こえない程度の声だったのは評価してもいいだろう。
「うーん
……
言いたいことはわかったけど。でもお前、眠いだろ?」
「これくらいは普通だ」
「だからこそ、休めそうな時は休んでほしいんだけどなぁ」
分が悪くなったと思ったのか、村雨はついと窓の外に視線を逸らす。そうしているうちに、隣の車両からやってきた男がその空席に座って、オレはそれ以上の議論を諦めざるを得なかった。
がたんごとん、と電車は走っていく。次の駅は小さな駅で、オレ達の周りで降りる人はいなかった。
村雨は吊り革を握ったまま、表情を変えずに立っている。というかむしろ無表情で、眠たいのを頑張って堪えているのだろうということは、オレの眼から見ても明らかだった。
何とかならないものかと思って車内を見回したが、相変わらず乗客は多く、今はとても座れそうにない。扉の上の路線図を見てみると、ニつ先が私鉄との乗り換え駅になっていて、そこなら降りる客も多いのではないかと思えた。
目星をつけておいて、さっと動けば、上手くいくかもしれない。
オレはそこまでの数分を、車内の観察に費やした。村雨は相変わらず無表情のままだったが、眼は開いていた。
やがて電車は、その駅にすべり込んでいった。ホームには多くの人が待っていて、車内でも今まで動かなかった客達が荷物に手をかけたり、立ちあがろうとしたりしている。オレが狙っていたのは先ほどの空席の向かいの並びだったが、そこの三人もそれぞれが動こうとしていた。
「村雨」
小さく呼ぶと、ぱっと村雨の表情が生気を取り戻した。眼はずっと開いていたが、実は眠っていたのかもしれない。
「獅子神?」
「まだ降りる駅じゃねえよ。でも、こっち」
説明は最小限にして、村雨の袖を引いた。
扉へ向かう人の動きに逆らって、空になる三人掛けのシートへ向かう。車両の端、いちばん奥の壁側の席に村雨を座らせ、自分はその隣に腰を下ろした。すぐに入ってきた乗客たちが、空いた席を埋めていく。少し年上くらいの女性が近づいてきたので、心持ち村雨の方に寄ってスペースを空けてやると、ほっとしたように会釈してオレの隣に腰掛けた。
村雨が、何ともいえない顔でオレを見た。文句を言う場面ではないとわかってはいるが、ひとこと言わずにはいられない、といった風情で。
つい苦笑しながら、耳元に顔を寄せて囁いた。
「オレと壁に挟まるならいいだろ。さっき匂いが嫌って言ってたオッサンの席でもないし」
「それは、そうだが」
「じゃあそのまま寝てろ。こっち寄っかかっていいから」
村雨は少し迷っていたが、小さく頷いた。
「
……
わかった」
「よし」
「帰ったら、あなたの作ったデザートが食べたい」
「お前、さっきも食って
……
ま、いいか。好きなもん作ってやるから、ウチの最寄り駅に着くまでに決めとけよ。買い物必要になるかもしれねぇから」
こくりともう一度頷くと、村雨は微笑んだ。とろんと眠そうな深紅の瞳が、それでも嬉しそうに輝いてオレを見る。甘やかな視線で確かめるようにオレを眺め、満足そうに笑みを大きくしてから、唇を開いた。
「ありがとう、獅子神」
金色の眼鏡の奥で、眼が伏せられる。グラスコードが小さく揺れ、長いまつ毛がふるりと震えた。
そのまま即座に寝落ちたらしく、腕組みをして顔を下に向けた姿勢で、村雨は動かなくなった。
「
……
やれやれ」
オレはほっとして、俯いた村雨の黒い髪を見遣った。背もたれに軽く体重を預け、体の力を抜く。オレ達が降りる終点の駅まではまだかなりあるから、それまで眠ってくれれば、だいぶ元気になるだろう。
村雨の感覚の鋭さは、正直なところオレには理解できない。さっきの席に座ろうとしなかったのだって、本当に嗅覚としての匂いが嫌だったのか、客の雰囲気なども併せてのことだったのか、オレが立っているのに自分だけ座りたくないと変に意地を張ったのか、わからない。
でも、きつそうな時は、その事をわかってやれると思うし。
助けになって、休ませてやりたいと思うから。
「時々は、頼れよな。オレにも」
口の中だけで呟いて、窓の外を見た。
明るい空に、もくもくと入道雲がわき上がる。冷房の効いた車内に居ると忘れてしまうけれど、電車を降りればまた、うだるような暑さだろう。きっと村雨は、冷たいデザートを希望してくる。それを腹を冷やすから良くないと却下するか、望み通りに我儘を聞き入れるかが、悩ましいところだった。アフォガートみたいに冷たいアイスと熱いスプレッソで合わせるという手もあるけれど、オレが作る部分が少ないから、きっと村雨はお気に召さないだろう。唇を尖らせ、眼光鋭く不満を表明してくる様子が容易に想像できて、自然に自分の口元が緩むのがわかった。
そんな様子も可愛いと思ってしまうのだから、仕方がない。
つくづくオレは、村雨のことが大好きなのだ。
カーブを曲がった電車が、次の駅に向けて減速を始める。逆向きの加速度がかかって、反射的に体幹に力を入れたら、ふわっと動いた村雨の頭がとん、とオレの肩に乗ってきた。
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