果南(カナン)
2025-08-08 22:29:17
3892文字
Public さめしし
 

夜凪の黒猫

さめしし。ワンドロのお題「祭り」「おそろい」で書きました。村雨先生と獅子神さんが、二人で夏祭りに行ったお話です。不本意な成り行きも、一緒に笑顔に変えられる。


 立ち並ぶ屋台。人々のざわめき。
 少し離れた大きな神社の夏祭りに、オレと村雨は来ていた。
 日が暮れてそれなりに時間が過ぎてはいたが、人混みも手伝ってむせ返るような暑さだった。それでも風が吹けば涼しさを感じられるのだが、あいにく先ほどからぴたりと止まってしまっている。浴衣で素足に下駄なぶん、足元の風通しはいつもよりマシな気がしたが、首の後ろからはじわじわと汗が滲んでなかなか止まってくれなかった。
 オレは背中に手を回して帯から団扇を抜き、首元をあおいだ。隣を歩く村雨にも団扇を向けて、強めに風を送ってやる。
「ありがとう、獅子神」
 やや疲れた顔で村雨は言って、手にした緑茶のペットボトルをオレに差し出した。受け取ってごくごくと飲み、蓋を閉めて村雨に返す。
……暑いな」
 何度目かの同じ呟きを発して、村雨はシャツの襟元をぱたぱたと動かした。オレはもう一度、しっかりと団扇を振って風を送る。今のは急かされたわけではないと分かってはいたが、そうしてやりたかった。
『夏の祭りといえば、浴衣だろう』
 そう言い出したのは村雨で、それぞれ浴衣を着て最寄りの駅で落ち合うことになっていた。が、何やかやと仕事が長引いた村雨は(詳細を語る気が起きないほど下らん成り行きだ、と苦虫を噛み潰したような顔で言っていた)、浴衣に着替えてくる時間がとれず、病院からそのまま駆けつけてくることになった。だったらオレも普通の服で行こうか、と問い合わせてはみたのだが、せめてあなたの浴衣姿は見たい、と即座に返事が来たので、オレだけはこうして浴衣を纏って、並んで歩いているというわけなのだった。
 ジャケットは車に置いてきたという村雨は、さすがにこの暑さとあって、愛用のクレリックシャツのボタンを二番目まで外し、両袖も肘まで捲り上げている。コイツが外でこういう着方をすることは滅多にないので、オレとしては十分に新鮮で非日常感があり、色白の腕に浮かぶ筋や、開けた襟元から覗く鎖骨なんかも色っぽいと思ってしまう。しかし、恥ずかしさを堪えて思いきってそれを伝えてみても、村雨は一応嬉しそうにしただけで、だがやはり一緒に浴衣が着たかった、とどうにも浮かない顔に戻ってしまうのだった。
……そんなに、浴衣でおそろいが良かったのか?」
「当たり前だ」
 恐るおそる尋ねると、ぴしゃりと返事がかえって来る。
 軽く顔をしかめて、村雨は言葉を続けた。
「今日は彼らもおらず、あなたと二人きりだ。ようやく恋人同士として二人で祭りに来る機会を得られたというのに、私だけいつもの格好というのはあまりにも風情が無い。せっかく手間暇をかけてあなたが浴衣を着てくれるのだから、私もそれに相応しい装いで臨みたかった」
 そう言って村雨は、長いため息をついた。
 ぐびぐびとペットボトルの緑茶を飲み、手の甲で口元を拭って、蓋を閉める。小さく息をついて視線を漂わせると、くるりとこちらを振り返った。
……あれを買ってくる。そちらで待っていろ」
「お、おぅ」
 すたすたと屋台のひとつへ向かった村雨を見送って、オレもため息をついた。あれは、相当残念がっている。できることなら何とかしてやりたかった。
 とりあえず人波を避けて道の脇に寄り、村雨の示した場所に立った。奥の広場へ抜けていく道が分かれているところで、そちらには屋台が無い。少し開けたその場所は自然と休憩所のようになっていて、屋台の食べ物を手にした若者たちが座り込んだり、隅の暗がりで男女のカップルが寄り添ったりしていた。スマートフォンを手に人待ち顔で、屋台のほうを見渡している奴もいる。オレもすぐ傍の木にもたれ、明るい光を灯す屋台の列を眺めながら、村雨が戻ってくる前にと考えを巡らせた。
 今から浴衣を着て出直すのは時間的に無理があるが、他の手段で、村雨の無念を少しでも晴らせる方法。アイツが喜びそうで、来て良かったと思ってくれるような。
「食い物は自分で好きに買っちまうしなぁ。他のもので、何か……
 ここまでに通ってきた屋台を、順に思い返していく。と、これならいけるんじゃないかと閃くものがあった。
 たぶん、適度に意外性もある。少なくとも無下にされることはないだろう。
「獅子神」
 ちょうどそこへ村雨が戻ってきて、オレを呼んだ。手にはデカいフランクフルトの串を持っている。こういう祭りの屋台でしかお目にかかれないヤツで、長さはオレの肘から手首ほどまでもあり、太さもなかなかのものだった。
「すげぇな、それ」
 思わず呟くと、村雨はにやりと笑った。
「焼きたてだ。あなたも食べるか?」
「いや……オレは遠慮しとくよ」
「そうか」
 あっさり引き下がると、村雨はぱくりとフランクフルトの端に噛みついた。パリっと焼けた皮に歯を立てて齧り取ると、じゅわりと透明な汁が湧いて出る。滴りそうになったそれを舌先で舐め取り、先端を口の中に咥えながら、上目遣いにオレを見て、またにやりと唇の端を持ち上げた。わざとらしく、妙に艶っぽい眼をしてくるものだからタチが悪い。
「あのなぁ、村雨。あまり目の毒になるようなことすんなよ」
「さあな。何のことだ?」
 楽しそうに村雨は言って、大きなフランクフルトを食べ進めた。どうやら少しは機嫌が直ったらしい。
 どうせ食べ終わるまで、ここから動かないだろう。今のうちに思いついたものを買ってくればいいと思って、オレはフランクフルトに向き合う村雨に声をかけた。
「オレも、買ってきたいモノあるんだけど。ちょっと行ってきていいか?」
 村雨はもぐもぐと口を動かしながら、視線だけで了承の意を伝えてきた。頷き返して、その場を離れる。
 人混みの中に戻り、先ほど通ってきた方へ向かった。そんなに離れていない所にあったはずだと思ったが、やっぱりすぐに見つかった。
 何段にもずらりと並べられてこちらを見る、様々な顔。虚ろな両眼。
 あまり立ち止まる人がいない、お面の屋台だった。
 数歩離れたところで立ち止まって、並んだお面を眺める。キャラクターものやあまりにも可愛いすぎるものは避けるとして、さてどれにするかと見渡すと、隅にある黒い猫のお面が目に留まった。和風の、どちらかといえば妖怪めいたデザインで、両眼の隈取りと耳の中がくすんだ金色に塗られている。面の空いたスペースには数匹の赤い金魚が泳いでいて、一緒に描かれた波紋の水色が涼しげに見えた。ゴム紐が通された両端の穴には、小さな赤い房飾りがつけられている。
 悪くない、と思った。夏らしいし、何となく村雨っぽい。
 オレは暇そうにしている店主に声をかけると、その黒猫のお面を二枚買った。代金を払い、お面を手にして、村雨のところへ戻る。
「何を買った」
 村雨はもうフランクフルトを食べ終えていて、串もちゃんと捨てたみたいだった。残り少ないペットボトルの緑茶を口にしながら、訝しげな眼でオレを見てくる。
「ん。これ」
 オレは手にした黒猫のお面を、重ねたままで差し出してみせた。村雨の眼が、疑念の色を濃くして鋭く光る。
「お面? 何故だ?」
「お祭りらしくて良くね? これ、ちょっとお前っぽいし」
……
「それにさ、ほら」
 重ねていたお面を両手で持って、ぱかっと二枚に分けた。
 村雨が、目を丸くする。
「獅子神」
 驚いたように見上げてくる深紅の瞳に、黙って微笑み返す。そのまま黒猫のお面を村雨の頭にのせて、指でゴム紐を広げた。眼鏡やグラスコードに引っかからないように注意しながら、硬めの黒髪を梳いてゴム紐をかけてやる。そうして残ったほうのお面を、自分も頭に着けた。
「これで、おそろいだろ?」
 指先でお面をぽんと叩くと、村雨はしげしげとオレを眺めてから、慎重に口を開いた。
……浴衣のあなたは良いとして、普段着のままの私は些かマヌケではないか?」
「んなことねぇよ。似合ってるぜ」
「本当か?」
「本当だよ。かわいいから」
 しっかり眼を見て言ってやると、ようやく村雨は表情を緩めて微笑んだ。
「ありがとう、獅子神。気を遣わせたようだな。すまなかった」
「そんな、気にしてねえって」
「あなたの気持ちが嬉しい」
「そりゃ良かったぜ。んじゃ、もう少しその辺を周ってみるか?」
 こくりと村雨は頷くと、屋台の列に目を遣った。少し何かを考えてから、無言で歩き出す。オレも隣に並んで、歩き出した。
 人の流れに揉まれながら歩いていくうちに、村雨がすっと手を重ねてきた。誘われるままに指を絡めて、軽く握る。少し汗ばんでいて、いつもより熱かった。
 こういう場所で手を繋ぐのは、正直なところまだ恥ずかしい。
 でも、祭りなんだからいいじゃないか、とも思う。せっかく、一緒に来たのだから。
 愛用のクレリックシャツのボタンを二番目まで外して、両袖も肘まで捲り上げた村雨が、わかりやすく嬉しそうにオレの隣を歩いている。空になったペットボトルを近くのごみ箱に放り入れ、頭に着けた黒猫のお面に手をやって軽く位置を直す。金色の眼鏡の縁が屋台の灯を跳ね返し、歩みを進めるたびにグラスコードも揺れて、きらきらと輝いた。
 真夏の夜の、非日常の風景。
 来られて本当によかったし、また来たいと思う。
 ——何度でも、一緒に。
 さわさわと吹き始めた夜風が、黒猫のお面から垂れる房飾りを揺らす。踊る赤が黒髪に映えて、キレイだなと思いながら眺めていたら、振り返った村雨が視線を合わせて、得意げににやりと笑った。