果南(カナン)
2025-07-25 22:57:37
5468文字
Public さめしし
 

共有のモチーフ

さめしし。ワンドロのお題「ファミリーレストラン(ファミレス)」「別腹」で書きました。
ジョイキの企画メニューを食べに来たさめししのお話です。
悩んだり食べたり、何でもふたりで一緒にしてきたから。
*PPP後で、ししさんががとさんに出資している設定です



『ちょこっと! 別腹メニュー』
 卓上に立てられた、厚紙を折った三角柱。期間限定のフェアなどを紹介するポップ兼メニューに、白いフチで囲まれたその文字が踊っていた。可愛らしいが馬鹿馬鹿しくはない、年齢や性別を問わずに広く受け入れられそうな字体だ。
 向かいに座っている獅子神が手を伸ばして、ひょいとそのポップを持ち上げる。既に注文時にひと通り眺めていたはずだが、デザインや内容など、いろいろ見るべきところがあるのだろう。食べる手を休め、何度もポップの面を回しながら、スマートフォンのメモに字を打ち込んでいた。
「牙頭に伝えるのか」
 ハンバーグの欠片を飲み込んでから尋ねると、獅子神は頷いた。
「うん。感想聞かせろ、って頼まれてるからさ。まあ、ちょこっとだけ」
「律儀だな、あなたは」
 嫌味に聞こえないよう注意して、私は言った。ポップとスマートフォンを行き来する獅子神の真剣な目つきを楽しみながら、ハンバーグの続きを食べ進める。仕事の顔になっている獅子神を見られる機会はなかなか無いので、このファミレスへ食事をしに来ることは、その意味で私にも益があることなのだった。
 解任戦で私と天堂が対戦した相手の片割れである、牙頭という男。ファミリーレストラン『ジョイキッチン』の代表取締役である彼は、三十代の若さでかなりの成功を収めており、順調にチェーン店を増やしているという。が、解任戦での敗北後に資金繰りに奔走した事があったらしく、その時にビジネスの場で出会った獅子神が、事情を知っているだけに放っておけずに出資を申し出た。その後、私も成り行きを知る機会があり、獅子神と共に時々訪れるようになって今に至っている。
 今日は、ジョイキッチンの新企画が別腹メニューだとのことで、獅子神に誘われて来たのだった。オレは別腹って感覚がよく分かんねえし、お前の正直な感想の方が参考になるだろうし、と。
 それで私は、ハンバーグステーキのセットにウィンナーの盛り合わせを頼み、別腹メニューとやらから『ちょこっと鶏の唐揚げ&フライドポテト』と『季節のパンナコッタ』を追加した。別腹と言ってもデザート以外はメインと同じように出てきたので、唐揚げとポテトとウィンナーを順調に片付けて、ハンバーグセットに向かい合っている。それも残り少なくなって、先ほどパンナコッタも運ばれてきたところだった。
「しかし、いつもながら企画のメニューが豊富だな。大したものだ」
「ああ、頑張ってるよな。牙頭のヤツ」
 獅子神はスマートフォンから顔を上げると、くるりと手の中でポップを回した。
「甘いものだけじゃなくて、人気のメニューの小さいサイズも入れてるんだってさ。ただ小さくするんじゃなくて、盛りつけをオシャレにしたり名前を工夫したりして、単価が上げられるようにして。ほら、メニュー見てたら、これも食ってみたいけどこんなに量は要らねぇな、ってこと、あったりするだろ?……まあ、お前にはあるのかわからないけど」
……無いな」
 獅子神はやっぱりそうか、と顔にでかでかと書いて口元を歪めたが、すぐに元の表情に戻って話を続けた。
「ま、でもそういうコトで調子いいらしいぜ、この企画。女性とか子供からの注文も多いんだって。そのうちバリエーションも増やしたいって言ってたな」
「バリエーション?」
「沖縄編とか北海道編とか、そういう地域の特色出したメニューを検討してるってさ。あと、地産地消を謳ってのご当地メニューとか」
「なるほどな」
 私はハンバーグの最後のひと切れを口に入れると、肉汁の芳醇な味わいに名残を惜しみながら、喉の奥へと送り込んだ。
 牙頭から聞いたらしい話を滔々と語り、メニューを仔細に眺めてメモを書きつけながらも(既に私も料理の感想を訊かれた)、獅子神自身はいつものように、大した量を食べていない。いま彼の前に並んでいるのは、鶏胸肉と夏野菜のサラダ、それにストレートの紅茶だけだ。そのサラダだって、ドレッシングを柚子胡麻から青紫蘇に変更していた。
 大きめのサラダボウルに盛られたそれをさくさくと平らげていく獅子神は、確かに彼なりに楽しそうだった。鶏胸肉の良質さを褒め、胡瓜や焼き茄子の風味、レタスの歯応えなどに目を輝かせながら、満足そうに味わっている。何か食って感想言わねえとな、と別腹メニューを再び手に取ったが、視線が向いているのは黒糖わらび餅や自家製焼きプリンなど、低カロリー或いはタンパク質優位のものばかりだった。
 自らを律すること、その努力の大切さは、私も十分に知っているつもりだ。
 だが、食に関しては、私のそういった努力の対象にはなり得ない。まだ若いのだし、好きなものを好きに食べたいと思う。それが美味くて楽しい食事になれば、申し分ない。仕事中はどうしても飲食が犠牲になりがちなので、尚更そう思ってしまうのかもしれなかったが、とにかく獅子神の食べるものに対する姿勢は、時として厳しすぎるように私には映ってしまうのだった。
 理屈としては、理解できる。ある程度想像することもできる。
 しかし、実感をもって同調することはできない。
 私たちの間には、存外こういう事が多い気がする。
……村雨?」
 私がデザートを前に、手を止めていたからだろう。獅子神がメニューから顔を上げて、心配そうな視線を向けてきた。
 首を横に振って、返事をする。
「大丈夫だ。気にするな」
「でも」
「何でもない。ただ……
「?」
「あなたは本当に、自分の食べるものに関してはストイックだなと思っていただけだ。己の体を維持するためとはいえ、大したものだなと」
 私の言葉に含まれたニュアンスを、獅子神は敏感に嗅ぎ取ったらしい。軽く眉根を寄せて思案する顔になり、慎重に口を開いてきた。
「それは、オレがこういうモンばっか食ってるから、てことか?」
……まあ、そうだ」
「別に全部が全部、節制してるわけじゃないぜ。こないだだって、お前が予約したレストラン、一緒に行ったろ。普通にフルコース食ったじゃねえか」
「あぁ」
「トレーニングするから、その分のカロリーは要るし。ある程度計算しながら、ちゃんと食ってるよ。今日はたまたま」
「その計算しながら、という部分だな」
 私が言うと、獅子神は納得した顔になって小さく唸った。ティーカップを持ち上げて紅茶をひと口飲み、言葉を探して視線を彷徨わせる。
 私は小さなスプーンを手に取り、別腹メニューで注文したパンナコッタを引き寄せた。数種のベリーを煮つめたソースがかかっていて、ソースの深い紅とパンナコッタの白の対比が美しい。
 大きく掬って口に入れると、ぷるんと柔らかい舌触りと優しい甘さが広がった。遅れてソースの爽やかな酸味と、ぷちぷちとしたベリー類の感触が伝わってくる。パンナコッタがなめらかで甘いぶん、ソースは果実の風味を活かした味わいで、引き立つ酸味の爽やかさが夏らしく心地良かった。
 もうひと口食べてから顔を上げると、獅子神と眼が合った。
 優しげに、微笑んでいる。先ほどまでの硬い感じは、もう消失していた。
「お前、ホント美味そうに食うよな」
 それが呆れたり貶したりする口調ではなかったので、私は黙って続きを待った。
 穏やかに、獅子神は言葉を紡いでいく。
「美味いものをよく知ってて、味わって満たされて……それがお前の楽しみ方なんだよな。手加減も、計算もしてなくて。食いたいもの食って」
 まあつまみ食いはどうかと思うけど、と挟んできたので、そこだけ私は顔を顰めてやった。
「オレはそういう食い方だと、自分で不安になっちまうから……だから、こうしてっけどさ。お前が美味そうにいっぱい食ってるのは、好きだよ。オレの作ったメシでも、そうじゃなくても」
「わかっている。私も、自分に必要な事をやり遂げるあなたの意志には、敬意を表している」
「じゃあ、いいだろ。それで」
 さらりと、しかし確信を持った口調でそう言うと、獅子神は残っていたレタスをぽいと口に放り込んだ。しゃくしゃくと噛み砕き、水を飲んで、パンナコッタを食べる私を嬉しそうに見つめてくる。
 その表情は、私の眼で見ても、本当に何のわだかまりも無くて。
 彼が芯からそう思っているのだろうと、私も素直に信じることができた。

 私たちの間には確かに、実感をもって同調できるわけではない事も多く存在する。
 だがそれ以上に、こうして心繋がる瞬間が数えきれないほどあるのだ。

 互いに想いを語り、共に死地に立ち、多くの時間を一緒に過ごして、私たちはここまで来た。
 これからも、一生離さない。この体が動き、私の意思が続く限り。

「獅子神」
 私はパンナコッタのスプーンを置いて、左手を伸ばした。獅子神の右手を引き寄せ、包むように手を重ねる。
 驚いたようにこちらを見る薄青色の瞳を捉えて、まっすぐに言った。
「ありがとう。あなたはやはり素晴らしい。愛している」
……っ!」
 くっと私の手の下で、獅子神の右手がこわばる。眼前のなめらかな頬が、ぼっと赤みを帯びた。
「どうした」
「おっ、お前なぁ……ファミレスで、食事中にいきなり、何つーことを……
「あなたは既に食べ終えているだろう。私も、もうデザートの残りだけだ」
「そうじゃねぇだろ! 場所をわきまえろ、場所を!」
 今日は牙頭がいなくてまだよかった、とぶつぶつ呟きながら、空いている左手で獅子神は紅茶の残りを飲んだ。仮に彼が見ていたところで私の行動は変わらないのだが、そこは言及しないでおくことにする。
 カップの中身を空にすると、ふうと息をついて、獅子神は私を見た。
 重ねた手が動いて、そっと私の指を握る。
「ま、オレも同じだから。ありがとうな、村雨」
「ふふ」
「もう食わなくていいのか? せっかく別腹メニューなんだから、遠慮せずに」
「いや、十分だ。あとは帰ってから、あなたのデザートを頂こう」
「結局まだ食うのかよ……
「レモンゼリーを作ったと言っていただろう。入浴の後でぜひ食したい」
「へーへー。先生の仰せのままに」
 ホントどこにそんなに入るんだか、と言いながら、獅子神が手を離そうとする。
 そこで何かを思いついたらしく、ふと視線を漂わせた。
「あー……そうだな。そういや、オレもあるわ」
「え?」
「まだ欲しくなる、ってやつ。別腹って言っていいのかは、わかんねえけど」
 いかにも楽しげに、獅子神が口の端を片方だけ持ち上げる。
 ちょいちょい、と指先の動きで招かれて、テーブル越しに頭を近づけた。獅子神も身を乗り出してきて、私の耳元に唇を寄せてくる。
 そうして、囁いた。

「お前が、さ……オレのナカから、出ていく時。もう無理って思ってンのに、物足りなくなる」

 低く、甘い声。
 離れかけたはずの彼の手に、力が籠もる。熱い親指の腹がすり、と私の手のひらを撫でた。
「満たされてるはずなのに、まだ欲しくなる。もっと、何度でも……そんなカンジ?」

 ——不覚なことに。
 完全に、不意打ちだった。

……っ」
 思わず眼を見開いてしまい、口の中に生唾が湧いて出る。どくんと心臓が大きく打って、顔の毛細血管が一気に開いた。
 ぼっと両の頬が熱くなる。
「ははっ! お前のそういうカオ、久しぶりに見た!」
 流石に声は押し殺したままで、獅子神が嬉しそうに笑う。悪戯が成功した子供のように、屈託なく、本当に楽しそうに。
 私はぎゅっと手を握り返すと、斜め下から獅子神を睨みつけた。
「あなた……今夜は覚悟しておけ」
「望むトコロ、って言いたいんだけど、お前明日は朝から仕事だろ? 大丈夫か?」
「くっ……
 また楽しそうに笑いながら、獅子神がするりと右手を抜く。宥めるように私の手の甲を撫でてから、ぽんと肩を軽く叩いてきた。
「大丈夫。次の休みまで、ちゃんと覚えてっから」
……あぁ。そうだな」
「ほら、残り食ったら行こうぜ。んで、買い物して帰ろう」
「わかった」
 私は頷いて、スプーンを持ち直した。残りのパンナコッタにベリーのソースを絡めて、口に運んでいく。
 獅子神はスマートフォンの画面を開いて、指先で文字を打ち込み始めた。牙頭へ送る感想の文面を整理しているのだろう。敢えて画面を覗くことはしなかったが、獅子神の表情の移り変わりから、およそ前向きな内容を書き進めているのは察せられた。
 甘いパンナコッタと、爽やかな酸味のベリーを味わいながら、先ほどの彼の囁きを脳内で反芻する。きゅっと腹の底が疼き、今抱えてはいけない熱が兆しそうになるのを、何とか理性で押さえ込んだ。
「まったく……
「ん?」
 反応して、獅子神が顔を上げる。その表情にも微かに——しかし明らかに——動揺が見て取れて、私は微笑んだ。
「何だ、あなたも同じか」
「うるせーよ」
 これだけで伝わる意思。確かな共有。
 私たちが深め、積み上げてきたものだ。
「やはり、待てないな。今夜も覚悟しておけ」
 有無を言わさず告げると、獅子神は無言でスマートフォンに視線を戻しながら、小さく片手を上げた。了解、と降参、の混じったニュアンスで。
 その頬がまた、ふんわりと赤く染まっていく。私は自然に持ち上がってしまう口角を苦労して抑えつつ、最後のベリーソースをつるりと喉に落とし込んだのだった。