果南(カナン)
2025-07-22 21:36:18
4829文字
Public さめしし
 

安らぎの朝寝

さめしし+ごろさめしし。当直で疲れきった村雨先生が帰ってきた朝のお話です。
みんな頑張ったから、みんなで一緒に。 *ごろが動いてます。



 タクシーを降りると、ぎらりとした陽光が瞼を刺した。
 凶悪とも言える光の眩しさに目を細めながら、車を離れる。角を曲がって走り去る音に背を向けて、静かな住宅街の道を歩いた。
 まだ十分に朝と呼べる時間帯だが、夏も盛りのこの季節、既に大気は十分な高温になっている。アスファルトからはじわじわと熱気が立ち昇り、幾多の蝉の喚く声が鼓膜をうるさく圧した。
 よほどの雨でもない限り、門扉の前までタクシーを乗りつけないのはいつもの習慣だったが、今日は選択を誤ったかもしれないと思った。一晩中働きづめで疲労した体に、この暑さは少々——いや、かなり——こたえる。まさかこの短時間の歩行だけで熱中症にはならないだろうが、睡眠も飲食も足りていない今の状況で、体に負担を与えるリスクを負うべきではなかった。
 判断力が、低下している。
……やれやれ」
 ため息をついたところで、ちょうど門扉まで辿り着いた。インターホンのボタンを押すと、数秒おいてカチ、とロックの外れる音がする。
 緑の生い茂る庭を横目に眺めながらアプローチを進むと、玄関のドアが内側から開いた。
「おー、おかえり、村雨」
「ごろー!」
 出迎えてくれた獅子神が、いつもの笑顔を私に向ける。その頭に乗っていたごろししが、ぴょんと跳ねて飛びついてきた。
「ただいま、獅子神。ありがとう……ごろししも」
「ご!」
 両手で受けとめたごろししの頭を撫でてやり、獅子神に頬ずりして軽く抱擁を交わす。靴を脱いで上がり、鞄を獅子神に預けて(ごろししが何とか引っ張っていこうと取りついていたが、お前には無理だろ、と獅子神に鞄ごとあっさり持ち上げられた)洗面所で手を洗った。
 が、ごろさめのほうは一向に出てくる気配が無い。
「私の綿はどうした」
 洗面所を出て問いかけると、リビングの入口で獅子神とごろししが顔を見合わせた。
「あー、それは……
「ごろ……
 揃って歯切れの悪い回答に、思わず眉を顰めてしまう。
「また本体の私に対して、無精を決め込んでいるのか。まったく、綿の身も弁えずに」
「いや、違うんだよ。村雨、その」
「ご、ごろろ」
 慌てたように獅子神が遮ってきて、ごろししもおろおろしながら私の袖を掴んできた。
 ふたりして庇うからには何らかの事情はありそうだったが、それにしても気に食わないのは事実だった。私がほぼ徹夜で急患の相手をしていた間、綿である彼は広々とした獅子神の家でのうのうと、番であるごろししと仲良く気ままに過ごし、私の恋人である獅子神に優しく手厚く世話をされている。勿論、綿相手にそんなことを妬いても仕方がないのは百も承知だったが、今の私はとにかく疲れていて、心情に見境が無くなっていた。
「では、何だ」
 自然と声が尖り、眼は獅子神を睨みつけてしまう。八つ当たりなのはわかっていたが、どうしようもなかった。
 何故、こんな愚かしい自分を晒け出す羽目になっているのだろう。
 私はもっと、理性的であるべきなのに。
 これではまるで、駄々を捏ねる子供のようではないか。
「ごろろー」
 ぽふ、と顎のあたりに柔らかいものが当たった。
 私の腕を登ってきたごろししが、丸い手で何とか頬を撫でてくれようとしていた。が、ごろの体型ではそれは容易なことではない。小さな足を踏ん張って首の近くで立ち上がり、ぐいぐいと顔ごと押しつけてくるような格好になっていた。
「ごろしし」
 私は手のひらにごろししを乗せて、自分の顔の前まで持ってきてやった。
 すりすり、と頬に体を擦り寄せて、青い糸で縫い取られた眼をまっすぐ私に向けてくる。そして小さな手をぱたぱたと振りながら、ごろししは懸命に何かを語り始めた。
「ごごろ、ごろーろ……ごろ、ごっごろ」
「待て、落ち着け。それでは分かりづらい」
「んー……まあ、見た方が早いよな」
 獅子神が苦笑しながら口を挟み、ぽんと私の肩を叩いた。
「ごろさめ、リビングにいるんだけど。静かに入ろうな」
「何?」
「見たら説明すっから」
 大きな手が、優しく私の背中を押す。その動作にも声にも誤魔化すようなところは無く、獅子神が本当に私のためを思って、そうしてくれているのがわかった。
 ならば、ここは受け入れるしかない。
……わかった」
 私は頷いて、リビングに足を踏み入れた。静かに、そっと。
 すぐに、ごろさめがソファーの上にいるのがわかった。座面の隅にぺたりと腹をつけた状態で動かず、伝わってくるニュアンスからも眠っているのは明白だった。布団代わりに、小さなタオルハンカチが体に掛けられている。
「何故、こんなところで」
 呟くと、肩に乗せたごろししがごろごろごろ、と小声で話し始めた。
「ごろ……ご、ごろろ。ごろ、ごろろん、ごーろごろ」
「何? 一晩中?」
「そういうこと。ま、少しはうとうとしてたみたいだけどな」
 獅子神があとを引き取って、説明を補ってくれた。
「お前が当直なんだから、自分も夜を徹してがんばるごろ!ってはりきっちゃってなぁ。ごろししと一緒に本読んだり、夜食を食ったり、家の中を見回ったり……うん、頑張ってたぜ。で、お出迎えして自慢するごろ、って言ってたんだけど」
「ごろー、ごっごろ」
「力尽きて寝落ちてしまったというわけだな」
 私は小さく息を吐くと、ソファーに歩み寄った。
 座面の前でしゃがみ、眠っているごろさめを覗き込む。
……マヌケなことを。あなたは、綿だぞ。人間であり医者である私と、同じようにできるわけがないだろう」

 ハーフライフ以上のギャンブラーに稀に生じる、分身のぬいぐるみ。
 布と綿から成り、原理も理屈も不明だが、愛らしい姿で喋り、動き回る。

 気ままな彼らの振る舞いは時として愚かしく、これが自分の分身かと思うと癪に障ることもある。が、獅子神と共にごろ達と暮らす日々は、笑顔と意外性に溢れ、つまりは楽しく、これも幸せのひとつの形だろうと確かに思えるものなのだった。
 少なくとも彼らに、悪意のようなものは存在しない。
 きっと私は、そのことに随分と救われているのだ。おそらくは、他の皆も。

「ごろさめ」
 私は手を伸ばし、分身である綿の小さな体を、タオルハンカチごと掬い上げた。ソファーに腰を下ろし、自分の膝の上にそっとごろさめを置く。
「ご……ご⁉︎」
 ぴくっと俵型の胴が揺れ、目覚めかけた意思が伝わってきた。寝落ちたことを恥じ、跳ね起きて取り繕おうとしているのがありありとわかる。
 この状況なら、私でもそうするだろう。
 そう思うと可笑しく、微笑ましかった。
「いい、寝ていろ」
 私は指先で、ごろさめの頭を優しく撫でた。
「事情は聞いた。あなたも……あなたなりに頑張ったのだな。すまなかった」
「ご……?」
「こちらの気持ちの話と、勝手な謝罪だ。気にするな」
 黒いフェルトの髪のつけ根をさすり、タオルハンカチの上から丸い胴も撫でてやる。そうしながら視線を上げて、ソファーへ歩いてきている獅子神を眺めた。
 先ほどは意識の網から漏れていたが、よく見れば獅子神もそれなりに疲れの片鱗を漂わせていた。いつもより寝癖のついた髪、しぱしぱと瞬く目元。欠伸の数も多い。運動の後らしい血色の良さやシャンプーの強い匂いも無く、朝のジョギングにいってシャワーを浴びるというルーチンもこなしていないのだろうと察せられた。
「な、何だよ」
 私の観察に気づいて怯む獅子神へ、微笑みを返す。視線で隣へ来るよう招きながら、言葉はごろさめへ向けて言ってやった。
「だが、あまり無茶をするものではないぞ。あなたが我儘を通せば、その分の苦労は獅子神に行く。おおかた夜通し、危ない事がないか見ていてくれたのだろう? ごろししだってあなたにつき合って、あまり寝ていないのではないか?」
「ごろ……
「いや、まあそうなんだけどよ……お前、自分の我儘は省みて言ってんのか、それ……?」
「何がだ」
……そーだよな。わかってた」
 獅子神はどこか楽しそうに苦笑すると、私の隣に腰掛けた。
 ぴょん、とごろししが肩から飛び降りて、眠そうなごろさめに寄り添う。
 私は美しい金髪の頭を、そっと抱き寄せた。
「村雨」
「ありがとう、獅子神。私も疲れで気が回っていなくて、すまなかった」
「別に気にしてねぇって。お前、仕事だったんだし……すぐに朝食の準備すっからさ。食ってねぇだろ?」
「それはそうだし、ありがたいが。あなたもろくに寝てないのだろう」
「これくらい、平気だって」
 そう言って早くも立ち上がろうとする獅子神を、私はぎゅっと抱きしめた。
 膝にはごろ達が乗っているから、腕に力を入れることしかできない。しかし、獅子神はちゃんと動作を止めて、優しく私を抱きしめ返してくれた。
 逞しく、あたたかい体に包まれると、一晩中張り詰めていたものが緩んで、安堵と眠気が湧き上がってくる。脊椎から神経に沿って沁み通っていく温もりで、もう休んでいいのだと、ようやく全身の細胞が理解してリラックスしようとしていた。

 私も、同じように伝えたいと思った。
 どこまでも寛大で、誰かのための苦労をなかなか見せようとしない、タフネスと気高さと優しさを兼ね備えた、愛おしい私の恋人に。

 あなたも、もっと休んでいいのだと。
 あなたがそうしてくれるように、私もあなたを安らぎで包みたい。

……風呂に入って、あなたの作る朝食を食べ終えたら」
 落ちかかった金髪を指で梳いて、獅子神の耳に唇をつけて囁いた。
「少し、仮眠をとりたい。あなたも一緒に眠ろう、獅子神」
「オレも?」
「そうだ。ごろ達もだな」
 私の膝の上のごろさめは、もう再び眠りに落ちていた。隣でタオルハンカチの下に潜り込んだごろししも、欠伸代わりに体を伸ばして、ぷるりと頭を震わせている。
「皆で一緒に昼寝……いや、時刻的には朝寝と言うべきか。日の高さなど気にせずしっかり休むぞ。くれぐれも、あなた一人だけ先に起きていろいろ片付けようとするな」
「う……
 刺した釘は図星だったらしく、獅子神が喉の奥で呻く。その顎を捉えて唇を塞ぎ、舌を絡めながら、伝わってくる息遣いと小さな喘ぎに酔った。
 互いに安心して、温もりを感じて休めば、きっと驚くほど私達は元気になれる。
 そうしたら、そこから今日を始めればいい。
……わーったよ」
 やがて唇を離すと、獅子神は穏やかに笑った。
「じゃあ目が覚めたら、買い物行っていいか? 食料とか洗剤とか、いろいろ買っておきたいものあるんだよな」
「ああ、勿論かまわない。おとなしく出来そうなら、ごろ達も連れていこう」
「大丈夫かな。元気回復してあり余って、飛び跳ねて回ったりしねえか」
「あなたの言うことなら聞くだろう」
 獅子神はちょっと頬を赤くすると、もう一度私を抱きしめて、立ち上がった。
「じゃ、そーゆーことで。オレ朝食作るから、お前は風呂入れよ。もう沸かしてっから」
「ありがとう」
「ごろは……ここでいいか。見えてるほうが安心だもんな」
 ひょいとクッションを取り上げて、獅子神が座面の隅にスペースを作る。寝ぼけたごろが転がり落ちてしまわないように、組み合わせたクッションで囲う形になっていた。
 エプロンを着けてキッチンへ入っていく獅子神を見送ってから、私は膝の上のごろ達をそうっと持ち上げた。獅子神の作ったスペースに寝かせて、タオルハンカチの布団を胴にかけてやる。
 心拍も呼吸も無く、頼りない小さな体で、しかしいきいきと跳ね回るごろ達。
 互いに目覚めればまた、楽しく騒がしい一日になる。
……まあ、悪くないな」 
 仲良く眠る二体のごろに微笑むと、私は立ち上がり、足音をたてないように注意して風呂場へと向かった。