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果南(カナン)
2025-07-08 05:27:22
2682文字
Public
さめしし
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針と糸
さめしし。村雨先生が白衣を持って帰ってきた小話です。(初出:2025/07/04)
しなやかな指先が、細い銀の針をすべらせる。
布の表と裏を行き来する、白い糸。よどみない動きを繰り返して、ボタンを布にとめていく。予め決められている道を辿っているような、迷いの無い動作だった。
夕食の後で、針と糸を貸してほしい、と村雨が言い出して、始めたのがこれだった。職場で着ている白衣のボタンがとれてしまったので、持ち帰ってきたということらしい。最初から自分でやるつもりだったらしく、特にオレに促すような視線を向けることもなく、さっさと針に糸を通して縫い始めていた。
そして、白いボタンは早くも、所定の位置に収まろうとしていた。
「
……
手慣れてるのな、お前」
正直、オレは意外だった。こういう面倒臭そうなコトは、オレにやらせてくるだろうと思っていたからだ。
村雨が手を止めて、顔を上げた。
「不満か?」
「え?」
「あなたの顔に、そう書いてある」
そこまで思ったつもりはなかったのだが、村雨が言うのなら、そうなのだろう。コイツは時として、オレ自身よりも正確に、無意識のオレの気持ちを掬い取る。
そして、容赦なく突きつけてくる。はっきりとした、間違えようのない言葉で。
「
……
そーかよ」
オレはため息をついて、洗い物をしていた水を止めた。手を拭いてキッチンを出て、村雨の座っているソファーに向かう。
どさりと隣に腰を下ろして、背もたれに頭を乗せた。
「別に
……
そういうつもりじゃなかったんだけどさ。でもお前、イチゴだってオレに洗わせるくせに、ボタン付けみたいなコト自分でやるんだなぁって思ったら、何かさ」
「私の世話を焼きたかったのか? あなたは」
「んー
……
そうかも」
オレが正直に答えると、村雨はくすりと笑った。
「これは、私の仕事のことだからな。あなたの手を煩わせるのは、違うだろうと考えた」
白い糸をつけた針がくるりと閃いて、糸の足の周囲を回る。するすると綺麗に高さを作り、巻いた糸の足を二回貫いてから、布の裏に出た。さっと輪にされた糸をくぐって、あっという間に玉止めができる。きちんと糸の根元で結ばれた、お手本のような玉止めだった。
ぱちん、と鋏が糸を切る。
「器用だな」
思わず口にしてから、そりゃそうだよな、と思った。村雨は、外科医なのだ。
この手は誰かの腹を開き、悪い病巣を切り取り、また繋ぎ合わせて、多くの人の命を救っている。
——
オレの、知らないところで。
「獅子神」
針山に銀の針を戻して、村雨がオレを呼んだ。
「また余計なことを考えているな?」
「別に
……
」
さっきと同じ言葉を返しながら、オレは深紅の瞳から目を逸らした。
「余計じゃねーだろ。ただ、オレの知らないお前って多いな、て思っただけで」
「それであなたが不要な悩みを抱えるなら、十分に余計な思考だと思うが」
さらりと言って、村雨は短くなった糸を針から抜き取る。腕を伸ばしてごみ箱に捨て(縫い物を始める前に自分で傍に持ってきていたのだ。そういう作業の手順とかに関してはコイツは実に律儀だと思う)、ボタンの揃った白衣を広げて確かめながら、軽く何かを考えるような顔つきになった。
「
……
あぁ、そうか」
形の良い唇が、すぐにふわりと微笑む。
振り向いた視線が、まっすぐにオレを捉えた。
「では、獅子神。これを見てほしいのだが」
「え?」
すっと差し出された腕が、オレの目の前に白衣を広げた。
上から二番目のボタン、先ほど村雨がつけていたやつのすぐ下のを、細い指先が示してくる。
「このボタンも、糸が弛んできているとは思わないか? これをあなたが丈夫につけ替えてくれれば、私も助かる」
「村雨」
「病院で白衣のボタンを見るたびに、あなたを感じるというのも悪くない
……
もっと早く、こうすればよかったな」
ぽんと白衣がオレの膝の上に放られた。そのまま指先がオレの顎を捕まえて、微笑みの形の唇が近づいてくる。
自然に、やわらかく重ねられた。
「ん
……
」
手を引いてくれるような、優しいキスだった。オレを安心させようとしてくれているキス。
あたたかい舌がオレを満たし、吐息が絡み合ってひとつになる。
一緒にいるのだから、と伝えてくれる。何度でも。
「頼めるか、獅子神」
唇を触れあわせたまま問われて、頷いた。
「
……
ん。やるよ」
「それはよかった」
そっとオレの頬にもキスをして、村雨は笑った。わかりやすく、嬉しそうに。
オレはお礼のつもりで村雨の手を握ってから、ぽんと背中を叩いてやった。
「じゃあ、オレ頑張るからさ。お前は風呂入ってこいよな」
「隣で見ていては駄目なのか」
「さすがに照れるし、落ち着かねぇって。風呂あがってきたら、出来上がったやつをゆっくり見てくれよ」
「
……
わかった」
村雨はわずかに不満げな表情を見せたものの、頷いて立ち上がった。くしゃりとオレの頭を撫でてから、リビングを出ていく。
その後ろ姿を見送ってから、オレはソファーに座り直した。
膝の上に置かれていた、村雨の白衣を広げてみる。両手で目の前に掲げて、思わず見入った。
弁当を病院に届けた時には仕事着の村雨に会っているし、村雨の家で誰かの検査や治療をする際には、服の上から白衣を羽織っているのも目にしている。オレが叶との戦いの前に世話になった時だって、そうだった。
でも、こうしてオレの家で、村雨から離れてオレの手元に白衣があるっていうのは、初めてのことで。
変だけど、何だかどきどきした。
事あるごとに私は医者だ、って言うアイツの、大事な世界。どんなに大変でも進んでいくのだと、選んだ道。
その端っこに、少しだけ触れている気がした。
「
……
偉いよ、お前。ホントに」
自信家で、自分を見失わなくて。
ギャンブルもあんなに強えのに、医者としてもしっかり生きている。
そうしてオレや、アイツらや、お兄さん達との時間も大切にしている。
——
オレの、大好きな村雨。
「オレも
……
頑張らねぇとな」
とりあえず今は、この白衣のボタンを丈夫に、綺麗に仕上げるところからだった。
膝の上に白衣を置いて、村雨の指定したボタンの付近を持ち上げる。弛んだ古い糸を切り、丁寧に布地から抜き取った。
細い銀の針を手に取り、白い糸を通す。そうしてボタンの位置を合わせて、ひと針ずつ縫い留めていった。
がんばれよ、と心の中で
——
時には口に出して、つぶやきながら。
職場で、疲れた村雨にきっと届いて、少しでも笑顔になりますように。
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