果南(カナン)
2025-05-23 23:18:38
3312文字
Public さめしし
 

ひとひらを重ねて

さめしし。ワンドロのお題「手紙」「キス」で書きました。一緒に仲良く暮らしている将来のさめしし。長い年月の間にある物を集めていたさめ先生のお話です。
変わらぬ想いを、遥かな先まで運んでいく。




 机の抽斗の奥に、古い封筒がある。
 見た目は何の変哲もない、普通に文書を入れる封筒だ。若い頃に私が勤務していた病院の名称や住所が印刷されている。大きめの封筒で、手元にあって丁度良かったから、中のものを纏めるのに使ったのだ。当時の私は職場以外で封筒を使う機会など無かったし、使い慣れたその封筒が一番便利だった。
 長年の間に角は潰れて毛羽立ち、幾度も開け閉めした蓋の部分は擦れて反り返ってしまっている。いつ跳ねたのかわからないコーヒーの飛沫が、郵便番号を記す赤い細枠の下に色褪せた染みを作っていた。
 私は封筒を手に取り、蓋を開く。指を差し入れて、中に入っている紙片を取り出していった。
……懐かしいな」
 色も形も様々な、たくさんの紙。しっかりとした厚紙に綺麗な模様が印刷されたカードもあれば、ただの単色の付箋もある。絵葉書も混じってはいるが、これは例外的なものだった。オレも送ってみてえんだよな、と照れたような顔で笑った彼が、遠くの出資先に赴いた際に、私にくれた絵葉書。南国らしい明るい空と碧色の海が広がり、大輪の紅い花が咲いていた。
 出逢ってから今まで、私たちは大抵の時間を近くで過ごしてきた。私が転勤や留学を余儀なくされることもなかったし、彼が遠くへ雲隠れする必要も生じなかった。銀行の賭場という共通の秘密を抱え、同じ戦いの場に立つ友人らと共に、濃密で親しい時間を送ってきたと言っていい。
 だから私の手元には、大袈裟な手紙というものはほとんど残っていない。メールやメッセージの類いならスマートフォンに溢れているが、それは日常の連絡や会話だ。いわゆる手紙という概念には当て嵌まらないだろう。
 この小さな、数々の紙片。
 折にふれて獅子神が記してきたそれらは、ゆえに私にとっては大切なものだった。どの紙にも、彼の正直な肉筆が踊っている。短い文面、些細な走り書きでも、それは過ぎた時の様子を甦らせ、今の私に運んでくれる大切な手紙になっているのだった。
 私たちが、一緒に過ごしてきた時間。
 今までも、そしてこれからも——
「むらさめー」
 コンコン、と扉を叩く音がして、獅子神が私を呼んだ。換気のためにドアは開けていたのだが、気を遣ってくれたのだろう。
 振り返って、頷いてみせた。
「何だ。入ってきて構わないぞ」
「おー、ありがとさん。コーヒー淹れてきたぞ。ちょっとは休憩したらどうだ?」
「すまない、感謝する」
 私がずっと自室にいたので、仕事の書類と格闘しているか、論文を書いているかだと思ってくれたのだろう。ぽってりとした温かみのある釉薬のかかった厚手のコーヒーカップと、フリーズドライのいちごにホワイトチョコがかかった菓子を置いてくれながら、獅子神は私が机に広げていた紙片を認めて、わかりやすく体を硬直させた。
「なっ、なん……おまっ、これ……
 引き攣った顔で口をぱくぱくとさせながら、獅子神は何度も紙片と私を見比べる。若かりし頃より多少衰えたとはいえ、まだまだ張りのある両の頬が、みるみるうちに赤く火照っていった。
 私はゆったりとカップを持ち上げると、豊かな香りを楽しみながら、獅子神が淹れてくれた熱いコーヒーを啜った。
「見てのとおり、あなたが私に書いてくれたカードやメモだ。懐かしいものだな」
「いや、何で全部とってあるんだよ⁉︎」
 獅子神は真っ赤になった顔で叫ぶと、机の上を見渡して唸った。
「プレゼントに付けてたヤツとか、クリスマスとかのカードはわかるけどよ……ジョギングしてコンビニ寄ってくる、って本当にただの伝言メモじゃねーか。それにこっちは、弁当に付けてたヤツか? 青いタッパーは明日の分、蓋は外してチンしろよ、って……珍しくも何ともねぇし、残すようなモンじゃねーだろ……
「スマートフォンのメッセージで送れば、通知で私が起きるかもしれない。だから紙に書いて枕元に置いておく。あなたはそうして、いつも私を気遣ってくれていたな。弁当も、忙しくて帰れない日の差し入れも、どれだけ疲れた私を癒し、腹を満たしてくれたことか。そんなあなたの優しい愛情が籠ったメモだ。捨てられるわけがないだろう」
「ああぁ……
 獅子神はへなへなと床にしゃがみ込むと、頭を抱えて俯いてしまった。
 私はカップを置き、いちごのチョコレート菓子を齧ってから、立ち上がった。獅子神の隣に膝をつき、広い背中に腕を廻して抱きしめる。
 銀の細い輪をはめた左手の指で、変わらぬ美しさの金髪を撫でた。
「恥ずかしがることはない、獅子神」
 数えきれないほど触れてきた耳に唇をつけ、囁きかける。
「私は、嬉しいのだ。あなたが長年変わらずに私を想ってくれていることを、こうして目の当たりにして感じられる。これは今までのあなたがずっと先の私まで届けてくれた、日々の心を運ぶ素晴らしい手紙だ」
……
「だから、どうかこれからも変に萎縮したりせずに、同じように書いてほしい……駄目だろうか?」
……お前、なぁ……
 ため息混じりの低い声が吐き出されて、獅子神の頭が動いた。
 赤く染まった目元と、綺麗な薄青色の瞳が覗く。
「とっておかれる、てわかってたら難易度上がるだろ……どーしても気にしちまうだろ」
「事実として、今までと同じわけだが」
「オレが知ってるかどうかが大事なんだよ、この場合。照れるだろ」
……そうか」
 断られたと思って、我ながら落胆した声になった。
 露骨に声音に出たのがおかしかったのか、獅子神が苦笑する。
「ほんっとお前、そーゆートコ変わらねえよなぁ」
「そうだろうか」
「そーだよ。主張が強くて、引かなくて。全然恥ずかしがらずに、何でもストレートに言いやがって……
 言いながら、獅子神が腕を伸ばしてきた。
 大きな手のひらが、私の頬を包む。指のつけ根に宿る同じ銀の輪の、硬い感触が肌を撫でた。
 もう慣れたが、それでも実感すると嬉しくなる。
「獅子神」
 呼びかけると、美しい瞳が間近で私を見つめた。
 それからあたたかい唇が、優しくキスをしてくれる。二度、三度。さらにもっと。少しずつ角度を変えて、慎重に、宥めるように。私の不満をすっかり攫って、大切に満たそうとしてくれる。いつだってそうだったし、今もそうだ。

 あなたこそ、こういうところは全然変わらない。
 大きな心で、私を愛してくれている。ずっと。

……しばらくは、頻度が減るかもしれねぇけど。我慢しろよな」
 やがて言い出した獅子神の妥協案が、それだった。
「たぶん、そのうち慣れるから。そうしたらまた、普通にメモ書くからさ」
「わかった」
 私は素直に頷いた。せっかく獅子神が考えてくれたことを、これ以上の我儘で無下にするべきではない。
 それくらいは、私も学んだのだ。
 獅子神と一緒に過ごしてきた、長い年月の中で。
「あと、お前も時々は書けよ。そしたらオレもとっておけるし。んで、十年後のお前に見せてやる」
「なるほど。悪くないな」
 本当にその提案が気に入って、私は笑った。
 今度は私から、獅子神にキスを贈る。彼の唇の柔らかさを十分に堪能し、舌を絡めて奥の熱まで味わった。喉から漏れてくる甘い喘ぎを心地よく聴き、くちゅりと唾液を混ぜて、飲み込ませる。私の背中を掴む手にくっと力が籠り、速まる心拍が彼の昂りを伝えた。
「愛している。獅子神」
 唇を離し、また触れ合わせて、囁いた。
「これからもたくさんの言葉で、あなたの心を運んでほしい……勿論、言葉以外でも」
……おぅ、頑張るわ」
 赤くなった頬を動かして、獅子神はにっと笑った。
「とりあえず、今日の夕食はハンバーグな。お前食べたいって言ってただろ? プリンも作って、もう冷やしてっから」
「ありがたいな。あなたの料理も間違いなく、あなたの心を運んでくれる」
 獅子神の作ってくれる愛情たっぷりのハンバーグの味が、たちどころに私の脳内で再現される。湧き立つ心のままにもう一度彼にキスすると、大きな体と笑顔があたたかく私を受け止めてくれた。