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果南(カナン)
2025-04-11 22:41:01
7258文字
Public
さめしし
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曇天の境界
さめしし。ワンドロのお題「駅」「距離」で書きました。
仕事で辛いことがあったさめ先生が、ししさんに我儘を言って旅に出たお話。医者としての悩み、そこそこ重い状況も出てきますが、最後はハッピーエンドです!フレンズもちょこっと活躍します♪
どこまでも、大切なあなたを想えばこそ。
一人旅に、出た。
とはいっても、メインは学会での出張だ。地方の都市へ赴き、大きな会場の一画で朝からつつがなく発表を済ませる。その後、ろくに調べもせずに駅へ赴き、目についた一番小さな列車に乗った。
二両しかない車両が、がたごとと走っていく。聞き慣れない駆動音に、ディーゼル車なのだと遅れて気づいた。乗車前にパンタグラフの有無が眼に止まらなかったということは、やはり注意力が散漫になっているのだろう。ある意味、気を張らずに済んでいるということでもあったが、やはり情けないという思いが先に立った。
今、獅子神がここに居たら、何と言うだろう。
お前でもそんなことあるんだな、と目を丸くして、それから笑うだろうか。おかしそうに、でも優しさを湛えて。
——
反射的にそう思ってしまって、ため息をついた。
一人で来る、と決めたのは自分なのだ。連絡をしてくるな、と申し渡したのも。
なのに、心はすぐに獅子神を追ってしまう。
いくら物理的な距離をとっていても、これでは離れたことにならない。
もはや分かちがたく、私の中に彼がいる。改めてその事実を思い知りながら、冷たいガラスに頭をもたせかけて、窓の外を流れていく風景を眺めた。
都市らしいビルや商業施設はすぐに遠ざかり、古い家並みが目立つようになった。大きな川を渡り、さらに幾つか駅を通り過ぎると、その家もまばらになって水田や畑が目立つようになってくる。時々思い出したようにコンビニやファミリーレストランが現れ、知らないチェーン店名のスーパーやドラッグストアらしき建物がそれに挟まる。少し離れた丘陵には、新興住宅地らしい一戸建てが整然と並んでいるのが見てとれた。
ここら辺りで、限界だろうと思った。帰りの飛行機の時間は決まっている。明日からは普通に仕事で、それは変えられないのだから、タクシーでも何でも使って間に合う範囲に留めておかなくてはならなかった。
ちょうど列車は次の駅に止まろうとしていた。立ち上がり、開いたドアから外へ出る。
初めての駅で、降りた。
「
……
無人駅か」
普段の生活では、なかなかお目にかかれない代物だ。自動改札機が交通系ICに対応していたのは幸運だったと思いつつ、かざして外に出る。
駅前には小さいながらもロータリーがあり、タクシーが二台止まっていた。これなら帰りは何とかなるだろう。スマートフォンを取り出し、駅名を入れて現在地を確認すると、今乗ってきた電車で起点の大きな駅に戻るよりも、タクシーで直接空港へ向かったほうが早いということも分かった。時間の余裕は、まだ十分にある。
「問題無いな」
帰路の算段が立ったので、気が楽になった。一泊分の着替えとノートパソコンを入れた鞄を肩に掛け直して、小さな駅舎から外へ踏み出す。
灰色の雲が厚く垂れ込めた空を見上げてから、歩き出した。当てもなく、ただ道に沿って。
こちらへ来たのが、昨日の昼。天気は雨。
そして今日は、時おり小雨がぱらつく曇り。
旅行向きとは言い難い、すっきりしない空模様は、実のところ私にとってはありがたかった。空の青さが見えていたら、私はもっと獅子神を思い出してしまっていただろう。それこそ、常に。
勿論、今でも度々想ってしまってはいるのだが、それでも外的要因が一つでも減るに越したことはなかった。私は、一人になるためにこうしているのだ。
獅子神との連絡を絶ち、遠く離れた街で。
一人で、自分に向き合うために。
——
当然のことながら、獅子神は腹を立てていた。
『は? 電話もメールも一切しないし、オレからもするな、って? 何だよ、それ』
額にぴきりと皺を寄せ、口元を歪な形に持ち上げて、獅子神は私を睨みつけた。青い瞳の奥には、抑えきれない苛立ちが燃えていた。
『じゃあ、もし旅行中にオメーが事故とかにあったとしても、オレには一切わからねえのかよ。そんなのってお前、酷くねぇか? あ?』
仮定が少々極端だったが、それだけ獅子神が動揺しているということでもあった。
逞しい体躯と整った顔で迫りながら凄まれると、流石に迫力がある。が、予想していた反応の範疇ではあったので、私は落ち着いて言葉を返した。
『そんなことはない。病院から兄と、天堂に連絡がいくようにしておく。彼が当然、あなたにも知らせてくれるだろう』
『何で天堂なんだよ』
『私たちの中で、最も身元がしっかりして見えるのは彼だからな。あれでも一応、地域に溶け込んだ教会の神父だろう』
『
……
』
獅子神は苦虫を噛み潰したような顔で唸っていたが、やがて大股でリビングを横切ると、どさりとソファーに腰を下ろした。腕組みをして、まだ厳しい表情のままで、私を見上げてくる。
その強い視線を、私はただ受け止めた。
『あのさぁ、村雨』
『何だ』
『お前、逆にオレが同じことしたらどう思うんだよ。ちょっと一人旅に出てくるから絶対連絡すんな、何かあったら園田達に聞いてくれ、て言ったらよ』
『
……
そうだな。腹を立てるだろうな』
『だったら』
我が意を得たり、と上体を乗り出しかけた獅子神を、しかし私は視線で制した。
彼の瞳を見つめたままで、ゆっくりと語りかける。
『腹を立てるし、やるせなさを感じるだろうし、何とか説得しようとするだろう。何故わざわざそんなことをするのか、とあなたを問い詰めもするだろうな。しかし、それでもあなたの決意が変わらなかったら』
ぴく、と獅子神の頬が小さく震えた。私の話の行き先を悟ったのだろう。
頷いて、言葉を続けた。
『私は、あなたを送り出すだろう。あなたの望み通りに。だから
……
』
『
……
わーったよ。オレの負けだ』
獅子神は肩を落としてため息をつくと、首を振った。
それから表情を緩め、改めて私を見つめてくる。
『でも、コレだけは約束してくれ、村雨。必ず無事に帰ってくるって。オレはオメー以外の奴から、オメーの不幸なんか聞きたくねぇんだよ』
『それは、私もそうだ』
『なら頼む。言い訳はすんな、頼むから』
ソファーに座ったままの獅子神が、右手を差し出してくる。彼の手のひらの傷と青い瞳を見比べて、私は一瞬だけ逡巡した。
必ず、などこの世にはない。
それを私は
——
私たちは、嫌というほど知っている。
それでも今は、約束しなければならなかった。
私のこれまでの人生で培った全ての手管を駆使して、これ以上ないほどの巧みな嘘をついてでも。
『わかった。約束する、獅子神。私は必ず、あなたの元へ戻ってくる』
前に一歩踏み出して、差し出された右手を両手で包むように握った。それから、この方がより効果的だろうと思ってつけ加えてみる。
『だから、帰ってきた日にはぜひステーキを焼いてほしい。プリンといちごもあればこの上ない』
案の定、獅子神はそれで笑ってくれた。
私の真意を理解していたのだとしても、それで受け入れてくれたのだ。
『おう。テンダーロイン用意しといてやるよ。だから頑張ってこいよな』
『
……
感謝する』
『ま、オメーの我儘は今に始まったことじゃねぇもんな。でも出来ることなら、何があったのか後で教えてくれよ。でないと、オレがしてやれることが何なのか、わからねぇだろ』
『努力しよう』
何とか微笑んで、手を握ったまま、獅子神の隣に腰を下ろした。
私のぎこちなさに気づいていたのだとしても、獅子神はそれ以上何も言わない。その優しさが、ありがたかった。
ロータリーを出て歩いていくと、小さな交番があった。向かいには民家があり、その庭の続きのように畑が広がる。色褪せた朝市の案内板や壊れかけたビニールハウスが続いたかと思えば、石窯パン、と大きな看板を掲げた煉瓦造りの小洒落たパン屋も現れた。駐車場には外車も含めて何台も車が止まっていて、都市部からの客を目当てに、そこそこ成功していることが窺える。いちごフェア、の垂れ幕も掛かっていたが、見なかったフリをして通り過ぎた。
きっと、もう二度と目にすることはない風景だ。だが、記憶に焼き付けておこうという気にはなれなかった。
頭の中ではずっと、三日前に作成した書類の文面が廻っている。手術記録、退院サマリー、そして死亡診断書。
そう、私は自分が執刀した患者を、初めて死なせてしまったのだった。
術後二十四時間以内の、病院での死亡。いわゆる手術関連死の中でも、術中死に次いで重い部類の死に方で。
手術の手技に、問題はなかった。麻酔からの覚醒も良好で、順調な術後経過だと判断していた。
が、突如としてドレーンからの出血が始まり、みるみるうちに容態が悪化した。深夜で異変に気づかれるのが遅れ、モニターのアラームが鳴って当直医に連絡が行った時には、既に心停止に近い状態だったという。私も電話で叩き起こされて自宅から駆けつけたが、救急科と外科の当直者が交代で心臓マッサージを続ける様子と、使用された薬剤の本数を見れば、もう蘇生の見込みが無いのは一目瞭然だった。あとは家族の到着を待つまで、形ばかり続けるだけの意味しかない。
動揺している家族への説明、看取りと宣告。それらは、担当医である私の仕事だった。剖検の同意は得られなかったので、せめて少しでも原因の推測をするためにと食い下がって、死後CT撮影の許可を取る。眠そうな放射線技師を電話で叩き起こし、明け方のCT室のモニターで見つめた患者の体内は、腹腔内に満ちた出血を反映して一面の淡い灰色が広がっており、心臓と大動脈は完膚なきまでに虚脱してぺしゃんこだった。あの光景を、私は生涯忘れることはできないだろう。
あまり気にするな、と上級医は言った。手術のミスじゃない。稀な病態が、偶然起こったのだから仕方がない、と。
だが私は、そう簡単には割り切れなかった。
術前の精査のCTで、何か予兆を掴めていれば。私がもっと眼をしっかりと開いて、何ひとつ見逃さずに見つめていれば。どうしてもそう思ってしまう。
『その考え自体が傲慢、ていう意見もあると思うよ』
同期の最も気心が知れている女性は、寝ていない私にいちごチョコをくれながら、そう言った。
『割り切らなきゃ、進めない時もあるでしょ。医者やってたら、きっとこれからもこういう事はあるんだし。弁当の彼女に愚痴でも聞いてもらって、ちゃんと寝て休みなよ』
『
……
彼女ではない、と前にも言っただろう』
力無く言い返し、礼を述べていちごチョコを受け取りながら、私は考えた。
もっともな意見ではあったが、やはり獅子神に甘えるわけにはいかない。私は自分の問題として、今回のことについて考え抜く必要がある、と。
そのためには、獅子神に頼ることができない環境を構築する必要があった。
——
私は、医者なのだから。
やり遂げなくてはならない。
隣に獅子神がいれば、どうしても気持ちの上で甘えてしまう。だから、一人になる必要があった。
ちょうど学会の予定が入っていたのは、都合が良かった。旅の間連絡を断つ旨を了承させて、詳細は何も言わずに飛び出してきた。帰り着くまでに自分の中で決着をつければ大丈夫だと思っていたし、自分にはそれが可能だと信じていた。
だが、実際はどうだろう。
こうして、起こったことを思い返すばかりで、何も建設的な見解が出てこない。そして、隣にいない獅子神のことばかりを考えてしまう。
「いっそ
……
来てもらった方が、良かったのだろうか」
ポツリと、口から弱音が漏れた。
一緒にいて、思ったことを話して、聞いてもらって。彼のくるくると変わる表情と、素直な反応を目の当たりにしていたほうが良かったのかもしれない。その方が私の脳も刺激を受けて、もっと効率よく回ったのではないかと思えてくる。
私は、獅子神との距離を確かめたかった。
獅子神を失うことなど、もう考えられない。それでも、医者としての自分に彼を巻き込んでいいのか、自信が持てなかった。我々は多かれ少なかれ、人の死に対する感覚がもう常人とは異なっており、そうでなくては仕事が成り立たない。其処には、賭場でルールに則って命を賭けるのとは、また別の危うさがあるのだ。
そんな変容した自分の感覚に、獅子神をつき合わせるべきではないと思っていた。
だが、その考え方は間違っていたのではないか。
『何があったのか、後で教えてくれよ。でないと、オレがしてやれることが何なのか、わからねぇだろ』
獅子神がそう言ってくれていたことを、思い出す。
きっと彼は、受け止めてくれる。そういう強さがあった。
ならば私のすべきことは、信じることなのだ。きっと。
信じて、向かい合って、きちんと話をして。
そして
——
ピリリリリ、とスマートフォンが鳴った。
獅子神ではない、と思いながら、振動する機体をポケットから引っぱり出す。ディスプレイに表示されている名前を見て、顔をしかめながら通話のボタンをタップした。
「何だ、マヌケ神。私は学会で旅行だと言っただろう」
『御挨拶だな、村雨』
低く、笑みを含んだ天堂の声が、スマートフォンから流れ出る。それだけで何となく腹立たしくて、応じる言葉がつい早口になった。
「どうせロクな用事ではないのだろう、いいからさっさと言え。時間のムダだ。すぐに切る」
『ほう。本当にそれで良いのか? 私の後ろの音をよく聴くがいい』
音の聞こえ方が、変わった。スピーカーモードに切り替えたのだろう。
と同時に、弾けるような声が飛び出してきた。
『やっほー、村雨さん! そっちの天気はどう?』
『なんだ、礼二君ちゃんと出てるじゃん。落ち込んで自分探しの逃避行、てユミピコが言うから、てっきり電話でも話してくれないのかと思ったぞ』
間違えようもない、真経津と叶の声。好き勝手な言い分。
そしてまだ、後ろに誰かいる気配を悟らずにはいられない。
「
……
待て、あなた達。何故揃って一緒にいる。まさか」
電話の向こうで、おかしそうに全員が顔を見合わせる気配がした。
『もちろん、獅子神さん家に集まってるよ!』
『敬一君のお願い事だからな! 頼まれたのはユミピコだけど、当然オレ達だって参加するだろ?』
『獅子神君特製のキャラメルシフォンケーキで手を打ったぞ。今まさに紅茶を淹れ、食さんとしているところだ。村雨、お前がこれを食べられないのはさぞ無念だろうが、これも自身の浅はかさ故の試練。神が見届けてやるから、しかと受け止めるがいい』
『おい天堂! そんなに煽るなよ! 村雨を落ち込ませるために頼んだワケじゃねーぞ!』
懐かしい声が、電話越しに響く。たかだか一日かそこら、聞いていないだけなのに。
どきりと、心臓が不規則に跳ね上がるのがわかった。
「
……
獅子神」
名前を呼ぶと、一瞬電話の向こうが静まった。
獅子神の足音が、近づいてくる。
『もういいのかよ、話しても』
「
……
あぁ」
『お前が禁止したの、オレが連絡するコトだけだっただろ。だから、天堂に頼んだ。お前に電話して、元気かどうか確かめてくれって』
「なるほどな。考えたな」
『それくらいオレだって思いつくっつーの、ナメんなよ。そんなわけで、今焼けたケーキはコイツらのだけど。オメーにはまた今度焼いてやっから』
「いちご味にしてくれ」
『
……
懲りねぇな、お前って』
電話の向こうで、くっくっと獅子神が笑う。キッチンに移動したらしく、彼らの声が少し遠のいて、コンロの火を止める音がした。
『ちゃんと作るし、肉も準備してる。だから、気をつけて帰って来いよ。そして何があったか聞かせてくれ。オレだって、お前が落ち込んでるなら力になりてぇんだよ』
獅子神の声が、力強く私の耳を打った。
——
そうだ。やはり、それで良いのだ。
突然の患者の死を受け止めきれず、頑なになって、思い込みで距離を取り過ぎていた。
勿論、これも必要な時間だったのかもしれない。でも、もう良いのだ。
「そうだな。ちゃんと話そう」
『あぁ』
「旅は、終わった。今から帰る。これから空港に向かって、予定通りの飛行機に乗る」
『ン。待ってる』
「
……
あなたの声が聞けて、嬉しい。ありがとう。愛している、獅子神」
ひゅーひゅー、と電話の向こうで叶が囃し立て、真経津の笑い声が重なった。照れ隠しで怒鳴る獅子神の叫びと、静かな天堂の声が続く。
その声を聞きながら踵を返して、列車を降りた駅へと向かった。
来た道を足早に戻りながら、石窯パンの店の前を通り過ぎかけた。いちごフェア、の垂れ幕が目に飛び込み、つい足が止まる。獅子神の家で食事にありつくまでの時間を素早く計算し、さっと店に入って、フェアのパンを四つ買い込んだ。もし余ったら、獅子神に見せて一緒に食べればいい。
私の、ある意味情けなかった一人旅の、良い笑い話のタネになるだろう。
やがて、駅のロータリーが見えてきた。来た時と同じ位置に止まったままのタクシーに近づくと、壮年の運転手が穏やかな顔を向けてくれる。
空港へ、と告げて、もう訪れることはないであろう駅から、タクシーに乗り込んだ。
曇天の下を、車が軽快に走っていく。獅子神までの距離が、ぐんぐんと縮まっていく。
飛行機が離陸し、高く舞い上がれば、この曇り空もおしまいだ。厚い雲を突き抜ければ、一面の青空が私を包んでくれるだろう。獅子神の瞳と、同じ色で。
手にしたパン屋の袋からは、甘く香ばしい匂いが漂う。空腹を刺激し、心満たす香り。そして獅子神の焼いてくれるケーキは、きっとこれよりも素晴らしい。
懐かしい笑顔を瞼の裏いっぱいに思い浮かべながら、私は曇天を眺めて、そっと眼を閉じた。
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